【本編完結】朱咲舞う

南 鈴紀

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第二話 囚われの二年間

第二話 七

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「どこ、ここ……?」
 気づけば真っ暗闇の中心にあかりはぽつんと立っていた。目を凝らして周囲を見回すも、物の輪郭さえつかめない。わかることは足を濡らす冷たい水の感覚と先ほどまで霊剣を手にしていた右手の軽い感触だけだった。
 暗闇と水に怯える自分を奮い立たせて、あかりは足を引きずる。水をかき分けるざぶざぶという音がやけに大きく響いて感じられた。
 そうして幾らか歩くと、つま先が何かに当たった。目線を落とすと、赤い何かがあった。
「あれ、見える?」
 いつの間にか色や形が認識できるようになっていたことに気づいたあかりは、さっと前を見た。そこには忘れもしない、最後に目にした南朱湖が広がっていた。
 建物の残骸と人の骸が島のように浮いている。
 あかりが反射的に目を逸らした先は足元で、赤い何かが再び目に映った。今度ははっきりと見えたそれは、赤い女性だった。瞬時にあかりは目を見開き、身をかがめる。
「お母様!」
 伸ばした指先が母の身体に触れるも、驚くほど冷たい。
「お願い、お母様。行ってらっしゃいが最期なんてあんまりだよ。おかえりって言ってよ」
 必死に肩を揺さぶるも、母は目を開かない。
 中央での戦いに赴く二日前に最後に言葉を交わしたときのことが、まるで昨日のことのように思い出される。「お母様は当主として、この地の民を護るわ。あかり、絶対に帰ってくるのよ。行ってらっしゃい」母は気丈に笑って、あかりを朱咲門から送り出した。それきりだった。
「ちゃんと帰ったんだよ。ねえ、お母様……」
「でも、何も護れなかった。お母様も、あかりも」
「……っ⁉」
 声の主に気づいて、呼吸が止まりそうになった。
 身じろぎひとつしなかった母が、大きな瞳を開けていた。あかりとそっくりな愛嬌のあるはずの目は、ただただ赤い。まるで真っ赤なガラス玉のようだった。
「大事な地は踏み荒らされ、愛した人たちは皆いなくなったわ。力が、足りなかった……。ねえ、あかりもそうでしょう?」
 ガラス玉があかりを映す。
「見たんでしょう、通りのあちこちで見知った人が倒れていくのを。朱咲通りの壊れた家を。南朱湖に浮かぶ家族や民を。……そうして、大事な、大好きな幼なじみすらその手から離れてしまった」
 静かに語るだけの口調は、あかりの心を冷たくさせた。
「……」
「力があれば、もっと強かったら、こんなことにはならなかったのに。そう思わない?」
 無感情だった瞳に、妖しい光が瞬いた。あかりは捕えられたように、その瞳から目が離せない。
「……でも、過去は変えられない」
「でも、未来なら変えられる」
 母は目を細めて、妖艶な笑みを口元に刷いた。
「そうよ。式神になればいいのだわ」
「……何、言ってるの」
「何って強くなれる唯一確かな方法よ。式神になれば力の全てを引き出してくれる。今まで抑えていた力も、上手く使いこなせなかった力も、全てね。そうしたら、護れるわ。今度こそ、必ず」
 仰向いたまま、母が手を差し出す。
「さあ、手を取ってちょうだい」
 あかりが右手を伸ばしたそのとき、袂から小さく、しかしはっきりと鈴の音が聴こえた。そして、脳裏に閃くのはいつか見た三つの笑顔。
 目が醒めるような心地がした。
「……ごめんなさい、お母様。その手をとった私はもう私じゃなくなってる気がするんだ。それじゃダメなの」
 右手を横に払う。透き通った赤が霊剣からあふれ出る。
 あかりは立ち上がると、「青柳、白古、朱咲、玄舞、空陳、南寿、北斗、三体、玉女」と唱えながら、手足を踊るように動かし、最後にちらりと母の姿を捕えた。
「急々如律令」
 何もない宙を切り裂くように、霊剣を振り下ろす。
 最後に目にした母は、安心したように笑っているように見えた。

「は、ぁっ……!」
 目を開くと、そこはすっかり見慣れた牢の天井だった。
 牢番は心底驚いたような顔をしていたが、起き上がり俯くあかりは気づかない。
(今の私じゃ、ここを出ることすら叶わないんだ)
 多少力が戻っても、修行を続けても、現状打破には遠く及ばないという現実をまざまざと突き付けられた。
(それでも、私は……!)
 心から渇望する望みがあるから。決して潰えない希望があるから。
「諦めない」
 言霊に決意をこめて、あかりは誓うように呟いた。
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