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第一話 三つ葉書店の黒猫

三つ葉書店

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「彩葉ーお隣の家、なんや改装してんねん。昨日看板屋さんが来てはったし、新しく店ができるんちゃう?」

「え、新しいお店?」

 母が月9ドラマを見ながら、こたつでアイスを食べていた。冬に温かい場所で食べるアイスが最高なんやと母は口癖のようにこぼしている。私は母の気持ちがあまりよく分からない。アイスは暑い時に食べたい。
 それにしても、隣の家、お店になるのか。
 初めて知った事実に、素直に驚いた。
 隣の家は、一年前まで民家だった。お隣さんの名前は黒田さんといって、高齢のおばあちゃんだった。足腰が悪く、あまり外に出ているところを見たことがなかったのだが、一年前に突如家がもぬけのからになって、そういうことかと悲しくなったのを覚えている。
 それから何ヶ月も空き家として放置されていたのだが、ついに誰かが隣の家を買い付けたらしい。祇園の町に佇む町家なので、もちろんかなり高かっただろう。売買価格を見ているわけではないので知らないけれど、私が買えと言われたら絶対にむりだ……。

 そういうわけで、隣の家を買った人は無条件で尊敬する。
 看板屋さんが来ていたということは母の言うようにお店になるのだろう。どんなお店かな? やっぱり、飲食店だろうか。京懐石や中華料理、フレンチなどのお店が立ち並んでいるので、飲食店である可能性は高いだろう。
 ……と、ワクワクしながらお店が改装されていく様子を隣から眺めていたのだが、予想は見事に裏切られた。
 三月下旬、出来上がった店構えと看板を目にした私は絶句する。

「『三つ葉書店』……? 書店!?」

 掲げられた看板は、近所の料亭と変わらないくらい上品な木彫りの看板で、味のある字で『三つ葉書店』と彫られていた。

「こんなところに書店? なんで……?」

 真新しい看板をぽけーっと見つめながら、まだ開店していないお店の前で混乱していた。
 祇園のど真ん中に、しかも弥生小路なんていうマイナーな通りに、本屋さんだなんて。さすがに常識がなさすぎる。ビジネスが分かってなさすぎっ。とはいえ、私だって元々繁盛していた老舗の跡を継ぐのだから、ビジネスの何たるかを知っているわけではなかった。たぶん、レベル的にはここに書店を開いてしまう店主と同じぐらいだろう。まだ二十四歳だし、青二才である自覚は十分にあった。

「うう~でもなあ。本屋かあ~。うーん、売れないだろうなあ……」

 オープンする前からとんだ不謹慎な発言だと怒られるかもしれないが、幸い周りに人はおらず、独り言を呟いているだけだった。
 いや、そもそもお隣の書店の売れ行きが悪くて潰れてしまったとしても、私には関係ないんだけど。でもやっぱり、ご近所さん同士、お互いにお客さんを増やしていって、弥生小路全体が盛り上がるのであればそれはそれで嬉しい。そうだよ。お隣さんには頑張ってもらわないといけないじゃない。

 一人、うんうんと唸りながら『三つ葉書店』の前で立ち尽くしていたが、やがて降ってきた春雨に追われるようにして自分の店へと戻った。
 一体、こんな場所に書店を開こうという店主はどんな人なんだろうか。
 看板の前に貼ってあった、「四月三日オープン」という貼り紙の文字をしっかりと記憶に刻みつけたのだった。
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