40 / 59
6章 汝
4 海
しおりを挟む一行は、おのおの遊ぶ前に食事の準備を、ということで、浜の脇に用意された水場で作業に取り掛かった。千逸はひとり火の準備、ほかのメンバーは調理の下ごしらえという割り振りで、霧島も包丁を持たされたのだが――。
「その手つきは……まさか料理したことない?」
ミツギにやんわりと指摘され、霧島は刃を入れようとしていたにんじんからぱっと手を離す。
「……まあ、しなくても生きていけるし、こういう何かを作る系は昔から苦手意識があって……」
「えーそうなんだ。意外!」
そうさらりと口を出したマユハは、すごい速さで包丁を動かしていた。その仕事ぶりに、千逸がこのために呼んだ、というのも納得できた。千逸がどれだけ包丁を使えるかはわからないが、仮にふたりであったら絶対に日が暮れてしまうだろう。
ミツギは人工肉を丁寧に同じ大きさに切りながら続ける。
「大抵さ、X型に興味持つのって、性への興味じゃなくて、料理とか刺繍とか細かい作業とマルチタスクしたいからなんだよね。指細くて繊細な作業しやすいし」
そのことばに違和感を持った霧島は聞いてみる。
「……ふたりとも、もとは男性だったのか?」
「そう!あたしもマユハも、もうすっかりこっちだけどねー」
「霧島くん、まさかX型試したことないの?」
マユハの問いに霧島は素直に頷く。
「やだー♡」
――なにが……やだ?
霧島が考え始めると同時に、ミツギは、野菜の皮を剥く花角に同じ問いをする。
「花角くんは?」
「……俺はあるよ」
「やっぱり?口調が柔らかいし、下ごしらえすごく上手だもん!」
――何もできなくて悪かったな。
霧島の心の声に被せるように、花角は口を開く。
「それは……多分野菜を扱い慣れてるからだと思うけど」
「ねえねえ、じゃあ、X型にしてみたのって最近?」
マユハの問いに、花角はすこし考えてから、
「いや、少し前、だね」
と言った。
「えー、どうして変えようと思ったの?」
「うーんと……好きな人のため、かな?」
そのことばに、ふたりから黄色い悲鳴が上がる。
「きゃー!待ってました!あたしたちみたいに不純な動機じゃないやつ!」
「いまなら昔みたいに性別が邪魔するとかないもんね!」
「本当!気軽に変えられるし、どっちもやって好きな方選べるし……好きな人のために変えるとか……まじ最高」
霧島はその陰でひとり思う。
――そういえば、花角のそういう話は初めて聞いたな。
いまの時代、恋愛は趣味のくくりに入っているので、ずっと興味のなかった霧島は花角にそういう話題を振ったことはなかった。しかしよく考えてみれば、確かに花角ならば、人にこうしろと言う前に自分を変えるだろう。優しく、思いやり溢れる人間であることは、霧島もよく知るところである。
不意に、花角がこちらを見ていることに気づいた。
これまで見たことのない熱を持った視線に、霧島は驚き視線をそらす。
――まるで…………好きな人に向けるみたいだな。
そう思い戸惑っていると、霧島の視界の端に、火起こしを終えてこちらの様子を見に来たのだろう、千逸の姿があった。
それを捉えたミツギは不満げに言う。
「そういえば、千逸はずっと男だよね」
「ねー面白くない」
そんなふたりのあからさまな発言は、本人に届いたらしい。
「ふん、面白くなくて悪かったな。つまらなくて手が遅い男たちは立ち去るとしよう」
と言い、手持ち無沙汰に立っていた霧島の手を軽く握ると、
「霧島、行こう」
と手を引くので、ついていかない訳にはいかなかった。
「ねー!見た?千逸えげつな!」
「あれはもう、タイミングうかがってたよね」
「まあ、しょうがない!だって大本命だもん」
そんな女子二人の野次を背に、霧島は黙って千逸の後ろをついていった。
****
「……いいのか?準備を全部任せてしまって」
砂浜まで連れてこられた霧島は、あそこにいても自分が少しも役に立たないことを知っていたものの、一応確認する。
「大丈夫だ。あいつらはそのつもりで来てる」
「確かに……ふたりもそうは言っていたが」
――勝手に仕事を放棄したみたいで申し訳ない。
そう思う霧島の手を、千逸は再度、力を込めて握り直すと、突然かろやかに走り出した。
「――千逸?」
「せっかく来たんだ。楽しんだほうがいい」
そう言われるも、霧島は慣れない砂浜の上でついていくことに必死であった。温かい砂を足の裏に感じながら精一杯走ると、視界の端に群青が見えたと思えば、突然、目の前に波打ち際が広がったではないか。
「……まさか、映像ではなく本当に海なのか?」
そんな霧島のつぶやきに呼応するように、
「ああ。いくぞ」
とだけ千逸は言うと、手を握ったままそこに飛び込んだ。
濁流に飲み込まれたような大きな音と、冷たい水飛沫が肌を打つ。
それが唐突に静まり返ったかと思えば、ふたりは腰まで浸かった状態で海の中に立っていた。
霧島は濡れた顔を手で拭い、その心地よい冷たさに驚いた。
――まさか、本当に触れられるなんて。
海。それはかつて日本人にとって、非常に身近な存在であった。しかし『塵の時代』を経て、核による汚染を受けたことで、現在は忌避すべきものになってしまった。
しかし、魂に刻み込まれた海への憧憬は簡単には消えないのだろう。
