虚飾城物語

ココナツ信玄

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第八章

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 砂浜から放った力が珊瑚礁を隆起させ、二艘の船の底を破って沈めるのを見届けた途端、一人のバーディスル国民がその場に昏倒した。

「あなた!」

「お父さん!」

 近くに居た白い肌の女が男の体に縋りついた。そして涙で震える声で叫ぶ。

「あなたがこんなになること無いのに! 何故? 何故あなただけが?」

 咽び泣く女の傍らには、小麦色の肌の子供が父を呼んでいた。

「戦争なんかすること無かったのよ。みんなで逃げてしまえば良かったのよ。それなのに」

 褐色の肌の男は、あぶら汗を額に浮かべて目を閉じている。
 その近くで一家の様子を見守っていた褐色の肌の女がよろめき、砂に膝を付いた。はっと息を呑んで顔を上げた白い肌の女に、彼女は土気色の唇で言った。

「その人は、貴方達を守ることが出来る力があった。私達もそう……愛しい人、大切な場所を守るために何を惜しめましょう?」

「だからって! 何故……何故貴方達、魔人族だけがこんな目に遭わなくてはならないの? このままではみんな死んでしまう!」 

 女の言葉に、浜に集まっていた人々は俯いて唇を噛んだ。
 彼女の言葉こそ、世界を逃げ回ってきた魔人族の思いだったからだ。

(何故? 何故私達だけが、幸せになることを許されないのだろう?)

 荒い息をしながらルークは思い返していた。
 魔人族の祖父が死んだのは、母ニーファが受けたディーマ神の呪いを解くためだった。
 祖母が死んだのは、彼の国王が国民全てを呪ったために起こった、疫病の根絶を命と引き換えにしたからだ。

(私達は何故?)

 朝日を浴びながら自問したとき、再び海上から大砲の発射を告げる音が聞こえた。何が起こったのか把握する前に、砲弾は砂浜を飛び越えて町の真ん中に落ちた。
 爆音と悲鳴。
 建物が崩壊する音と子供の甲高い泣き声が耳を突く。

「母さん!」

「子供が……子供がぁぁっ!」

 半狂乱になって町へと走り出す民を嘲笑うように、二発三発と砲弾が町を襲う。
 破壊の衝撃は土埃を空中高く舞い上げ、海風を黄色く染めた。

「……神よ……」

 その黄色い風の中、ルークは誰かのか細い声を聞いた。
 声は涙に震えながら大きく響いた。

「アイラ・ル・ラナよ! 何を引き換えにしてもいい! どうか我が願いを……」

(ああ、そうだ)

 どこか悲しみに似た気持ちで、ルークは納得した。

(私達は人間なのだ)

 例えこの身と引き換えだとしても。愛しい者のために敵を屠るのを願うことを躊躇う人間はいない。
 魔人族の悲劇はだからこそ引き起こされる。
 超常の力を見せつけられた者が恐怖畏怖し、羨み妬み神の加護を我物にしようとする人間が押し寄せてくるから、絶対に神に願うまいと心に決めていても。大事なものが目の前で奪われようとしているのに、黙って見ている人間はいない。
 人間離れしたその力と同様に、いっそ心も人で無くなっていれば良かったものを。
 けれども魔人族は人間なのだ。

(だから悲劇は繰り返され、魔人族は決して幸福にはなれない)

 顔を覆ってその場に跪いたルークの耳に、威厳溢れる声が聞こえた。

「皆のもの、願ってはならない!」

 爆風が収まった砂浜に、二人の人間が歩み寄ってきた。ロディウスとニーファだった。

「私らは願わずにはいられないのです! ここは私達の国だ! そうでしょう?」

「そうだ! どこの世界に我が子の無事を願わない親がいる? 我等にはそれが出来る力があるのだから、何故使わずにいられる?」

 泣きながら叫ぶ国民の姿に、ロディウスは微笑むだけで答えなかった。
 しかし砂の上に跪いたルークを見つけ、笑みを引っ込める。

「ルーク、何をしている? お前は王家の人間だろう。立て。そして国のためにすべきことをしろ。それが我等の義務」

 厳しい表情でそう言い放った瞬間、一陣の風が海から吹いて、その次の瞬間には天から無数の黒い弾丸が降り注いだ。

「な……」

「あっ……?」

 それに撃たれた者は、人形になったかのようにぴたりと動きを止めた。
 ルークも額に衝撃を感じた途端に体の自由が利かなくなり、立ち上がろうと膝を立てた姿のまま硬直した。

(一体……何が起こったのだ?)

