14 / 106
第一章 黒猫の恋
第14話 黒猫は怒る
しおりを挟む仲原さんの昇進を含む人事発表があってから早数ヶ月。
バタバタと慌ただしく日々は過ぎていった。
俺も移動してサブマネージャーからマネージャーとなり3年目。漸く慣れたとはいえ、やはり年度初めは忙しく営業部全体MTGには出られたり出られなかったり…
昇進して彼女も会議に参加できる立場になったと言うのに、肝心の俺がなかなか参加出来ていないので、相変わらず全く彼女に会えていない。
辛うじて、遅れて参加した会議で一度だけ遠目に彼女を見ることができたが、4年振りにみた彼女は、俺の想像をはるかに超える程、自信に満ちて綺麗になっていた。
思わず見蕩れてしまい、その後の会議に集中出来なかったため、大変面倒な仕事を押し付けられて今に至る訳だが、それでも愛しい彼女に逢えただけ僥倖だ。こればかりは仕方がないと割り切ったのはいいが、ここでまたすれ違いの日々か、と苦笑し嘆息する。
まぁいい、チャンスはいくらでもある訳だから。
そう思っていたのだが……
気が付くとバタバタし過ぎてあっという間に夏が終わっていた。
いくらなんでも忙し過ぎだろ…
思わず苦笑いが零れる。
ここまでで彼女を見たのはその会議一度きり。
正直、まだ目線すら合わせられていない。
それよりも、最近とても気になることがある。
彼女の恋人、第二営業部 3課 チーフ 鈴木 誠治(以下鈴木と呼ぶ)の噂の事だ。
鈴木は彼女と同じ大学学部卒だが、一浪しているので年齢はひとつ上。
明るく溌剌とした奴で、コミュニケーション能力は良好。営業成績も中の上で悪くない。
見た目は…清潔感のある爽やかイケメンといったところか。まあまあな男前だ。
ただ、ひとつ難点を挙げるとすると、とにかく交友関係が派手な事だ。
彼女と鈴木は、入社後の新卒研修で意気投合して付き合い初めて今年で3年になる。入社時から社内ではちょっとした有名人な彼女なので、付き合い始めは相当な噂になったがここの所、ふたりの話はあまり聞かれなくなった。
替わりに昨年あたりから、鈴木の派手な女遊びの噂がチラホラと聞こえてきている。
なんでも第二営業部一のプレイボーイ笹尾マネージャーとつるんで合コン三昧とか…… 特に最近は派手に遊んでいるという噂が流れていた。
もしこれが本当なら酷い話だと思うし、彼女が居るのに、と許せない気持ちになる。
そして、当の彼女は恋人のその噂を知らないのだ。
今やトップ営業となった彼女は、仕事が忙しくてそういった噂話には全く無頓着なのだろう。
もしくは、周りが彼女に知らせていないのか……
いずれにしても、それを良いことに好き勝手やっている鈴木に対して、俺は怒っている。というより、最早怒りを通り越して軽い殺意を覚えている。
大事にしないなら手放してくれ。
そうしたら、俺が彼女を迎えにいって幸せにしてやるのに。
彼女の置かれている状況を思うと、胸が焼け付くように痛んだ。
こんな状況だが、相変わらず俺は彼女のことを想っていた。
いや、想っていると言うよりも寧ろ執着している、と言っても過言ではないかもしれない。
それくらい、俺の頭の中は彼女でいっぱいなのだ。
そしてそんな彼女への想いと、彼女の恋人という幸運を手に入れながらもその幸運を蔑ろにしている鈴木への怒りが、綯い交ぜになって俺の心を苛んだ。
こんなに他人の事で心が乱されるなんて本当に俺はどうにかなってしまったのか…
こんなの全く俺らしくなくて、正直自分でも戸惑っている。
このやり場のない怒りとモヤモヤした気持ちの原因である鈴木の噂を確かめるべく、今回も部下の松本にそれとなく探りを入れてみることにした。
部下の松本 瑛太は俺の直属の部下で、彼女と鈴木とは同期社員だ。
そして、ふたりとは入社後の研修グループも一緒だった。
2年前、たまたま喫煙ルームで彼女と鈴木の話を聞いてしまった後、コイツにその話の真偽の裏取りをしたことがあり、その時からちょいちょい彼女と鈴木の話を聞かせて貰っている。
なので、今回も飲みがてら話を聞こうと思っていたので、そろそろかと時計をみると、時間は丁度定時を指していた。
チラリと松本の方へ視線をやると、松本も丁度帰り支度の途中でデスク整理をしている所だったので、俺もデスクの整理をして荷物を持ちそのまま松本の所へ向かった。