素体交換を終えた後に、精神を安定するため海の仮想現実に一定時間おかれるのは、おそらくそれが科学的に実証されているからなのだと思われる。
ただ、このプラント内世界において、触れられる実際の水というのは極めて貴重であった。水は基本的にプラント内での内循環であるし、外から引く場合は、地下水を何層ものフィルターを使用して濾過しなければならない。
そのため、この量の水は大変貴重であり、てっきりただの投影であると霧島は思っていたのである。
気づけば、隣には日差しに輝く千逸の姿があった。
「どうだ?最高じゃないか?」
そう言って笑うので、思わず疑問をなげかける。
「すべて、本物の水なんだな。……考えられない。まさかこの世界にこんなに水があるとは」
「……そうだな。資源の関係もあって、この量の水にはなかなか出会えない。楽しむといい」
そんな千逸のことばは、すでに霧島の耳へは届いていなかった。
冷たい水が身体を包み、ぞわりと皮膚を撫で、下から押し上げる浮遊感。
それをどこか懐かしいと感じている自分がいることに、霧島はこのとき気づいたのである。
――この感覚を追っていけば、おそらく水のなかにいれば……あの夢の先に辿り着ける気がする。
肌を包む水がもたらしたものは、あの夢が実際に記憶の一部である可能性があること。
そしてその記憶こそが、自分のすべての鍵となる確信であった。
霧島は感覚に身を任せ、ぼんやりと海を歩く。
突然、視界が暗くなったのはそんなときであった。
「――ただ、見た目ほど奥行きはない。砂浜は表面だけで、奥はダイビングやシュノーケリングを楽しめるようにかなり深度がある。だから水を楽しむのなら、この辺にしておけ。泳いだことはないはず――っ……霧島!?」
そうして千逸が気づいたときには、霧島の姿は跡形もなく消えていたのである。
10
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
ヤンデレだらけの短編集
八
BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。
全8話。1日1話更新(20時)。
□ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡
□ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生
□アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫
□ラベンダー:希死念慮不良とおバカ
□デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち
ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたもので、最近の作品と書き方やテーマが違うと思いますが、楽しんでいただければ嬉しいです。
夏の扉を開けるとき
萩尾雅縁
BL
「霧のはし 虹のたもとで 2nd season」
アルビーの留学を控えた二か月間の夏物語。
僕の心はきみには見えない――。
やっと通じ合えたと思ったのに――。
思いがけない闖入者に平穏を乱され、冷静ではいられないアルビー。
不可思議で傍若無人、何やら訳アリなコウの友人たちに振り回され、断ち切れない過去のしがらみが浮かび上がる。
夢と現を両手に掬い、境界線を綱渡りする。
アルビーの心に映る万華鏡のように脆く、危うい世界が広がる――。
*****
コウからアルビーへ一人称視点が切り替わっていますが、続編として内容は続いています。独立した作品としては読めませんので、「霧のはし 虹のたもとで」からお読み下さい。
注・精神疾患に関する記述があります。ご不快に感じられる面があるかもしれません。
(番外編「憂鬱な朝」をプロローグとして挿入しています)
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
ちょいダン? ~仕事帰り、ちょいとダンジョンに寄っていかない?~
テツみン
SF
東京、大手町の地下に突如現れたダンジョン。通称、『ちょいダン』。そこは、仕事帰りに『ちょい』と冒険を楽しむ場所。
大手町周辺の企業で働く若手サラリーマンたちが『ダンジョン』という娯楽を手に入れ、新たなライフスタイルを生み出していく――
これは、そんな日々を綴った物語。
【完結】『ルカ』
瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。
倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。
クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。
そんなある日、クロを知る青年が現れ……?
貴族の青年×記憶喪失の青年です。
※自サイトでも掲載しています。
2021年6月28日 本編完結
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる