恋の消失パラドックス

葉方萌生

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第一話 捨てちゃえばいい

友達

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 結局その日、私の机を隠した犯人は分からなかった。先生は放課後に私を職員室に呼び出して、「まあ余計な心配はするな」と当たり障りのない励ましをしてくれた。わざわざこういうことをしてくれる先生は、なんだか熱血っぽい。そういう人は嫌いじゃなかった。

「ただいまー」

「……」

 家に帰ったところで誰もいないのは分かっているのに、「ただいま」と言ってしまう。
 母親は研究者。
 父親は某有名商社の営業マン。
 二人とも、夜遅くまで帰ってこない。
 でも、寂しいっていう感情はなくて。帰ったら淡々と部屋で課題を始めるだけだ。
 母も父も、いわゆる教育ママ、パパだ。
 名門高校を出て一流大学に進学した二人は大学の研究室の先輩、後輩だったらしい。「努力すれば必ず報われる」と思っているうちの親は、私にもあらゆる「努力」をすることを強いてきた。
 特に勉強に関しては手を抜くことを許さない。頑張ればできるのだから、頑張らないのがおかしいというのが二人の口癖だ。

 あなたは私たちの娘なんだから。
 やろうと思えば、なんだってできる。
 努力さえ怠らなければ。

 小さな頃から何度も言われ続けて、お決まりのように二人に反抗するようになった。反抗、と言っても、面と向かって彼らと喧嘩をするわけではない。「おはよう」と「おやすみ」以外、ほとんど口を利かないのだ。
 それなのに、「ただいま」と口にしてしまう私は滑稽だ。
 二階にある自分の部屋へと閉じこもり、ベッドに身を投げ出した。電気もつけないまま、天井を見つめる。今日の学校での出来事は明らかに不自然だった。不自然なことには必ず意味がある。
 だとすれば、考えられることは……。
 思考を巡らせようとしたところで、ブル、とスカートのポケットに入れていたスマホが震えた。

「なんだろ」

 どうでもいいアプリの通知かと思ったが、よく見るとLINEの通知が来ていた。普段から連絡を取り合うような仲の相手はあまりおらず、この時点で誰から連絡が来ているのかは察しがついた。

日和ひより、いま家?』

 LINEを送ってきたのは、井元穂花いもとほのか。昨年、高校一年生のときに同じクラスだった女の子で、一番仲が良かった。二年生になった今も、会話相手はほとんど彼女だ。
 肩の上で揺れるショートカットが似合う、天真爛漫で明るい女の子。時々天然な発言をすることもあり憎めない可愛らしさがある。でも私と二人でいるときはちょっと違っていて、真面目な一面もあるところもまた彼女の良いところだ。
 寝転んだまま、私は「うん」と返事を送る。気の置けない相手だから、これぐらいシンプルな返事でも大丈夫。生まれつき人付き合いが苦手な私にとって、穂花みたいな気を許せる友達がいることが救いだ。

『そっか。あのね、今日ちょっと気になることを聞いちゃって』

「なに?」

 なんだろう。彼女から連絡が来るときは、大抵遊びの誘いか恋の悩み相談なので、なんだか真剣ぽい雰囲気に首を傾げた。

『実は今朝、うちのクラスにゆっきーが来たんだけど』

 ゆっきーとは、私のクラスの担任、雪村先生のことだ。

「四組に先生が?」

『うん。なんか、机を知らないかーって』

「それって」

 私の、と続けようとしたけれど、いったん言葉を切る。もしかしたら、穂花が何か情報をくれるかもしれないと思って。

『そのときは誰の机かなんて分からなかったけれど、うちのクラスの男子が、その机を見たって言うから、ゆっきーと一緒に出て行ったの』

「それで、どうなったの?」

『そのまま。たぶん、机を見つけたゆっきーは二組に戻って行ったんだと思うけど』

 そこまで聞いて、私が先生から聞いた話と同じだったため、特になにも気になることはないと思った。だが、穂花の話はそこで終わらない。彼女が言葉を打ち込んでいる間が、私にはひどく長く感じられた。

『昼休みに、女子が話してるの聞いたの。ゆっきーが探してた机を、運んでいる人たちを見たって。その人たちが、日和の悪口を言っていたことも』

 すかさず指を動かして「それ、誰?」と送る。誰かが私の机を運んだ。それは間違いない。でも、クラスメイトたちは誰も口を開かなかった。きっと、隠したいから。それが分かっていて、私は悶々と一人考え込んでいたのだ。

『それは』

 彼女がとある人物の名前を送ってきた。
 ほら、やっぱり。
 私の机を隠した張本人は、二組の中にいた。

「でかした、穂花」

『いや~あたしの日和にいじわるするやつがいるなら、かかってこいやーってね』
 
 たぶん穂花は、いまスマホを手にボクシングのポーズでもとっている。

「穂花が闘うわけじゃないでしょ」

『そうだけど! そうだけどさ! なんかそういうの、うざいじゃん』

 穂花の口から(実際にはメッセージだが)「うざい」なんて言葉が出てくるとは思っていなかった。彼女に汚い言葉は似合わない。天然少女も、どうやらいたく頭に血が上っているようだ。

「とにかくありがとう。たぶん、ちょっとしたいたずらだと思う。気にしないで大丈夫だよ」

『それならいいけどさあ。周り、気にしといた方がいいよ。じゃあまた明日ね』

「分かった。また明日」

 穂花の優しさに触れて、先ほどまで静かに荒れていた心がスンと凪いだ。
 何が起こっても、私には穂花がいる。だから大丈夫。
 まだ始まってもいない嵐を憂うよりは、優しい友達がいることに感謝して、そのまま目を閉じた。

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