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2章 憶

3 夢

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 白いもやのなかを、黄金の泡の奔流ほんりゅうがかけのぼる。
 くぐもった水音ときらめきのなか。
 霧島は水のなかでじっとなにかを待っていた。
 その胸にあるのは大きな期待、そして静かな焦燥だろうか。
 そのとき、不意に向こうに人の姿が見える。
 無数のきらめきのなかでは、迫る人影の姿も性別もよくわからない。
 しかし、待っているのはこの人ではないことだけ理解できる。
 なぜなら、
「もし、生きていたら――」
 この人がそう口にするたび、胸の奥に別の何かがこみ上げるのだ。
 それは、期待や焦燥といった前に向かう明るいものではない。
 むしろ後ろへ引きずるような後ろめたさがあり、同時に貫かれるような痛みを伴う。
 この感情の名前を霧島は知らない。
 ただ、生きることに不要な感情であることは、感覚的にわかっていた。
 霧島はぼんやりと目を閉じた。
 水の流れにまかせるように、泡の中をたゆたうように。
 まぶたのうらに、あたたかい光を感じながら――。

 カーテンの隙間から差し込む朝の日に照らされ、霧島は目覚めた。
 そこは昨日素体交換を終えて帰宅した、自分の部屋であった。
 ぼんやりとする頭を起こし立ち上がると、一杯の水を飲み、そしてまた寝台の上に腰かける。窓の外には人工太陽で再現された朝焼けがみえた。
 ――また、あの夢か。
 同じ夢を見はじめたのは、一体いつからだろうか。それがわからないくらいに、霧島はもう何度もあの夢をみていた。
 水のなかで、金色の泡の流れを受けながら、何かを待っているあの印象的な光景。
 これまであまり存在を気にしていなかったが、今日の夢があまりにも鮮明であったため、気になり始めていた。
 ――おそらく、素体交換をしたから脳が若返ったのだろう。
 水が肌を撫でる感覚も、無数の泡に打たれる感覚も、夢というより、実体験ではないかと錯覚するほど鮮明であった。 
 霧島は不意に胸に手を当てた。
 締め付けられるようなあの胸の痛みは、嘘であるかのようにすっかり消えている。
 ――あれは、なんという感情だったろうか。
 悲しみや怒りに近い、耐え難い負の感情であった。しかし名前を忘れてしまうほどに、最近感じていない気持ちでもあった。
 ――きっと生き続ける上では、不要なんだろう。
 悲しみも怒りも、人を死に走らせる。この世界ではそのようなものは、すべて娯楽の中に押し込められている。実生活では一切負の感情に触れることはない。だから道行く人はみな均一で面白みのない、のっぺらぼうのような顔で笑っている。
 霧島は、不意に自分がそれとかけ離れた存在であることに気づいた。そして、無表情で死にたがっている自分は、なぜこの世界で生き続けることを選んだのだろう、と思い、また同時に、もはや記憶にない一世代目の自分は、一体どんな人間であっただろうか、と思った。
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