 混乱した頭のまま、ルークは目の前の父親を見つめた。

「なるほど。ディーマ神は私が報復に出ると思っているようだ」

 ロディウスは石像然と固まった人々を眺め、可笑しそうに笑った。

(父上!)

 嫌な予感がし、引き止めようとしたが唇は開かない。そんなルークの見守る中、ロディウスは懐から黒い玉を取り出した。

(それはっ! そんなはずはない!)

 ディーマ神が大国の女王に投げてよこし、国に帰る途中でルークが海に捨てた黒い石。

「古代神自らが私に渡しに来たのだ。近いうち、兄と同様にこれを使う日が来るから、と」

(父上はカリム王のような過ちは犯さない)

 カリムの最後を見たルークは、父王の言葉を否定したかった。だが、ロディウスは言葉を翻さない。

「今まで私が生きるのを放っておいたあの神が、偶然を装うでなく、わざわざ契約の石を手渡しに来たのだ。確信したのだろう。この状況ならば、命を賭けて邪まなる契約を結ぶと……確かに国を追われた当時の私であれば、復讐を願っただろう。だが今の私はうかうかディーマ神の思惑に嵌まるまいよ。決してお前達を苦しめるようなことはしない。今はそんな愚かなことはしない。私はこの国の王だ。望まれ、望んでそうなった。果たすべきことは分かっている」

 決然とした様子で彼方の海を見つめるロディウスは叫んだ。

「ディーマ神よ! 契約だ!」

 父親は我が子と妻の目の前で黒い石を天に翳した。
 途端石はさながら泥団子の如く脆く砕け、中から道化の服を纏った骸骨が現れた。

「やあ、狂ってしまった王の弟君。お久しぶりだね。あの王は君を苦しめることは喜んでしたけれど、どうしても殺そうとはしなかったから、とても歯痒かったよ。ああ、こうして貴方が命を捧げてくれることを、私はどれだけ望んだことか! さあさあ、心変わりをする前にー早く願いを言ってくれたまえ! とびきり残酷な復讐も叶えられる! もちろんその命と引き換えだけれどね」

 くすくすと無邪気な笑い声を洩らす神に、小さな島国の王はきっぱりと言い放った。

「バーディスル国民全てが、貴方のいかなる呪いからも解放されること。それが願いだ」

「弟君……私に契約違反をしろと? そんなの駄目だよ。出来る訳ないだろう?」

「そうですか? 貴方は以前、私の妻に呪いをかけた時に失敗しているではないか」

「それは魔人族のジジイが……」

「そう。アイラ・ル・ラナ神に解呪を願ったからだ。この国は魔人族が大勢住む国。呪いの弾丸を受けなかった者も居るでしょう」

「でも……」

「これは取り引きです。全て御破算になってしまうより、一つだけとはいえ貴方が欲するものを確実に手に入れる方が良くはありませんか? それも長年貴方が欲しくて欲しくて堪らなかったものだ。さあ、どうします?」

「……運命の道化相手に交渉するとはね」

 髑髏は歯を鳴らして喝采してみせた。

「負けたよ負けた! よぅし、解呪と引き換えに弟君の命を頂こう! いいね?」

 ロディウスは骸骨に頷いてから、砂浜で硬直している全ての人々に笑い掛けた。

「今日まで、私が皆を愛することを許してくれてありがとう。私を愛してくれてありがとう。さらば、愛しい人々よ!」

「はい、みなさんお別れだーごきげんようー」

 恍けた声と共に骸骨は消え、同時にロディウスの体が、糸を切られた操り人形のように砂の上に倒れ込んだ。しかし地面に付く前にその体は崩れ、白い砂の塊と化した。

「父上!」

 兄の悲鳴が耳を劈き、ルークは自分の体が自由になっていることに気付いた。

(父上が……逝ってしまった……)

