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第1話 結菜、33代目の夢使いに
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あれから、1時間。部屋の時計が夜8時をさしても獏は姿を見せなかった。
「お父さんの嘘つき……うぅぅ、ダメだ。そんなことより、お腹が空いてもう限界っ……」
結菜はベッドで仰向けになりながら、スマホでファッション誌のWEBページをめくっていた。
どこかで、獏のバクさんが姿を現すことを期待していたのだ。
だが結局、しばらくスマホを見ながらチラチラと天井を観察していたのだが、何も変化は起きなかった。
(こんなことなら、おでんを食べていればよかった)
結菜は後悔し、今夜の食事は我慢することにした。
というより、自動的に我慢することとなった。
「自分磨きに励むモデルたちは、夜8時以降にご飯を食べない、か……はぁ」
学校一モテる、という野望を胸に秘めた結菜はこれでなかなか意志が強かった。
自分磨きに余念のない女性たちに負けじと、マイルールを頑なに守っている。
(私も夜8時を過ぎたら、美貌と体型維持のためにご飯は食べないぞ――)
結菜はぬいぐるみを敷き詰めた枕もとにスマホを放ってうつ伏せになる。
グウウウッ!
盛大にお腹が鳴った。
「だけど、私の良いところは融通が利くところ……。お腹がすっごく助けを求めてるんだから、さすがに無視はできないわよねぇ」
結菜は自分にそう言い聞かせ、うつ伏せのまま机の三段目の引き出しに腕を伸ばす。
手探りで器用に選び取ったのは魚肉ソーセージ。
結菜はその赤いフィルムを剥がし、一口かじった。
「キャアアア、うまいっ」
水の入ったバケツに乾いたスポンジを入れたみたいに、空腹の胃に魚肉の旨味が浸透していく。
「う、うますぎ……」
結菜は感動のあまり、ソーセージを握ったままの手で枕を何度も叩いた。
日頃から結菜は、父が買い込んだ缶詰(お酒のおつまみ用の焼き鳥)やお菓子(クッキー・グミ・おかき)に目星を付け、少しずつバレないよう非常食をため込んでいた。
今日みたいに、晩ご飯を食べ損ねた時のために。
「あと3口は楽しめそうねぇ――」
結菜がもう一口ソーセージをかじろうとしたその時。
ガサガサガサガサガサガサササササ!
「えっ?」
虫が天井を這うような音が聞こえた。
それは、紛れもなく複数の虫の足音で。
「ぬあ~っ、まさか今のはムカデとか!?」
結菜の全身に身の毛がよだった。結菜はこの世で虫が一番嫌い。とくに足が4本以上ある生き物については、それはもう得体の知れない宇宙生命体だと考え警戒している。
(イカやタコの足はせいぜい8~10本……で、でもっ)
「百足」と書いて「ムカデ」と読むことを思い出し、結菜の顔からサッと血の気が引く。
「ぬあ~っ、足百本なんてもはや宇宙生命体の中の王者じゃないのよ~っ! 私の部屋に現れても何にも得はないから出て行って~っ」
結菜はパニックで掛け布団を頭からかぶる。
「失礼な、わしをムカデと一緒にせんといて」
「へっ?」
突然のしゃがれ声に、結菜は布団から恐る恐る顔を出した。
「まさか……、バク?」
結菜はピンときて、勇気を振り絞って尋ねた。
「せや! でも名前がちょーっとだけ、ちゃう!」
癖の強い関西弁は、テレビで見た漫才師みたい。
『――ちなみに、名前はバクじゃなく、バクさんだ』
結菜は、父のさっきの言葉を思い出し、
「そうだ、バクさん!」
と、すぐに名前を訂正した。
すると。
「正解や! 敬称を現すなら、バクさん様、バクさん先生、バクさん閣下でもええで~」
やけに陽気なトーンのしゃがれ声が聞こえた。
次の瞬間、
ドオオンっ、ボアアアンっ!
