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いい子、悪い子
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ひとつめは右のみみたぶ。ふたつめは左の軟骨。みっつめは誰にも見えないへその上。よっつめは、どこにしよう。きらりと光るピアスを手に私は鏡とにらめっこする。鼻は嫌だな、格好悪いし。そろそろ左のみみたぶにもあけようかな。
最初にピアスをあけたのはいつだったっけ。そうだ、悠くんに初めての彼女ができたときだから丁度二年前。大学デビューも甚だしく、出会って数日の女と付き合った彼に「別れなよ」なんていう権利は私にはなくて、さめざめと泣いたことだけ覚えている。彼の隣りを歩いていたのは、派手な赤い髪に濃いメイクの初めてみるタイプの女の子。高校卒業まで真面目一辺倒。生徒会執行部に所属し、スカートの裾を折ったこともない。模範生のような学生時代を過ごした私にはハードルが高い。
悠くんがそういう女の子が好きだったなんて知らなかった。メガネ越しに彼を見つめている。重い黒髪をひとつに縛って、色気なんて持ち合わせていない。こんな私じゃ釣り合わない。
震える手を誤魔化すように深呼吸する。パチンと音がして、簡単に耳を針が貫いた。冷たい、なんて思っているとゆっくりと熱くなってくる。違う、熱いんじゃなくてこれは痛みだ。この感覚に痛みと名前をつけた瞬間に身体がこの痛みに支配される。耳の痛みのせいにして、声を上げて泣いた。恋の終わりと一緒に優等生ともお別れだ。身体に傷をつけた優等生なんていないでしょ。地味な女じゃなくなったら私を好きになってくれるかな、なんて思いが心のどこかにあって、終わらせたはずの恋がずるずると続いていることに気がついた。
松本悠希くんと私は幼馴染だった。
親同士が仲良しで、家も隣り同士。絵に描いたような理想の幼馴染像そのままの関係で私たちは幼少期を過ごした。悠くんは私のひとつ年上で、お互いひとりっこだったこともあってまるで本物の兄妹のようにいつも一緒だった。悠くん、秋ちゃんなんて呼びあって、誰よりも仲良しだった。
小学校に上がって、悠くんが私と一緒にいてくれなくなった。クラスメイトの奈々ちゃんっていう女の子の子が好きだという噂を聞いて「悠くんのこと好きな女の子ならここにいるのに、私じゃだめなの?」と訴えた。
悠くんは少し考えて「ぼくが好きな女の子じゃないと意味ないでしょ」と言った。
どうやら、私は悠くんの好きな女の子じゃなかったらしい。
そのときは難しくてよくわからなかったけれど、それが初めての告白と失恋だ。しかし、明確に誰かと恋人関係になっている話は聞かなかったし、片思いなのだと思って私は顔を見合わせるたびに「好き」だとか「付き合って」のような言葉を繰り返した。
高校生になって、明確に男女の間に存在する目に見えない壁を感じてからは、積極的な告白はぱたりとやめた。一種の高校デビューだったのかもしれない。悠くんのことを好きでいる気持ちがなくなったわけではなかった。しぶとく愛を貫く女の子一途で可愛いでしょう。
学校で褒められるのは真面目な優等生だ。誰からも認められるような立派な子でいたら、悠くんからも認めてもらえると思って、勉強だって頑張った。髪を巻いたり、リップを塗ったりして見たかったけれど、そんなの優等生じゃないから興味のない振りをした。まっさらなままの私は可愛くないから、趣味じゃなかった? だったらもっと早く教えてよ、悠くん。
悠くんが大学に入学したのを機に、顔を合わせる回数が減ってしまった。地元の大学だっていうから実家から通っているはずなのに、時間が合わなくなってしまったのだ。朝になったら学校に行かなければいけない高校生とは違うのだ。大学生は昼から登校することもあれば、昼になったら帰ってくることもある。いずれにしろ、私が学校にいる間に悠くんは登校と下校を繰り返している。会えるはずなんてなかった。
