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第四話 三つ葉書店にあなたが来る理由

彼のこと全部

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 ドク、ドク、ドク。
 心臓の鼓動が急に速くなる。彼女の口から詩文さんに憧れていたという話を聞き、私の彼への恋心が疼いた。
 落ち着け、私。
 萌奈はもうこの世の人間ではない。だから彼女の恋心を知ったって、私には関係がないはずだ。そう思うのに、どうしても胸が疼いてしまう。同じ男性に、恋をしていた人が目の前にいるという事実は、二十四年間生きてきた私には刺激が強すぎた。しかもその人はもう亡くなっているし、なんならあやかし猫になっているし。もう訳が分からない。

「詩文さんは週に一回は必ず図書館に通っていました。一度に何冊も本を借りるのに、一週間で全部読み終えて返却をしてくるので、相当読書が好きな方なんだろうって思って。ある時思い切って話しかけてみたんです。ちょうど彼が借りた小説が、わたしのお気に入りの作家の本だったので。そしたら彼、すごくびっくりしてどきまぎしてました」

 萌奈に話しかけられておどおどしている詩文さんの姿が目に浮かぶ。私が初めて会話を交わしたときも、彼は吃りまくっていて。見た目とは全然違う内面に、面食らってしまった。

「だけど、本の話をしていくうちに、すごく会話が盛り上がっていて。気がつけば彼も堂々とわたしに話してくれるようになりました。聞けば、彼もわたしと同じように対人関係を築くのが苦手なのだと。その点も同じ穴の狢だったので、仲良くなれた一因なのかもしれません」

 初めて自分の対人スキルに感謝しましたよ、と苦笑いする萌奈。その目は誰がどう見ても「恋する乙女」の輝きを湛えていた。

「彼はよく図書館にふらりと入ってくる黒猫を可愛がっていました。私たち職員の間でもその黒猫ちゃんは有名な猫で、最初は追い出そうと必死になっていたんですが、いつしか看板猫になっていましたね。猫好きな人が喜んでくれていたので、まあこのままでもいいかっていうことになって。わたしと詩文さんと黒猫の三人で本について語り合ったこともありました。もちろん、黒猫ちゃんはのんびりマイペースにそこにいただけでしたけれど」

「そうだったんですね。なんというか……平和そうですね」

 言いながら、コメント下手か、と自分でツッコみたくなった。
 でも、詩文さんと萌奈、黒猫が二人と一匹で談笑しているところを想像すると、本当にのんびり穏やかな空間になりそうだと思う。

「ええ、確かにあの時間はすごく穏やかで素敵な時間でした。気づいたらわたしは、詩文さんに恋をしていました」

 話の流れからして、彼女が詩文さんに恋をするのも当然かもしれない、と思った。以前、あやかし猫の姿をした彼女が、詩文さんに気があるというようなことを言っていた。あれは本心だったのだ。私を揶揄うための嘘ではなかった。

「詩文さんはどう思ってたのか、分かりません。わたしの方から彼をデートに誘ったこともあったんです」

「え、そうなんですか」

 それは意外だ。萌奈は恋に積極的なタイプではないと思っていたから。

「わたしも、自分の行動力にびっくりしましたよ。でも彩葉さんも分かるでしょう? あの人、待っていたって自分からデートを誘ってくるなんて思えないんですよ。彩葉さんは、誘ってもらってましたけど、あれはすっごくレアです」

 ちょっぴり恨めしそうな目を私に向ける萌奈。彼女に言われなくても、詩文さんが女の子を誘いそうにないということは付き合いの短い私でもすぐに分かった。だからこそ、詩文さんが私をデートに誘った時、あやかし猫の彼女はさぞ驚いたに違いない。

「デート中も、エスコートなんて全然してくれなくて、思わずわたしの方が彼をリードしていました。まあ、そういう子供っぽいところがギャップ萌えというか。好きだったんです、彼のこと全部」

 彼のこと全部好きだった。
 その言葉に、ズキンと胸が疼く。
 私は、私は……彼女ほど、詩文さんに恋をしているだろうか。出会ってまだ一ヶ月も経っていないのだから、彼女に比べて詩文さんへの気持ちが小さくても仕方がない。でも、面と向かって気持ちの差を見せつけられたようで、切なかった。
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