「……、ぬあ~っ」
結菜は天井の蛍光灯の辺りを見上げて思わず絶叫した。なんとそこに、たれ耳たれ目のブサカワな小型犬が浮かんでいたのだ。
「やっほ~、ごきげんよう~っ、ハロ~、ナイストゥーミーチュ~」
「どう見ても、獏とちゃうし~っ!」
結菜は、宙に浮くパグ犬に思わず関西弁で突っ込んだ。
(たしか獏は、鼻が象みたいに長かったはずでしょ……)
しかし。
「ぬあ~っ、超犬じゃん! しかも体が透けてて透明や~んっ」
どう見ても成仏し損ねたパグ犬にしか見えず、結菜の関西弁は止まらない。
(これって、放っておいたらヤバいことになるよね……)
結菜は神妙な顔つきで、クリクリお目目のブサカワ犬に手を合わせ、拝み始めた。
「どうか憐れなパグ犬に憑依されませんように、南無妙法蓮華経……南無阿弥陀仏……大安仏滅……皆既日食ハレー彗星……牛丼豚丼つくね丼イクラ丼海鮮丼」
「わし、死んでへんし! しかも途中から、お経とちゃうし! てか自分、絶~っ対に、腹減ってるや~んっ!」
宙でそうずっこけたバクさんに、
「ふ~ん、一応は突っ込めるんだ」
結菜は冷静な顔で、お笑いセンスがあるかどうかをチェックした。
「良かったわ。あんたって、ただのごぼう天の使いじゃなかったのね」
「わしはチクワや、ってアホ! どう見ても、おでん種とちゃうしっ」
「うんうん。漫才師の伝家の宝刀、ノリ突っ込みもちゃんとできるみたいね――分かったわ、あんたがバクさんだってこと、信じてあげる」
「どこで信用勝ち取ってんね~ん、わし……それに、その謎のお笑い上から目線、やめてくれんかな?」
バクさんは悲しそうな目で訴えた。
「関西人は、関西人以外から、謎のお笑い上から目線を向けられがちなのよね~」
「その通り! 関西弁を喋るだけでおもろい奴ってレッテルを貼られてな、困ってるんやで。お笑い文化が進んだ今、日本は1億総お笑いチェックマンや……」
「なるほどね。たしかに人はみんな、自分が面白いかどうかは別として、他人の評価には超キビシイもんねぇ」
結菜はベッドで正座になって、しみじみと頷く。
関西弁を喋るバクさんの気苦労を察したのだ。
「下手にボケたら命とりや――」
「でも待って」
結菜はバクさんを遮り、十分な間をとってから、言った。
「あんた、関西人ちゃうや~ん! ただの超犬や~んっ!」
「だから犬ちゃう! わしは花咲海斗の相棒バクさんやっ」
バクさんに怒った口調で突っ込み返され、結菜は「冗談じゃん」と、ふて腐れながら足を崩した。
「つまんな~い。すぐマジになる犬なんてつまんな~い」
「シャラップ! ええか、結菜が予知夢を見始めたんは偶然やないで!」
バクさんは仕切り直すように宙であぐらをかく。
「花咲家っちゅうんは、人を助けるために、神さまからすんごい力を与えられたすんごい一族なんやで」
「私が……、選ばれし民?」
バクさんが真剣に話し始め、結菜の表情も自然と引き締まる。
「せや! わしも結菜も、神さまの使い、っちゅうこっちゃ!」
結菜は神さまというパワーワードに緊張を感じ、急いでベッドで正座になった。
「いや、待てよ? ……私ってば、もうそんなに偉くなっちゃった? 人間にモテまくって今度は神さまにも? ……ぬあ~っ、レベチ(レベルが違う)じゃん!」
「はぐうっ……、天下一品のうぬぼれ屋さんが登場やで」
バクさんは何を言い出すのか、という口調になる。
すると今度は結菜を見下ろして、試すように言った。
「てゆ~か、細っ! そんなやわな体つきで夢使いになれると思ったら大間違いやで」
まるで夢使いの資格がないとでも言いたそうな目を向けられる。
最初はブサカワなパグ犬だと油断していたが、だんだんと父に似て口うるさい相手かも知れないと結菜は思い始めた。
「あんた失礼ね! 見た目で判断しないでよねっ!」
結菜は勉強が苦手なことを言われるのは我慢できるが、運動神経を馬鹿にされるのは我慢ならなかった。
だから。
「私は幼稚園からバレエとダンスを習ってるのよ!」
結菜は特技のバック転でベッドを下りてみせ、さらに床では華麗な逆立ち歩きを披露(ひろう)してみせた。
すると。
「ああ、せや!」
バクさんは何かを思い出すように両前足を合わせて叩く。
「ずっと昔、わしが海斗に言うたんやった。娘にも体力をつけさせるため、体操やダンスを習わせときいって」
「……、だからか」
結菜は、妙に納得。
父は塾を止めたいと言っても決して怒らなかったが、結菜がバレエやダンスの練習をサボるとすごく怒った。
(あれはきっと……)
自分が、夢使いになった時のことを思ってのことだったのだろう。
結菜は、過去に感じていた父の不思議な言動の数々を、やっと理解できた気がした。
(これかあ。ミステリードラマとかでよく言う、点が線になるってやつ――なんだか、このスッキリ感はクセになりそうねぇ)
まさにこの瞬間から、名探偵結菜が誕生しそうになったその時だ。
「……はぐうっ」
突然バクさんが苦痛に顔をゆがめ、ガクガクブルブルと宙で身体を震わせるのだった。
「お父さんの嘘つき……うぅぅ、ダメだ。そんなことより、お腹が空いてもう限界っ……」
結菜はベッドで仰向けになりながら、スマホでファッション誌のWEBページをめくっていた。
どこかで、獏のバクさんが姿を現すことを期待していたのだ。
だが結局、しばらくスマホを見ながらチラチラと天井を観察していたのだが、何も変化は起きなかった。
(こんなことなら、おでんを食べていればよかった)
結菜は後悔し、今夜の食事は我慢することにした。
というより、自動的に我慢することとなった。
「自分磨きに励むモデルたちは、夜8時以降にご飯を食べない、か……はぁ」
学校一モテる、という野望を胸に秘めた結菜はこれでなかなか意志が強かった。
自分磨きに余念のない女性たちに負けじと、マイルールを頑なに守っている。
(私も夜8時を過ぎたら、美貌と体型維持のためにご飯は食べないぞ――)
結菜はぬいぐるみを敷き詰めた枕もとにスマホを放ってうつ伏せになる。
グウウウッ!
