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シェアハウス編
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『ダブダブ』で働き始めてまもなく、透さんと出逢った。洗練された外見も、クールな内面も、ストライク、ドンピシャだった。
社内のデザイン全般を担当している彼と仕事をしていく中で周りの先輩や同僚が軒並み彼に恋をして、でもぼくは、そっと見守ってた。
だけど、そうこうしてるうちにヒートで暴走した数人が透さんを巻き込んで揉めて、彼はあっさり会社に姿を現さなくなってしまった。
何も出来ないうちの失恋。
仕方がないと諦めようとしたけれど、まるで忘れないように仕向けられてるみたいに、透さんは時々会社にやってきた。そうやって、生煮えの恋を引きずって2年。会社の移転に伴って新事務所の内装を彼が手掛けると知ってテンションは一気に上昇。
けど担当は松崎と知ってテンション急降下。
なんで。なんであいつなんだ。すごいムカついた。
ぼくは松崎留丸が嫌いだ。理由は簡単。ダサイから。おまけにバカだから。さらに言うなら誰にでもいい顔をして、NOが言えないから。
あいつが凄まじい環境にいたことに同情する余地はない。
そうなったのは、多分にあいつ自身が人任せの人生を送っていることにある、と断言できるからだ。
馬鹿みたいに人を信じすぎ。
人を信じることはぼくにとっては美徳でもなんでもない。
危機管理能力と警戒心の欠如の結果、貧乏くじを引きまくったのがあいつってこと。
自業自得だよ。そのくせ何があってもヘラヘラ笑ってんのが、ほんと癪に障る。
あいつを見てると、もっともっと痛い目にあえばいいのにと思う。
苛めたくなる。チクチク苛めてやってもやっぱりヘラヘラ笑ってるから、馬鹿すぎることに頭に来てまたチクチクやりたくなる。
騙される方が悪い。傷つけられる方が悪いんだ。
それだけのことをされても、まだ笑ってる。
笑えなくしてやりたい。
向き合った時にぼくを見る目が澄んでるから、壊したくてたまらなくなるんだ。
事務所の移転と同時にパンフやリーフレット、カタログやチラシ、ホームページなどほとんどを一新することになって、広報部門の仕事を担当することが多かったぼくが透さんと組んで仕事をすることになった。
もう、天にも昇る気持ち。
前回とは違う。遠巻きじゃなく、面と向かって話が出来る。恋をしてる自覚はあったけど、自分の中では一気に大きな炎になって、どうしても彼を自分のものにしたくてたまらなくなった。
いや……ぼくを彼のものにしてほしいんだ。
ぼくを見て欲しい。彼は驚くほど仕事一途でこのぼくに個人的興味は一切ないって態度だったから余計に必死になった。
ファッションに気合を入れて、メイクや香水も……香水はつけすぎるっていう超初歩的ミスを犯して怒られたけど、むしろそれが初めて彼がぼく個人にくれた言葉だったから、落ち込みながらも関係が少し進んだ、と喜ぶ自分もいた。
そんな中で、松崎が透さんとタメ口で喋るのに気付いた。
そこから注視するようになって、透さんが松崎をよく見ていることにも気付いた。
衝撃だった。
いつから?あの、ふたりで打ち合わせしてたときから?
