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4章 春

7 名前

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 ふたりが桃園の入口へと辿たどり着いたときだった。
 霧島の目は、門に近づくふたりの人影を見つけた。
 ――珍しいな。
 男女一組の素体が、散歩をするかのように近づいてきたのである。本来、生産プラントであるこのエリアには、花角はなずみのように自然環境に興味のあるものしかいない。また、この場所はそのなかでも奥まったエリアにある。千逸ちはやが連れてきてくれたように、知っている者が連れてこなければ辿りつかないはずであった。
 霧島が不思議に思っていると、おそらく、相手も同じことを考えていたに違いない。
 こちらにじっと視線を向け、そして互いに通りすぎようとしたときであった。不意に男性のほうの足が止まったかと思うと、
「……まさか、お前」
 と声がかけられた。
 その視線の先には、霧島ではなく千逸ちはやの姿があった。
 ただ、声をかけられた当の本人は、よくわからないという表情でたたずんでいる。
 男はため息をついて、腕を組んで口を開いた。
「……やっぱり、覚えていないと思ったよ。俺は待波まちなみだよ。昔、「とこよ」であんたに声をかけられて、それから何年かやりまくった仲なんだけど。ここを教えてくれたのもあんただし……桃の下で青姦したじゃん。えっろいやつ」
 なんて下卑げびた男だろう、霧島がそう思っていると、千逸ちはやは霧島の腕を引き、小さい声で言う。
「霧島、いこう」
 相変わらず淡々とした口ぶりであったものの、その手に込められた強い力に、はやくここを去りたいという気持ちが伝わる。
 霧島はふたりに会釈えしゃくをし、後ろに付き従った。
 すると、千逸ちはやの態度が気にさわったのだろうか、男――待波は、
「なんだよ、つれないな。あんたたちもここで楽しんできたんじゃないのか?なあ、相方さん」
 と霧島に声をかけたのである。
「…………なんだ?」
「あんた、だいぶあの男にお熱になっているみたいだけど、こいつ、処女厨の気があるんだぜ。多分、俺みたいにあそこが形を覚え込んだ頃にぽいと捨てられるよ。もう飽きましたーって」
 そう言われたあとも、腕をつか千逸ちはやの手の圧は変わらなかった。ただ侮辱ともとれるこのことばに、大きく反応したのは霧島であった。
「…………お前はなにを馬鹿なことを言っている」
「……は?」
「この長い人生、相手を変えるのは当たり前のことだろう。一生添い遂げます、なんて言葉はいまも存在しているか?」
 あたりが凍りつくのではという厳しい声色こわいろに、男は動揺を見せた。
「えっと……」
「ならばお前はとなりの人物に永遠の愛を誓ったというのか?――なあ?違うだろう?そんな人間がこの世界の一体どこにいるのか、俺に教えてくれないか?」
 霧島の圧に押された男は、なにも言わずに女性の手を取ると、そのまま視界からいなくなってしまった。
 霧島の腕を握っていた千逸ちはやは、手を離して謝る。
「……すまない。俺のせいで不快にさせた」
「……あれくらい問題ないさ。お前の妙な恋愛遍歴へんれきが知れたということでよしとしよう」
 霧島はそう言うと、先にプラントの出口へと足を進めた。後ろから千逸ちはやが後を追うように静かについてくる。
 その気配を感じながら、霧島は自分のなかにもやもやとした熱と痛みが生まれていることに気づいた。
 それは、あの夢――金色の泡のなかで誰かに声をかけられたときの、あの痛みに近いものであった。
『もし、生きていたら――』
 夢のなかの誰かがそう口にするたび、込み上げていたもの。それはからだの深いところからひっぱられるような、強く深い執着。
 離れたくない。
 一緒にいたい。
 あなたと生きたい。
 ずっと不必要だと思って無視していた、この感情の名前は。
 ――ああ、これはきっと愛なのだ。


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