「松本、ちょっといいか?今日この後なんだけど…」
俺に全く気が付く様子もなくせっせと書類をキャスターに仕舞っていた松本の肩を叩いて声をかけると、松本は吃驚して飛び跳ねた。
「ひゃあっ!!!!」
恐る恐る振り向き俺の顔を確認すると、今度はサァッと顔面蒼白になり固まった。
「ね、猫実マネージャー……な、なんですか…?俺、もしかして、またポカやらかしましたか?!」
目の前であわあわと慌てる松本は、俺が声を掛けた事で何かやらかしたと思ったようだ。
そんな松本は普段は明るい性格と人懐っこい笑顔で客受けは最高にいいのだが、如何せん注意力散漫で誤字脱字や書類の記載ミスなど、所謂凡ミスが多いのが玉に瑕なのだ。
奴から上がってくる書類の件で毎日のように俺に注意されるせいなのか、今日の俺の声掛けもまたミスをしたのかと思ったようだ。
しゅんと項垂れている姿はまるで、ふるふると震える子犬みたいだ。その姿に俺は以前の彼女を重ね、思わず苦笑いが零れそうになり、慌てて咳払いで誤魔化した。
「んんっ!いや…今日はまだポカしてないから安心して。それよりこの後なんだけど、奢るから一杯付き合ってくれないか?」
「えっ…俺っすか?いいですけど…奢るって……何かありそうで怖いな…も、も、もしかして…俺……異動かクビですか?」
俺からの突然の飲みの誘いを悪い方へ捉えたのか、松本はくすん、と上目遣いで慰めてと言わんばかりに見てくる。
うわ、なんだこれ、くそめんどくさい。
これが所謂ワンコ男子と言うやつか。
そういえば、女子社員が可愛い可愛いと持て囃していたなぁ、と思い出した。
だが、どんなに小さくてもあざと可愛く振舞ったところで、松本は所詮男だ。俺は男を慰める趣味はないので、冷めた目で松本を見下ろした。
「猫実まねーじゃぁー……俺、頑張りますから、ここに置いてくださいぃぃ……」
「いやいや、大丈夫だから。もう帰れるだろ?とりあえず行くぞ。」
きゅるんと可愛こぶってじめじめメソメソする松本に半ば呆れながらも鞄を持たせると、俺は松本をオフィスから連れ出した。
◇◇◇
「くあー!!!うめぇ!!!やっぱり仕事上がりの1杯は格別ですねぇ!あ、お代わりいいっすか?」
「あ、あぁ……好きに飲んでくれて構わないけど……」
「やった!アザース!ゴチになります!あ、すいませーん、注文お願いしまーす!」
居酒屋に付き、とりあえずの生ビールが運ばれてくると、それを一気に煽ると松本は言った。
先程までのじめじめメソメソはいったいなんだったのか?という程の変貌っぷりに些か引きながらも、俺もジョッキに口を付ける。
「で、あー……鈴木の事ですか?アイツ、今いい噂聞かないっすねぇ……」
お代わりの生ビールを注文しながら松本はそう言った。
そのまま社内で流れている鈴木の噂について、単刀直入に松本に聞いてみると、出るわ出るわ……鈴木の裏切りの数々。
予想通りといえば予想通りなのだが、改めて聞くと腹立たしい。
今すぐ鈴木をどうにかしてやりたくなったが、何とか心を鎮めながらも、松本から聞いた話をまとめると……合コン三昧、お持ち帰りし放題は事実で、それだけには飽き足らず、複数の取引先の女の子に手を出しては揉めて、危うく取引停止になる所だったとか。
想像以上に、最悪な屑である。
合コンからのお持ち帰りについては、人の事は言えた義理ではないが…ゴホン。
他人の話として聞いていて、客観的に聞いた俺も鈴木に負けず劣らず屑だったな、と反省して遠い目になる。
とりあえず、話に聞いているように遊びが社外で済んでいるうちは、彼女が知らなければ傷つくことはないだろうが…問題はそれが社内にまで及んだ時だ。
当然、社内の人間に手を出せば遠からず彼女の耳に入り、彼女が傷つくことになるだろう。
もしも、そんな事になったら、俺は鈴木を許しはしない。どんな事をしても、奴を潰してやる。
そう思っていた矢先に、松本は思い出したかのようにとんでもない爆弾発言をした。
「そういえば、遊びとは別にアイツ、今社内に本命いますよ。確か、管理本部の女子力半端ない子……そうそう、宮田 花音ちゃんだ!あの子、めちゃ可愛いですよねぇ。」
「は?管理本部…?一営の仲原さんはどうしたんだよ。」
管理本部?なんだそれ、聞いてないぞ。てか、宮田って誰だ?