会議室から出てきた様子をみても透さんは松崎をまるで相手にしてなかったし、松崎の気持ちにはすぐに気付いたけど、いっちょ前に透さんを好きになるんだ、なんて馬鹿にしてたのに。
あの馬鹿な松崎が。このぼくを差し置いて、透さんに近づいてる。
油断したはずはないのに、いつの間にかカメが先を歩いてる。
それは久し振りに感じた本気の怒りだった。
その怒りに任せて言葉をぶつけた。透さんの前でズタズタにしてやりたかった。
それなのに、あいつは蒼白になりながらも笑ってて、もうこいつは救いようのない馬鹿だって治まらないイライラが爆発しそうになってたら、透さんがあいつを一喝したんだ。
矛盾するけど、ぼくはそれで透さんの前で自分がしていたことに気が付いた。
あいつを傷つけたことは一切後悔してない。
ただ、サディスティックな自分の本性を見せてしまったことへの動揺から、店を出て行った彼を追いかけた。
「透さん!」
何を言えばいいか分からないまま、歩道へ続く階段を上がって行く透さんを呼び止めた。
振り向いた彼の顔は、彼が街灯を背に受けているせいでよく見えない。
何を言えばいい……何を……
どんなピンチも口八丁手八丁で切り抜けてきたのに、透さんを前にしたら、手練手管が通用しなくなった無力な自分がいた。
「あの……すみません」
まるであいつみたいに、意味もない謝罪をする。
愚かなカメに並ぶ自分を、心底憎む。
すると透さんは、「金塚さんは、もっと普通に生きたらどうですか」と平坦な声で言った。
「あなたが松崎さんをなんと思っていてもそれは私には関係がありません。でもそれだけの知識と教養がありながら、何故あの無力でなにも持たない人をそこまで敵視するんです?
博識といっても知識を自分のものにするべく熟考する人間は少ない。あなたはその少数のひとりでしょう。何故そんなに自分を飾り立て、浅薄な会話しかしない人間を周りに置くんです。あなた、あの人たちと一緒にいて楽しいんですか。
先程の行為は愚かでしかありませんが、もっと愚かなのは自分を偽り、顧みない事です。
その一点において、あなたの嫌いな松崎さんは、あなたより優れている。まぁあの人の場合は自分を偽る知恵も技術も持たないだけですが」
透さんの声は変わらず平坦だったのに、僕はそこに松崎への好意を嗅ぎ取った。
悔しくて……あいつに劣ると言われたことが悔しくて……でも、心のどこかに彼が言っていることが正しいと分かっている自分がいて、それが尚の事悔しかった。
「ぼく……あなたのことが好きなんです」
何故、今。
それは、ぐうの音も出ないほど真実を突きつけられた自分が、唯一彼の耳に届けられる言葉だったから。
透さんはそれを聞いても何も言わなかった。
「ぼくがぼくを偽るのをやめたら……ぼくのことを見てくれますか」
裸にされた自分が、正直な気持ちを話す。
これなら文句ないだろう、と挑むように。
「さあ。あなたがどう生きるかはあなたの問題ですから」
「ぼくの問題なのに、随分言ってくれたじゃないですか」
「言わずにはいられない性分なんです。まぁ、これからも仕事でお会いしますし、見ざるを得ないんじゃないですか」
「ぼくを見てってのはそういう事じゃないです。分かってるくせに」
僕がそう言うと、透さんは小さく笑って「じゃあ、また」とぼくに背を向け、階段を上がって視界から消えた。
ぼくはそこに立ち尽くしたまま、歩道を行き交う人たちを下から見上げて、まるで変わってしまった世界に愕然としていた。
すべてがクリアだ。
ぼくは一体今まで、どうやって生きていたのか。
「金塚さん!王様は!?」
「怒ってた!?」
後ろから来た下村と町田の声が、ぼくの外側を滑ってく。
「悪いけど、今後ぼくに一切関わらないで」
ぼくが睨みつけると、ふたりは唖然として事態が分かってない顔をした。