初めはさみしくて仕方なかったけれど、いい機会だと思った。会えない間に悠くんの好みの女の子になってしまえばいいのだ。高校を卒業して、同じ大学に入学する。成績だけはよかったので、他愛のないことだった。卒業すると同時に髪の毛を染めた。メガネもやめた。死ぬ気で化粧を覚えた。こんなことを毎日のようにやっていたのか、と高校時代不良と呼ばれていた女学生たちを思い出す。少し前まで見下していたような彼女たちのことが急に尊敬対象だ。どんなに粉をはたいても美少女になんかなれないことに絶望する。小学校のときに悠くんが好きになった奈々ちゃんはもっと瞳が大きくて、中学校のときに仲良くしていた有紗先輩はまつげがうんと長くて、高校のときに悠くんが片思いをしていたまどかさんは唇がぷるんとしていた。
鏡の中の私は彼女たちとはほど遠い。黒目は小さくて、まつげは短いわけではないものの、長くもない。唇は薄い。
理想の女の子になったら私を見てくれるでしょ。もう妹なんかじゃないんだから。悠くんのこと、一度だってお兄ちゃんと呼んだことがなかった。ずっと好きだった。ひとつめのピアスを開けたのは、それから二か月後のことだ。
髪の毛はブリーチを重ねて、淡いピンク色に染まっている。メガネはもうしばらくかけていない。ブラウンのカラーコンタクトはもはや地味かもしれない。ラメがザクザク入ったアイシャドウで瞳を輝かせて、よっつめのピアスの場所を悩んでいる。あの日の地味な女の子はもういない。もしかしたら悠くんはもう私に気がついてくれないかもしれないけれど、大学内で私を見かけたら可愛い子がいるなと思ってくれるかもしれない。
「悠くんとこの前一緒にいた女の子は両耳のみみたぶにピアスあいてたし、やっぱりベタにここかな」
パチンと音がする。一瞬で穴がひとつ増えた。この痛みにも慣れてしまった。じんじんとしびれるような痛みが広がっていく。鏡の中で、どこか恍惚にも似た表情をした私と目が合った。またひとつ理想の女の子に近づけたかな、悠くん。あと何が足りないのだろう。気持ちは誰よりも強いのだ。こんなに可愛くなったのだから「悠くんの好きな女の子」になっているでしょう? 優等生の面影なんてない。高校生のころの私を知っている友人らは驚いているのかもしれない。けれど、そんなのどうだっていい。
水曜日は講義が早く終わるから、午後四時には帰宅してくる。玄関の前で悠くんを待ち伏せ。七十二回目の「好き」はどんな味かしら。あけたての左耳のピアスがチクリと痛む。胸のドキドキに反応しているみたいだ。
「……あの、どちらさま?」
久しぶりに悠くんとの距離が一メートルを切っている。
「悠くん」
彼の名前を呼ぶ私の声も久しぶりに震えている。姿を変えても私は何も変わっていない。彼の前ではずっと、小さなころのままなのだ。あなたに恋をする小さな少女だ。
「……もしかして」
悠くんと呼ぶのは私だけだから、気がついてくれただろうか。悠くんがいぶかしむように私を見ている。可愛くなったからびっくりしたかな。
「その髪も、ピアスもどうしちゃったんだよ」
変な友達ができたのか、と彼は続ける。おかしいな、思っていた反応と違うと困っちゃうよ。
「可愛くなったでしょ?」
「こんなの、お前は知らなくていいんだよ」
「どうして? こういう女の子が好きだったんでしょ」
「……そんなこと」
「好きだよ、悠くん。悠くんが好きになってくれないから、悪い子になっちゃった」
私と目を合わせてくれない悠くん。手を伸ばせば届く距離なのに、触れることができない。
「違うよ、お前はずっといい子なんかじゃなかった」
俺のせいなんかじゃないんだ、そう言って悠くんは私のことを見向きもせずに家の中に消えていく。そんなことないよ。私はずっといい子だった。変なことをいうんだな、悠くんって。ずっと優等生だった私がいい子じゃなかったわけがないじゃない。ずっと、ずっとあなただけを見ていた私が。
「私が悪い子だから、好きになってくれないの?」
