103 / 106
番外編
独身最後の夜~男の友情~
しおりを挟む「お疲れ。ようやく肩の荷がおりたな。俺ら。」
猫実は感慨深そうに言うと、乾杯を示唆して、手元の生ビールのグラスを俺に向けて差出してきた。
「おう。そうだな。まぁ、俺らマネージャーは何もしてないけどな。」
俺は自分のグラスと猫実のグラスをカチンと小気味良い音を立てて軽く合わせ、アイコンタクトを取る。
俺の言葉に猫実は苦笑いを浮かべて短く嘆息すると、琥珀色のビールをゴクリと喉を鳴らして一口飲み下した。
この日は金曜で、漸く長かった新卒社員の研修が終了し、バタバタだったが、来週から現場に送り出す為の最終調整も無事に終わった。
そして週が明けた来週からは、新人も含めての通常業務に入るので、俺達マネージャーが本格的に忙しくなるのは、この後だ。
だからその前にと、猫実から呼び出されたのだが、何の話かは、大方予想がついている。
多分…今日が独身の猫実と飲みに行く最後の日になるのだろう。
「はは、確かに。俺らが大変なのは来週からだな。」
猫実は頷きながらそう言うと、目の前にあるこれでもかと言う程に、山盛りに皿に盛られたアボカドクリチーのわさび醤油和えをピックに刺して口に運んだ。そして、すぐに猫実は驚嘆の声を上げた。
「んっ…なんだこれ?!うまっ。」
「だろ?止まらねぇよな。」
「……うん。お前が山盛りオーダーする理由がわかるわ。是非、今度名月にも作ってもらおう。」
そう言って、猫実は今まで見た事もないような蕩けてしまいそうな表情で、幸せそうに頬を綻ばせた。
その顔を見て、思わず、俺の頬も緩む。
猫実との付き合いを振り返ってみると、猫実とは中学からの腐れ縁で、なんの縁なのか同じ会社に入り同期として連んできたのだが、期間にすると、かれこれ20年の付き合いになる。
20年……改めて考えると、長い付き合いだ。
見た目良し、成績良し、人当たり良しな猫実は、昔から何でもスマートにこなす人たらしな所があるが、その癖、他人に興味はないし、必要以上に興味を持たれる事を嫌う野良猫のような面倒臭い奴だった。
それでも何故か人を惹きつける魅力があるのか、男女問わずモテるため、友人も女も取っかえ引っ変えするような遊び人だった。
まぁ、俺もその魅力に魅了されたひとりではあるのだが。
色々あって、一時期は没交渉になった時期もあったが、偶然、同じ会社に入社したのがきっかけで、また友人関係に戻った…と言うか、上辺だけでなくもっと深く付き合える、真の友人となれたというのが正しいな。
あの偶然があっての今の関係だ
本当にあの時、偶然出会えた事には感謝しかない。
まさかこうやってタバコを吸いながら、他愛のない話をしてグラスを傾ける…そんな穏やかな時間を猫実と一緒に過ごせるようになるとは、以前の俺は想像ができただろうか。
そう考えるとなんだか不思議な気分だ。
そして、そんな人に興味のなかった野良猫の猫実が、恋をして、6年間の想いを実らせて愛を知り結婚をする。
いい大人が6年間も片想いをして、ピュアっピュアな初恋を実らせたのは5ヶ月程前の話。
長い間片想いをしていたせいなのか、想いを告げてからの囲い込みと展開の速さには、正直吃驚したが……
そうか…だれにも懐かなかった野良猫も、とうとう心を許せる人を見つけたんだな……
徐に目の前に置かれた婚姻届を見ると感慨深く、涙が込み上げてきて鼻の奥がツンとしてきた。
「やっと…だな。結婚おめでとう、弦。」
「あぁ、ありがとう。」
俺の言葉に、猫実はとても幸せそうに破顔した。
俺はそんな猫実を見ることが出来て、心の底から嬉しかった。
猫実の過去を知っているからこそ、コイツには幸せになってもらいたい、そう願ってきた。そして、それが漸く叶おうとしている。
ゆるゆると喜びが押し寄せてくると、堪えていた涙が再び込み上げてきて、ゆらゆらと視界が歪んできた。
