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第四話 三つ葉書店にあなたが来る理由

わたしの絶望

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「詩文さんと仲良くなって、仕事も安定していて、社会人生活であの時が一番楽しかったですね。ざっと半年ぐらいでしょうか。幸せな時間は、長くは続きませんでした」

 そこで彼女はふっと言葉を切った。その先の話をどう切り出すべきか、迷っている様子で目を泳がせる。月の光は、まだまだ街をほのかに照らしていた。

「去年の四月のことでした。わたしが勤める図書館に、新入社員の女の子が入ってきました。わたしと同じ契約社員で、司書資格は持っていませんでした。仕事の内容もわたしと同じだったので、わたしが教育係を務めることになったんです。彼女は正直、あまり仕事ができるタイプではなかったんですが、いわゆる世渡り上手な子で、できないこと、分からないことはできる人に任せて、簡単な仕事ばかり率先してやっていました。飲み会の場に積極的に顔を出して、上司に擦り寄っていく。可愛らしいので、男性職員はすぐに彼女の虜になっていましたね。わたしは、そんな彼女のことを羨ましいと思いました。わたしよりもずっと対人スキルが高くて、周囲の人間にすぐに気に入ってもらえる。わたしにないものを、彼女はたくさん持っていました」

 両手を膝の上でぎゅっと握りしめながら当時の心境を語る萌奈に、私は完全に感情移入してしまっていた。
 自分よりも周りの人と上手くやれる後輩が入ってきたら、どう思うだろう。
 私だったら、悔しいと感じてしまうかもしれないな……。
 私は家業を継ぐから、一般的な職場とは少し違うかもしれないけど。でも、時々すごく優秀なアルバイトの学生が来た時なんかは、ちょっぴり焦ってしまう。
 だから彼女の気持ちは手に取るように分かった。

「彼女が入社してから半年が経った十月のことです。彼女が契約社員から、正社員にならないかと提案を受けたそうです。彼女は驚いていましたけれど、結局は正社員になりました。
けれど、一番驚いたのはわたしです。わたしも彼女と同じ仕事をしていて、しかも彼女よりも半年以上も長く働いていました。でもわたしには、正社員にならないかというようなお誘いはありませんでした。資格だって彼女は持っていなくて、わたしは持っています。ちょっと納得がいかなくて、上司に抗議をしに行ったんです」

 抗議と言っても、彼女を下げるようなことは言っていませんよ。
 自分も正社員にしてもらえないかと話に行ったんです。
 と、彼女は苦い顔で続けた。

「でも……ろくに取り合ってもらえなくて。社員の人事は上が決めることだ。お前が口出しできることじゃないって、怒られてしまいました。新入社員の彼女を正社員にしたその上司は、どうやら彼女に惚れ込んでいたようです。理不尽な怒りを覚えました。周囲の人に愚痴を溢したんですけど、それが間違っていると気づいたのは後のことです」

——三沢さん、人事のことを愚痴ってたけど、自業自得じゃない?
——そりゃ三沢さんよりあの子の方が、可愛いしコミュ力も高いし。
——自分が負けたからって、私たちに愚痴られてもねぇ。

「同僚の女性社員たちが、そんな噂をしているのを聞いてしまいました。みんな、他人にはあまり関心がないふりをしていて、実際はちゃんと他人のことを見ていたんです。ただ面と向かって話さないだけで、みんなわたしのことを仕事ができないやつだと思っていたんです」

「そんな……」

 あまりにひどい話に、私は二の句が継げなくなった。
 人には得手・不得手がある。萌奈にとって対人スキルがその不得手に当たる。けれど真面目な彼女のことだから、他の仕事はきちんとやっていただろう。それなのに、一つの側面だけを評価されて、陰で悪口を言われていたのは心苦しいことだ。

「一度そんな陰口を聞いてしまうと、もう職場では誰のことも信じられなくなってしまいましてね。詩文さんは図書館の利用者として、相変わらず今まで通り私と接しようとしてくれたんですけど、彼と話している時、同僚からの視線が気になってしまって。詩文さんともぎこちないやりとりしかできなくなりました。彼は不思議そうにしていて、『何かあったんですか?』って何度も聞いてくれました。でも、こんな話格好悪くて、全然できなくて。わたしは詩文さんに真実を伝えることもできませんでした」

 当時のことを思い出したのか、萌奈の表情が苦しそうに歪んだ。私は彼女の背中にそっと手を添える。人間の姿をした彼女には触れることができて、彼女の背中を撫でた。でもその背中から、生きた人間の温もりは感じられない。切なさに胸が凍りついた。

「やがて仕事に行くのも憂鬱になっていって。わたしは何をやっても認めてもらえないんだっていう諦めもあって、ふと緊張の糸が切れてしまったんです。それから二ヶ月が経った十二月、通勤電車のホームで、気づいたら線路に足を——」

 そこから先は聞かなくても十分理解することができた。
 萌奈を襲った絶望が、今まさに自分に降りかかっているかのようにダイレクトに胸に響く。
 その壮絶な過去の話を、私はどう受け止めたらいいか分からない。私みたいな小娘に、萌奈の本当の気持ちは理解できない。萌奈と自分の間にある断崖絶壁を想像してしまい、愕然としてしまった。
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