じゃあ、どうしたらいい子になれるの。悠くんにとっての「いい子」になりたくて頑張ってきたんだよ。世間的には悪い子だってかまわない。悠くんにいい子だって言ってもらえなかったら私は一体どうしたらいいの。ねえ、悠くん。
教えてよ。
最初にピアスをあけたのはいつだったっけ。そうだ、悠くんに初めての彼女ができたときだから丁度二年前。大学デビューも甚だしく、出会って数日の女と付き合った彼に「別れなよ」なんていう権利は私にはなくて、さめざめと泣いたことだけ覚えている。彼の隣りを歩いていたのは、派手な赤い髪に濃いメイクの初めてみるタイプの女の子。高校卒業まで真面目一辺倒。生徒会執行部に所属し、スカートの裾を折ったこともない。模範生のような学生時代を過ごした私にはハードルが高い。
悠くんがそういう女の子が好きだったなんて知らなかった。メガネ越しに彼を見つめている。重い黒髪をひとつに縛って、色気なんて持ち合わせていない。こんな私じゃ釣り合わない。
震える手を誤魔化すように深呼吸する。パチンと音がして、簡単に耳を針が貫いた。冷たい、なんて思っているとゆっくりと熱くなってくる。違う、熱いんじゃなくてこれは痛みだ。この感覚に痛みと名前をつけた瞬間に身体がこの痛みに支配される。耳の痛みのせいにして、声を上げて泣いた。恋の終わりと一緒に優等生ともお別れだ。身体に傷をつけた優等生なんていないでしょ。地味な女じゃなくなったら私を好きになってくれるかな、なんて思いが心のどこかにあって、終わらせたはずの恋がずるずると続いていることに気がついた。
松本悠希くんと私は幼馴染だった。
親同士が仲良しで、家も隣り同士。絵に描いたような理想の幼馴染像そのままの関係で私たちは幼少期を過ごした。悠くんは私のひとつ年上で、お互いひとりっこだったこともあってまるで本物の兄妹のようにいつも一緒だった。悠くん、秋ちゃんなんて呼びあって、誰よりも仲良しだった。
小学校に上がって、悠くんが私と一緒にいてくれなくなった。クラスメイトの奈々ちゃんっていう女の子の子が好きだという噂を聞いて「悠くんのこと好きな女の子ならここにいるのに、私じゃだめなの?」と訴えた。
悠くんは少し考えて「ぼくが好きな女の子じゃないと意味ないでしょ」と言った。
どうやら、私は悠くんの好きな女の子じゃなかったらしい。
そのときは難しくてよくわからなかったけれど、それが初めての告白と失恋だ。しかし、明確に誰かと恋人関係になっている話は聞かなかったし、片思いなのだと思って私は顔を見合わせるたびに「好き」だとか「付き合って」のような言葉を繰り返した。
高校生になって、明確に男女の間に存在する目に見えない壁を感じてからは、積極的な告白はぱたりとやめた。一種の高校デビューだったのかもしれない。悠くんのことを好きでいる気持ちがなくなったわけではなかった。しぶとく愛を貫く女の子一途で可愛いでしょう。
学校で褒められるのは真面目な優等生だ。誰からも認められるような立派な子でいたら、悠くんからも認めてもらえると思って、勉強だって頑張った。髪を巻いたり、リップを塗ったりして見たかったけれど、そんなの優等生じゃないから興味のない振りをした。まっさらなままの私は可愛くないから、趣味じゃなかった? だったらもっと早く教えてよ、悠くん。
悠くんが大学に入学したのを機に、顔を合わせる回数が減ってしまった。地元の大学だっていうから実家から通っているはずなのに、時間が合わなくなってしまったのだ。朝になったら学校に行かなければいけない高校生とは違うのだ。大学生は昼から登校することもあれば、昼になったら帰ってくることもある。いずれにしろ、私が学校にいる間に悠くんは登校と下校を繰り返している。会えるはずなんてなかった。
