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其の陸

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 この顔を飛龍に見られたくない。しかし命令に従わなければ、どの道、行末は変わらない。
 青蝶は意を決して、ゆっくりと顔を上げた。

 この顔を見れば、きっとすぐに追い出されるだろう。そう思っていたのに、飛龍ヒェイロンは驚きもせず、青蝶チンディエの顔を覗き込んだ。
 青蝶は明らかに動揺しているというのにも関わらず、そんなことはお構いなしに、色んな角度から確認する。

 唾液さえ飲み込めず、喉が攣るほど力んで固まっていると、飛龍がようやく口を開いた。

「其方の名は何という?」
「青蝶と申します」
「そうか……。よく合っている」
 飛龍は満足気に頷いた。

 青蝶はわけが分からないまま、震えるしか出来なかった。
 自分のこの醜い顔を見れば、大体の人は怖けずいて後退りをする。
『話しかけるな』という空気感を醸し出される。ギロっと睨みつける人もいる。
 それなのに飛龍ときたら、青蝶の髪を掬い、よりハッキリと顔が見られるようにした。

「其方は、あの踊り子に間違いないな?」
「は……はい……」
 何故バレているのか見当もつかないが、ここで嘘を吐くわけにもいかない。
 青蝶は最もあっさりと、踊り子であることを認めた。

「青蝶。私は其方の舞を見るのが一番の楽しみなのだ。よければ私の為だけに舞って見せてはくれないか?」

 思いがけない一言に、青蝶は言葉を失う。
 これは夢だろうか? そうであれば、全て説明がつく。そもそも針子見習いの自分が、皇太子の部屋なんかに入れるわけがない。こんなにも親しく話してくれるのも、舞を見せてくれなんて言うのも、夢だとすれば全て説明がつく。

 それならば、この夢を楽しみたいと思った。

「勿論でございます。殿下」

 飛龍はニッコリと微笑んで、青蝶の髪を撫でた。夢でも触れられた感触があることに驚いたが、それほどまでに自分が飛龍を思慕しているのだろう。
 きっと、昨日の祭祀でのあの視線が忘れられないからだ。飛龍の熱っぽい視線が身体中に絡まって離れない。それだけで、青蝶は高揚して瞳を潤ませた。

 音楽も何もないが、青蝶チンディエは気の赴くままに飛龍の私室を目一杯使って舞って見せた。
 時折、飛龍を見ると、向こうもこちらを真剣に観ている。互いの視線が絡まるほどに、会話などなくても心が通じ合っていく気持ちになる。ずっとこうしたいと願っていた。たった一人、飛龍のためだけに舞ってみたいと。
 
 そうか………これは夢だから叶えられているのだ。
 自分は確かに自室で薬を飲み眠った。いつも薬の副作用で意識が朦朧とする。無意識のうちに自分の理想像を呼び起こしていたのだろう。

 夢でなら、現実には飛べないほど高く飛べるかもしれない。足取りも軽い。いつも空腹で長時間は踊っていられないが、今なら好きなだけ踊っていられる気がする。
 しかも飛龍の私室は、青蝶の部屋の何十倍も広くて天井も高い。本物の蝶だってあんなに高くは飛ばないかもしれない。

 くるくると舞いながら、青蝶は思い切り踏ん張って飛ぼうとした。

「あっ……」
 その瞬間、足が絡れて転びそうになる。
「危ない」
 飛龍が逞しい腕で受け止めてくれた。
 
 青蝶は顔面蒼白で再び震え始めた。
 夢なのに、失敗した。
(夢……? これは本当に夢?)
 分からない。夢か現実かも分からなくなってしまった。

「青蝶!!」
 名前を呼ばれてハッとする。包み込むように青蝶を支えてくれている飛龍が、心配そうに顔を覗き込んでいた。しかし、青蝶はますます混乱してしまった。
 全ては夢であるはずなのに、なぜ本物の飛龍が目の前にいるのだ?
 それだけではない。夢なのに、体温が奪われるような感覚まである。目頭が熱くなる感覚も、神経の全てが現実そのものだ。

「すまない。私が無茶をさせた」
「なぜ……飛龍様がここに?」
「青蝶、私に担がれてここまで来たのを覚えていないのか?」
「だって、これは全て夢で……。僕は、幸せな夢を見ていたはずだったのに……」
「僕?」

 飛龍の反応でハッと我に返った。
(そうだ、これは夢じゃない)
 そう思った時にはもう遅い。あまりにも現実離れした状況に、夢だと思い込ませようとしていただけだった。
 そんな混濁する意識の中で、自分を『僕』と言ってしまった気がする。
 ここでは女で通っているはずだ。
 青蝶が本当は男だということは、医務官である暁明しか知らない。

 後宮で自分を『僕』と呼ぶ女性はいない。

「其方、男か?」
 飛龍は聞き逃してはくれなかった。元はと言えば、見た目があまりにも女のようだったため間違えられたのを正せぬまま、その翌年にはもう今の殿舎に連れて行かれた。
 なので青蝶も被害者……。とまではいかないが、真実が言えない状況になったのは紛れもなく周りの判断ミスなのだ。
 だがそれを説明したところでどうなる? 

 部屋からも逃げられないだろうが、せめて……と、飛龍からは距離を置かないといけないと思い、腕から脱出を試みたが、飛龍はそれすらもさせてくれない。

「無理をするな。疲れているのだろう」
「だい……丈夫です」
「そのくらいの嘘は見抜ける。そんなに震えていて、私が何かするとでも思っているのか?」
「ぼ……私を……」
「もう男だとわかっているのだから、無理に私など言わなくて良い」
「ですが……」
「それとも、私が男か女かくらいの些細な判断で人を殺めるように見えるか?」
「滅相もございません!!」
「ならば、こんな時くらい甘えるが良い」

 再び飛龍の懐に顔を押し当てられ、あやす様に頭を撫でながら、そのまま髪に指を通す。
 青蝶は戸惑っていた。

「なぜ、このようなことを?」
「このような、とはどういうことだ?」
「僕を連れだす理由が分かりません」
「ここまでしても、何も伝わっていないのか?」
 
 飛龍は落胆した様子を見せた。自分の部屋にまでお忍びで連れてきて、二人きりの時間を堪能しているというのに、青蝶は飛龍の気持ちが僅かにも分からないというのだ。
 
 青蝶からは飛龍を誘う、甘い甘い、華よりも甘い香りが放たれているというのに……。
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