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第四章 それでは皆様

第67話 疑問

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「う~ん、本当にわね~」

 イケメン達との試合の後、ローズは自室に篭もり一冊の本を食い入るように読みふけっていた。
 その本の題名は『無宿一刀 ~空より出でてやがて流となる~』と表紙に書かれている。
 内容はと言うと、ある剣士の生涯を綴った物語であった。
 何故ローズがそんな題名の本を読んでいるかと言うと、それはシュナイザーとの試合の後のフレデリカの一言に始まる。

 『あぁ、その『流水の極意』と言う言葉は、東洋の剣客小説『無宿一刀』に出てきたフレーズですね』

 それを聞いたローズは一瞬思考が止まった。
 なにしろ『流水の極意』は野江流剣術の奥義なのだから。
 なんでゲームの中の世界にそんな物が存在するんだ? と、ローズは思わず疑問の声を口に出して言ってしまいそうになった。
 しかしながら一瞬思考が止まったお陰で命拾いする。
 それは口から出そうになった瞬間、フレデリカが『どうしましたお嬢様?』と声を掛けてきたからだ。
 正直助かったとローズは心の中でホッと安堵の溜息を吐く。
 『まぁ言葉自体は中二病チックな合わせ言葉だし、偶然の一致って事も有るかもしれないわね』と、その場は自分で自分を納得させた。

「お嬢様、先程読んだ記憶は無いと言っておられましたが、昔読んだ事があるのをお忘れになっていただけなのではないのですか?」

 先程の言葉を受けて部屋に控えていたフレデリカがそうローズに話し掛けて来た。
 その声にギョッと驚くローズ。
 本を読むのに夢中になって、思わず声が漏れてしまっていたのを反省した。
 シュナイザーとの試合の後、本の事が気になりながらもディノ、カナン、そしてホランツと試合をしたのだが、本来ならその後ラウンジでお茶をする筈だったのところを、ローズはどうしても本の事が気になったので『汗をかいて身嗜みが乱れてしまいましたので、本日はお開きに』と言う理由で断ったのだった。
 イケメン達は残念がりはしたものの、確かに無理を通して全員と試合させたと言う後ろめたい気持ちは有った為、しぶしぶと帰って行った。

 稽古着のまま皆を見送った後、着替えもしないままその足で屋敷の書庫に向かった。
 何故ならば、フレデリカに本の詳細を尋ねたところ屋敷の書庫にあるとの事。
 その際に『てっきりお嬢様も読まれたものだと思っておりました』と言われ、『そうだったかしら、記憶にないわ』と、誤魔化していたのだ。

「え? え~そ、そうなのかも……。話の内容も……知っているわ……」

 ローズの声は最後の方になるにつれて絞り出すようなものになっていた。
 本を読んでいく毎に次から次へと様々な疑問が頭の中に湧き上がってくる。
 そして、極めつけに『流水の極意』と言う言葉と共にその思想の解説で疑問が頂点に達し、先程の言葉が零れた。
 そう、野江 水流として知る筈の無い剣客小説の内容を知っていたのだ。
 ただそれは元の世界でこの小説を読んだ記憶ではなかった。
 
 『これ……から聞いた野江流開祖の生い立ちじゃない……』

 幼い頃より幾度となく祖父から聞いた祖先の話。
 但し、この本に書かれているのは小説の体を成している為、多少の表現や名称の違い、また祖父から聞いていない話が有るものの、おおよその話の展開は祖父が語った先祖である開祖の話のままであった。
 何故この世界で自分の先祖の話が小説となっているのか?
 ローズはその答えを持ち合わせてはい。
 疑問が疑問を呼び頭の中がぐるぐると回り出す。

 『奥義の解説も爺ちゃん先生から聞いた通り。話の展開も大体合っているわ。唯一違うのは流派名が『野江』じゃなくて『ノウェール』って洋風チックになっている事かしら。けど、それ自体響きが似ているし、一体どういう事……?』

 そもそも、ゲームの中のはずなのに何故ゲーム本編にチラとも出て来なかった小説が存在するのか? と言う疑問も浮かぶのだが、そこはそれ今までも沢山の知り得なかった出来事は数多くある。
 この屋敷の中の使用人達の生い立ちだけじゃない、この世界の広さ、周辺諸国との関係性、交易や特産品など文化全般にしてもそうだ。
 ローズはそれらの事を学ぶにつれ、説明が付かない情報量の多さにこのゲームの開発者の中に余程の設定マニアが居たに違いないと思い込む様になっていた。

