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第八章
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「陛下! リディア陛下!」
耳に飛び込んで来た聞き慣れぬ声にリディアは飛び起きた。
「なっ……誰だ?」
状況が分からず警戒し、暗闇の中で必死に目を凝らした彼女の目が、困惑したような安堵しているような、奇妙な表情を浮かべた見習い騎士の姿を捉えた。
「お前、王都に行かなかったのか? 何故?」
「何故って、陛下をお助けするためです!」
誇らしげに胸を張るダンに、リディアは戸惑う。
幼少の頃から知っていた者達が自分を信用してくれることは素直に受け入れられるのだが、女王としての務めを果たせず、みすみす戦を起こしてしまった自分を知っている彼が、こうしてひたむきな忠誠を見せてくれることが信じられなかった。
そんなリディアの心に気付いたのか、ダンは薄暗がりの中、木の床に跪き、そして深く頭を垂れた。
「申し訳ありませんでした陛下。お傍に居ながら、私は陛下が薬に侵されているのに気付けなかった……そのため、このようなことに」
(私を許すと? 何も出来なかった私にまだ、名誉挽回の機会を与えてくれるのか?)
瞼が熱くなり、不意に泣き出しそうになった。
しかし歯を喰いしばって堪える。
(……ありがとう。国民達のその期待を、私は決して裏切らないことをこの命に誓おう)
毅然と頭を上げたリディアは、まず状況を把握すべく周りを見回した。
薄暗い視界。全面木張りの広い部屋。床に転がる鎖の束。微かに聞こえる波の音。
警戒しながら歩みを進め、やがて突き当たりに辿り着いた。密室に幽閉されているらしい。
(ディーマ神め、再び私を阻むか!)
もう間に合わない、という絶望によろめいたリディアに、ダンの訝しげな声が掛かった。
「陛下……天井に何かが……」
上を見上げると、確かに何かの影がある。
腰の剣でダンがそれを突付くのを見守っていると、唐突に影が伸びた。いや、木の梯子が降りて来たのだ。
不思議に思いながら梯子を上がり、天井を押してみると上に動いた。
光の差し込む隙間に首を突っ込むと、視界一杯に薄藍色の空が広がった。
「ここは……一体?」
困惑するリディアに続いて、梯子を上がってきたダンが答えた。
「我々はどこかの船に飛ばされたようです」
言われる通り、周りは一面の海原。
このみすぼらしい木造の船以外、平坦な青い海に浮かぶものは何一つ無く、白み始めた空にくっきりと描かれた水平線には、軍船の姿、その影すら見えなかった。
「私は……間に合わなかったのか?」
愕然としたリディアを見、ダンは悲しい顔をした。
(……っ駄目だ! まだ諦めるな! ルークに誇れるようなことも、私を助けてくれた人々に報いるようなことも、何も出来ていない。だからまだ諦めてはいけない!)
自分を奮い立たせるべく唇を噛んだリディアは、ふとこの船がおかしな姿をしていることに気付いた。普通の船よりも船倉が大き過ぎるのだ。
貨物船のように見えるが、船倉に積み荷は一つも無かった。
訝っていると、嗄れ声が背後から掛かった。
「どこに隠れていやがったんだ? この船は物見遊山用の船じゃねぇってのに。ぼんくら貴族が!」
振り向くと、ふてぶてしく腕組みして甲板に仁王立ちする男がいた。
ただの船乗りとも思えない、野卑な印象を与える男だ。
男は日に焼けた顔を歪にゆがめ、くすんだ鳶色の髪を揺すって笑った。
「ヒャヒャ! あんたらは暇つぶしにこの船に乗り込んだんだろうが、残念だったなぁ! 戯れの代償は斬首か? 縛り首か?」
男の甲高い笑いに怯んだリディアを背中に庇い、不穏な空気を感じ取ったダンは腰の剣に手を掛ける。だが男は慌てて両手を振った。
「違う違う! 俺がどうこうするってことじゃねぇ! 仕事の依頼人がだなー」
「依頼人?」
思わせぶりな男の言葉に、リディアは思わず口を挟んだ。
何か気に掛かった。
「そうだ!俺の後ろにゃ、でっけぇ人がいる。この仕事はその人の依頼だ。あんたらお貴族さんだろ? だったらあんまり俺の仕事の邪魔はしない方がいいと思うぜ?」
「一体、誰のことだ?」
しびれを切らして訊ねたリディアに、男は悠然と微笑んだ。
相手が尻尾を巻いて逃げ出すと確信しているのだ。
「なんと……マイラ王妃殿下様よ! どうだ? 畏れ入っただろう」
得意げな男の言葉は、もはやリディアの耳に届いていなかった。
わなわなとリディアの唇が怒りに震える。
(これは……奴隷船か!)
