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6:悪役令嬢と母の笑顔

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    ヒロインが出現してから数カ月……明日はデビュタントパーティーの日だ。
 
 あの日あの後、ライルは戻ってきてから何ごともなかったかのように私に合わせたドレス作りをし、予約をして帰宅した。帰りの馬車でも屋敷でもヒロインの話は欠片も出ず、私は平穏な時間を過ごしたのだが……あまりに早いヒロインの登場に私は焦っていた。

 あれから、ライルの後ろに隠れながらなら家族や使用人に挨拶や少々の会話もできるようになったし、家族からも予想よりは蔑まれてない……と思う。私がライルの背中からぴょこりと顔を出してしどろもどろになんとか挨拶などをすると、お父様もお姉様たちもなぜかプルプルと小刻みに体を震わせるのだが、視線を反らしながら返事をしてくれるのだ。ゲームでの印象なら確実に無視されるか睨まれるはずだか返事があるということはそんなに悪いことはない?……と思いたい。あくまで願望だが。

 そしてなによりもの難題というか強敵がまだ残っている。
 私がいまだに挨拶どころか、遠くから顔を見るだけで逃げ出したくなる人物。

 そう、悪役令嬢の母親だ。

 この母親は、最初から最後までいつも悪役令嬢に悲しそうな視線と深いため息を向けるだけで、笑顔を見せることはない。前世の記憶を思い出す前はそのため息が聞こえるたびに、自分が男に産まれなかったからがっかりされているのだと幼心に思っていて、その度に申し訳ない気持ちになった。
 待望の跡取りではなく、なんの価値もない3人目の娘だから。

 だからお母様の事は少し苦手だったし、お母様から私に関わってくる事もほとんどなかったのだ。
 
 ちなみにゲームの母親はヒロインが実の娘だとわかった途端に笑顔でヒロインを抱き締めていた。

 『いくら男じゃ無かったからって実の娘を見てあんな気持ちになるなんておかしいと思っていたのよ。偽物だったからあんなに憎かったのね。ほら、本物の娘はこんなに愛しいと感じるわ』

 シナリオでも、笑顔で涙を流しながらヒロインを抱き締める母親の姿は感動物だった。

 本当は、私からちゃんと家族に言うべきなのだとわかっている。私はこの家の娘じゃない。あのヒロインが本物の公爵令嬢なのだと。だが、なぜそれを私が知っているのかを説明出来ない事が1番困ってるのだ。まさか自分には前世の記憶がありここは乙女ゲームの世界だなんて言えるわけがない。そんなことを言えばそれこそ病院に一生閉じ込められ監禁されながら死へのカウントダウンを数えるはめになりそうだ。

 想像しただけで背筋が寒くなり、ぶるりと体が震えた。

 それに、ゲームの世界ではヒロインが公爵家の娘だとわかるのはゲーム中盤以降だ。ヒロインが自ら暴露するならまだしも、悪役令嬢の私が真実を口にしてもゲームの強制力がよしとするかどうかは難しいところだろう。

「はぁ……」

 大きな鏡を見ながら思わずため息をついた。
 そこには届いたばかりの淡いパープルカラーのレースをたっぷり使った可愛らしいドレスを試着した私がいる。
ゲームが開始されるまで、私は公爵令嬢のまま。嘘つきの偽物だと罵られ殺される運命からどんなに逃れたくてもそれがゲームの強制力だとしたら、私は……やはり断罪されなくてはいけないのだろうか。











***











 しくしくしくしくしくしく……。

 アバーライン家のとある一室で夜な夜な啜り泣く声が響いていた。
 その薄暗い部屋ではセリィナと同じプラチナブロンドの長い髪で顔を隠した女性がひとりで毎夜泣いている。
 もちろん幽霊や不審者というわけではないし、ここでこの女性がこうやって泣いていることをセリィナを除く屋敷の全員が知っているのだが、誰もこの部屋へ近づいたりはしなかった。

「ううぅ……今日もセリィナちゃんに近づけなかったわ……」

 ばさりと前髪を左右に分ければそこには涙に濡れた淡い翠色の弱々しい瞳が現れた。

 この女性の名はエマ・アバーライン。アバーライン公爵の妻でありセリィナや双子の姉たちの母親である。

 エマは普段から部屋に引きこもりあまり外に顔を出さない。元々が気弱な性格で引っ込み思案なエマは幼い頃はかなりの泣き虫でいじめられっ子だった。今でこそ公爵夫人という地位であるが、実家は伯爵家であまり権力がなく身分が上の子供たちからいじめの的にされていたのだ。