 それに関してはそう言うものだと諦めるしかなかったのだが、今回は違う。
 何しろ元の世界の自分でしか知り得ないはずの知識と、この世界の情報がリンクしたのだ。
 偶然の一致と一笑に伏すには有り得ない数の類似点。
 それだけじゃない、祖父から聞いた事の無いエピソードは小説内に含まれているが、逆に祖父から聞いたエピソードが省かれていると言う事は無かった。
 祖父の話より詳しい開祖の生い立ち。
 これが意味する事。

 『う~ん、以上の事から考えられるのは……』

 答えを持ち合わせていない疑問に対して仮定でしか語る事は出来ない。
 仮定を真実として証明する事が出来ないからだ。
 それでも自分の中で落としどころを付けなければならないとローズは思った。
 そうしなければ思考の渦に飲み込まれ前に進めないのは過去の経験で思い知っている。
 高校時代の悲しい別れ、そしてそんな悲しい思い出が残るかつての学び舎に教師として舞い戻って来た理由。
 それらの思いが今の野江 水流を形作っていた。

 『答えの出ない事にいつまでも悩んでいても仕方ないわ。これ以上アレコレ悩んでいるとフレデリカがあたしの正体を怪しがるかもしれないし……』

 無理矢理に理由付けするなら、考えられる事は大きく二つ浮かんでくる。
 ただ両方とも荒唐無稽で有る事は変わらない。

 『一つはそうね。我が家の沽券に関わる事なんで認めたくはないけど、爺ちゃん先生がどこかで読んだ剣客小説を元に『野江流剣術』の歴史を捏造した。そして、ゲーム開発者も偶然その小説が好きで設定として盛り込んだと言う線。うううぅ、これだけは考えたくないわ。もしそうなら爺ちゃん先生に対する憧れも有った物じゃないし』

 ただ、これに関してはローズ自身も可能性は低いと思っている。
 何しろ祖父の家の道場は江戸時代中期頃建造されたものであり、併設されている倉に眠っていた古文書にも『野江流剣術』や『流水の極意』と言う文字が記されていたのだから、少なくとも祖父の捏造では無いと言える。
 もし、その剣客小説が江戸時代に書かれた物であったとして、先祖がそれに影響を受けて『野江流』を自称したにせよ、数百年の間一族の者達が研鑚を重ねたのであれば、それは立派に流派を名乗っても恥ずかしくないであろう。

 『で、もう一つはゲーム制作者と爺ちゃん先生がまさかの知り合いで、酔った勢いでうちの流派の秘密をペラペラと喋ってしまったと言う線。……これは有りそう。爺ちゃん先生っていつもは苦虫噛み潰したかのような顔をして無駄口嫌いの不愛想なのに、お酒を飲んだ途端陽気でおしゃべりな性格になっちゃうんだものね。それに部外者じゃなくても、もしかしたらあたしが知らないだけで親戚や兄弟弟子達の中にゲーム制作者が居たのかも』

 これならば合点がいく。
 ローズは少しだけ心の荷が下りた気分になった。
 もしかしたら知り合いがゲームを作ったと言う可能性に、『それならば会ってみたいものだ』と思い掛けたところで正気に戻る。

 『そっか……、あたしもう帰れないんだわ……』

 心の中に浮かんだこの現実に改めて寂しさがあふれ出しそうになった。
 しかし、帰れないと言う事については、もう心で折り合いを付けたので何とか踏みとどまる。
 ローズの中の人である野江 水流は一度決めた事は振り返らない性格なのだ。
 少なくとも自分はそう決めたと、ローズは気持ちを盛り上げる為に話を変えようとフレデリカに話しかけた。
 ……実はもう一つ可能性が頭の中に浮かんで来たのだが、それは有り得ないと心の奥に放り捨てながら。


「しかしフレデリカ。ディノ様は本当に強かったわね」

 答えの出ない小説との睨めっこを諦め、表紙をパタンと閉じながらローズはフレデリカに言った。
 既にローズの頭の中はイケメン達との試合の事に切り替わっている。
 終始余裕を持っていながらポカミスで負けたオーディックや、よもや自身の流派の最奥の一端を披露したシュナイザーも勿論強かった。
 だが、それらはほんの一瞬の打ち合いなので実力の底は窺い知れない。
 しかしながら、ディノに関しては嫌と言うほど、その実力を堪能する事が出来た。
 小説の事も気にはなっていたのは間違い無いのだが、ディノとの勝負もラウンジでのお茶を断った理由の一つと言える。
 一言で言うとディノの実力は多少の誇張が入ったとしても執事長クラス。
 その理由も納得だった。

「ディノ殿も仰っていた通り、執事長の弟子ですので当たり前と言えば当たり前ですね」

「そうなのよ~。本当にびっくりしたわ。ディノ様って私の兄弟子だったのね。フレデリカは知っていたの?」

「えぇ、存じておりました。数年前に執事長の過去を知ったディノ殿が、執事長の教えを乞う為にと連日通い詰めているのを拝見しておりましたし。最初は断っていた執事長も根負けして弟子にしたのですよ」

「あぁ~なるほど。なんでディノ様が家に来てくれるようになったのかと思えば、それが切っ掛けだったのね」

 ゲームの人物紹介には出て来ない情報だが、これで納得いったとローズはポンと手を打ちながらそう言った。
 恋愛ゲームの設定的に主人公は一介のメイドである。
 その相手が高位貴族ばかりではキャラ付けが甘いと言えるだろう。
 スパイスとして少し暗めの過去を持つ下級身分の出の騎士は良いスパイスとなり、バリエーションに幅が出る。
 しかしながら、ゲームの中ではなぜそんな過去を持つディノが伯爵と言う権威を傘にわがまま三昧の悪役令嬢であるローズのハーレムに入っているのかと、三桁回数のプレイ中もずっと疑問だったのだ。
 ローズがそんな身分の男を外から連れ込むような真似をするキャラには思えなかった。
 ゲームなのだからと無視していい些細な疑問ではあったのだが、現代文の教師であるローズにとって、そう言う設定の粗が気になる質だったので、フレデリカがもたらしたこの情報でディノに関するジグソーパズルのピースがピッタリと填まった気分になった。
 おそらくただ単にいつもの気まぐれで自分の屋敷に居た知らない騎士が居るのに目を付けてラウンジに連れて来たのだろう。
 そして周囲に居る高位の貴族達の中、身分不相応で困っている男の姿を見て楽しんでいたに違いないと、元のローズの性格からそんな事を予想した。

「まぁ、確かに屋敷に来ていたディノ殿を見付けたお嬢様がラウンジに引っ張って来たのが始まりでしたが……。彼は元々……いえ、切っ掛けは確かにそうですね」

 ローズの専属メイドとなったフレデリカだが、昔取った杵柄と言うべきか、それとも神童と呼ばれるに至った習性とでも言おうか、いまだにこの国の貴族界の事情には目聡く、勿論執事長の弟子であるディノがローズのわがままの為だけではなく、とある者からの任務によってこの屋敷に来ている事も承知している。
 しかしながらこの事はまだ秘密で有るべきだと、真相を言い掛けて口をつぐんだ。

「ん? ……まぁ、いいわ。けど本当に執事長と錯覚するくらいの強さだったわね。どれだけ打ち込んでもまるで執事長の様に軽く受け切って、私の隙に剣気を当てて来るんだもの」

 ローズはディノとの試合を思い出しながら暫しその余韻を味わっていた。
 あまりの楽しさについつい長い時間試合をしてしまい、退屈したカナンが『ディノばっかりずるい~。次は僕の番だからね』と文句を言って来た事で我に返って試合を止めたのだが、その時になって初めて自分の練習着が汗でびっしょりだった事に気付いたほどだった。

「それに関しては、いつものお嬢様ではなかった気がいたします。何か迷いが有ったと言うか……」

 ローズはその言葉にハッとした。
 確かにと、ローズは心の中で呟く。
 あまりの楽しさに我を忘れていたとはいえ、やはり小説の事が気になっていたのだろうと。

「う~ん、だったら次ディノ様と試合したら、もう少しはいい勝負になるかしら?」

「お止め下さい! 怪我をしたらどうするのですか! 一度きりと約束いたしましたでしょう」

 ぽろっと零した言葉をフレデリカに怒られてしまった。
 ローズは今日の試合の前にも同じ様に試合はこれっきりする事と約束させられていた事を思い出した。

「わかっていますよ~だ。しっかしカナンちゃんの実力は年齢相応だったわね」

 フレデリカのお小言が続きそうだったので口答えだけしてすぐに話を切り替えた。
 それを受けたフレデリカはまだ何か言いたそうだったが、『そうですね』とローズの言葉に返答する。
 ローズが言った通り、退屈して自分の番を主張してきたのはいいが、勝負の形にすらならなかった。
 どうやら従弟の身体は、ひ弱だった叔父の血をしっかりと受け継いでいるらしい。
 幾度か打ち合ったが、ぽこんぽこんと言うかわいい打撃音が訓練場に響き渡り、皆の心を和やかなものとさせた。

