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第三話 夢を追いたくて就職に悩むあなたへ
奇跡の出会い
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***
私の祖母は、本が大好きな人だった。
祖母の家は私の実家からとても遠いところにあり、二年に一回会いに行けるかどうかだった。
海沿いの田舎町にある祖母の家に遊びに行くと、彼女が昔読んだ本が、茶色い本棚にずらりと並んでいる。大衆小説から近現代の文学作品まで。幼い頃はまだまだそういった本が読めなかったため、「大きくなったらあの棚の本をぜんぶ、読んでやるんだ」と密かに決意していたこともあった。
母も本好きではあったが、小説は私の方がたくさん読んだかもしれない。
母に、
「〇〇の本が好き」
と言うと、
「それ、おばあちゃんも言ってた」
と私と祖母の好みが合うことを教えてくれた。
それを聞いたらとても嬉しくて。
あんなにたくさんの本棚の中から、好きだと思う本が同じだなんて、奇跡とさえ思った。
それから祖母は、個人で「桜田書店」という本屋を営んでいた。田舎によくある、古き良き町の本屋さんだ。
母も若い頃にそこで働いていたらしい。
それにしても、聞いてほしい。
まったくもって田舎は恐ろしいのだ。
祖母の家に滞在している間、私が「桜田書店」に遊びに行くと、その時に店内にいるお客さんに、「あら、桜田さんのお孫さんね」と声を掛けられることがしばしばあった。
大学受験を終え、無事に京大に合格したあと、久しぶりに訪れた桜田書店で、「聞いたわよ」とパートの店員さんに言われる。私が何のことかと、きょとんとしていると「京大ですって? すごいわね」と褒めてくれるのだ。しかも私はその店員さんと面識がない。これが田舎の情報網の強さかと驚いたものだ。
「今日はね、この本だよ」
幼い頃、店番をする祖母の傍で私はいつもその言葉を待っていた。
田舎なのでお客さんがあまり来ない日が多く、そんな時は祖母が私に絵本を読んでくれるのだ。
くまさんがホットケーキを作る話。
イカとタコが砂浜に絵を描いて勝負する話。
いわずと知れた、はらぺこなあおむしさんの話。
タイトルは覚えてないものが多いけれど、どの物語も、幼かった私の心を揺さぶってくれた。独特なタッチのイラストや、この先どうなるのか分からないストーリーに胸を躍らせた。
「ねえ、おばあちゃんが読んでる本を教えて」
ある日私が、店頭に立つ祖母にそう訊いた。頭の中では祖母の家のずっしりとした本棚が浮かんでいる。一冊でもいい。あの中にある本を読んでみたいと思っていた。
「大きくなったらね。もっと難しいご本も教えてあげる」
祖母はそう言うとにっこり微笑んで、私の頭を撫でてくれた。
私は今すぐにでもその「難しい本」を読みたいと思ったけれど、祖母がまだと言うなら仕方ない。やはり、大人になるのを待つしかないんだと納得した。
歳をとってからは祖母自身が店頭に立つことは少なかったが、一緒に本を買いに、桜田書店を訪れた。
「じゃあ、今日はこれを買ってあげる」
当時小学五年生だった私は、昔ほど本を読まなくなっていた。本が嫌いだったというわけではない。単に、本を読むこと以上に友達とおしゃべりしたり外で鬼ごっこをしたりする日々に夢中になっていたのだ。
そんな時期だったから、祖母に勧められた本も、最初はあまり読む気になれなかった。
「これ、何の本?」
「それは、読んでからのお楽しみよ」
祖母が渡してくれたのは、児童向けに刊行されている青い鳥文庫のとあるミステリー小説。
「『そして五人がいなくなる』……?」
その本は、はやみねかおるさんという作家さんの、『名探偵夢水清志郎事件ノート』シリーズの一作目だった。
表紙に描かれた、よく似た三人の女の子。それから、スーツからサングラスまで全身黒で包まれた背の高い男性に目がいった。
「お客さんがね、子どもにおすすめって言ってたもんで」
どうやらおばあちゃんもその本は読んだことがないらしい。
それでも、今まで読んだことのなかったミステリーのジャンルに惹かれた私は『そして五人がいなくなる』を読むことにした。
理由はそれだけじゃない。
まだ小学生だったとはいえ、毎日の学校生活に少し嫌気がさしていたのだ。もちろん友達と遊ぶのは楽しい。でも、授業で発表したり、調べ学習をしたり、面倒なことが度重なって疲れていたのだ。
だからちょっと、現実逃避にまた本を読んでみようと。
そんな、軽い気持ちだった。
なんとういうことだ。
『そして五人がいなくなる』を読み終わった私は、興奮の渦に呑み込まれていた。
だってだって!