 そして、さんざんいじめられ続けた結果……エマはブチキレてとんでもないことをしでかした。

 なんとエマは、鞭を振り回し高笑いをしながら自分をいじめていた子供たちをフルボッコにしたのだ。
 目を回し気絶したクソガキども全員の首から下を土に埋めて頭から蜂蜜をぶっかけた。顔中に虫に集られ恐怖で泣き叫ぶいじめっ子たちを見下ろすエマの笑顔はとんでもなく(目がいっちゃってて)恐ろしかったと、今でも元いじめっ子たちは悪夢に魘されるという。もちろん後から大人たちには怒られたが、自分の子供がか弱い(?)令嬢をいじめていたなんて外聞が悪いとあまり大事にはされなかったのも幸いし、エマは特に処分されるようなことにはならなかった。

 だが、それからはいじめられることは無くなったが笑顔が怖いと噂され避けられるようになってしまいエマは笑うことが苦手になった。


 その後成長し、なにをどうしたのか現アバーライン公爵に見初められ結婚した。すぐに妊娠したものの産まれたのは双子の女の子。公爵家に嫁いだからには跡取りの男子を産むのが嫁の役目、すぐに次の子を……そう思ったその矢先、エマは産後の肥立ちが悪く倒れてしまい次の妊娠どころか公爵夫人の仕事も出来ない程になってしまったのだ。
 エマは療養のためにと数年間別宅で暮らし、アバーライン公爵が定期的に別宅へ通っていた。そしてやっと回復した頃に念願の妊娠が発覚したのだが、産まれたのはまたもや女の子。産まれた子供に罪は無いが、どうしても産まれた瞬間にがっかりした雰囲気に包まれてしまった。

 エマは今でもその時のことを後悔している。
 元々人付きあいが苦手だったエマは長年離れて暮らしていたこともあり子供たちに関わるのが苦手になってしまった。まともに母親らしいことも出来ず、公爵家の妻なのに公爵夫人の仕事もろくに出来ずにいた自分はなんて情けない母親なのかと。
 さらにせっかく五体満足に産まれてきてくれた娘に一瞬でもがっかりするなんて、とんでもない最低な母親だと。そして、また産後に体調を崩し赤子の世話もろくに出来なかったことがネガティブな思考に輪をかけてしまった。

 それからというもの、セリィナの姿が視界に入る度に申し訳なさで泣きそうになり自分の不甲斐なさにため息がでた。セリィナがこちらを見て怯える様子を目撃してからはなおさらだ。

 こんな自分が母親で申し訳ない。今さら母親らしいことがしたいなんて図々しいかもしれない。と、こうして夜な夜な自室で泣いているのである。

 もちろん夫であるアバーライン公爵も双子の娘たちもエマを慰めた。しかし、慰められちょっと勇気を出してセリィナに会いに行くも、笑うことが苦手なエマは顔がひきつりそうになってしまう。自分の笑顔は怖い(と言われたことがある)、もし笑顔を見せてセリィナが怖がってしまったらもう生きていけない。と考えてしまいうまく笑えないのだ。
 その結果、泣きそうになり悲しい顔で(自分に)ため息をつく。そしてそれを見たセリィナがさらに母親に近づかなくなる悪循環が繰り返されていた。

 しかし、最近は少しだけ状況に変化が起きている。
セリィナは気付いていないが、ライルはセリィナに起こった事柄を全て家族に報告していた。
 アバーライン公爵はもちろん、双子の姉に老執事ロナウド、そしてこのエマ夫人にもだ。

 それは、公爵家の馬車に飛び出しセリィナとぶつかったあの少女のことも。
 セリィナの事を悪くいい、ライルを引き抜こうとした怪しい少女。ライルの報告によればセリィナに対して悪意を感じたらしい。

 公爵家の使用人は優秀だ。屋敷での仕事はもちろん、影でセリィナの護衛と情報収集もしている。ライルが少女と別れた後、こっそりと影の使用人が少女をつけ王家の馬車と接触した様子も事細かく報告されていた。
 そして、少女になにかを吹き込まれた王子が公爵令嬢の情報を集めているらしいとも――――。


明日のデビュタントパーティーでなにか起こるかもしれない。そんな直感の働いた。

「もし、私の大切なセリィナちゃんになにかしたら……王子であろうと許さないわ」

涙の止まったエマの眼光が、まるで昔いじめっ子たちをお仕置きしたときのように鋭く光った……。







 余談だが、現国王はその時のいじめっ子のひとりである。しかし王太子をフルボッコにしたわけではなく、現国王は婿養子だ。当時王家には王女ひとりしかおらず、その王女に気に入られたので(もちろんそれなりに地位もあったが)国王になれたのだが妻である王妃に頭が上がらず尻にひかれているらしい。
 そしてなにより、エマに高笑いされながら蜂蜜をぶっかけられた記憶が根深く残っている。
 そんな現国王がエマの娘であるセリィナをよく思っているわけもなく(逆恨みだが)悪い噂が消えきらない原因でもあった。


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