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人情をだしたばっかりに、卑劣な賊に囚われてしまう哀れな医者
しおりを挟むそれは肌寒い季節であった。
花街から帰ってきた悟助は、上機嫌で夜の江戸をふらふらとおぼつかない足で
歩く。
「~♪~♪~♪」
深夜ともいえる時間、時刻にすれば丑三つ時。
霧が落ちる夜の道は、昼間の活気ある様子からはかけ離れ、幻想のようであった。
ふと、おぼつかない視界の端に船を捉えた。
船だけであれば船着き場では当然のものだが、それだけでない。
船には人が積まれていた。
手足を縛られ猿ぐつわをかまされた女子どもを十人ほど乗せ、
えっちら、おっちらと船頭が船を漕いでいる。
また、船には用心棒だろうか、目つきの悪そうな男が3人ほど乗っている。
ふとその一人、刀を腰に差し、浪人風の男がこちらを見た。
突っ立っていた悟助は、その浪人と目が合った。
すでに船はだいぶ岸から離れている。
しかし、浪人は悟助の姿を目に焼き付けるようにじぃっと睨んでいた。
悟助は動くことができず、船がとうとう見えなくなるまでその場に凍り付いていた。
「えれぇもん見ちまった」
酔いはすっかりさめてしまった。
あの浪人の鬼のような形相が頭にしみついて離れない。
もし次があったら、悟助は切り殺されてしまうだろう。
ひぃぃ!とぶるぶる震えると、駆け足で長屋へと走っていった。
「ってなことが昨夜あったんですよ」
「悟助、お前よく生きてたな」
悟助は知り合いの医者の所で、いつもの通り駄弁りながら昨夜のことを聞かせていた。
医者は患者の診察の手を止めずに、呆れたように悟助に返す。
「へへぇっ、あっしは学はなくとも悪運の強さだけは一等なんでぇ」
へへへっと褒められたかのように頭を掻く悟助。
「しかし、ちぃと気になりますね」
ここで悟助は少し声を落として、医者に言う。
「あっしが思うに、ありゃあ、人さらいだと思うんですよ。なぁ、先生。先生の知り合いでお侍様がいらっしゃるんでしょう。
その方に頼んで、こう、ぱぱぱぱーんと悪者ひっ捕らえて、解決できませんかね」
「無茶言うなよ」
「わかってますよぉ。でもね、あっしはあの縛られていた女こどもが、どうもかわいそうでねぇ。
何とかできねぇかぁって思っちまうんです。どうか話だけでも聞いてやっちゃあくれませんか」
そういって悟助は黙り込んだ。
言動は軽いが、情に厚いところがある男だ。
もしかしたら、一人で夜にあの船着き場に行って、証拠を集めようとするかもしれない。
「わかった。俺から話をしておくから、お前は勝手に動くなよ」
「へへへ、なんだかんだ薫先生は優しいなぁ」
「ひっつくな、診察の邪魔だ」
診察中に腕にしがみついてきた悟助を、しっしっと追い払うと、悟助はにこにこと満面の笑みで
「がってんしょうちでぇ」と元気に駆けていった。
※※※
「…というわけなんだよ。どう思う?勝之介」
「どうといわれてもな。さすがにそれだけの情報じゃ動きようがないぞ」
「そうだよなあ」
知り合いの侍、勝之助は現在の南町奉行である。
しかし、医者である薫と勝之助は幼い時分、ともに野山を駆け回った幼馴染であった。
成長した今でも気の置けない仲である。
ずずずと茶店の茶屋を啜りながら勝之助が口を開く。
「悟助の見間違いってことはないのか」
確かに。悟助は足元がおぼつかないほど酔っていたというし、
酒が見せた幻とも考えられる。
「そういわれるとなぁ・・・」
「ただ、近頃江戸近辺で妙な噂を聞く。神隠しに合う女子どもの話だ。
煙みたいに綺麗にいなくなっているそうだ。その後には必ず風車が置いてある。
見目のいいものばかりがいなくなっているらしい」
「…とすると」
「ああ、悟助の話もまんざら嘘じゃあ、ないようだな。よし、もう少し悟助に聞いてくれないか。例えばその浪人の人相とか、檻の中の人の顔とか。船に何か印のようなものはなかったかどうか」
「あいわかった」
「それと、薫。お前も気をつけろよ。見目のいいものが狙われるらしいからな」
「俺は男だぞ。それに歳だってそれなりにくっている」
「はっはっは。冗談だ。だが、くれぐれも危ないまねはしてくれるなよ」
「お前もな」
薫は団子を食べ終えると、立ち上がった。
「午後も診察があるから。また」
「ああ」
と残して去っていく。
薫の後ろ姿を見ながら、勝之助は「冗談じゃないんだがなぁ」とひとりごちった。
※※※
診察に行った長屋のおかみさんは薫を見るなり泣きついてきた。
「向かいの家のおきみちゃんが…。」
いつもは負けん気が強くて、ならず者相手でも一歩も引かないような肝っ玉座った女のはずが、
目にいっぱい涙をためて、薫にすがる。
「どうしたんだ一体。そんな泣いたら、お腹の子どもにさわるだろう」
「だってぇ、だってね」
しくしくと泣きながら、おかみさんは話し始めた。
向かいの長屋に暮らすおきみという娘は、若く、美しいことでここらじゃ有名だった。
それに気立てがよく、おかみさんも娘のようにかわいがっていたという。
毎朝、おかみさんが起きると同じ頃起きてきて、「おはようございます」と挨拶し、
一言二言会話をするのが日課になっていた。
「でもね、今日に限って起きてこなかったんだよ…。」
たまたま寝坊でもしてしまったのか。
ほっといてりゃ起きてくるだろう。
そう思ったおかみさんは気にすることなく、朝の支度をして、仕事に精を出していたが、昼過ぎになってもおきみは姿を見せない。
「さすがに、おかしいなぁっと思ったのよ。具合が悪いのかもしれないし、…」
おかみさんはおきみに外から声をかけたが、返事がない。
それどころか人の気配がしないのだ。
ますます心配になり、男衆を呼んで家を開けてもらった。
しかし、そこはもぬけの殻。
おきみの姿は煙のように消え失せていた。
代わりに赤い風車がからからと揺れていた。
「きっと神隠しにあったんだ。あんな綺麗な娘だもの。でも、もうおきみちゃんに会えないって思ったら、もう…」
そうして、おかみさんはまた泣き始めた。
ふと視線を感じ振り向くと、そこには悟助が呆然と立っていた。
手には花が握られている。
「…おきみちゃん。あんにゃろう!!」
「まてっ、悟助!」
悟助は手に持った花を放り投げて、薫の制止も聞かずに駆けていった。
薫はおかみさんへの挨拶もそこそこに慌てて悟助を追いかけた。
「悟助、まて、はぁはぁ、悟助!」
悟助がいたのは果たして、あの船着き場だった。
神妙な面持ちで船を見つめている。
そこにはただの船が止まっているだけだった。
「話を聞け、悟助!」
「あっしは、もう、我慢なんねぇんです!、あいつらよりにもよっておきみちゃんをさらいやがった。誰も信じねぇってんならそれでいい。あっしがおきみちゃんを助けます。止めねぇでください、先生!」
もう話は終わりだというように薫に背を向けて船着き場を見る悟助。
薫は悟助の肩に手を当てると、こちらを振り向かせる。
「なんでぇ、先生!」
「バカ。冷静になれ。お前がこの船着き場で浪人と目が合ったというなら、再びこの船着き場を使うのは考えづらい。別の船着き場を使うはずだ」
「…でも船着き場なんてぇたくさんあって、あっしはどうしたらいいです?おきみをおきみを助けたいだけなのに…」
薫の言葉に少し頭の血が抜けた悟助が震える声で薫に問いかける。
「ああ、知り合いの侍に調べてもらって、次に使うだろう船着き場を調べてもらった。そこで待ち伏せればおきみを助けられるかもしれない」
「そこはどこなんでぇ。教えてくだせぇ!」
「いいだろう。だがそこには俺も同行させてもらう。二人でおきみを助けよう」
悟助が驚いたように薫を見た。
「いいんですかい?殺されるかもしれねぇんですよ」
「俺だって腹が立っているんだ。でもこれ以上失いたくないんだ。おきみも、お前も」
「ありがてぇ、百人力だぁ、先生!」
感動したように悟助は薫の手を取った。
「俺がくるまで絶対に余計なことはするなよ」
「がってんでぇ!」
薫は悟助に釘をさすと、別の場所へ向かった。
※※※
「…不在か」
それは南町奉行の勝之助の屋敷。
面会を申し入れたがすげなく断られてしまった。
「あら、どうしたの薫先生」
そこへ勝之助の妻であるおしのが通りかかる。
「すみません、奥方。勝之助はいますか?」
「え、ええ、旦那様は今将軍様の使いで江戸城に出向いてしまっていますよ。
急ぎの御用ですか」
「いえ、いえなんでもございません。ありがとうございます」
「では、ご機嫌麗しゅう」
「はい、奥方様も」
今回はご多忙な南町奉行の手を借りることは難しそうだ。
薫はうーんと唸るとくるりと道を引き返した。
おそらく悟助を説得することは無理だろう
今夜動かなければ、おきみを助けることもできないかもしれない。
・・・・仕方がない。
決行は今夜だ。
※※※
夜の船着き場。
樽の後ろに隠れ、二人で作戦を練る。
「いいか、俺が侍たちを引き付ける。お前はその間におきみだけでも探し出して、一緒に逃げろ。危なくなったらお前だけでもすぐに逃げろ、いいな?」