「続くホランツ様も、『色男、金と力はなんとやら』って奴かしら? まぁホランツ様はお金持ちであらせられるんだけど」

「まぁ! その言葉は『好色美男爵の情事』の一説ではないですか! お嬢様! そのような本をお読みになるのはいけませんよ!」

 フレデリカが顔を真っ赤にして咎めて来た。
 その様子からするとその本は元の世界で言う所の『R18指定本』なのかもしれない。
 いつものように『そうなのよ~』と誤魔化し掛けたが、寸での所で飲み込んだ。
 下手に相槌を打って誤魔化すとお小言が増えそうだったからだ。

「読んでない読んでない! この言葉だけ聞いた事が有るだけよ」

「本当ですか? あのような低俗本は貴族令嬢として相応しくありませんからね?」

 『何故だか最近のフレデリカは、以前の様にただのイエスマンって感じじゃなくて躾に厳しい教育ママみたいなところがあるのよね』とローズは思ったが、ゲーム中の彼女の態度とは明らかに違うその様に『これも信頼を積み重ねた証かしら』と嬉しくも思っていた。

 そんな気分でホランツとの試合を振り返る。
 いざ試合をしようと言う段階で『やっぱり僕は止めとくよ~』とホランツが言い出した。
 それでもフレデリカとの約束で一度きりのこの機会、この際全員と試合したいと言う気持ちが有ったので、何度かお願いするとホランツも渋々了承してくれたのだが、試合が始まった途端まともに打ち合う事もせず『ひゃあ』と悲鳴を上げながらローズの剣を危なっかしく避けるばかり。
 最近はすっかり色男キャラが板に付いてるホランツだが、試合の時の様は何処と無くゲーム本編のほのぼのお兄さんキャラの片鱗が窺えた。
 『やっぱりほのぼのキャラがホランツ様の素なのかしら?』と、再度頭の中でホランツの見事なまでの避けっぷりを思い出して頬が緩んだ。

 『それに最後の打ち込みの時なんて、どうせ外れるからと勢い良く剣を振っちゃった所為で、あわや顔面に当たるかも~ってなったのよね。寸止めも間に合わないタイミングだったんで本当に肝を冷やしたわ。そしたらホランツ様ったらまるで猫がキュウリに驚いた映像のようにピョーンと飛び跳ねて避けてしまわれたのよね。そしたら見るに見兼ねた執事長が『それまで』って言って試合が終わったのよね。それにしてもホランツ様のあの瞬間の顔ったら……。あれ? けど、なにか……?』

 クックと思い出し笑いをしながら幾度目かのリフレインで記憶の中の映像に少しざらっとした違和感が残った。
 試合中は気にはならなかったのだが、最後の打ち込みの時の飛び跳ねる瞬間。
 目を見開いて驚いた顔の目線の先は何処だったのだろう。
 脳裏に浮かぶホランツの目は自分も迫り来る木剣も見ていなかったのでは?
 何故か自分の背後を見て驚いていたような……? 

「お嬢様? どうなされました」

「いえ、なんでもないわ」

 気の所為だろうと自分に言い聞かせた。
 あの時自分の背後に居たのは審判をしていた執事長のみ。
 そして、あの瞬間激しい殺気を背後に感じた気がした。
 しかしアレはほんの刹那の時間。
 剣の修練を積んだローズでさえ改めて思い直してやっと気付いたほどの小さな違和感。
 悲鳴を上げて必死で避けているレベルのホランツが感じられるはずも無いだろう。
 そもそもあのタイミングで執事長が殺気を放つ意味も分からない。

 『そうよ。気の所為ね』

 ローズは小説の事で少しセンチメンタルになっているのだろうと、結論付ける事にした。

「あぁ~、そう言えば着替えしていなかったわ。うへ~まだ少し服が湿ってる。気持ち悪いわ」

「やっとお気付きになられましたか。何度かお伝え申しましたのに、本当にお嬢様は一つの事が気になり出すと止まらない所はちっともお変わりになりませんね。その癖すぐに飽きてしまうのですから。ふぅ~湯浴みの準備は整っておりますよ。さぁ参りましょう」

「はぁ~い。早くさっぱりしたいわ~」

 ローズは先程まで湧いて出ていた数多の疑問を放り出し、すっかり母親振りが板に付いた浴場へと先導するフレデリカの後ろをウキウキ気分で付いていった。
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