盛大にお腹が鳴った。
「だけど、私の良いところは融通が利くところ……。お腹がすっごく助けを求めてるんだから、さすがに無視はできないわよねぇ」
結菜は自分にそう言い聞かせ、うつ伏せのまま机の三段目の引き出しに腕を伸ばす。
手探りで器用に選び取ったのは魚肉ソーセージ。
結菜はその赤いフィルムを剥がし、一口かじった。
「キャアアア、うまいっ」
水の入ったバケツに乾いたスポンジを入れたみたいに、空腹の胃に魚肉の旨味が浸透していく。
「う、うますぎ……」
結菜は感動のあまり、ソーセージを握ったままの手で枕を何度も叩いた。
日頃から結菜は、父が買い込んだ缶詰(お酒のおつまみ用の焼き鳥)やお菓子(クッキー・グミ・おかき)に目星を付け、少しずつバレないよう非常食をため込んでいた。
今日みたいに、晩ご飯を食べ損ねた時のために。
「あと3口は楽しめそうねぇ――」
結菜がもう一口ソーセージをかじろうとしたその時。
ガサガサガサガサガサガサササササ!
「えっ?」
虫が天井を這うような音が聞こえた。
それは、紛れもなく複数の虫の足音で。
「ぬあ~っ、まさか今のはムカデとか!?」
結菜の全身に身の毛がよだった。結菜はこの世で虫が一番嫌い。とくに足が4本以上ある生き物については、それはもう得体の知れない宇宙生命体だと考え警戒している。
(イカやタコの足はせいぜい8~10本……で、でもっ)
「百足」と書いて「ムカデ」と読むことを思い出し、結菜の顔からサッと血の気が引く。
「ぬあ~っ、足百本なんてもはや宇宙生命体の中の王者じゃないのよ~っ! 私の部屋に現れても何にも得はないから出て行って~っ」
結菜はパニックで掛け布団を頭からかぶる。
「失礼な、わしをムカデと一緒にせんといて」
「へっ?」
突然のしゃがれ声に、結菜は布団から恐る恐る顔を出した。
「まさか……、バク?」
結菜はピンときて、勇気を振り絞って尋ねた。
「せや! でも名前がちょーっとだけ、ちゃう!」
癖の強い関西弁は、テレビで見た漫才師みたい。
『――ちなみに、名前はバクじゃなく、バクさんだ』
結菜は、父のさっきの言葉を思い出し、
「そうだ、バクさん!」
と、すぐに名前を訂正した。
すると。
「正解や! 敬称を現すなら、バクさん様、バクさん先生、バクさん閣下でもええで~」
やけに陽気なトーンのしゃがれ声が聞こえた。
次の瞬間、
ドオオンっ、ボアアアンっ!