「でも、先生、先生は大丈夫なんですか?」
「俺はこう見えて少し武術をかじったことがある。そこらの奴には負けないさ。いいか、お前はおきみを助けることだけを考えろ」
「へ、へぇ」
悟助は心配そうに薫を見たが、薫はどこ吹く風。
なにせ薫は小さい時分から勝之助とともに稽古に励んでいたのだ。
最近めっぽう剣を振るう機会はなくなったが、そこらの武士には負けない自信があった。
月が雲間に隠れ、夜の江戸は霧で包まれる。
もう今日は来ないかもしれない、
そう二人が思い始めたころ、賊は現れた。
きこきこと重そうな牛車を引っ張って現れた男たち。
荷物を船着き場付近に止めると、慣れたように船の準備を始めた。
用心棒は3人。ほか船頭が3人、指示を出す賊の頭らしき男とそのおつきの小男。
その中で薫よりも腕が立ちそうなのが一人。おそらく悟助が見た浪人だ。
それ以外は薫の腕ですぐに倒せそうだ。
薫は闇に紛れて動き出す。
車の影で荷ほどきに気を取られている男の背後にそっと忍び寄る。
「…~っ!」
音もたてずに男を背後から襲撃した。
口元に薬品をしみこませた布を当て、頸動脈を素早く圧迫する。
男はしばらくもがくが、膝から崩れ落ちる。
しばらく起きることはないだろう。
まずは一人。
さらにいつまでも荷ほどきが終わらず様子を見に来た小男を素早く捕まえ、気絶させる。
様子がおかしいことに気づいた用心棒の一人が刀を抜いて近づいてくる。
「…うっ!!」
すばやく木刀で喉あたりを狙いつき、その衝撃で男は荷にぶつかり倒れた。
ガッシャアアンッ!!
派手な音を立てて、荷がほどける。
そこには目隠しをされて、猿ぐつわを噛ませられた女子どもが囚われていた。
「何奴だっ!!」
指示を出していた男が慌ててこちらに向かってくる。
ちっ、気づかれたか。
薫は潔く姿を現すと、指示を出している男に向かっていき、腹めがけて木刀を振るった。
ガッキィイイイインッ。
男に当たる寸前のところで、薫の木刀は受け止められる。
「お前か!」
浪人は薫をみると嬉しそうに言った。
そのまま薫に切りかかってくるので、受け止めて切りあう。
実力差は明確だった。
また真剣と木刀。どちらに利があるかも誰の目にも明らかだ。
徐々に徐々に薫は押されていく。
額に汗を浮かべながら、これでいい、と薫は思った。
派手な切りあいにこの場の全員の目線がこちらに釘付けとなっている。
こっそりと荷に忍び込んだ悟助は静かに囚われている者たちの縄を解き、一人ずつ逃がしていく。
「…あっ!」
船頭の一人が悟助の存在に気が付いた。
「逃げろ!悟助!」
船頭と指示を出していた男は悟助に向かって駆けだしている。
悟助はちらりと俺の方を向くと、すぐに振り返って、駆けだした。
どんどん小さくなる悟助の足音。
あいつの逃げ足は一等だ。誰のあいつには追いつけまい。
「…あっ!」
浪人が振り下ろした刀をぎりぎりで避ける。
しかし、柄が手に当たって、木刀を取り落としてしまった。
カランッ。
木刀が地面に転がる。
薫は痛みに腕を抑える。
もう勝負はついてしまった。
ちらりと薫は悟助の走っていった方を見た。
…無事おきみを助け出せたようだな。
よかった。
浪人はざっざっと薫に近づくと、グイッと頭をつかみ上げた。
そして、刀の柄を思いっきり薫の後頭部に打ち付ける。
「…うっ!」
そのまま薫は気を失い、地面にうつ伏せに倒れてしまった。
「っちっ、…おい、何を寝ぼけている。残った荷物を運び出せ!」
人さらいの一味の頭である男が、気絶した3人を足で蹴った。
「あ、あいつっ!」
男たちは飛び起きると、地面に倒れる薫を見て、刀や棒をもって襲い掛かろうとした。
「待て待て、お前たち」
それを止めたのは浪人だった。
3人は腕が立つ浪人には何言えないのか、振り下ろした武器を下げ、押し黙る。
気絶した薫の頭を持ち上げると、3人と頭に見えるように掲げる。
「これだけ見目がいいんだ。いい商品になる、だろう?」
「ああ、そうだが。ただひどいじゃじゃ馬だ。その男はお前に預ける。その間商品として仕込んでおけ」
頭は頷くと、残りの荷物を船に乗せ、自らも船に乗り込む。
他の男たちもぶつくさと文句を言いながらもそれに続いた。
浪人は最後に薫を軽々と肩に担ぎ上げると船に乗り込んだ。
船は音もなく水面をすべるように進んでいく。
やがて初めから何もなかったかのように、すべては暗い夜の闇に飲み込まれた。
__続く
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