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サマリー8 ダドゥンガース

新たな構音障害

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 フィーネによって丁寧にかけられた治癒呪文のおかげで、巫女の体に刻まれていた凄惨な鞭の傷痕は跡形もなく消え去った。だが心に刻まれた深い傷は早々に癒えるものではない。

子供用着換えローブが余っていたので着せて上げると、本来の髪色であったスカイブルーの青い髪がさらりと煌めき、アンバーの瞳が浮かぶ大きな目で誰かを探しているようだった。

食堂で待っていた光平を見つけると、迷うことなく抱きついていた。

フィーネとルビナに優しくしてもらったおかげで、若干落ち着いてはいるもののまだ小さい震えは収まっていなかった。

 「フィーネ殿、あえて口を挟むまいと思っていましたが、光平殿にも治癒呪文をかけてあげてはいかがだろうか」

フィーネは光平に視線を投げると、迷うことなく頷くその姿に心を決めるのだった。

「光平先生は体に魔力を持っていないのです、そのためでしょう治癒呪文がまったく効果がない……のです」

「なんということだろう、それであればクライグ君の責任は非常に大きいな」

「命に代えても兄貴は守り抜きますよ」

「君ほどの剣技の持ち主ならば安心だろう、しかしそのようなことがあるとは」


 巫女の震えが落ち着いたところで、光平は意を決して話しかけてみることにした。

「僕はね、光平って言うんだ。お名前教えてもらえるとうれしいな」

「キィョウ……」

「そうかキョウちゃんか、かわいくて良い名前だね」

こくんと頷くとぱっとまた光平のトレーナーに顔をうずめる。

「今からね、おいしいおやつを持ってくるからみんなで食べようか、ルビナさんプリンを人数分お願いします」

「はーい!」

元気にふるまってくれるルビナのおかげで場が少しずつ明るくなっていく。

陶器製の器に入っているプリンが配膳されると、スペンサーは何事かと思っていたがクライグがこそこそと囁いている。

「これまじでうまいっすよ。お忍びで姫様が食べにくるほどです」

「ほ、本当か、では……なんと! なんだこのうまさは!」

スペンサーが騒ぎ出したことで興味を持ったのか、キョウがプリンをじっと見つめている。

「一緒に食べようか」

こくん。

この子も相当にかわいい容姿をしている。プリンを一口食べておいしいと報告してくるその表情がまた一段と輝いている。

キョウが笑うと食堂の雰囲気が華やいだ。子供の笑顔ほど人を癒すものはないなぁと光平はいつも思う。

「ねえキョウちゃん、お腹減ってる?」ルビナの問いに一瞬固まったキョウは、光平にお伺いを立てるように見上げてきた。

「いいんだよ、お腹が減ってたら教えてくれるとうれしいんだ」

「うん、お腹減ってる……うまく詠唱できぃないと、ご飯なくなっちゃうの」

全員が一斉に言葉を飲み込んだ。

ここで感情のままに怒鳴りつけてしまえば、キョウがあの凄惨な時間を思い出してしまうと思ったからだ。

「大丈夫、もうそんなこと考えなくていいからね。とってもおいしい料理があるからルビナさんに用意してもらおうか」

「ありぃがとう」

光平以外に気付く者はいない。

フィーネでさえ。

猛烈な焦燥感が光平の胸中を埋め尽くしていく。

ダドゥンガースへの対抗呪文を詠唱できるのは、残された巫女の血統であるキョウだけ。

ではあるのだが、さきほどの発語の中にとんでもない構音障害を発見してしまったのだ。

 確認しなければならない。これは日常会話の中から対象音を己の耳だけで判別し評価しなくてはいけなくなった。

できるだけ発語を引き出すしか方法はない。

運ばれてきたカレーライスを見てキョウは何これ? といった様子で周囲を見渡した。

「とってもおいしいからゆっくり食べていいよ」