あ、どうしよう…これじゃサイン出来ないじゃないか。
「なぁ、俺なんかが証人欄にサインしてもいいのか?もっと大事な人とか…」
溢れる涙を堪え鼻を啜りながら訊ねると、猫実はふわりと微笑みながら頷き、ペンを差し出して言った。
「俺なんか、じゃないよ。お前がいいんだ。ひとりは慣例通りに本部長に頼むとしても、もうひとりは瀬田…お前以外に頼むつもりなんて最初からなかったよ。」
その言葉から猫実の俺への確かな友情を感じ、長年、俺からの一方通行だと思っていた友情がそうじゃなかったという事を言外に知らされると、その事実がガツーンとダイレクトに胸を打った。
そして、押し寄せた歓喜の感情が胸をいっぱいにし、溢れて涙腺が崩壊すると、それまでなんとか堪えていた涙が眦から零れてぱたぱたと頬を伝い、流れ落ちた。
「……っは?あれ?…えっ、何だこれ?」
その様子を見ていたママが、猫実のギムレットを持ってくるついでに熱いおしぼりを持ってきてくれた。猫実は横からおしぼりを受け取り、それを適温まで冷ましてから俺に渡してくれる。
俺はおしぼりを受け取ると、顔をガシガシと拭いた。それを見た弦は苦笑いしながら、運ばれてきたギムレットのグラスを煽ると、ふぅと短く息を吐きふっと笑み呟いた。
「なんでお前が泣くんだよ。」
「なんでだろうな…。俺にもわかんねぇよ。でも…俺の、一方的な片想い…じゃ…なかったんだな…」
「はぁ?片想いって……あぁ、そっか…そうだよな。」
猫実は意味を理解すると、盛大な溜息を吐いて俺の言葉を受け止めると、俺の目を見て優しい笑みを向けて、諭すような口調で俺に語りかけた。
「片想いなんかじゃないよ。お前は俺の"親友"だ。俺と親友になってくれてありがとう。」
"親友"
ずっと俺は猫実の特別になりたいと思っていたけど、とっくになれていたんだな……
猫実の言葉の重みを噛み締めると、一度引っ込んだはずの涙が再び溢れ、俺は馬鹿みたいに男泣きに泣いた。
「…ありが、とう……」
「いや、こちらこそ……っていうか、いい加減泣きやめよ。」
猫実は少し呆れたように笑い、タバコを差し出しすと、自分も咥えたタバコに火をつける。
俺は受け取ったタバコに火をつけ、落ち着かせるように深く吸い込んだが一向に涙は止まらず、タバコの甘くて苦い味と香りに余計に感情を揺さぶられ、嗚咽が漏れた。
「無理……それ、に……お前が……し、幸せに、なっ、って…くれて……ヒック…俺…俺……本当に…ヒック……うれ、嬉しいんだ……」
「あぁ、はいはい。頼むから泣き止んでくれ……はぁ、なんだ、これは俺が悪いのか?勘弁してくれよ。」
猫実は、宥めるように俺の背中を摩り、タバコの煙を吐きながら苦笑いして言う。
「……るせぇ。と、止まん、ねぇ…んだっ……よっ!ヒック…」
「渉…ありがとな。お前がいてくれてよかったよ。お前がいてくれたから、今の俺と名月があるんだ。本当に感謝してる。」
「げ、弦っ……」
その言葉で、猫実と仲原さんのそれまでが走馬灯のように俺の脳内を駆け巡り、再び涙腺が崩壊する。
ママは俺にお冷のグラスを渡しつつ、その様子を見て若干呆れ気味に言った。
「渉くんの泣き虫って、いい歳して未だに健在なのねぇ…」
ママの言葉に反応した猫実が片口角を上げてニヤリと笑った。
「へぇ、瀬田ってクールな顔してるのに実は泣き虫なんだ…そう言えば、結婚式の時、嫁さんじゃなくてお前が泣いてたなぁ。それも号泣。」
猫実の揶揄うような口調に、先程まで感じていた喜びと幸福が一気に吹き飛び、涙が引っ込んだ。
「カズくん…ちょっと黙って。泣き虫だったのは中学上がるまででしょ。それから、弦もそんな事思い出さなくていいから。」
「お、泣き止んだじゃん。」
俺が真顔で突っ込むと、猫実は楽しそうにくつくつと喉を鳴らして笑った。
0
お気に入りに追加
94
