1 / 20
1
しおりを挟む
太古より幾度となく噴火し、隆起し、砕けては噴火して出来た渓谷の底、陽の光も届かない奥底でソレは生まれた。
火山灰と大地の奥底から噴き出すガス、触れた蝶が瞬時に地に落ちる瘴気だけが存在するその淀みで、ソレは足を滑らせて上から落ちてくる生き物の死骸を食べ、瘴気に染まって泥のようになった川の水を啜り、長い年月を生きた。そうして暗闇と瘴気の中で過ごして幾星霜。ソレは代わり映えのない陰鬱な世界に飽き、谷底から上へと這い出た。
渓谷の頂によじ登り、眼下を見下ろしてソレは驚いた。
緑色の木々も澄んだ青い空も清冽な涼しい空気にも驚いたが、何より自分以外に意思を持って動く生き物たちを初めてみたのだ。
ソレは嬉しかった。
この世に己唯一人が生まれてしまったのだとソレは諦観していた。
そうではないのだと知ってしまえば、途端に自分以外の生き物たちと触れ合いたくなった。
しかしソレが近付くと羽根の生えたものは飛んで逃げて行ってしまった。地をすばしこく走る生き物も逃げるのが上手だったが、ソレが追いかければやがて疲れ果てて足を止めた。ソレは慌ててたくさんある腕のうちの二本で立ち止まった生き物を掴んだが、生き物はソレのように硬い鱗も甲殻も持っていなかったので、手の中に捕らえたと同時にひしゃげて潰れてしまった。
ソレは自分のせいで動かなくなった生き物を見て悲しくなった。
悲しかったが、瘴気の谷で食べていたものに成り果てた生き物を体の中心にある牙の生えた口の中に放り込んだ。勿体無いと思ったのだ。しかし腹が空いているわけでもないのに、さっきまで動いていた生き物を壊して食べることに、ソレは猛烈な罪悪感を覚えた。
それからというものソレは自分から逃げる生き物を追うことはせず、己と同じ存在を探すことにした。
森を彷徨い、野を彷徨い、川を下って海を渡っても、ソレは己と同じように大きく、黒く、鱗と甲殻に覆われた体を持ち、無数の鉤爪を持った手足を持ち、赤く大きな3つの目と牙に覆われた大口を持つ生き物に出会うことはなかった。
ソレは消沈したが、小さな二足歩行する羽根のないたくさんの生き物を見つけた。
それらは臆病で、ソレを前にするとすぐに逃げた。
しかし集団になると気が大きくなるらしく、たまに群れてソレに襲いかかってきたが、二本の尾を振り回せば簡単に蹴散らせるので、やがて生き物はソレを畏れ、挑んでくるようなことは滅多に起こらなくなった。
ソレは群れて暮らす生き物を観察し、生き物が使っている言葉を学んで彼らの生活を見、孤独を慰めた。が、生き物たちがお互いを慈しみ合うのを見ていたら余計に寂しくなった。
ニンゲンというらしい生き物たちは、腹から生まれるようで、腹から出てきた小さいニンゲンは生んだ大きなニンゲンに庇護され、慈しまれ、糧を分け与えられて抱擁され、大事に育てられて増えていく。
「うああああん!」
「おお、よしよし泣かないで」
「何も怖くないぞ! お父さんが守ってやるからな」
大きいニンゲン二人と小さい小さいニンゲンを眺めていて、不思議な気持ちに陥った。
気が付いたら瘴気の中で存在していたソレの目に、彼等の関係は奇異に映ったのだ。
戯れに、大きなニンゲンのように自分を作り出したかもしれない大きい存在を想像してみた。
何となく大口の奥、胃袋の上の方が暖かくなった気がした。
しかしそんな妄想も我に返ると虚しいだけで、余計にソレは陰鬱な気分になってしまった。
火山灰と大地の奥底から噴き出すガス、触れた蝶が瞬時に地に落ちる瘴気だけが存在するその淀みで、ソレは足を滑らせて上から落ちてくる生き物の死骸を食べ、瘴気に染まって泥のようになった川の水を啜り、長い年月を生きた。そうして暗闇と瘴気の中で過ごして幾星霜。ソレは代わり映えのない陰鬱な世界に飽き、谷底から上へと這い出た。
渓谷の頂によじ登り、眼下を見下ろしてソレは驚いた。
緑色の木々も澄んだ青い空も清冽な涼しい空気にも驚いたが、何より自分以外に意思を持って動く生き物たちを初めてみたのだ。
ソレは嬉しかった。
この世に己唯一人が生まれてしまったのだとソレは諦観していた。
そうではないのだと知ってしまえば、途端に自分以外の生き物たちと触れ合いたくなった。
しかしソレが近付くと羽根の生えたものは飛んで逃げて行ってしまった。地をすばしこく走る生き物も逃げるのが上手だったが、ソレが追いかければやがて疲れ果てて足を止めた。ソレは慌ててたくさんある腕のうちの二本で立ち止まった生き物を掴んだが、生き物はソレのように硬い鱗も甲殻も持っていなかったので、手の中に捕らえたと同時にひしゃげて潰れてしまった。
ソレは自分のせいで動かなくなった生き物を見て悲しくなった。
悲しかったが、瘴気の谷で食べていたものに成り果てた生き物を体の中心にある牙の生えた口の中に放り込んだ。勿体無いと思ったのだ。しかし腹が空いているわけでもないのに、さっきまで動いていた生き物を壊して食べることに、ソレは猛烈な罪悪感を覚えた。
それからというものソレは自分から逃げる生き物を追うことはせず、己と同じ存在を探すことにした。
森を彷徨い、野を彷徨い、川を下って海を渡っても、ソレは己と同じように大きく、黒く、鱗と甲殻に覆われた体を持ち、無数の鉤爪を持った手足を持ち、赤く大きな3つの目と牙に覆われた大口を持つ生き物に出会うことはなかった。
ソレは消沈したが、小さな二足歩行する羽根のないたくさんの生き物を見つけた。
それらは臆病で、ソレを前にするとすぐに逃げた。
しかし集団になると気が大きくなるらしく、たまに群れてソレに襲いかかってきたが、二本の尾を振り回せば簡単に蹴散らせるので、やがて生き物はソレを畏れ、挑んでくるようなことは滅多に起こらなくなった。
ソレは群れて暮らす生き物を観察し、生き物が使っている言葉を学んで彼らの生活を見、孤独を慰めた。が、生き物たちがお互いを慈しみ合うのを見ていたら余計に寂しくなった。
ニンゲンというらしい生き物たちは、腹から生まれるようで、腹から出てきた小さいニンゲンは生んだ大きなニンゲンに庇護され、慈しまれ、糧を分け与えられて抱擁され、大事に育てられて増えていく。
「うああああん!」
「おお、よしよし泣かないで」
「何も怖くないぞ! お父さんが守ってやるからな」
大きいニンゲン二人と小さい小さいニンゲンを眺めていて、不思議な気持ちに陥った。
気が付いたら瘴気の中で存在していたソレの目に、彼等の関係は奇異に映ったのだ。
戯れに、大きなニンゲンのように自分を作り出したかもしれない大きい存在を想像してみた。
何となく大口の奥、胃袋の上の方が暖かくなった気がした。
しかしそんな妄想も我に返ると虚しいだけで、余計にソレは陰鬱な気分になってしまった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」
そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。
彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・
産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。
----
初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。
終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。
お読みいただきありがとうございます。
従姉が私の元婚約者と結婚するそうですが、その日に私も結婚します。既に招待状の返事も届いているのですが、どうなっているのでしょう?
珠宮さくら
恋愛
シーグリッド・オングストレームは人生の一大イベントを目前にして、その準備におわれて忙しくしていた。
そんな時に従姉から、結婚式の招待状が届いたのだが疲れきったシーグリッドは、それを一度に理解するのが難しかった。
そんな中で、元婚約者が従姉と結婚することになったことを知って、シーグリッドだけが従姉のことを心から心配していた。
一方の従姉は、年下のシーグリッドが先に結婚するのに焦っていたようで……。
【完結】え、別れましょう?
須木 水夏
恋愛
「実は他に好きな人が出来て」
「は?え?別れましょう?」
何言ってんだこいつ、とアリエットは目を瞬かせながらも。まあこちらも好きな訳では無いし都合がいいわ、と長年の婚約者(腐れ縁)だったディオルにお別れを申し出た。
ところがその出来事の裏側にはある双子が絡んでいて…?
だる絡みをしてくる美しい双子の兄妹(?)と、のんびりかつ冷静なアリエットのお話。
※毎度ですが空想であり、架空のお話です。史実に全く関係ありません。
ヨーロッパの雰囲気出してますが、別物です。
王太子さま、側室さまがご懐妊です
家紋武範
恋愛
王太子の第二夫人が子どもを宿した。
愛する彼女を妃としたい王太子。
本妻である第一夫人は政略結婚の醜女。
そして国を奪い女王として君臨するとの噂もある。
あやしき第一夫人をどうにかして廃したいのであった。
もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる