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第一章 遠邊家顛末記

4.盛会(二)

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 すっかり熱くなった誠之助はどんどん大胆になる。ちまちまと賭けていたのが進むにつれ、高くコマ札を重ねるようになった。途中負けもしたが、なんだかんだで五枚が十枚になり、十枚が二十枚になり…段々と倍々になって行く。
 大勝負に出た八十枚は百六十枚になった。

「すげぇな! お見それしました、誠之助様。これだけありゃあ、テラ銭を引いたって、元手の十五倍は固いぜ」

「朝陽、信じられないよ。翠に毎日会える」

 無邪気に喜ぶ誠之助を、朝陽はからかう。

「毎日じゃ、さすがに飽きちゃいますよ?」

「飽きるはずがない。翠も喜ぶだろうな」

 嬉しそうな翠の顔を思い浮かべ、誠之助は今すぐにでも会いに行きたくなった。

「ふうん。そりゃあまた…お熱いこって」

 思わず険しい顔をした朝陽は、気を取り直すかのように明るい声を出す。

「どうです。今日はもうこの辺でやめときますか。勝ち逃げってやつですよ」

 朝陽の提案に誠之助はうなずいた。

「そうだな。ここから負けてしまっては元も子もない。それに…ああ、ずいぶん遅くなってしまった。うん。今日はもう帰ろう」

 二人の帰り道は大いに盛り上がった。

「いやあ、楽しかった! 見てる俺まで楽しませて頂いちゃいました」

「御禁制になるのも分かるよ。あんなに楽しい思いをして、しかも月の小遣いをはるかに超える金を持って帰れるだなんて…」

 一両と金十四朱。
 その煌めきは誠之助が初めて知る勝利の味だった。

「ね、誠之助様。次はいつ行きますか? 俺いつだってお供しますからね。これからばんばん行きましょうよ」

「はは、あの楽しさは少し癖になるな」

 くすくす笑いながら屋敷の前まで来て、通用口からそっと中に入る。

 次の瞬間二人の背中が凍り付いた。

 目の前に厳しい表情で立ちはだかるのは冬儀。月明りに照らされて、色白な冬儀の顔色は一層冷たく青ざめて見える。

「お帰りなさいませ誠之助様。このような時刻まで一体どちらへ?」

 朝陽は慌てて誠之助の前に出た。

「武崎様すみません、俺が飲みに誘って…」

「朝陽。そなたには聞いておらぬ」

 片方の眉をきりりと上げ冷ややかに言い放つと、冬儀は誠之助に向き直る。

「誠之助様。最近では江戸もずいぶんと物騒になっております。誠之助様にもしものことがあっては困ります。このような深い時間の外出はもう二度と…おやめください」

 誠之助はいつになく挑戦的な眼をした。

「一体何が困る。私がいなくなっても遠邊家は何も困らないじゃないか」

 冬儀は諭すように誠之助をじっと見る。

「誠之助様は遠邊家の大切な御長男です。それに…当然ながら誠之助様がいらっしゃらなければ、私と秋司が悲しみます」

 誠之助は思わず目を伏せた。

「冬儀…分かってくれ。私はずっと馬鹿真面目に生きてきた。少しは私も若者らしく、楽しく暮らしたいんだ。朝陽はそれを理解し付き合ってくれている。今後も改める気はない。だから私のことはもう…放っておいてほしい」

「誠之助、様…」
 
 立ち尽くす冬儀をゆっくり通り越した誠之助は、二、三歩進んだところでふと立ち止まり、振り返らずに言葉をつないだ。

「でも冬儀…。寒い中待っていてくれて…ありがとう。心配をかけて済まなかった。ゆっくり休んでくれ。…行こう、朝陽」

 朝陽は一礼すると誠之助を追いかける。その後ろ姿を見送りながら、冬儀は唇を噛み締めた。
 ――いけない、このままでは。
 きっとお辛いのだろうと思う。奉公人や下人どもの陰口が針のむしろのようで、耐えがたくお思いなのだ。

 冬儀は誠之助の心をおもんばかる。
 最近屋敷では、講武所から足が遠のいた誠之助に対し嫡男としての自覚を問う声が出ている。発言力を増した志野がその先鋒だった。
 ――しかし、どうにも合点が行かぬ。

 講武所通いは御公儀から課された義務ではある。しかし誠之助様ばかりに行かせずとも、そもそも当主である深月にも等しく義務はあるはずだった。
 ――都合良く誠之助様にばかり御役目を押し付けておいて、何という浅ましさだ…!

 志野の権勢もしかり、昨今のどこかいびつな遠邊家。
 それを正す時が来たと冬儀は思う。
 ――やはり許せぬ。これ以上我慢ならない。明日朝一番で高瀬様に御意見申し上げよう。
 遠邊家の跡継ぎは変わらず誠之助様ただおひとりなのだと、皆に知らしめるのだ。

 たったひとり、行く先に不安を抱く誠之助を思い、冬儀はたまらない気持ちになった。

 ――私にできる最善のことは…確かにそれで間違いないだろうか。

 足を運びかけ、冬儀は立ち止まる。
 胸騒ぎを覚えながら見上げた空には、冴え冴えとした月が何も言わずに浮かんでいた。
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