「それめっちゃうまいぞ! うまそうだなぁ!」

こういうとき、お調子者のクライグの前向きでほがらかな人柄は助かる。

促されたキョウは恐る恐る一口目を運び、その目が真ん丸に見開かれた。

「んー!」

相当においしかったのか頬を緩ませながら、はむはむと小動物のような可憐さで食べ続けている。

「よいものですな。子供が笑顔でおいしい料理を食す時間というのは、このために我等は戦っているのだと思えます」

「そういう方が宮廷魔術師になってもらって、うれしいです」

「フィーネ殿にそう言われると光栄でありますし、本来であればあなたは既に私の実力を凌駕しているでありましょう? いずれ推薦させてもらおうと思います」

「いえ私は光平先生のお側で働くことが生きがいですから」

とりあえず、あの震えていたキョウがカレーで頬を緩ませるようになってくれてほっとしている。


 スペンサーの話ではキョウをここで預かり面倒を見るという方針で構わないという。書類登録関連は全て自分が担当するので、後にキースを寄越して連絡調整役になってもらう。

光平とフィーネにはキョウの状態を把握し対抗呪文ヴァルヌヤースをどこまで詠唱できるかを把握してもらい、解呪可能かどうかの見立てをしてもらいたいという。スペンサーはまたプリンを食べにくると言い残しそのまま帰っていった。

 光平はここまで心的に追い詰められたケースに会ったことがない。虐待疑いのケースはあったが、それでも今日のように傷つき怪我をしていた者などいない。

しかもキョウは感受性が高く相手の心理を読むのに長けている気がする。慎重にキョウと信頼関係を築かなくてはならない。


 午後からはフィーネ担当のk→t置換ケースが来るので、その間は二人で遊んですごしてみよう。ここではキョウに折り紙を教えてみた。
まずは簡単な動物の顔を折り紙で折っていく。

犬の顔や猫、狐、クマ、うさぎ など。全てこの世界にも共通するもので、キョウはきゃっきゃと喜びながら一生懸命真似して微笑み頷いてくれる。

だが、当然のことながら発語は極めて少ない。

でもそれでいいと言い聞かせる。焦るな、焦りはすぐに伝わり何かを【させたがっている】という思念を読まれ構えさせてしまう。

 そのあとは紙飛行機を作った。

まるで魔法でも見たかのように驚き、どっちが飛ぶか競争や、お洋服の折り紙に色を塗ってもらったりする。

「何色がいい?」

「あか!」

「ようし、じゃ先生はね青にしようかな、ピンクもあるよ」

やはり女の子。ピンクのペンを受け取るとワンピースの折り紙へ綺麗に縁取りを始めている。率直な感想は、キョウは器用だ。

すぐさまお絵かきにも挑戦してもらうも、明らかに、確実に、絶対にフィーネよりキョウのほうがうまい。

手先の器用さは舌先の器用さに繋がると光平の臨床経験上の感想なので、これは良い情報だ。

しかも音声での言語指示に対しての理解が鋭い。的確に反応し視線も良く合い、手足の筋肉に過度な緊張がない。

凡そのコミュニケーション能力を確認し、自発的な発声発語は少ないものの助詞を使った表現も行い、複雑な聴覚理解もこなすことから精神発達に問題はなく自閉傾向も見られないことが分かった。

 一歩ずつ言の音の呪いの正体に向けて歩んでいる。気を抜けば一気に信頼を失い拒絶されてしまうかもしれない。

だが、ちやほやしすぎてもいけないというバランスが難しい。

キョウはとにかく光平から離れるのを嫌がった、というより怖がった。

あの恐ろしいイルミスの鞭を体を張って守ってくれた光平を、父のように守ってくれる存在と認識しているのだろう。

 実際には他の子の訓練で離れる場合、キョウは言うことを聞き我侭を言うことはなかった。

フィーネに髪を三つ編みにしてもらったり、逆に三つ編みにしてあげたりと女の子らしいやりとりを楽しみ、彼女にも甘えるようになってきたのは良いことだ。


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