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4章 名家と商人

2 郭雷臨

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「兄上、すみません!郭来頼かくらいらいただいま戻りました」
 しばらくのあいだ静かであった二人の客間は、彼の登場とともにぱっと華やいだ。郭来頼は頭に冠を被り、腰に剣をいた正装に戻っており、当主の前に進みでると手を組み拱手礼きょうしゅれいの形をとった。
「来頼、戻ったか」
「はい、無事に戻りました。大変遅くなり申し訳ありません」
 そうして穏やかに顔を上げた来頼だったが、なぜか突然素っ頓狂とんきょうな声をあげた。
「なっ……!その茶は…………まさか、兄上がお入れになったのですか……?」
 ―茶?
 確かに茶を用意してくれたのは、ここの主である雷臨だった。彼が出してくれたものを頂かなくてはと晃閃も飲み干し、すでに空になった茶杯が二つ座卓に置かれている。
「―ああ、私が出した。一応この男は客人みたいなものではないか。もてなして何が悪い」
 そんな兄の悪びれない回答は、弟の逆鱗げきりんに触れたらしい。
「兄上!晃閃は客人ではなくて今日から家人となるのです!我が郭家かくけの格を知ってもらい、それにった行動を取ってもらわねばならないのです!当主たる兄上がそんなことするなど、もってのほかです!」
 そう言われてみれば、確かに来頼の言うことも一理あると晃閃は思った。
 雷臨は気心知れた友人のような存在であったので、何も気にせず自然と茶杯を取ってしまったものの、本来ならば名家郭家の当主がやることではない。客人に茶をれもてなすのは侍女の仕事だ。
 そうして晃閃は違和感に気づいた。そういえば、かつてこの屋敷であれだけ働いていた侍従たちの姿が、一人も見当たらない―。
 雷臨は晃閃のその様子に気づいたのか、来頼に鋭く言葉を返した。
「もちろん分かっている。―それより我が弟よ、家人を放っておいてよいのか?」
 そう言われれば、来頼が今とるべき行動は一つだけだった。
 何よりも先に、当主たる郭雷臨に家人を紹介しなければならない。
「…………それはよくありません。晃閃!」
 名を呼ばれ、晃閃は反射的に立ち上がる。
「こちらは郭家当主であり、現戸部尚書こぶしょうしょの我が兄―郭雷臨かくらいりんである。郭家の家人となったからには、今後兄上の命令は絶対だ。何があっても必ず従うのだぞ」
 その脇で恥ずかしそうに扇子で口元を隠していた等の本人も、改まって挨拶をした。
「先程申した通り。郭雷臨だ。これからよろしく頼む」
 それが終わると来頼はくるりと回り兄に向き直った。
「そして兄上!こちらが文でもお伝えしていた逍晃閃しょうこうせんです。彼はこのたび英千帝の恩赦により我が郭家の家人となりましたが、もうすでに素晴らしい働きぶりを見せております」
 その大袈裟な物言いに雷臨はちらりと晃閃を見た。
「ほう」
「数刻前に身なりを整えるため西区画を訪れたのですが、人攫いの手が伸びそうになっていた子どもをその魔の手から守ると、単身悪の巣窟そうくつに乗りこみ無事生きて戻ったのです!」
 ―それは少し話が違うのでは。そう疑問に思う晃閃を、雷臨は温かな眼差しで見つめていた。
「―だから、このように少し薄汚れてはおりますが我が郭家に見合う人物です!どうか温かくお迎え入れ下さい!」
 そんな来頼の大袈裟な物言いを理解するに、どうやら彼は兄が薄汚れた自分を追い払うと思っているらしい。
 確かに雷臨は昔から潔癖けっぺきなところがあったと晃閃が思い返していると、彼はにこりと笑って弟に告げた。
「来頼、もちろんそのつもりだ。いくらあの帝とはいえ帝の命だ。逆らう気は毛頭ない」
「……兄上!」
 そのやり取りをしかと目にした晃閃は、とりあえず無事に終わったと安堵した。その心の平穏と共に体の緊張が解けたのだろうか、つかの間彼を襲ったのはとてつもない疲労だった。
(ま、まずい……)
 このままでは立ちながら意識を失ってしまう―そう思った瞬間、当主と目が合い彼は口を開く。
「それより、色々なことがあって晃閃は疲れているのではないか?来頼、早く部屋へ案内し休ませるといい」
 そうして晃閃は無事解放されたのち、来頼に案内された部屋に入ると、意識を失うように寝台に倒れ込んだのだった。


 ※※※


 翌日。
 朝日が昇り卯の刻を告げる鐘の音が響いても、晃閃は眠りの中にいた。柔らかな寝台の上で小さくうずくまる彼を、遠くから呼ぶ声があった。

 それは人の声ではなかった。
 囁くように響くあの優しい音色―。

 ―榮霞えいかが……呼んでいる?
 まどろみの中の晃閃は、ふと聞こえた霊剣の声にまぶたを上げようとする。しかし柔らかく清潔な布団の快適さがそれを優しく拒んだ。
 ―大丈夫。夢か気のせいだ。来頼殿が昨晩言ってくれたように今朝はゆっくりさせてもらおう。
 晃閃はそう思い再び微睡むと、再度深い眠りの中に落ちようとした。久しぶりに動かした身体には、まだ昨日の疲れが残っているように感じられ、できることならもう少し休んでいたかった。
 しかし、突如それを邪魔するように扉が開いたと思えば、焦り顔の郭来頼が現れた。
「晃閃!すまない、今すぐ起きてこちらに来てくれ」
 彼にそう言われれば、従う他なかった。

 来頼に言われるがまま着替え、彼の焦りようから念のためあの剣を取りついて行くと、連れていかれた場所は昨日と同じ客間だった。
 しかしそこには新しい客人の姿があった。
 当主郭雷臨の反対の椅子にゆったりと腰掛けるのは―白い外套に身を包み、柔らかな髪を横でまとめた細身の男。
「あれは―」
「晃閃、あの男を知っているのか?」
 ひそひそと尋ねる来頼に小声で伝える。
「はい。おそらく、この剣を貸してくれた方です」
 ―本当か。そう来頼が驚くより早く、晃閃は歩み始めていた。
 
 〈持っていてくれ〉

 そう言い剣をこばんだあの青年。
 客間の奥―晃閃の数歩先で座る男は、確かにあの青年と同じ色の髪を顔の横でまとめていた。
 白い外套の陰で見えなかった耳には緑柱石をあしらった金の耳環がきらきらと輝き、裾からは剣と同じ赤い飾り紐も見える。
 ―間違いない。まさか、こんなところで再会が叶うなんて。
 剣を持ってきておいてよかった―そう思い近づいた晃閃を、青年の大きな二つの黄金の瞳が捉え―。
「待て晃閃!その男が蔡瑶千さいようせんだ!」
 後ろから来頼の制する声が響き渡った。
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