この本、本当に面白いんだもの!
一言でどう「面白いか」を表現するのは難しい。
でも、三つ子の主人公の女の子と、彼女らの家の隣に住む「教授」と呼ばれる名(迷)探偵のテンポのいい会話、不可思議な謎、普段はだらしがない教授が謎を解くときのかっこよさと言ったら!
加えて、この物語の最大の肝は、探偵の教授が「みんなの幸せのために」謎を解くところにある。
犯人を捕まえて警察に突き出すためでも、自分の名誉のために推理するのではない。
加害者や被害者がどうやったら幸せになるかを考えて謎を解く。
まさに、ヒーローそのものだった。
キャラ立ちといい、読みやすさといい、ストーリーといい、全てが私の好みにクリーンヒットしている。
「おばあちゃん、聞いて!」
あまりの面白さにすぐに読み終えてしまい、興奮状態のまま祖母に感想を語った。
「あらまあ、それは良かったわね」
優しく笑ったまま、捲し立てるように喋る私の話を聞いてくれた。
それから、この本を読んでいる時の心のざわめきを思い出していた。
とにかく先に進みたい、続きが読みたい。
ページをめくってめくって、物語の中の風景を思い浮かべるうちに、私は忘れていた。
学校での発表のこと、調べ学習のこと、時々友達と喧嘩してしまうこと。
現実で起こる、ちょっとした嫌な出来事すべてが、本を読んでいる時の楽しさの上では全く効力を発揮していなか
った。それどころか、なんとなく「学校でもがんばれそう」とやる気が出てきた。
「いいなあ。私も、こんな物語を書いてみたい」
実際は口に出しはしなかった。
けれど、興奮気味に語る私と、私の話をいつまでも聞いてくれる祖母と、暗黙のうちに約束した。
私は、物語をつくって生きていくのだと——。
私の祖母は、本が大好きな人だった。
祖母の家は私の実家からとても遠いところにあり、二年に一回会いに行けるかどうかだった。
海沿いの田舎町にある祖母の家に遊びに行くと、彼女が昔読んだ本が、茶色い本棚にずらりと並んでいる。大衆小説から近現代の文学作品まで。幼い頃はまだまだそういった本が読めなかったため、「大きくなったらあの棚の本をぜんぶ、読んでやるんだ」と密かに決意していたこともあった。
母も本好きではあったが、小説は私の方がたくさん読んだかもしれない。
母に、
「〇〇の本が好き」
と言うと、
「それ、おばあちゃんも言ってた」
と私と祖母の好みが合うことを教えてくれた。
それを聞いたらとても嬉しくて。
あんなにたくさんの本棚の中から、好きだと思う本が同じだなんて、奇跡とさえ思った。
それから祖母は、個人で「桜田書店」という本屋を営んでいた。田舎によくある、古き良き町の本屋さんだ。
母も若い頃にそこで働いていたらしい。
それにしても、聞いてほしい。
まったくもって田舎は恐ろしいのだ。
祖母の家に滞在している間、私が「桜田書店」に遊びに行くと、その時に店内にいるお客さんに、「あら、桜田さんのお孫さんね」と声を掛けられることがしばしばあった。
大学受験を終え、無事に京大に合格したあと、久しぶりに訪れた桜田書店で、「聞いたわよ」とパートの店員さんに言われる。私が何のことかと、きょとんとしていると「京大ですって? すごいわね」と褒めてくれるのだ。しかも私はその店員さんと面識がない。これが田舎の情報網の強さかと驚いたものだ。
「今日はね、この本だよ」
幼い頃、店番をする祖母の傍で私はいつもその言葉を待っていた。
田舎なのでお客さんがあまり来ない日が多く、そんな時は祖母が私に絵本を読んでくれるのだ。
くまさんがホットケーキを作る話。
イカとタコが砂浜に絵を描いて勝負する話。
いわずと知れた、はらぺこなあおむしさんの話。
タイトルは覚えてないものが多いけれど、どの物語も、幼かった私の心を揺さぶってくれた。独特なタッチのイラストや、この先どうなるのか分からないストーリーに胸を躍らせた。
「ねえ、おばあちゃんが読んでる本を教えて」
