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第九章

頂に立つ者-02

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 シドニア・ヴ・レ・レアルタは、アルハット領首都・ヴェリウスより遠く離れていない貧困街――スラム街と呼ばれていた筈の場所に降り立った。


「これは、酷いな」


 ルースト川や川の水をせき止める堰堤が近い事から、豪雨などの際に水害が引き起こされやすい立地故に地価が安く、貧困者が多く住んでいた筈のスラム街は、その木造建築の建物がほぼ全て焼け朽ち、未だなお、木や人の肉が焦げる様な匂いを発している。

  助かった数を認識する方が容易かった筈だ。もとより貧困者は全てアルハット領政府によって管理され、所謂ブラックリスト登録を成されている筈であるから。


「たまたまスラムから離れていた者が十二人いて、彼ら曰く『空から火が落ちてきた』というのが証言ですな」


 シドニアに同席した人物は、ドラファルド・レンダ。アルハットの補佐を主な仕事とする、アルハット領における七人政治家の一人。錬金術師としても名の通った存在であると聞き及んでいたシドニアは「錬金術師の観点から見てどうですか」とだけ問う。


「錬金術師の観点から……ですか。難しいですな。空から火が落ちてきた、というだけでは」

「指定錬金術師程になれば、大気中の可燃性ガスを発火させたり等、可能なのではないかと思われますが」

「出来なくはないかもしれませんが、証拠がありません。それに可燃性ガスの発火という事になれば、もっと大掛かりな爆発が起こっていても不思議ではありません」

「ええ、私も可能性を鑑みているだけですよ、お気になさらず」


 二者の他に、数人の男たちが彼らに並びながら、壁になるかのように歩んでいる。

 ドラファルドはともかく、シドニアはシドニア領の領主であり、来賓として丁重に扱わねばならぬ存在であるからこそ、その対応をアルハット領の実質的なトップと言っても過言ではないドラファルドが行っている。それを護衛するのは当然と言えよう。


「生き残った貧困者は十二名、その十二名に身体障害などは」

「基本、ありませんな。また今回の事態によっての怪我等もありません。年老いた老人ばかりで労働が難しい事から、乞食と自給自足で生活を余儀なくされていた者たちです故」


 結構、と頷きながら、シドニアは事前に調べていた内容とその齟齬が無い事を確認し、身を翻す。


「では彼らに対する保証は家宅の建築費用の自治体負担、もしくは生活保護施設への入居、これで問題は無いでしょう。そしてこれはシドニア領政府の議会で既に可決しております。費用はシドニア領の方で持ちましょう」

「お待ち下さい、我々アルハット領政府の方でも議会にあげませんと」

「必要ないと言ったのですよ」


 スラムの見回りを終えたシドニアは、急勾配の坂を進み、止めてあった馬車へと向かう。馬車にはドラファルドも同席し、シドニアとドラファルドの二者は、笑みを浮かべながらも視線と視線をぶつけ合う。


「何故、我々アルハット領政府での議題に上げる必要が無いと仰るので?」

「上げて頂く事は問題ありません。しかし既にシドニア領政府における議会にて、判断を下しております。これ以上の話し合いをする必要は皆無でしょう。

 ――ああ、正確に言えば少し違いますね。もし先ほど我々の方で可決した以上の補償を行う場合は、別途議会を開き審議する必要はあるでしょうが、するしないの話であれば、それはただの無駄です」


 なんと、と口を開けながら、ドラファルドは「それはいけません」と首を横に振るが、シドニアはため息をつきながら別の資料に手を付け、目を通している。アルハットの寄越した第四世代型ゴルタナ、及びその改修案に。


「遠く離れた場所にいるあなた方に、我々アルハット領の現状を、お分かりになったつもりでいると?」

「分からない可能性があったからこそ、視察をしたのです。そして事前に知り得ていた内容との齟齬が無いか、それらをしっかりと確認したからこそ、この決定で問題が無いと判断をしたというだけの事」


 別の資料に目を通していると言うのに、シドニアの口は軽やかだった。ドラファルドもグ、と息を詰まらせながら、彼の言葉が続くと知り、押し黙る。


「もし事前に知り得ていた内容以外の要素が含まれていれば、別で問題提起を行い、再度判断が必要な場合はありましたが、今回は必要ないでしょう。人命に関わる福祉案というのは早く提供できることが好ましい」

「我々で判断する必要があると言っているのです」

「必要ですか? 議会を開催する度に多額の費用が発生する議会を、既にシドニア領にて決定を下した内容で」

「これは民主主義に対する冒涜だ」

「そうでしょうか。民主主義というのは、あくまで民衆の選んだ政治であり、選挙によって選ばれた者が、民衆に代わって人々の生活を良くしていく事を言うでしょう。つまり、本来であれば意味のない議題や会議などは必要ない。まぁ、ルールに則る必要はあるかもしれませんが」

「ええ、そのルールに反している筈です。政権議会法により、そうした決定は正式に定められた議会によって承認を得なければならないと」


 嬉々として、シドニアのやり方は間違っているとは直接言わないまでも、しかし不満をぶつけるドラファルドを、シドニアは勉強不足であると心中で罵った。


「法の拡大解釈は好きませんが、そもそもその政権議会法における決定は、アルハット領政府とシドニア領政府のどちらか、もしくは両政府が決定を下す、という文言が無い。つまりシドニア領の属領であるアルハット領政府の決定ではなく、私たちシドニア領土における意思決定を適用しても、政権議会法的には何ら問題はありません。

 今はそうした法の抜け穴を突いてでも、生き残った十二名の命を、そしてその心に負った傷を癒す為に必要な政策を即座に打ち出し、民衆を不安にさせない事を優先すべきです」


 以上、と断じたシドニアに、それ以上言う事の出来なかったドラファルドは、小さく「かしこまりました」とだけ言って、押し黙る。

  シドニアにとっても、このドラファルド・レンダという男は心の底から嫌いになるというのが出来ない男である。

  相手が例え皇族であろうとも、付け入る隙があれば突いていこうとする気概というのは、なかなかシドニアの周りにいない人材でもあり、そうした存在が愉快と感じる程に、シドニアは経験から来る余裕がある。

  故に彼をアルハットの近くに置くよう、彼が手配したと言っても過言ではない。


(……アルハットの心労は大きいだろうが、しかしこの程度の男を服従させられないのであれば、皇族の器ではない)


 彼は兄として、アルハットを愛してはいるけれど、しかし親愛の情以上に、彼女への期待というものがあるからこそ――そうした試練も与えるのである。
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