初めはさみしくて仕方なかったけれど、いい機会だと思った。会えない間に悠くんの好みの女の子になってしまえばいいのだ。高校を卒業して、同じ大学に入学する。成績だけはよかったので、他愛のないことだった。卒業すると同時に髪の毛を染めた。メガネもやめた。死ぬ気で化粧を覚えた。こんなことを毎日のようにやっていたのか、と高校時代不良と呼ばれていた女学生たちを思い出す。少し前まで見下していたような彼女たちのことが急に尊敬対象だ。どんなに粉をはたいても美少女になんかなれないことに絶望する。小学校のときに悠くんが好きになった奈々ちゃんはもっと瞳が大きくて、中学校のときに仲良くしていた有紗先輩はまつげがうんと長くて、高校のときに悠くんが片思いをしていたまどかさんは唇がぷるんとしていた。
鏡の中の私は彼女たちとはほど遠い。黒目は小さくて、まつげは短いわけではないものの、長くもない。唇は薄い。
理想の女の子になったら私を見てくれるでしょ。もう妹なんかじゃないんだから。悠くんのこと、一度だってお兄ちゃんと呼んだことがなかった。ずっと好きだった。ひとつめのピアスを開けたのは、それから二か月後のことだ。
髪の毛はブリーチを重ねて、淡いピンク色に染まっている。メガネはもうしばらくかけていない。ブラウンのカラーコンタクトはもはや地味かもしれない。ラメがザクザク入ったアイシャドウで瞳を輝かせて、よっつめのピアスの場所を悩んでいる。あの日の地味な女の子はもういない。もしかしたら悠くんはもう私に気がついてくれないかもしれないけれど、大学内で私を見かけたら可愛い子がいるなと思ってくれるかもしれない。
「悠くんとこの前一緒にいた女の子は両耳のみみたぶにピアスあいてたし、やっぱりベタにここかな」
パチンと音がする。一瞬で穴がひとつ増えた。この痛みにも慣れてしまった。じんじんとしびれるような痛みが広がっていく。鏡の中で、どこか恍惚にも似た表情をした私と目が合った。またひとつ理想の女の子に近づけたかな、悠くん。あと何が足りないのだろう。気持ちは誰よりも強いのだ。こんなに可愛くなったのだから「悠くんの好きな女の子」になっているでしょう? 優等生の面影なんてない。高校生のころの私を知っている友人らは驚いているのかもしれない。けれど、そんなのどうだっていい。
水曜日は講義が早く終わるから、午後四時には帰宅してくる。玄関の前で悠くんを待ち伏せ。七十二回目の「好き」はどんな味かしら。あけたての左耳のピアスがチクリと痛む。胸のドキドキに反応しているみたいだ。
「……あの、どちらさま?」
久しぶりに悠くんとの距離が一メートルを切っている。
「悠くん」
彼の名前を呼ぶ私の声も久しぶりに震えている。姿を変えても私は何も変わっていない。彼の前ではずっと、小さなころのままなのだ。あなたに恋をする小さな少女だ。
「……もしかして」
悠くんと呼ぶのは私だけだから、気がついてくれただろうか。悠くんがいぶかしむように私を見ている。可愛くなったからびっくりしたかな。
「その髪も、ピアスもどうしちゃったんだよ」
変な友達ができたのか、と彼は続ける。おかしいな、思っていた反応と違うと困っちゃうよ。
「可愛くなったでしょ?」
「こんなの、お前は知らなくていいんだよ」
「どうして? こういう女の子が好きだったんでしょ」
「……そんなこと」
「好きだよ、悠くん。悠くんが好きになってくれないから、悪い子になっちゃった」
私と目を合わせてくれない悠くん。手を伸ばせば届く距離なのに、触れることができない。
「違うよ、お前はずっといい子なんかじゃなかった」
俺のせいなんかじゃないんだ、そう言って悠くんは私のことを見向きもせずに家の中に消えていく。そんなことないよ。私はずっといい子だった。変なことをいうんだな、悠くんって。ずっと優等生だった私がいい子じゃなかったわけがないじゃない。ずっと、ずっとあなただけを見ていた私が。
「私が悪い子だから、好きになってくれないの?」
じゃあ、どうしたらいい子になれるの。悠くんにとっての「いい子」になりたくて頑張ってきたんだよ。世間的には悪い子だってかまわない。悠くんにいい子だって言ってもらえなかったら私は一体どうしたらいいの。ねえ、悠くん。
教えてよ。
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