ある日私が、店頭に立つ祖母にそう訊いた。頭の中では祖母の家のずっしりとした本棚が浮かんでいる。一冊でもいい。あの中にある本を読んでみたいと思っていた。
「大きくなったらね。もっと難しいご本も教えてあげる」
祖母はそう言うとにっこり微笑んで、私の頭を撫でてくれた。
私は今すぐにでもその「難しい本」を読みたいと思ったけれど、祖母がまだと言うなら仕方ない。やはり、大人になるのを待つしかないんだと納得した。
歳をとってからは祖母自身が店頭に立つことは少なかったが、一緒に本を買いに、桜田書店を訪れた。
「じゃあ、今日はこれを買ってあげる」
当時小学五年生だった私は、昔ほど本を読まなくなっていた。本が嫌いだったというわけではない。単に、本を読むこと以上に友達とおしゃべりしたり外で鬼ごっこをしたりする日々に夢中になっていたのだ。
そんな時期だったから、祖母に勧められた本も、最初はあまり読む気になれなかった。
「これ、何の本?」
「それは、読んでからのお楽しみよ」
祖母が渡してくれたのは、児童向けに刊行されている青い鳥文庫のとあるミステリー小説。
「『そして五人がいなくなる』……?」
その本は、はやみねかおるさんという作家さんの、『名探偵夢水清志郎事件ノート』シリーズの一作目だった。
表紙に描かれた、よく似た三人の女の子。それから、スーツからサングラスまで全身黒で包まれた背の高い男性に目がいった。
「お客さんがね、子どもにおすすめって言ってたもんで」
どうやらおばあちゃんもその本は読んだことがないらしい。
それでも、今まで読んだことのなかったミステリーのジャンルに惹かれた私は『そして五人がいなくなる』を読むことにした。
理由はそれだけじゃない。
まだ小学生だったとはいえ、毎日の学校生活に少し嫌気がさしていたのだ。もちろん友達と遊ぶのは楽しい。でも、授業で発表したり、調べ学習をしたり、面倒なことが度重なって疲れていたのだ。
だからちょっと、現実逃避にまた本を読んでみようと。
そんな、軽い気持ちだった。
なんとういうことだ。
『そして五人がいなくなる』を読み終わった私は、興奮の渦に呑み込まれていた。
だってだって!
この本、本当に面白いんだもの!
一言でどう「面白いか」を表現するのは難しい。
でも、三つ子の主人公の女の子と、彼女らの家の隣に住む「教授」と呼ばれる名(迷)探偵のテンポのいい会話、不可思議な謎、普段はだらしがない教授が謎を解くときのかっこよさと言ったら!
加えて、この物語の最大の肝は、探偵の教授が「みんなの幸せのために」謎を解くところにある。
犯人を捕まえて警察に突き出すためでも、自分の名誉のために推理するのではない。
加害者や被害者がどうやったら幸せになるかを考えて謎を解く。
まさに、ヒーローそのものだった。
キャラ立ちといい、読みやすさといい、ストーリーといい、全てが私の好みにクリーンヒットしている。
「おばあちゃん、聞いて!」
あまりの面白さにすぐに読み終えてしまい、興奮状態のまま祖母に感想を語った。
「あらまあ、それは良かったわね」
優しく笑ったまま、捲し立てるように喋る私の話を聞いてくれた。
それから、この本を読んでいる時の心のざわめきを思い出していた。
とにかく先に進みたい、続きが読みたい。
ページをめくってめくって、物語の中の風景を思い浮かべるうちに、私は忘れていた。
学校での発表のこと、調べ学習のこと、時々友達と喧嘩してしまうこと。
現実で起こる、ちょっとした嫌な出来事すべてが、本を読んでいる時の楽しさの上では全く効力を発揮していなか
った。それどころか、なんとなく「学校でもがんばれそう」とやる気が出てきた。
「いいなあ。私も、こんな物語を書いてみたい」
実際は口に出しはしなかった。
けれど、興奮気味に語る私と、私の話をいつまでも聞いてくれる祖母と、暗黙のうちに約束した。
私は、物語をつくって生きていくのだと——。
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