我ながら勝手だけど、気付いたらもう後戻りは出来ない。
「ぼくの傍にいれば色々おこぼれが貰えるからってケツをついて回る、その卑しい根性に辟易したってことだよ」
ぼくはふたりに背を向けて、階段を上った。
後ろからネットリした悪意が足を掴もうとするのを振り切るように最後は駆け上がり、驚いた歩行者に微笑みを返して。
目覚めて迎えた毎日は決してキラキラしてないけど、少なくとも前よりも自分を生きているという実感はある。
そして、ぼくはまだ透さんが好きだった。
仕事で彼と連絡を取る時──間にあった見えない壁が少し薄くなったように感じるのは、ぼくが自分を偽っていたその皮がなくなった分なんだろう。
彼が、いつかぼくを見てくれますように。
ぼくを好きになりますように。
実は運命の番だった、なんてことになりはしないかと……ぼくは馬鹿みたいなことを夢見ている。
番外編 END
社内のデザイン全般を担当している彼と仕事をしていく中で周りの先輩や同僚が軒並み彼に恋をして、でもぼくは、そっと見守ってた。
だけど、そうこうしてるうちにヒートで暴走した数人が透さんを巻き込んで揉めて、彼はあっさり会社に姿を現さなくなってしまった。
何も出来ないうちの失恋。
仕方がないと諦めようとしたけれど、まるで忘れないように仕向けられてるみたいに、透さんは時々会社にやってきた。そうやって、生煮えの恋を引きずって2年。会社の移転に伴って新事務所の内装を彼が手掛けると知ってテンションは一気に上昇。
けど担当は松崎と知ってテンション急降下。
なんで。なんであいつなんだ。すごいムカついた。
ぼくは松崎留丸が嫌いだ。理由は簡単。ダサイから。おまけにバカだから。さらに言うなら誰にでもいい顔をして、NOが言えないから。
あいつが凄まじい環境にいたことに同情する余地はない。
そうなったのは、多分にあいつ自身が人任せの人生を送っていることにある、と断言できるからだ。
馬鹿みたいに人を信じすぎ。
人を信じることはぼくにとっては美徳でもなんでもない。
危機管理能力と警戒心の欠如の結果、貧乏くじを引きまくったのがあいつってこと。
自業自得だよ。そのくせ何があってもヘラヘラ笑ってんのが、ほんと癪に障る。
あいつを見てると、もっともっと痛い目にあえばいいのにと思う。
苛めたくなる。チクチク苛めてやってもやっぱりヘラヘラ笑ってるから、馬鹿すぎることに頭に来てまたチクチクやりたくなる。
騙される方が悪い。傷つけられる方が悪いんだ。
それだけのことをされても、まだ笑ってる。
笑えなくしてやりたい。
向き合った時にぼくを見る目が澄んでるから、壊したくてたまらなくなるんだ。
事務所の移転と同時にパンフやリーフレット、カタログやチラシ、ホームページなどほとんどを一新することになって、広報部門の仕事を担当することが多かったぼくが透さんと組んで仕事をすることになった。
もう、天にも昇る気持ち。
前回とは違う。遠巻きじゃなく、面と向かって話が出来る。恋をしてる自覚はあったけど、自分の中では一気に大きな炎になって、どうしても彼を自分のものにしたくてたまらなくなった。
いや……ぼくを彼のものにしてほしいんだ。
ぼくを見て欲しい。彼は驚くほど仕事一途でこのぼくに個人的興味は一切ないって態度だったから余計に必死になった。
ファッションに気合を入れて、メイクや香水も……香水はつけすぎるっていう超初歩的ミスを犯して怒られたけど、むしろそれが初めて彼がぼく個人にくれた言葉だったから、落ち込みながらも関係が少し進んだ、と喜ぶ自分もいた。
そんな中で、松崎が透さんとタメ口で喋るのに気付いた。
そこから注視するようになって、透さんが松崎をよく見ていることにも気付いた。
衝撃だった。
いつから?あの、ふたりで打ち合わせしてたときから?