戦う訳でも、長い航海をする訳でもない。ただ商品である人を積み込み、運ぶことさえ出来ればいい。
だからこの船は大きな船倉だけを持っている。
「ダン!」
憤怒の形相で振り返った女王の意思を瞬時に汲み取り、ダンは抜刀した。
「おい! ちゃんと俺の話を聞いてたのかよ! おい、こら!」
慌てふためく男に構わず、リディアとダン男に詰め寄った。
「全く……あんたら、この国の王妃様に楯突こうってのかい? それとも俺が嘘をついたとでも? 残念ながら嘘じゃねぇ。ここで俺を傷付けたり殺したりしてみな? 王妃様はあんたらの首だけじゃ満足しないかも」
皆まで言わせず、男に剣を突きつけるダン。
「黙れ! 陛下の御前で無礼だぞ!」
「へ? 陛下? 陛下って……」
困惑した表情を浮かべた後、みるみるうちに青ざめた男に、リディアは言い放った。
「王妃の依頼は立ち消えたと思え。代わりに私がお前を雇う。謝礼はきちんとする。分かったらこの船を西へ!」
「あ……あの、女王陛下……?」
掌を返して卑屈なほどにおどおどしながら男は尋ねる。
「行き先は……どこに向かえばいいんで?」
「西の果て、バーディスル王国だ」
白み始めた西の空を睨むリディアの頭に、銀の髪を地面に散らして倒れ伏す想い人の不吉な姿が浮かんでいた。
耳に飛び込んで来た聞き慣れぬ声にリディアは飛び起きた。
「なっ……誰だ?」
状況が分からず警戒し、暗闇の中で必死に目を凝らした彼女の目が、困惑したような安堵しているような、奇妙な表情を浮かべた見習い騎士の姿を捉えた。
「お前、王都に行かなかったのか? 何故?」
「何故って、陛下をお助けするためです!」
誇らしげに胸を張るダンに、リディアは戸惑う。
幼少の頃から知っていた者達が自分を信用してくれることは素直に受け入れられるのだが、女王としての務めを果たせず、みすみす戦を起こしてしまった自分を知っている彼が、こうしてひたむきな忠誠を見せてくれることが信じられなかった。
そんなリディアの心に気付いたのか、ダンは薄暗がりの中、木の床に跪き、そして深く頭を垂れた。
「申し訳ありませんでした陛下。お傍に居ながら、私は陛下が薬に侵されているのに気付けなかった……そのため、このようなことに」
(私を許すと? 何も出来なかった私にまだ、名誉挽回の機会を与えてくれるのか?)
瞼が熱くなり、不意に泣き出しそうになった。
しかし歯を喰いしばって堪える。
(……ありがとう。国民達のその期待を、私は決して裏切らないことをこの命に誓おう)
毅然と頭を上げたリディアは、まず状況を把握すべく周りを見回した。
薄暗い視界。全面木張りの広い部屋。床に転がる鎖の束。微かに聞こえる波の音。
警戒しながら歩みを進め、やがて突き当たりに辿り着いた。密室に幽閉されているらしい。
(ディーマ神め、再び私を阻むか!)
