上 下
18 / 29
第四章~フレイヤ国、北東領地、ヴァジ村、再び~

第二話

しおりを挟む
 寺院に続く並木道を途中で折れると、小高い丘の向こう側に故人が眠る墓石が配列していた。
 確か昔は、畑が広がっていたはずだ。
 漆黒の墓標が暮れかけている日差しを反射させていた。
 墓石には故人の名前と年が刻まれていた。ヴレイは一つ一つに目を配って母親の名前を探した。ルピナにも名前を教えて、探すのを手伝ってもらった。

「ヴレイ、こっちじゃ」

 丘に吹き抜ける風がなんだか湿っぽい。
丈の短い草花をゆっくり揺らす。すべてが夕焼け色に染まっている中、墓石だけは漆黒の輝きを放って、存在感を色濃くした。ここにいるぞと、主張するように。

 ルピナが見付けた墓石には、確かに母親の名前が刻まれていた。
 吸い寄せられるように墓石に手を添えて、グッと瞼を閉じた。
 母親がここに眠っている実感がないせいか、目頭が熱くなることはなかった。

「あの晩、俺はいつの間にか外にいて、目の前には血だらけの母親が倒れてた。俺の両手は血だらけで、もしかして俺が手に掛けたのかと思ったけど、手に付いていた血は、自分の手の傷だった」
「手の傷じゃと、だから手袋を付けて傷を隠しておったのか?」
「まあな、やっぱり見たくないからさ」

 その手をグッと握った。滑りにくい手袋を脱ぐのはとんでもなく大変なので、もう脱ぐのは止めておいた。
 墓石にポンと軽く手を置いた。

「そろそろ日が暮れそうだ」
「そうじゃな」

 墓地を後にして、寺院へと進路を修正した。
 並木道から寺院に向かう平坦な並木道は、五年前のまま変わらない。
 前方に建つ寺院にも明かりが点いていた、誰かいる証拠だ。ザイドの母親も他界し、継ぐはずだったザイドもいない。なら、今は誰が在籍しているのだろう。

「その手の傷だが」

 唐突にルピナが口を開いた。

「おそらく誰かに付けられた傷じゃろ。私が思うに、君の母親ではないのか」

 胸の奥に釘が突き刺さった感覚が走る。ズバリ言い当てられた勘は否めない。
 考えなかったわけではない、そうだとしても理由が分からない。何故そうしたのか。

 寺院の小窓から明かりが漏れていた。
 エントラスを抜けて、目に入ったのが鉢植えに咲いた大輪の赤い花だ。
 五年前に立て直したとは思えない味のある石積みの壁には、蔓が生い茂り、紫紺色の花に覆われた前庭には、湿気の混じる清涼な風が吹き抜けていた。
 木製の扉を片方だけ引いて、中へ入った。

 礼拝堂は天井が高く、祭壇には二体の像が立っていた。
 墓石と同じく漆黒の石で掘られていた。人のように見えるが、どちらも大きな翼で体を覆っていた。

「懐かしいな、この像だけは同じだ」
「新しく建立した際に、運び入れたんじゃな。あっちから奥へ行けどうだ」

 最後尾の長椅子の横に、明かりの点いた外廊下が伸びていた。
 ルピナが指を差した先へと、歩みを進めた。
 明かりは点いているがとんでもなく静かだ。紅茶色の明かりは薄暗く何だか落ち着かない。

 ドアが何枚か並んでいたが、さあ、どのドアをノックするかとなり、無難に端からノックした。
 一枚目は、返事がなく、二枚目でもまた返事はなく、三度目の正直はどうだとノックしたが、返事はなかった。

「どういうことじゃ! 祭司はどこへ行ったのだ」

 声を荒げたくなる気持ちは分かる。
 腹も減って、歩き続ける気力が残りわずかだと実感した。
 礼拝堂に戻り、二人は肺の底から息を吐きながら長椅子に尻を突いた。
 座ってしまうと、もうこのまま寝てしまいたいぐらいの脱力感に襲われた。
 緊張の糸が解け、腹の虫も鳴り始めた。
 日が暮れると、急に気温が低くなった。準備なしの急な遠出でローブや上着など持っているはずもなく、ルピナも長袖とはいえ両腕を摩って、温まろうとしていた。

 側に寄って摩ってやりたいぐらいだが、仮にもルピナは総督だ。不時着した遭難現場ならいざ知らず、ここで軽々しく触れる度胸はなかった。

「腹減ったぁ、今夜泊まる場所も探さがさねえと、まずはメシ!」

 このまま寒そうにするルピナを見ているのも酷なので、気合を入れてヴレイは立ち上がった。

「そうじゃな」

 力なく呟いたルピナもどうにか立ち上がった。
 来た道を戻り、賑わっていた通りまで出ると、何軒か飯屋が建ち並んでいた。この村の繁華街といったところか、路地裏には飲み屋も点在している。
 とにかく腹が減っていたので、ヴレイは適当に選んで、席が空いてそうな店に入った。

「じゃあとりあえず、この店のおすすめを四種類ぐらい、ルピナは何か飲む?」
「いや、私はいい。君が何か飲め」

 遠慮がちなルピナだが、じゃあせっかくだしとヴレイはビールも注文した。
 そういえば軽々しくルピナと呼び捨てにしていたが、ルピナはさして気にしていないようだ。
 酔客も多いが、食事だけの客も多いようだ。客たちの笑い声や騒ぎ声で、声を張らなければ、向かい合うルピナと話をするのも苦労しそうだ。

 料理は直ぐに運ばれてきた。大皿に豪快に盛られた湯気の立つ料理に、涎が溢れ出しそうだ。どれもタレと餡がよく使われ、照りに誘われ喉が鳴った。
 ヴレイはビールを流し込み、大皿のおかずを適当に小皿に取ってから、がっついた。
 ちょっと頼み過ぎた感があるが、まあいいだろう。

「生き返ったぞ、こんな料理は初めて食べたが、なかなかの美味じゃ」

 相変わらず食事の仕方にも品があった。さすがお姫様だな。
 目の前にいるのに、遠い存在なのだ。追い駆けるだけ無駄だと、当時は思っていた。

「そーだろ! ヴァジ村はメシが上手いんだ!」

 濃い味にビールが良く合った。呑気に食事を満喫していたなんてオッサンにばれたら、雷どころでは済まないかもしれない。しかもヴレイの事情にルピナ総督を付き合せたなんて知れたら、ゾクッと二の腕に寒気が走った。

「結局、祭司はどこに行ってしまったのじゃ。もしや自宅に帰宅したのではないか?」
「確か、寺院と自宅は繋がっていたはず。でもあの敷地内には寺院しかなかったな」

 ビールで喉を潤し、爽快感を噛み締める。妬けになって一気に流し込んだ。

「おいヴレイ、そんなに飲んでは、後がキツぞ」
「飲んで体を温めるんだ! アーもう! 祭司の奴どこだあぁ」
「ん? なに、何か今、私呼ばれた?」

 聞き間違いではなかろうかと、温かくなってきた顔が一気に覚めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

別れてくれない夫は、私を愛していない

abang
恋愛
「私と別れて下さい」 「嫌だ、君と別れる気はない」 誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで…… 彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。 「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」 「セレンが熱が出たと……」 そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは? ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。 その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。 「あなた、お願いだから別れて頂戴」 「絶対に、別れない」

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

処理中です...