会議室から出てきた様子をみても透さんは松崎をまるで相手にしてなかったし、松崎の気持ちにはすぐに気付いたけど、いっちょ前に透さんを好きになるんだ、なんて馬鹿にしてたのに。
あの馬鹿な松崎が。このぼくを差し置いて、透さんに近づいてる。
油断したはずはないのに、いつの間にかカメが先を歩いてる。
それは久し振りに感じた本気の怒りだった。
その怒りに任せて言葉をぶつけた。透さんの前でズタズタにしてやりたかった。
それなのに、あいつは蒼白になりながらも笑ってて、もうこいつは救いようのない馬鹿だって治まらないイライラが爆発しそうになってたら、透さんがあいつを一喝したんだ。
矛盾するけど、ぼくはそれで透さんの前で自分がしていたことに気が付いた。
あいつを傷つけたことは一切後悔してない。
ただ、サディスティックな自分の本性を見せてしまったことへの動揺から、店を出て行った彼を追いかけた。
「透さん!」
何を言えばいいか分からないまま、歩道へ続く階段を上がって行く透さんを呼び止めた。
振り向いた彼の顔は、彼が街灯を背に受けているせいでよく見えない。
何を言えばいい……何を……
どんなピンチも口八丁手八丁で切り抜けてきたのに、透さんを前にしたら、手練手管が通用しなくなった無力な自分がいた。
「あの……すみません」
まるであいつみたいに、意味もない謝罪をする。
愚かなカメに並ぶ自分を、心底憎む。
すると透さんは、「金塚さんは、もっと普通に生きたらどうですか」と平坦な声で言った。
「あなたが松崎さんをなんと思っていてもそれは私には関係がありません。でもそれだけの知識と教養がありながら、何故あの無力でなにも持たない人をそこまで敵視するんです?
博識といっても知識を自分のものにするべく熟考する人間は少ない。あなたはその少数のひとりでしょう。何故そんなに自分を飾り立て、浅薄な会話しかしない人間を周りに置くんです。あなた、あの人たちと一緒にいて楽しいんですか。
先程の行為は愚かでしかありませんが、もっと愚かなのは自分を偽り、顧みない事です。
その一点において、あなたの嫌いな松崎さんは、あなたより優れている。まぁあの人の場合は自分を偽る知恵も技術も持たないだけですが」
透さんの声は変わらず平坦だったのに、僕はそこに松崎への好意を嗅ぎ取った。
悔しくて……あいつに劣ると言われたことが悔しくて……でも、心のどこかに彼が言っていることが正しいと分かっている自分がいて、それが尚の事悔しかった。
「ぼく……あなたのことが好きなんです」
何故、今。
それは、ぐうの音も出ないほど真実を突きつけられた自分が、唯一彼の耳に届けられる言葉だったから。
透さんはそれを聞いても何も言わなかった。
「ぼくがぼくを偽るのをやめたら……ぼくのことを見てくれますか」
裸にされた自分が、正直な気持ちを話す。
これなら文句ないだろう、と挑むように。
「さあ。あなたがどう生きるかはあなたの問題ですから」
「ぼくの問題なのに、随分言ってくれたじゃないですか」
「言わずにはいられない性分なんです。まぁ、これからも仕事でお会いしますし、見ざるを得ないんじゃないですか」
「ぼくを見てってのはそういう事じゃないです。分かってるくせに」
僕がそう言うと、透さんは小さく笑って「じゃあ、また」とぼくに背を向け、階段を上がって視界から消えた。
ぼくはそこに立ち尽くしたまま、歩道を行き交う人たちを下から見上げて、まるで変わってしまった世界に愕然としていた。
すべてがクリアだ。
ぼくは一体今まで、どうやって生きていたのか。
「金塚さん!王様は!?」
「怒ってた!?」
後ろから来た下村と町田の声が、ぼくの外側を滑ってく。
「悪いけど、今後ぼくに一切関わらないで」
ぼくが睨みつけると、ふたりは唖然として事態が分かってない顔をした。
我ながら勝手だけど、気付いたらもう後戻りは出来ない。
「ぼくの傍にいれば色々おこぼれが貰えるからってケツをついて回る、その卑しい根性に辟易したってことだよ」
ぼくはふたりに背を向けて、階段を上った。
後ろからネットリした悪意が足を掴もうとするのを振り切るように最後は駆け上がり、驚いた歩行者に微笑みを返して。
目覚めて迎えた毎日は決してキラキラしてないけど、少なくとも前よりも自分を生きているという実感はある。
そして、ぼくはまだ透さんが好きだった。
仕事で彼と連絡を取る時──間にあった見えない壁が少し薄くなったように感じるのは、ぼくが自分を偽っていたその皮がなくなった分なんだろう。
彼が、いつかぼくを見てくれますように。
ぼくを好きになりますように。
実は運命の番だった、なんてことになりはしないかと……ぼくは馬鹿みたいなことを夢見ている。
番外編 END
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