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第三章 当世合戦絵巻

1.江戸のおまわりさん(四)

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 その青年藩士は高梨恭一朗と名乗った。
 突然の訪問に戸惑いもせず、秋司と冬儀を温かく迎えながらも、こちらの話を絶妙に引き出し冷静に値踏みしている。
 さすがは新徴組で隊を率いられる御方よ。前線に立つ武士の姿に冬儀は感服した。

 左手を軽く頬に添え、ふむ…と目を閉じ考え込む恭一朗。おもむろに目を開けると、今一度確認するように冬儀の話をくり返す。

「では武崎殿と松波殿は、賊の元で働くその町人を救出したいと。そこに我らの助太刀が欲しいと。救出したい理由は、御家の御事情ゆえ明かせぬと…そう申されるのだな?」

「…はい」

 冬儀は静かにうなずいた。

「しかし高梨殿はきっと今思われていることでしょう。何故なにゆえ我ら新徴組がわざわざ、と」

「ふふ…。武崎殿は人の心を読まれるのか」

 恭一朗は冬儀のさかしげな佇まいにどこか期待を寄せながら次の言葉を待つ。冬儀は居住まいを正し、改めて恭一朗に向き合った。

「ですが高梨殿。これは新徴組の皆様にとってまさに好機なのです。味方の犠牲を最小限に抑えながら根城に奇襲をかけ、一網打尽にすることが可能になるのですから」

「…と、言うと?」

「私たちは、救出したいその者を密偵に仕立て上げるつもりです。その者を通じて、あらかじめ内部の構造や状況を徹底的に調べ上げます。その上で作戦を練れば…当然勝率は上がるでしょう」

「ほう…」

「それだけではありません。高梨殿の御配下を、事前の偵察のため…一見いちげんを拒むその賭場に送り込むことも可能です。賭場に繋がる町人が私たちのがわにいるのです。その町人と私たちとは…同じ人物を夜盗一味から奪還する目的において、完全に一致しています」

 秋司は緊張した面持ちで、冬儀と恭一朗のやりとりを見つめている。
 ――頼むぞ、冬儀…!

 冬儀は流れるように言葉を続けた。

「敵の本拠地に攻め込めば、普段は表に姿を現さない幹部の捕縛が可能となり、新徴組の皆様の闘争の駒を…進めることができます」 

「武崎殿。何故そのことが、我々新徴組の益になると…?」

「失礼ながら…賊との抗争はもはや膠着こうちゃく状態であると…私はそう、拝察しております」

 恭一朗は思わず右の眉を持ち上げる。それは面白い物に出会った時の恭一朗の癖だった。冬儀は自らの分析を冷静に、かつ忌憚きたんなく述べていく。

「新徴組の皆様は、守るに必死とお見受け致します。限られた隊員数をもって神出鬼没の賊と対峙しつつ、定時の御見回りもされ…日々その明け暮れに終始し、賊を根本から断つ余裕がおありにならない、と」

「ははは…。巷では英雄のごとく持て囃される我々も…武崎殿にかかれば自らの尾を必死に追いかける犬のごとし。まるで形無しだな」

 恭一朗は高らかに笑いつつ、言外に肯定の意を示す。
 朗々と持論を述べる冬儀に、秋司は心の中で称賛を送った。
 ――冬儀、お前いつの間に…。こんなにも堂々と、己の考えを述べられる男に…。

 恭一朗は冬儀にうなずいてみせる。

「…悪くない。武崎殿。実は丁度私も…実戦にて試したいことがある」

「利害一致ということですね」

 ふっと笑顔を見せた冬儀は、再び表情を引き締め恭一朗をじっと見る。

「密偵に仕立て上げる、とらわれた町人の件ですが…。私と松波の目的は、その者を生きたまま救出し、ある件についての証言を得ることです。しかし面識は無く、私たちとの関係性の構築はこれからの話。ですから高梨様。その町人と、手引き役を務めさせる町人からの圧倒的な信頼を勝ち得るためには…彼らに分かりやすい餌を渡す必要があります」

「…救出する男の、減刑ということか」

「はい。その男、賊の押し込み事案には加担しておらぬ様子。罪状は賭場の開帳のみのようです。ですが賭場の開帳だけでも、本来ならば死罪か流刑。そこを密偵としての働きに免じ、高梨殿からお奉行様にご嘆願いただき…何とかひとつでも、二つでも軽く…」

「うむ。そこはひとえに御公儀の御判断ゆえ、ここで迂闊うかつなことは言えぬし、その町人の実際がどうなのかは、無論調べてみてからの話だが…」

 慎重に言葉を選ぶ恭一朗。頭の中ではその利害を冷静に分析している。

「確かに今時点で、不可能だとも言えまい。そうだな、確証が取れれば私からも進言を惜しまぬゆえ…その者にあらかじめ条件として申し伝えても…うむ、構わぬだろう」

「かたじけない。ですがお調べの中で、その者の罪状が私どもの把握よりも重いようなら…。こちらの目的さえ先に果たせれば、高梨様の最終的な御判断については…異議を申し立てませぬ」

 ――情に流されず、道理もわきまえていると言いたいのだな。武崎殿は旗本家の用人だと申していたが、なかなかに肝の据わった男のようだ。
 確かに、勝算の高い手入れで賊の頭領を生け捕りにし、厳しい調べにかけて証言を得れば…私たちの追う、夜盗どもの裏に潜む真の敵の姿が…見えるやも…。
 恭一朗は心の中でそっとうなずいた。

「武崎殿。まだまだ詰めねばならぬが…ああ、そうだな、私の結論としては…。貴殿たちの条件を受け入れ、貴殿たちと共闘することに、一定の価値を感じている」

 秋司は思わず身を乗り出す。

「ありがたい…! 恩に着る、高梨殿。力を合わせ、共に夜盗どもをぶっ潰そう…!」

 恭一朗の傍らの凛は好ましく秋司を見た。
 ――松波殿は、男らしくて豪快なお方だ。男ならば…私もこうありたいものだな。

 凛は秋司を真似て、勢いよく言葉を発する。

「ええ、松波殿。奴らの根城に殴り込みましょう…!」

「はは、弟君は威勢がいい。どうやら俺と話が合いそうだ。よろしくな、凛太朗殿。俺たちはこれから共に戦う仲間だ」

 熱く盛り上がる二人の傍らで、恭一朗と冬儀は膝を突き合わせ早速策を練り始めている。凛はそんな二人の様子を見て、可笑しそうに笑った。

「はは、まるで兄上が二人に増えたようだ。そのように堅苦しくしかめ面をなさいますな。男ならまずは勇ましく、ときの声でも上げようではありませんか。『激水げきすいはやくして、いしただよわすにいたるはせいなり』。戦に必要なのは勢いであると、孫子そんしも説いておられますぞ」

 冬儀は静かに凛に向き直り、言葉を返す。

「凛太朗殿。『をもってらんち、せいをもってつ』。孫子はこうも説いておられます。つまりは勢いも、知も、静も、戦において優劣は無い。となれば、私たち四人はこの全てを兼ね備えた…最強の集団ということになりますね」

 微笑む冬儀の顔を、凛は憮然として眺めた。
 ――理屈っぽい男だ、それでも武士か! 御託ごたくを並べるだけなら学者にでもなればいい。

 顔をしかめた凛に秋司は笑う。

「ま、凛太朗殿にもそのうち分かるさ。冬儀ならではの…強さってやつが、な」 


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