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【R18】鬼上司は今日も私に甘くない
白波瀬 綾音
恋愛
見た目も中身も怖くて、仕事にストイックなハイスペ上司、高濱暁人(35)の右腕として働く私、鈴木梨沙(28)。接待で終電を逃した日から秘密の関係が始まる───。
逆ハーレムのチームで刺激的な日々を過ごすオフィスラブストーリー
法人営業部メンバー
鈴木梨沙:28歳
高濱暁人:35歳、法人営業部部長
相良くん:25歳、唯一の年下くん
久野さん:29歳、一個上の優しい先輩
藍沢さん:31歳、チーフ
武田さん:36歳、課長
加藤さん:30歳、法人営業部事務
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
イケメンエリート軍団の籠の中
便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある
IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC”
謎多き噂の飛び交う外資系一流企業
日本内外のイケメンエリートが
集まる男のみの会社
唯一の女子、受付兼秘書係が定年退職となり
女子社員募集要項がネットを賑わした
1名の採用に300人以上が殺到する
松村舞衣(24歳)
友達につき合って応募しただけなのに
何故かその超難関を突破する
凪さん、映司さん、謙人さん、
トオルさん、ジャスティン
イケメンでエリートで華麗なる超一流の人々
でも、なんか、なんだか、息苦しい~~
イケメンエリート軍団の鳥かごの中に
私、飼われてしまったみたい…
「俺がお前に極上の恋愛を教えてやる
他の奴とか? そんなの無視すればいいんだよ」
【R18】エリートビジネスマンの裏の顔
白波瀬 綾音
恋愛
御社のエース、危険人物すぎます───。
私、高瀬緋莉(27)は、思いを寄せていた業界最大手の同業他社勤務のエリート営業マン檜垣瑤太(30)に執着され、軟禁されてしまう。
同じチームの後輩、石橋蓮(25)が異変に気付くが……
この生活に果たして救いはあるのか。
※サムネにAI生成画像を使用しています
【R18】豹変年下オオカミ君の恋愛包囲網〜策士な後輩から逃げられません!〜
湊未来
恋愛
「ねぇ、本当に陰キャの童貞だって信じてたの?経験豊富なお姉さん………」
30歳の誕生日当日、彼氏に呼び出された先は高級ホテルのレストラン。胸を高鳴らせ向かった先で見たものは、可愛らしいワンピースを着た女と腕を組み、こちらを見据える彼の姿だった。
一方的に別れを告げられ、ヤケ酒目的で向かったBAR。
「ねぇ。酔っちゃったの………
………ふふふ…貴方に酔っちゃったみたい」
一夜のアバンチュールの筈だった。
運命とは時に残酷で甘い………
羊の皮を被った年下オオカミ君×三十路崖っぷち女の恋愛攻防戦。
覗いて行きませんか?
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
・R18の話には※をつけます。
・女性が男性を襲うシーンが初回にあります。苦手な方はご注意を。
・裏テーマは『クズ男愛に目覚める』です。年上の女性に振り回されながら、愛を自覚し、更生するクズ男をゆるっく書けたらいいなぁ〜と。
ミックスド★バス~家のお風呂なら誰にも迷惑をかけずにイチャイチャ?~
taki
恋愛
【R18】恋人同士となった入浴剤開発者の温子と営業部の水川。
お互いの部屋のお風呂で、人目も気にせず……♥
えっちめシーンの話には♥マークを付けています。
ミックスド★バスの第5弾です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる