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第一章 始動

第7話 エリクサー(偽)

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「ちっ、家畜が見当たらねぇ理由は、こう言う事か」

 森に向けて走るにつれ強くなっていく血の匂いの元が、視界の隅に映り足を止めた。
 そこには家畜の足や胴体の一部と言った部位が血の海の上に無造作に転がっていると言う、およそ楽しくもない光景が広がっている。
 一頭や二頭じゃねぇな。なんせ右前足だけで4本は転がってやがる。
 他の部位も同じのがいくつも……か。
 この散らばり様は、複数で貪り食われたと言う感じでは無く、まるで一口でパクッと食われて口から食み出た部位が零れ落ちたとでも言う様な感じだが……。

「しかし、こいつらの事は嫌いじゃなかったから、なんかムカついてきたな。どんな化け物か知らんが、思い知らせてやろうじゃないか」

 この放牧場で飼育されている家畜は、見た目はほぼ羊にそっくりの『バース』と呼ばれる、ふわふわもこもことした大人の腰の高さくらいの大きさしかない可愛らしい動物だ。
 地球の羊と同じく羊毛ならぬバース毛が採れ、それを用いた織物がこの街の名産として有名だ。
 地球の羊とほぼ一緒なんだが、少しばかり違う点がある。
 まず一つは全身金色の毛で覆われている。
 そしてもう一つ大きく違う所は背中に翼が生えている事だ。
 あっ翼が生えているって言っても別にギリシャ神話の金毛の羊みたいに飛べる訳じゃないけどな。
 昔は飛んでいたと言う伝説は有るんだが、本当かね?
 先程嫌いじゃないと言ったが、実は好きだ!
 いや、嫌いな奴は居るのか? 綺麗なプラチナブロンドのフワフワモコモコだぞ? しかも凄く人懐っこくて、こんな俺にさえ頭を擦り付けてくるんだ。
 まぁ、手に持っている餌目当てだけどな。

「老後はバース飼いにでもなって、のんびり暮らそうかと計画してるんだがな。全滅してなきゃいいが……」

 生き残りは居ないかと辺りを見ると、草むらの上を何かが這いずり回ったような跡が有り、森の方まで続いているのに気付いた。

 この跡は何だ? ジャイアントエイプがバースを引き摺った跡と言う訳でもあるまい。
 よく見ると、それを追って数人の人の足跡が続いているな。
 土の凹み具合から言って走って追ったのではなく、周囲を警戒しながら森に向かって歩いていると言った感じだ。
 それに戦闘した様子も無い、どうやらグレン達が到着した時には既に姿は無く、周囲を調査した際にこの跡見付け、それを追って森に踏み込んだって事だろう。

 と言う事は、グレン達は南下したのではなく、この跡を調査すべく森に向かったのか。
 じゃあ、あの声はグレン達の声か?
 
「死ぬなーー!! くそ! くそ! なんで血が止まらない?!」

 !!

 またも森から声が聞こえて来た。
 それもどうやら切羽詰まった状況の様だ。
 どのパーティーか知らんが治癒師が居ないのか? それとも浄化を使っていないのか?
 Cランクとは言え、この街の冒険者だろう? それにグレンも居るんだからその事に気付いても良い筈だ。
 ここら辺は俺が口酸っぱく初心者講習チュートリアルで教えたからな。
 合言葉は"治癒が効かない時は、まず浄化!”だ。
 瘴気だ何だのを言っても、何故かこの大陸では広まってないからな、司祭でさえあの体たらくだ。
 一々説明するのは面倒臭いので理屈抜きにして答えだけを教えている。
 焦りと苛立ちで愚痴りながら俺は声のする方へ急いだ。
 


「あっ、教官! 来てくれたんですか! お願いします! 助けて下さい!!」

 森に入って少し歩くと、数人の冒険者が俺を見付けるや否や必死の顔で助けを求めてきた。 
 先頭のこいつは少し前に俺の元から巣立っていった新人冒険者だったな。
 確か今は仲間を見付けてパーティーを組んでいると言っていた。
 グレンに付いて来たCランクのパーティーの一つはこいつのパーティーか。
 こいつはグレンと違って俺の事を馬鹿にはせずに、いまだに今の様に『教官』と俺の事を呼んで、たまに冒険者の心得を聞きに来たりする。
 ダイス程俺の事を知っちゃいないが、20年に渡る冒険の知識に関してちゃんと敬意を持って俺に接してくる素直で良い奴だ。
 少し猪突猛進で周りが見えなくなる所が有るのが玉に瑕だけどな。

「取りあえず落ち着けって。教えただろう? ピンチの時程、冷静になれって」

「す、すみません。でも、俺、こんな事、俺の所為で……。教官の教えの隊列を守らなかったばかりに……、彼女を……」

 俺が教えた隊列? なるほどな、ちょっと分かって来たぞ。
 こいつのパーティーには治癒師が居た筈だ。別の町で見付けて来たと言っていたから、俺の教え子じゃないが結構べっぴんの女の子だった。
 態度から二人は恋人っぽかったからな、この焦り様が示す答えは……。

「お嬢ちゃんは何処だ? まだ息は有るのか?」

 俺の言葉に泣きべそをかいて振り返り、背後の少し大きな木の根元を指差した。
 そこには教会で見た怪我人よりもさらに状態が酷く、肩口から大きく抉り取られた若い治癒師が横たわっている。
 やっぱり嬢ちゃんだな。
 あの傷は肺まで達している……。 事態は深刻だな。
 一瞬死んでいるかと思ったが、微かに胸が上下に揺れている事から、一応なんとか息は有る様だ。
 良かった。取りあえず生きてさえいれば、俺が何とか出来る。

 俺は彼女の元まで駆け寄り様子を見ると、その状況に少し違和感を感じた。
 あれ? 傷の大きさにしては流れている血の量が少ないな。
 教会の怪我人は彼女に比べるとまだ軽傷と言えるかもしれんが、それでも俺があと数分ばかり教会に遅れただけで死んじまうレベルの出血だった。

 それに比べると明らかに……、おや? よく見ると、少し治癒魔法の跡が有るな。
 と言う事は襲われた瞬間、自分に治癒魔法を掛けたのか?
 だとすると、この嬢ちゃんやるじゃないか。

 しかし、今回は相手が悪かった。

 まさか瘴気持ちだとは思うまいから仕方が無いが、そのお陰で俺が間に合った。
 恐らく瘴気に侵されるより一瞬早く治癒魔法が効果を発揮したのだろう。その咄嗟の判断が功を奏し命を繋いだ。
 冒険者にとっては一番重要な素質と言えるな。
 俺の後ろで泣きベソかいてるこいつには過ぎる相手だが、教官として慕ってくれている俺としては、末永くこいつの面倒を見てあげて欲しい思うぜ。

「あの! あの! 教官! どうですか? 何とか出来ますか? あぁ……」

 後ろから他の仲間と一緒に覗き込んでくるんだが、お前らが居ると治すものも治せないじゃねぇか!
 と言うか、お前は俺の事を何だと思っているんだ? なんで何とか出来るって思ってるんだよ。
 ……いや出来るけどもよ。
 そう言う事じゃない、現状の戦力把握も出来ていないくらいに混乱してるって話だ。
 それに俺が教えた事全て忘れてやがる。

「おい! 教えただろうが! ここは敵地だぞ? 全員同じ方を見る馬鹿が何処に居る! だからこの娘もやられたんだ! 全員俺達を取り囲んで周囲を見渡せ!」

「「「はい!! すみません!!」」」

 俺が一喝すると、飛び跳ねた様に俺と彼女の周りに立ち周囲を警戒しだした。
 仲間が作業中は、他の仲間たちが周囲を囲み背後を警戒するって言うってのは、冒険者の心得の初歩の初歩だ。
 こんな事も忘れるなんて大丈夫かこいつら?
 う~ん、こいつら今回の事が無かったら、恐らく近い内にどこかで全滅してたかもな。
 まぁ、いい勉強になっただろ。
 
 んじゃあ、パッパと治すか。
 とは言うものの、ここで治したらこいつらにバレるから後々面倒臭い。
 こいつはダイス程口が堅くないから、あっと言う間に広まるだろう。
 そこで! 俺は良いものを用意したんだよ。
 いや、出掛けに門番から借りただけだけどな。
 俺は腰に下げている水袋と取り外した。
 寝巻と言えども、この世界にゴム紐なんて言う便利な物は無いからな。
 普通にズボンはベルト締めなので、取り付ける事は可能だ。

 そして! 一見この水袋はただの水袋だが、しかして! その中身は!


 ……いやまぁ、実際ただの水だ。
 だが今回の場合どうでもいい。

 俺は教会の怪我人と同じく、二つの魔法浄化と治癒を設置した。
 治癒魔法は教会の時と違って応急処置の治癒ヒールじゃなく完全治癒リブートだ。
 これなら手足が無くなろうが頭が吹っ飛んでいようが心臓さえ動いていたら元に戻る。
 ただ問題点は、後天的傷なら全て治癒しまいやがるので、こいつらの仲がどこまで行っているか知らんが、彼女に取ったら苦痛再びって事も有るだろう。
 ……そこだけはすまんな。

 魔法の設置を終えた俺は、おもむろに立ち上がり水袋の中の水を全て彼女にぶちまけた。

 バシャーー!! 