「……、ぬあ~っ」
結菜は天井の蛍光灯の辺りを見上げて思わず絶叫した。なんとそこに、たれ耳たれ目のブサカワな小型犬が浮かんでいたのだ。
「やっほ~、ごきげんよう~っ、ハロ~、ナイストゥーミーチュ~」
「どう見ても、獏とちゃうし~っ!」
結菜は、宙に浮くパグ犬に思わず関西弁で突っ込んだ。
(たしか獏は、鼻が象みたいに長かったはずでしょ……)
しかし。
「ぬあ~っ、超犬じゃん! しかも体が透けてて透明や~んっ」
どう見ても成仏し損ねたパグ犬にしか見えず、結菜の関西弁は止まらない。
(これって、放っておいたらヤバいことになるよね……)
結菜は神妙な顔つきで、クリクリお目目のブサカワ犬に手を合わせ、拝み始めた。
「どうか憐れなパグ犬に憑依されませんように、南無妙法蓮華経……南無阿弥陀仏……大安仏滅……皆既日食ハレー彗星……牛丼豚丼つくね丼イクラ丼海鮮丼」
「わし、死んでへんし! しかも途中から、お経とちゃうし! てか自分、絶~っ対に、腹減ってるや~んっ!」
宙でそうずっこけたバクさんに、
「ふ~ん、一応は突っ込めるんだ」
結菜は冷静な顔で、お笑いセンスがあるかどうかをチェックした。
「良かったわ。あんたって、ただのごぼう天の使いじゃなかったのね」
「わしはチクワや、ってアホ! どう見ても、おでん種とちゃうしっ」
「うんうん。漫才師の伝家の宝刀、ノリ突っ込みもちゃんとできるみたいね――分かったわ、あんたがバクさんだってこと、信じてあげる」
「どこで信用勝ち取ってんね~ん、わし……それに、その謎のお笑い上から目線、やめてくれんかな?」
バクさんは悲しそうな目で訴えた。
「関西人は、関西人以外から、謎のお笑い上から目線を向けられがちなのよね~」
「その通り! 関西弁を喋るだけでおもろい奴ってレッテルを貼られてな、困ってるんやで。お笑い文化が進んだ今、日本は1億総お笑いチェックマンや……」
「なるほどね。たしかに人はみんな、自分が面白いかどうかは別として、他人の評価には超キビシイもんねぇ」
結菜はベッドで正座になって、しみじみと頷く。
関西弁を喋るバクさんの気苦労を察したのだ。
「下手にボケたら命とりや――」
「でも待って」
結菜はバクさんを遮り、十分な間をとってから、言った。
「あんた、関西人ちゃうや~ん! ただの超犬や~んっ!」
「だから犬ちゃう! わしは花咲海斗の相棒バクさんやっ」
バクさんに怒った口調で突っ込み返され、結菜は「冗談じゃん」と、ふて腐れながら足を崩した。
「つまんな~い。すぐマジになる犬なんてつまんな~い」
「シャラップ! ええか、結菜が予知夢を見始めたんは偶然やないで!」
バクさんは仕切り直すように宙であぐらをかく。
「花咲家っちゅうんは、人を助けるために、神さまからすんごい力を与えられたすんごい一族なんやで」
「私が……、選ばれし民?」
バクさんが真剣に話し始め、結菜の表情も自然と引き締まる。
「せや! わしも結菜も、神さまの使い、っちゅうこっちゃ!」
結菜は神さまというパワーワードに緊張を感じ、急いでベッドで正座になった。
「いや、待てよ? ……私ってば、もうそんなに偉くなっちゃった? 人間にモテまくって今度は神さまにも? ……ぬあ~っ、レベチ(レベルが違う)じゃん!」
「はぐうっ……、天下一品のうぬぼれ屋さんが登場やで」
バクさんは何を言い出すのか、という口調になる。
すると今度は結菜を見下ろして、試すように言った。
「てゆ~か、細っ! そんなやわな体つきで夢使いになれると思ったら大間違いやで」
まるで夢使いの資格がないとでも言いたそうな目を向けられる。
最初はブサカワなパグ犬だと油断していたが、だんだんと父に似て口うるさい相手かも知れないと結菜は思い始めた。
「あんた失礼ね! 見た目で判断しないでよねっ!」
結菜は勉強が苦手なことを言われるのは我慢できるが、運動神経を馬鹿にされるのは我慢ならなかった。
だから。
「私は幼稚園からバレエとダンスを習ってるのよ!」
結菜は特技のバック転でベッドを下りてみせ、さらに床では華麗な逆立ち歩きを披露(ひろう)してみせた。
すると。
「ああ、せや!」
バクさんは何かを思い出すように両前足を合わせて叩く。
「ずっと昔、わしが海斗に言うたんやった。娘にも体力をつけさせるため、体操やダンスを習わせときいって」
「……、だからか」
結菜は、妙に納得。
父は塾を止めたいと言っても決して怒らなかったが、結菜がバレエやダンスの練習をサボるとすごく怒った。
(あれはきっと……)
自分が、夢使いになった時のことを思ってのことだったのだろう。
結菜は、過去に感じていた父の不思議な言動の数々を、やっと理解できた気がした。
(これかあ。ミステリードラマとかでよく言う、点が線になるってやつ――なんだか、このスッキリ感はクセになりそうねぇ)
まさにこの瞬間から、名探偵結菜が誕生しそうになったその時だ。
「……はぐうっ」
突然バクさんが苦痛に顔をゆがめ、ガクガクブルブルと宙で身体を震わせるのだった。
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