 砂の山の前で呆然としていると、涙に顔を歪ませた兄王子が走り寄って来た。しかし辿り着く前に砂に足を取られて転び、砂の山は兄が起こした小さな風に攫われ、消え去った。

「父上……父上ぇぇっ!」

 兄の絶叫を聞きながら、ルークはカリム王の最後を思い出していた。

(父上、貴方は兄王の末期の姿をご存じではなかったはずだ。なのに同じ様に逝きなさる。貴方は……貴方の兄を慕っていたのですね)

 棺の中で眠る兄王子を見つめる、涙で潤んだ黒い瞳が脳裏を過ぎった。

(リディア、お前もまた同じ血のために大罪を犯したのか?)

 今、ディーマの石を手にしている可能性がある者は、あの時あの天幕の中に居た人間だけだ。
 まさかとは思うが、黒髪の少女への疑念と怒りを消し去ることは出来ない。

「おのれトルトファリア!」

 兄の憤怒の絶叫に、ルークは慄く。
 正に今の自分の心と寸分変わらなかったからだ。
 しかし父と同じ様にきっぱりとした、けれども優しげな声が兄を宥めた。

「お止めなさい! 私怨で力を使うことは私が許しません!」

 母ニーファだった。
 魔人族の王妃は、母と呼ぶよりはルークの姉と呼ぶほうが相応しいように見える。しかし偵察兵や生粋の魔人族の国民同様、ロディウスの二倍は長く生き続けているのだった。
 薄絹のドレスの裾を波打たせ、ニーファはゆっくりとルーク達の方へと近付いてきた。 
 幼い子供にでも言い聞かせるように、彼女は優しく語りかける。

「怒りで忘れてしまったの? 貴方達はバーディスル王家の人間。父上が仰ったことの意味が分かるでしょう? 民が私達を敬ってくれたのは何故? 私達が食べるものに事欠かなかったのは何故? 私達が義務を果たすと信じてくれたからでしょう。私達は民を守るためだけに命をかけるべきなのです」

 言うや、ニーファは人指し指を口元に当てた。

「母上! お止めください!」

 ルークの制止の言葉も構わず、ニーファは指の皮を歯で食いちぎった。
 みるみるうちに血の玉が浮き出たその指を高く掲げ、叫ぶ。

「アイラ・ル・ラナ守護神よ! 私の今生をかけたお願いでございます! どうかお聞き届けください!」

 朝日の赤い光とは違う、清冽な白い光がその場を支配した。
 それは魔人族が自らの魂と引き換えに、古代神に願いを叶えてもらう時の儀式だった。
 血は、最早死ぬだけとなった者の合図。それが無いと神は現れない。古代神は悲しみの中で死んでいく魔人族を儚んで、呼び出されることを許したのだ。だからこそ魔人族の人々はその儀式を軽率に行ったりはしない。死に瀕した時と同等の強い思いが無いと神は現れないし、何より魂と願いは引き換えなのだ。冗談やはずみで出来ることではなかった。

「……愛しい子。そなたの心の叫びを聞いた。何故そんなにも悲しい声で我を呼ぶ? 何を嘆いているのだ? 愛しい愛しいそなたのために、我が手を貸してしんぜよう」

 高い、どこまでも澄んだ美しい女の声が頭上から降り注いだ。白い光で目を眩まされその姿は見えないが、確かに神は現れたのだ。

「神よ、畏れ多くも……どうか貴方様の加護のお力を、国民全てから無くしてくださいませ。王家の者を除いて……」

 周りの魔人族の民達が、はっと息を飲む気配がルークに伝わった。それは神も同じだったのだろう。訝しげな口調でニーファに訊ねてきた。

「何を言う? 加護無くして、どうやって生きていくのだ? この世はお前達に冷たく、お前達を追いまわす。おお愛しい子、どうか私にそんな悲劇を見せないでおくれ」

 しかしニーファは願いを覆さなかった。

「いいえ! 私達は力など無くても生きていけるのです!」

「しかし今、こうして危機に曝されている。良い子だから我に敵を一掃してくれとお言い。さすれば直ちにお前達を救ってみせよう」

「いいえ! それでは今までと同じなのです! 不思議の力でもって敵を薙ぎ払ったとしても、人々は私達を受け入れてはくれない。私達は尚更忌み嫌われ、追われ、力を我が物にせんとする者に狩られるだけ……。そんなことをしなくても、無条件で受け入れてくれる人々はここに居ました! 力で私達が望む日々は手に入らないということが分かった今、私はもう国民の命を削り取るようなことは致しません! 神よ、お聞き届けください! 本当に私達を哀れと思し召しならば、民から加護のお力を無くして下さい!」

 光が薄れ、透き通る青で出来た女の顔が現れた。顔は透明の涙を流しながら頷いた。

「愛しい子……そなたの心からの願い、叶えよう」

 顔は答え、数多の光の粒となって弾けて消えた。ニーファは一度周りを囲む人々に微笑みかけると、光の中で砂の上に倒れた。

「母上!」

 ルークは手を伸ばしその手を取った。
 しかしどうしたことか、その手は氷のように冷たく、母は微笑みながら息絶えていた。

「ロディウス様はおろか、ニーファ様までも」

「力が無くなり、もう悲劇は起こらないとニーファ様は仰られたが、侵略者はもうそこにいる! 私達は一体どうすればいい!」

「もう私達は……」

 嘆きや怒り、戸惑いで一杯になった民衆達は混乱し始めた。

「静まれ!」

 しかし威厳に満ちた声がそれらを一喝し、鎮めた。

「大丈夫だ。我々が守る。それが我等、王家の者の役目」

 顔を上げたルークの目に、海を背後に背負って民を見つめる兄王子がいた。

「トルトファリアの砲撃は、どうやら収まったようだ。ほら、攻撃が途絶えている。もしかしたらこの戦を避けられるやもしれない」

「しかし、また奴等が攻撃してきたら!」

「そうです! 私達にはもう抵抗する力も守りの力も無い!」

「武器も必要ではなかったから無い……」

「王子殿下二人で、一体何人を守れるのだ!」

 泣きながら言い募る民達に、兄が遂に口を噤んだ時、二つの軽やかな声が割って入った。

「お兄様達、お二人だけではないわ!」

「私達も王家の端くれ。国を守ってみせます」

 城から走ってきたのか、頬を上気させ息を弾ませた二人の妹姫が、そこに居た。

「お前達……」

 声を掛けたルークに、妹達は固い表情で頷いた。

「全て見ておりました。父上の最後も、母上の最後も」

「だからこそ私達はここに参りました。父上と母上のお言葉通りに、王家の人間の務めを果たすために!」

 言葉を無くして沈黙したルークの代わりに、兄王子が二人の姫の肩を抱いて言った。

「よくぞ言った! 分かっているな、トルトファリアが再び攻撃してきた時は」

「皆まで言わずとも分かっております」

「次は四人だけだ……船底に穴を空けるような悠長なことはしていられない。一斉に船の群を炎で薙ぎ払うのだ!」

 揃って首を縦に振った兄弟達の姿に、ルークは絶望した。
 先程はまだ良かった。
 生き延びる確率があったのだから。けれども今度は違う。全ての船に火を掛けるとなると……。

(それでは確実にリディアが死んでしまう!)

 考え、ルークは自分を恥じた。

(申し訳ありません父上。申し訳ありません母上。残された我等の義務を忘れた訳ではないのです! 国に命を捧げる決意は未だ無くなってはおりません! それでも……)

 その時、海上で大きな音がした。

 ドゥンッ!

「放て!」

 兄の声に従う妹姫の細い腕と、兄の必死の形相。

(もう私のことなど忘れているのかもしれない。憎んでいるのかもしれない。それでも!)

 ルークは口に当てた指の腹を歯で噛み切り、溢れてくる涙をそのままに叫んだ。

「神よ!」

(それでも私は、リディアが大切なんです)

 先程の砲弾とは違う、不気味に美しい紫色の炎を纏った砲弾が、蒼い光の尾を引きながら海岸へと近付いて来ていた。



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