 その音にびっくりした元教え子が慌てて振り返る。
 最初は呆然としていたが、俺が死にかけている彼女に水を掛けたと言う事を理解すると、その行為に怒った様で、わなわなと震えながら顔を紅潮させていく。

「き、教か……ん。 いや、き、貴様! 何するんだ! なんで彼女に水なんか掛けやがるんだ! 身体が冷えて死んでしまうだろ!! この人殺しめ!」

 怒りに我を忘れ、俺の事を『貴様』呼びしながら掴みかかって来た。
 他の仲間も、同じく俺に対して起こっているようで、こいつの事を止めようとはせず、俺の事を激しく睨んで来ている。
 まぁ仕方無いか、こいつら馬鹿だし。
 少し賢い奴なら、瀕死の人間に液体を掛けると言う行為について何か勘付く物なんだが。
 と言ってもこれはただの水だけどな。
 俺は羅刹の如き表情で俺を掴みながら罵詈雑言を叫んでいるこいつに呆れながら小声で設置した呪文を発動させた。
 今回は発動演出は通常版だ。

 俺の背後で淡い治癒の光が立ち上り辺りを照らす。
 馬鹿共はその光に驚き、目を丸くしてポカンと口を開けたアホ面でその光を眺めている。

「ん、んーーー! あれ? あれれ? 私……生きて……? きゃっ! 何これ服がべしょ濡れじゃない!」

 俺の背後で女の子が濡れた服に驚いて悲鳴を上げる声が聞こえて来た。
 馬鹿共はさっきまで死にかけていたその子を見て、嬉しそうな顔に……、あ? なんで顔面真っ赤にして止まってるんだ?
 起き上がって来た治癒師の嬢ちゃんを見て、アホ面から喜びの表情に変わろうとした途端、馬鹿共は有る一点を見詰めて固まってしまった。
 何が有ったんだと振り向くと……。

「ブッ! おい、ちょっとお前のマント貸せ。 っと、ほらよ、嬢ちゃん。それで前隠せ」

 俺は固まっている馬鹿な元教え子からマントを剥ぎ取り、治癒師の嬢ちゃんに渡してやった。

「え? なんで? あっ! キャーーーー!! 見ちゃダメーーー!!」

 嬢ちゃんは最初訳も分からずマントを受け取ったんだが、俺の言葉で自分の状況を確認した途端、悲鳴を上げた。
 まぁ、あれだ。肩口が肺に達するまで抉れる怪我だ。そりゃ服も下着もはだけるわな。
 片側だけで吊られている所為で、ペロンと胸が露出してしまっており、丸見え状態って訳だ。
 そりゃ若いこいつ等は固まるわ。
 俺も一瞬このままガン見したい衝動に駆られたしな。



「すみませんでした!! 教官!! あんな態度を取ってしまって!!」

 状況が落ち着いた途端、馬鹿率いる仲間達が土下座して謝って来た。
 お嬢ちゃんは土下座はしてないけど、立ち上がって俺に頭を下げている。
 これは、謝罪じゃなくて助けてくれた事に対しての礼だろうけど。

「あぁ、気にしてねぇよ。それより、お前ら。嬢ちゃんをこんな目に合わせたんだ。今回の事が済んだら一から鍛え直してやる。勿論代金は頂くけどな」

 面倒臭い事は嫌なんだが、折角今回運良く紡いだ嬢ちゃんの命だ。
 馬鹿の所為でまた被害にでも遭ったら目覚めが悪いしな。
 あと、俺の教え子が馬鹿な死に方しても俺の評判に繋がるし、まっ、なんだかんだ言ってこいつの馬鹿さ加減も嫌いじゃない。

「はい! 分かりました! で、でも、教官? どうやって回復させたんですか?」

 こいつ……、やっとそれに気付いたか。
 う~ん、本当にこいつ冒険者としてやっていけるのか? かなり心配だぜ。

「あ~、そいつはアレだ。さっき嬢ちゃんにぶっ掛けたのは俺が昔手に入れたエリクサーだ」

 嘘だけどな。
 でもこいつら馬鹿だからその言葉で目をキラキラ輝かせてまるで俺に祈らんばかりの表情で見詰めてくる。

「そんな貴重な物! 彼女の為に使って頂きありがとうございますーーーー!!」
「エリクサーって! それが有れば一財産築けるって言うのにあんなに惜しみなく使うなんて……」
「あそこら辺の土を集めたらまだ効力が残ってるかも」

 う~ん、エリクサーは言い過ぎたか? でもあれだけの傷を一瞬に治すとなるとそれ位しか無いからな。
 仲間の一人が甲子園の球児の如く水が撒かれた場所の土をかき集めているな。効果が有ると勘違いして無茶されたら元も子も無いからさすがに止めてやるか。

「気にすんな。命有っての物種だ。あとエリクサーは使っちまうと効果が消えるから無駄な事するな」

 俺の言葉で元教え子はまた土下座をしだした。
 まぁ今度は先程の嬢ちゃんと同じく謝罪じゃなく感謝の気持ちだろう。
 土を集めていた奴は残念そうにしているけど、それ本当にただの水だからな。


「嬢ちゃん? こいつ馬鹿だから嬢ちゃんが居ないとすぐに死んじまうだろう。一から鍛え直してやるつもりじゃ居るが、出来ればこれからも面倒見てやってくれないか?」

「はい!」

 俺の言葉にお嬢ちゃんは元気よく答え、元教え子、いや今回の事が済んだら現教え子か、そいつの肩に手を当てて優しい目をして見詰めている。
 
 本当に良く出来た嬢ちゃんだぜ。こいつには勿体無いな。
 そんな事を考えながら、俺は教え子をどうやって鍛えたらこの嬢ちゃんと釣り合うか様になるのかと頭を悩ませた。

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