もう間に合わない、という絶望によろめいたリディアに、ダンの訝しげな声が掛かった。
「陛下……天井に何かが……」
上を見上げると、確かに何かの影がある。
腰の剣でダンがそれを突付くのを見守っていると、唐突に影が伸びた。いや、木の梯子が降りて来たのだ。
不思議に思いながら梯子を上がり、天井を押してみると上に動いた。
光の差し込む隙間に首を突っ込むと、視界一杯に薄藍色の空が広がった。
「ここは……一体?」
困惑するリディアに続いて、梯子を上がってきたダンが答えた。
「我々はどこかの船に飛ばされたようです」
言われる通り、周りは一面の海原。
このみすぼらしい木造の船以外、平坦な青い海に浮かぶものは何一つ無く、白み始めた空にくっきりと描かれた水平線には、軍船の姿、その影すら見えなかった。
「私は……間に合わなかったのか?」
愕然としたリディアを見、ダンは悲しい顔をした。
(……っ駄目だ! まだ諦めるな! ルークに誇れるようなことも、私を助けてくれた人々に報いるようなことも、何も出来ていない。だからまだ諦めてはいけない!)
自分を奮い立たせるべく唇を噛んだリディアは、ふとこの船がおかしな姿をしていることに気付いた。普通の船よりも船倉が大き過ぎるのだ。
貨物船のように見えるが、船倉に積み荷は一つも無かった。
訝っていると、嗄れ声が背後から掛かった。
「どこに隠れていやがったんだ? この船は物見遊山用の船じゃねぇってのに。ぼんくら貴族が!」
振り向くと、ふてぶてしく腕組みして甲板に仁王立ちする男がいた。
ただの船乗りとも思えない、野卑な印象を与える男だ。
男は日に焼けた顔を歪にゆがめ、くすんだ鳶色の髪を揺すって笑った。
「ヒャヒャ! あんたらは暇つぶしにこの船に乗り込んだんだろうが、残念だったなぁ! 戯れの代償は斬首か? 縛り首か?」
男の甲高い笑いに怯んだリディアを背中に庇い、不穏な空気を感じ取ったダンは腰の剣に手を掛ける。だが男は慌てて両手を振った。
「違う違う! 俺がどうこうするってことじゃねぇ! 仕事の依頼人がだなー」
「依頼人?」
思わせぶりな男の言葉に、リディアは思わず口を挟んだ。
何か気に掛かった。
「そうだ!俺の後ろにゃ、でっけぇ人がいる。この仕事はその人の依頼だ。あんたらお貴族さんだろ? だったらあんまり俺の仕事の邪魔はしない方がいいと思うぜ?」
「一体、誰のことだ?」
しびれを切らして訊ねたリディアに、男は悠然と微笑んだ。
相手が尻尾を巻いて逃げ出すと確信しているのだ。
「なんと……マイラ王妃殿下様よ! どうだ? 畏れ入っただろう」
得意げな男の言葉は、もはやリディアの耳に届いていなかった。
わなわなとリディアの唇が怒りに震える。
(これは……奴隷船か!)
戦う訳でも、長い航海をする訳でもない。ただ商品である人を積み込み、運ぶことさえ出来ればいい。
だからこの船は大きな船倉だけを持っている。
「ダン!」
憤怒の形相で振り返った女王の意思を瞬時に汲み取り、ダンは抜刀した。
「おい! ちゃんと俺の話を聞いてたのかよ! おい、こら!」
慌てふためく男に構わず、リディアとダン男に詰め寄った。
「全く……あんたら、この国の王妃様に楯突こうってのかい? それとも俺が嘘をついたとでも? 残念ながら嘘じゃねぇ。ここで俺を傷付けたり殺したりしてみな? 王妃様はあんたらの首だけじゃ満足しないかも」
皆まで言わせず、男に剣を突きつけるダン。
「黙れ! 陛下の御前で無礼だぞ!」
「へ? 陛下? 陛下って……」
困惑した表情を浮かべた後、みるみるうちに青ざめた男に、リディアは言い放った。
「王妃の依頼は立ち消えたと思え。代わりに私がお前を雇う。謝礼はきちんとする。分かったらこの船を西へ!」
「あ……あの、女王陛下……?」
掌を返して卑屈なほどにおどおどしながら男は尋ねる。
「行き先は……どこに向かえばいいんで?」
「西の果て、バーディスル王国だ」
白み始めた西の空を睨むリディアの頭に、銀の髪を地面に散らして倒れ伏す想い人の不吉な姿が浮かんでいた。
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