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第一章 遠邊家顛末記

4.盛会(一)

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 朝陽が誠之助を導いたのは、江戸城下の丸ノ内。さる大名の江戸屋敷の廃墟だった。

 開国以来弱まった公儀の求心力。参勤交代が劇的に緩和され、人質として江戸に置かれた妻子の帰国も許可されて、多くの江戸市中の大名屋敷が空き家となった。

 これ幸いとそこに入り込み根城にしたのが盗賊団や夜盗のたぐいである。まさに跳梁跋扈ちょうりょうばっこ。江戸の町の治安は極度に悪化していた。

 さらに江戸城本丸が失火で焼失してしまい、将軍徳川家茂いえもちは本拠地を京都の二条城に移す。
 これに追随した大名たちは本格的に江戸屋敷を捨て、丸ノ内一帯は廃墟と化した。

 賭博は御禁制だが、ならず者との親和性は極めて高い。朝陽はそんな廃墟のひとつで開帳される大きな賭場に誠之助を導いたのだった。

 荒れた屋敷の表門には眼光鋭い男たちがうろうろしている。
 見張りなのだろう。朝陽と誠之助が近づくと、すごみを利かせながらゆらりゆらりと集まってきた。

「誠之助様はここでお待ちくださいね」

 朝陽は落ち着き払って男たちに近づき、何かをぼそぼそと話す。
 誠之助に集まる男たちの視線。品定めされているようで身が細る。

「さ、誠之助様。行きましょう」

 あまりの心細さに誠之助は正直朝陽に縋りつきたいほどだった。だが意にも介さぬ様子で堂々と中へ入っていく朝陽。誠之助はつくづく自分が情けなくなる。
 ――私は結局、お坊ちゃん育ちか…。

 萎えてしまいそうな気持ちを、翠を思うことで奮い立たせる。
 ――駄目だ、恐れるな! 

 しかしそんな誠之助のなけなしの勇気は、喧噪渦巻く奥座敷へ入った途端に雲散うさんした。

 広い座敷には大きな緋毛氈ひもうせんが敷かれ、四辺に沿って大勢の男たちが座を囲んでいる。
 正面に居並ぶのは胴元の男たち。その中心を壺振りが陣取る。胸から腿に巻かれたさらしの他は、派手な彫り物で飾り立てた素肌がむき出しだ。
 その左右を眼光鋭い男たちがずらりと固め、張った、張った、と大声で盛り上げている。着物の柄は太い縞や派手な文様ばかりで、堅気でないことをひけらかしているようだ。

 とり囲む客は皆上気した面持ちで熱く身を乗り出し、座は大いに沸いていた。

 やり取りされているのは小さな木の札だ。ひと勝負終わるごとに胴元が長い棒を使い、負けた客の札山を回収し、勝った客へと押しやっている。

 ひしめく男たちとうずまく熱気。うねるような歓声と悲嘆の声。情念が迫り来るかのようで、思わず誠之助は後ずさりをした。

「誠之助様。では、お手を拝借」

 朝陽はいたずらっぽく笑いながら手の平を差し出して来る。緊張が限界だった。誠之助は朝陽の手を取り、並んで座についた。

「いいですか。壺振りがああして二つのさいころを壺の中に放り込みます。伏せた壺を上げた時、二つのさいころの目の数を足して偶数なら『丁』、奇数なら『半』。確率は半々ってことです。丁半どっちなのか、それを予測して賭けるんですよ。ね、簡単でしょ?」

 誠之助は少し安心して、うん、とうなずいた。

「誠之助様。俺に金を渡してください。あの木の札、『コマ札』って言うんですが、あれに換えてこなきゃいけないからさ」

 誠之助は金二朱を渡す。翠の揚げ代と同額である。朝陽はそれを十枚のコマ札にして戻ってきた。あまりの少なさに誠之助は驚いた。

「十枚にしかならないのか」

「ツイてりゃこれがあっという間に百枚になる。いいですか、丁に賭ける時は横向きに、半に賭ける時は縦に置いてくださいね」

 誠之助は目の前の勝負を観察する。

「半ないか、半ないか」

 胴元側の男が声を張り上げている。

「あれは何を言っている?」

「丁と半、どっちかに偏ったら、『中盆』って役目のあの男が足りないほうに賭けて、同じ数に合わす決まりです。けどその目が外れたら、胴元側が損しちまうでしょ? だからなるべく客だけで半々になるように、ああして声をかけて心変わりを誘うんです」

「胴元にも持ち出しがあるのか。なら一体どうやって儲けるんだ?」

「テラ銭って言って、勝った客からピンハネするんですよ」

「…ピンハネとは、何だ?」

「満額払わず手数料を引いて、って…誠之助様、まぁひとまずやってみましょう!」

「…入ります」

 壺振りが、からんとさいころを壺に放り込み、床に敷かれた白い布の上に、たんっと伏せる。左の手の平を上向きにして腿に乗せ、右手で三回壺を前後に動かすと、その手のひらも上向きにして右腿に置いた。

「細工をしてないことを、あれで示してるんです。さ、誠之助様。どっちに賭けますか」

 誠之助は一瞬迷ったが丁に賭けることにし、コマ札を一枚横向きに置いた。
 中盆はぐるりと座を見渡す。

「えぇ、丁、丁、半、丁、半…」

 参加者の賭けた目を確かめているようだ。

「…半ないか、半ないか」

 客の幾人かがコマ札を縦に直す。

「コマ、出揃いました。勝負っ」

 壺振りが壺を上げる。出た目は四と六。

「シロクの、丁っ」

 おおっ…。悲喜こもごもの声が重なる。

「やった! 誠之助様、冴えてますね」

 胴元が、コマ札を一枚こちらに寄越した。

「ほら二枚に増えた。どうです、このまま次はこの二枚を賭けましょうよ」

 そうだな、と誠之助はうなずく。

「…入ります」

 二枚のコマ札を重ね、今度も横向きに。

「えぇ、丁、半、半、丁、半…」

 中盆が客の手元を確かめて行く。

「丁ないか、丁ないか」

 ――丁を選ぶ者が少ないのだな。しくじったか?

「コマ、出揃いました。勝負っ」

 どっちだ!

「ピンゾロの、丁っ」

 一が、二つ。
 おおっ! 誠之助と朝陽は顔を見合わせ笑った。

「また当たったよ! 誠之助様、こりゃあツキが来てますね」

 二枚のコマ札が四枚に増えた。
 面白い。最初の緊張はどこへやら、誠之助はだんだんと勝負に夢中になってきた。

「…入ります」

 誠之助は四枚札を重ね今度は縦に置き、半の目に賭けた。

「よし、半、半、丁、丁、半…」

 ――さすがに三回同じものは続かないだろう。

「コマ、出揃いました。勝負っ」

 こいっ!

「グイチの、丁っ」

 五と一。まさかの三度連続の丁。せっかく増やしてきた四枚のコマ札は、あっさり回収されてしまった。

「…入ります」

 手元から二枚のコマ札を出し、再び半の目に賭ける。

「行きますねぇ。さすが男ですねぇ!」

 朝陽は誠之助の背中をぽんぽん叩いた。

「えぇ、半、丁、丁、半、半、半…」

 この期に及んでもう一度丁に張る者もいるとは?
 しくじったか? 誠之助は弱気になった。

「コマ、出揃いました。勝負っ」

 頼むっ! 
 白布の上に鎮座する目は…果たして三と六。

「サブロクの、半っ」

 よおっし! 
 誠之助と朝陽はぐっと拳を握りしめた。
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