たとえ月しか見えなくても

ゆん

文字の大きさ
上 下
27 / 47
第一部

bye-bye my dear

しおりを挟む
僕はふらふらと鉄階段を上った。足の感覚が遠い。ひどく息が切れて、手すりに縋るように進んだ。

透にあれを見られたら、僕は生きていられない。

いや、本当はとっくに死んでたんだ。死んだのを忘れて透と生きている夢を見てた。

僕は夜に生きるために生まれ、夜の中に死んだんだ。

日の光に憧れた夜の世界の化け物が焼かれて灰になるように、僕は光の体を失って、今、本当の現実というものを取り戻した。



自分の部屋に入り、一番大きなカバンを取り出した。

透が選んでくれた服を仕舞い、机の引き出しからこれまで透が書いてくれたメモやイラストの紙を挟んだクリアファイルを取り出してそれもカバンに入れた。

透が似合うと言ってくれたアイボリーのマフラーも。透が僕を想って描いてくれた油絵も。

僕から奪って被って、「あんた頭でかいな」と透がふざけて笑った帽子キャップ……

思い出がほろほろ零れて、いつの間にか泣いている。

腕に涙を吸わせて、カンバスを入れたせいで変にまっすぐな所のあるカバンのチャックを締めた。



レポート用紙を出して辞表を書き、封筒に入れる。

もう一枚の紙に透への手紙を書こうとして……涙で歪んで何も見えないから、それを拭って「ありがとう。さようなら」だけをやっと書いて、机の上に残した。

カバンを掴んで部屋を出た。

透の部屋のドアの前で立ち止まり、また涙を拭ってそっとドアを開けた。

大好きな透の匂い。

ふらふらと部屋の中に入りクローゼットを開けて、普段透がよく着てるTシャツを一枚掴み出し、くん、とその匂いを吸い込んだ。



「ごめんね……1枚だけ、ちょうだい……」



そこにいない透に謝ってそれをもう一度チャックを開けたカバンに仕舞い、部屋を出た。

振り向くと涙がまた溢れるからまっすぐ前を向いたままリビングを突っ切り、靴を履いて玄関のドアを開けて、そしてもう二度と聞くことはないだろう鉄階段の音を耳に刻み付けるように、ゆっくりと下に降りた。

入口のドアハンドルに手をかけ、我慢できずに振り返る。

透のアトリエ──僕たちの始まり。



透……

透……透……!

大好き……大好きだよ……!



思い出すのは彼の低い声……ちょっと意地悪な笑顔……でも同時にさっき見たばかりのあの動画を生々しく思い出して、吐きそうになった。

汚い……汚い、汚い……汚い……!!

頭を振り、勢いよくドアを開けて外に出た。黒い車の中の谷光さんがこっちを見ている。

僕は鍵を締めて、見上げた。僕の夢のすべてを。

振り切るように背を向けて、早足で歩いた。家から遠ざかるごとに、自分が消えていくようだった。

会社の前に来た時、まだ2階に電気が付いているのが分かった。

そこに至さんがいる。

僕は辞表をポストに入れ、深々と頭を下げた。



至さん。迷惑を掛けます。ごめんなさい。ありがとうございました。本当にありがとうございました。2年とちょっと、僕は夢のような暮らしをすることが出来ました。恩返しが出来なくて本当にごめんなさい。それだけが心残りです……



カバンの持ち手を強く握り、『ダブダブ』に背を向ける。そしてここからは見えない満さんの会社の方へ目をやって──それから、歩き出した。

誰の目にも映らない存在になりたくて背を丸め、真下だけを目に映してただ歩いた。

行先なんてなかった。

どこでも良かった。誰も僕を知らない所なら──



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

孕めないオメガでもいいですか?

月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから…… オメガバース作品です。

幼馴染から離れたい。

June
BL
アルファの朔に俺はとってただの幼馴染であって、それ以上もそれ以下でもない。 だけどベータの俺にとって朔は幼馴染で、それ以上に大切な存在だと、そう気づいてしまったんだ。 βの谷口優希がある日Ωになってしまった。幼馴染でいられないとそう思った優希は幼馴染のα、伊賀崎朔から離れようとする。 誤字脱字あるかも。 最後らへんグダグダ。下手だ。 ちんぷんかんぷんかも。 パッと思いつき設定でさっと書いたから・・・ すいません。

毒/同級生×同級生/オメガバース(α×β)

ハタセ
BL
βに強い執着を向けるαと、そんなαから「俺はお前の運命にはなれない」と言って逃げようとするβのオメガバースのお話です。

α嫌いのΩ、運命の番に出会う。

むむむめ
BL
目が合ったその瞬間から何かが変わっていく。 α嫌いのΩと、一目惚れしたαの話。 ほぼ初投稿です。

花いちもんめ

月夜野レオン
BL
樹は小さい頃から涼が好きだった。でも涼は、花いちもんめでは真っ先に指名される人気者で、自分は最後まで指名されない不人気者。 ある事件から対人恐怖症になってしまい、遠くから涼をそっと見つめるだけの日々。 大学生になりバイトを始めたカフェで夏樹はアルファの男にしつこく付きまとわれる。 涼がアメリカに婚約者と渡ると聞き、絶望しているところに男が大学にまで押しかけてくる。 「孕めないオメガでいいですか?」に続く、オメガバース第二弾です。

オメガの復讐

riiko
BL
幸せな結婚式、二人のこれからを祝福するかのように参列者からは祝いの声。 しかしこの結婚式にはとてつもない野望が隠されていた。 とっても短いお話ですが、物語お楽しみいただけたら幸いです☆

ベータの兄と運命を信じたくないアルファの弟

須宮りんこ
BL
 男女の他にアルファ、ベータ、オメガの性別が存在する日本で生きる平沢優鶴(ひらさわゆづる)は、二十五歳のベータで平凡な会社員。両親と妹を事故で亡くしてから、血の繋がらない四つ下の弟でアルファの平沢煌(ひらさわこう)と二人きりで暮らしている。  家族が亡くなってから引きこもり状態だった煌が、通信大学のスクーリングで久しぶりに外へと出たある雨の日。理性を失くした煌が発情したオメガ男性を襲いかけているところに、優鶴は遭遇する。必死に煌を止めるものの、オメガのフェロモンにあてられた煌によって優鶴は無理やり抱かれそうになる――。 ※この作品はエブリスタとムーンライトノベルズにも掲載しています。 ※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。普段から作中に登場する事柄に関しまして、現実に起きた事件や事故を連想されやすい方はご注意ください。

処理中です...