思い出の更新

志賀武之真

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1 覚悟

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 卒業式を明々後日に控えた、快晴温和な月曜日の放課後。
 三階建ての古い校舎の屋上に一人の男子と一人の女子がいる。ここは金網で覆われているが、本来児童だけで上がることは禁止されていた。
 そこに佇む男子、六年二組の森山亨は、少々恐怖を感じていた。元来高所恐怖症気味なのではあるが、そのせいだけではない。校則違反が怖い訳でもない。
 今、一緒にここにいるのが、同級生の山田華だからだ。

 亨は、華とはここ半年ほど、目を合わさないようにしてきた。自分自身が華を正視する勇気がなかったし、華が自分を避けているようにも感じていたからだ。
 だから今日、昼休みに華からそっと手紙を渡された時はドキリとした。

* 亨君
    放課後に屋上で待っているから来て下さい。 
  山田華 *

 25文字の至極簡単な内容だったがプレッシャーを感じた。
 そして放課後。亨は逃げ帰りたい衝動に駆られたが、覚悟を決め屋上に上がったのだ。

 華は既に屋上にいて外の景色を眺めていた。強い風が華のベリーショートを小刻みに揺らしている。
 清楚な白いブラウスの上に槐色のVネックのセーター、デニムの短めなスカート、白のニーハイソックスにスニーカーという、女子児童の初春らしいオーソドックスなスタイルだった。
 華の身長は女子では平均よりやや高い程度だったが、この年頃の常として、男子でクラスの平均並みの亨とは殆ど差が無かった。
 亨は華の柔らかそうな背中を見つめながら、ゆっくり近づいていった。
 その足音に気付いた華がくるりと振り向いた。
 目が合った。きつい目をしてる…。
 亨はビクリとして足を止めた。
 華の身体にきっちりフィットした青いセーターは、彼女のまだ膨らみかけの胸のラインを強調していた。
(華ちゃん、最近いちだんと綺麗になった…、あの時も綺麗だったけど、それ以上に今はもっと…)
 亨は、思い出すべきでない『あの時』のことを頭に浮かべ、そう思った。
(そういえば、あの時からずっと、華ちゃんは学校にスカートを履いて来なかった。デニムのスカートは、確か、あの時以来のはず・・・)
 そのデニムから露出するみずみずしく張り詰める太股。太股…
 亨は、『あの時』のことを鮮明に思い出すに連れ、やはり華を正視できなくなった。
 目をそらした亨に、尚も華の視線がしっかり注ぐ。
 沈黙。
 亨は恐怖感を覚えた。怒られるのか、恨み言を言われるのか、それともぶたれるのか…。今日はあらゆることを受け止めなければならないと覚悟した。
 華の口許が開いた。
「ありがとう、亨君」
 意外にも感謝の言葉だった。
「亨君、今まですっと、みんなに黙っていてくれて、どうもありがとう」
「え…、でも…」
 亨は当惑した。
「ぼ、ぼく…、あの時、華ちゃんを助けられなかった…」
 そうなのだ。『あの時』、亨は何もできなかった。そればかりか、見るべきではない華を見てしまった。凝視してしまったのだ。華の願いを裏切って…
 そしてそのあと、ただただ臆病にダンマリを決めつけていただけなのだ。
 うなだれて頭を振る亨に華は告げた。
「亨君…。私ね、クラスのみんなに告白しようと思うの、あの時のことを…」
「え…」
 亨は驚いて頭を上げた。
「私、辛いの…。あの時の秘密を、あの秘密を…、亨君だけに背負ってもらうのが…、私、とても辛い…」
華の目から涙が溢れていた。
「ねえ亨君、クラスのみんなが、あの秘密を背負ってくれたら…、一人一人の負担は、亨君の心の中の重荷は、三十五人分の一になるでしょう?…」
「は、華ちゃん…。でも、華ちゃんの辛さは、三十五倍になっちゃうよ…」
 亨は華の決意に驚き、半ば反射的に反対した。大好きな華との二人だけの共有事項が無くなることが、実は寂しくもあったのだ。
「私は平気よ。あの時のことがあったから、強くなったんだから…、あんなこと、もう何ともないんだから…、全然何ともないんだから!」
 強がりを言った華の、亨への視線は射るような鋭さだった。
(やっぱり華ちゃんは僕のことが嫌いで、そしてやっぱり恨んでいて…、だから僕にだけ秘密を握られているのが嫌なのだろうな…)
 亨は落胆した。
 華は、落ち込む亨を無視するようにツカツカと階段に向かった。そして振り返り、叫ぶようにもう一度言った。
「亨君、ありがとう!」
 亨は背中でその声を受け止めた。残念な一方で、喉に刺さった小骨が外れたような、ホッとするような感じがしたのも確かだった。
 でもやはり、言い難い無念さがじわりじわと心の中を支配してきて、亨は途方に暮れた。
(僕はどうすればいいのだろう…)


 翌日の最終五限は最後の自主ホームルームだった。
「はい、ではこれから皆さんの最後の自主ホームルームです。騒がずに落ち着いて、皆さんだけで、最後のお話合いをしてください」
 担任の城之内由梨絵先生が教室を出ると、ホームルームの仕切り役である小柄な女子学級委員の大石南が立ち上がった。
「自主ホームルームを始めます。何か話し合いたいテーマがある人いませんか?」
 なければ先生が残しておいたツマラナイお題に関して、無理矢理話し合いをしなければならない。ちなみに、先生が残したお題は『優しさ』だった。
「はいっ」
 華が手を挙げた。
 亨は俯いた。
(やはり、華ちゃんは、言ってしまうのだろうか…)
 華は教壇に進み出た。昨日と同じような服装でデニムのスカートにニーハイソックスであったが、セーターはボーダーで、より一層清楚な感じがする。

「みなさん、聞いてください…」
 華は凛とした仕種で話しはじめた。
「私、山田華には、クラスのみんなに内緒にしていた秘密があります。ただ一人の男子を除いて、みんなに半年も内緒にしていた秘密があるのです」
 華は落ち着いてクラスを見回した。
 瞬間、亨と目が合った。亨は硬直した。
「今まで彼は、ずっとその秘密を守ってくれました。でも私…、とても辛くて…。彼だってきっと、一人ぼっちで秘密を背負って辛かったと思うんです…。だから私、その秘密をみんなに告白します。もう秘密でないことにしたいんです。もう秘密に怖がりたくないんです…。だから、聞いてください」
 華は深くお辞儀した。
 美人ではあるがざっくばらんで朗らかないつもの華とは明らかに異なる態度に、教室の空気は一変した。
 華はゴクリと唾を飲み込み、覚悟を決めたように話を続けた。
「私は、去年の夏休みの後半、学校のプール講習に通いました。大抵は森山亨君と一緒でした。お家の方向が一緒なのです。それに、彼は私と違い水泳が得意で、よく泳ぎ方のコツを教えてもらっていました」
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