突然の新情報に頭が付いて行かない。
手が震え、酷く喉が乾き、俺は手元のグラスを一気に煽った。
「えー、それいつの話っすか。仲原女史とは終わったって鈴木からそう聞いてますよ。」
「……いつの話だ?」
松本は俺の質問に対して少し考えて答える。
「いやー、いつだったかなぁ……確か、半年以上前?ちょうど仲原女史が表彰されたくらいの時だったかと。あ、でももう、そん時は花音ちゃんと付き合ってたみたいっすけどねー。」
「…理由…理由は聞いてるか?」
「詳しくは聞いてないっすけど、俺が思うに、年下同期で女の子、しかも恋人に追い抜かされるとか…プライド高いアイツには辛かったんじゃないっすかね。だって釣り合ってないでしょ。片や営業成績抜群で管理職、もう一方は一般社員に毛の生えた程度のチーフっすよ。俺には絶対無理っす!」
そう言って恐縮してブンブン手を振る松本を尻目に、俺は絶句した。そして、鈴木に対して抑え込んでいた怒りが再びふつふつと静かに怒りが湧き上がってくる。
今の彼女の立場は、誰でもない彼女が努力して作りあげたものだ。
同期で恋人である鈴木は、彼女の一番傍近くでその努力を見ていただろうに、それを喜ぶどころか妬んだと。
そして、妬みの挙句、自身のプライドを優先して彼女を捨てるとは……
鈴木という男はなんて狭量で器の小さい男なのだろうか。
俺は額に手を当てて深く息を吐くと、再度怒りを抑え込んだ。そうしなければ、今すぐ鈴木を殴りに行きそうだったからだ。
松本は続ける。
「鈴木はふわふわした花音ちゃんみたいな庇護欲掻き立てられるタイプが好きっすからねぇ。仲原女史も最初はそうだったんすけどね。今は自立して、強くてひとりでも大丈夫そうに見えるんでしようねぇ。」
それを聞いて俺は更に胸糞が悪くなってきた。
ひとりで大丈夫なものか。
俺は彼女が本当はか弱くて、今にも折れそうな心を奮い立たせていることを知っている。天涯孤独で頼れる人もいないのに、恋人が守ってやらなくてどうするんだ。
再びグラスを煽る。強いアルコールに喉がヒリついた。
心が抉られるように痛い。
「最悪だな……」
俺はなんとか一言絞り出した。これが精一杯だった。
0
お気に入りに追加
94
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【R18】鬼上司は今日も私に甘くない
白波瀬 綾音
恋愛
見た目も中身も怖くて、仕事にストイックなハイスペ上司、高濱暁人(35)の右腕として働く私、鈴木梨沙(28)。接待で終電を逃した日から秘密の関係が始まる───。
逆ハーレムのチームで刺激的な日々を過ごすオフィスラブストーリー
法人営業部メンバー
鈴木梨沙:28歳
高濱暁人:35歳、法人営業部部長
相良くん:25歳、唯一の年下くん
久野さん:29歳、一個上の優しい先輩
藍沢さん:31歳、チーフ
武田さん:36歳、課長
加藤さん:30歳、法人営業部事務
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
イケメンエリート軍団の籠の中
便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある
IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC”
謎多き噂の飛び交う外資系一流企業
日本内外のイケメンエリートが
集まる男のみの会社
唯一の女子、受付兼秘書係が定年退職となり
女子社員募集要項がネットを賑わした
1名の採用に300人以上が殺到する
松村舞衣(24歳)
友達につき合って応募しただけなのに
何故かその超難関を突破する
凪さん、映司さん、謙人さん、
トオルさん、ジャスティン
イケメンでエリートで華麗なる超一流の人々
でも、なんか、なんだか、息苦しい~~
イケメンエリート軍団の鳥かごの中に
私、飼われてしまったみたい…
「俺がお前に極上の恋愛を教えてやる
他の奴とか? そんなの無視すればいいんだよ」
【R18】エリートビジネスマンの裏の顔
白波瀬 綾音
恋愛
御社のエース、危険人物すぎます───。
私、高瀬緋莉(27)は、思いを寄せていた業界最大手の同業他社勤務のエリート営業マン檜垣瑤太(30)に執着され、軟禁されてしまう。
同じチームの後輩、石橋蓮(25)が異変に気付くが……
この生活に果たして救いはあるのか。
※サムネにAI生成画像を使用しています
【R18】豹変年下オオカミ君の恋愛包囲網〜策士な後輩から逃げられません!〜
湊未来
恋愛
「ねぇ、本当に陰キャの童貞だって信じてたの?経験豊富なお姉さん………」
30歳の誕生日当日、彼氏に呼び出された先は高級ホテルのレストラン。胸を高鳴らせ向かった先で見たものは、可愛らしいワンピースを着た女と腕を組み、こちらを見据える彼の姿だった。
一方的に別れを告げられ、ヤケ酒目的で向かったBAR。
「ねぇ。酔っちゃったの………
………ふふふ…貴方に酔っちゃったみたい」
一夜のアバンチュールの筈だった。
運命とは時に残酷で甘い………
羊の皮を被った年下オオカミ君×三十路崖っぷち女の恋愛攻防戦。
覗いて行きませんか?
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
・R18の話には※をつけます。
・女性が男性を襲うシーンが初回にあります。苦手な方はご注意を。
・裏テーマは『クズ男愛に目覚める』です。年上の女性に振り回されながら、愛を自覚し、更生するクズ男をゆるっく書けたらいいなぁ〜と。
ミックスド★バス~家のお風呂なら誰にも迷惑をかけずにイチャイチャ?~
taki
恋愛
【R18】恋人同士となった入浴剤開発者の温子と営業部の水川。
お互いの部屋のお風呂で、人目も気にせず……♥
えっちめシーンの話には♥マークを付けています。
ミックスド★バスの第5弾です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる