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第二章

夢なのか現実なのか、恐怖の夜

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 その日の夜、あいつがやって来た。
 あいつだ。あの男の子だ。いや、別人か。
 薄暗い部屋の中に俯き加減でぼんやりと姿を現した男の子。顔がはっきりしないが別人であるはずがない。怪しげな男の子が何人もいてたまるか。
 駿はグッと身体に力を入れて身構えた。何者かはわからないが人ではないだろう。突然、音もなく現れるだなんてありえない。
 幽霊なのか。だとしたらなぜ付き纏う。見えるからか。そうかもしれない。

「ふふふ、また会いに来てやったぞ。寂しかっただろう。ぼくは寂しかったよ」

 寂しい。な、何を言っている。寂しくなんてない。来るな、こっちに来るな。
 駿はガバッと布団を被り震えた。

「ねぇ、ぼくのこと本当に忘れちゃったの。ねぇ」

 知らない。おまえなんか知らない。

「友達だと思っていたのに。君はぼくを避けるんだね。どうなってもいいっていうんだね。やっぱりそんな忌々しい魂は捨てちゃいなよ。そのままだともっと、もっと酷いことになるよ。いいの、それで」

 もっと酷いことだって。解雇されるより酷いことってなんだ。事故とかか。火災に巻き込まれるとかか。もしかしたら死ぬのか。馬鹿馬鹿しい。そんな最悪なことが重なってたまるか。
 そう思った瞬間、被っていた布団が剥ぎ取られた。
 思わず上擦った声をあげてベッドの向こう側に落ちてしまった。
 やめてくれ。来ないでくれ。
 窓際まで後退り男の子を見遣る。笑っているのか怒っているのかよくわからない。んっ、泣いているのか。どうにも顔がはっきりしない。

「お、おまえはいったい誰だ」

 駿は震えながらもどうにか言葉にした。

「ぼくに訊いているのかい。知っているはずだけど」

 わからないから訊いているのに。

「ああ、もう俺にどうしろっていうんだよ」
「だからそのたまを捨てちゃいなよ。一言、捨てると言えばいい。それだけで楽になれるよ。すべての悪運は消え去るさ。もうそれしか道はない」

 言えばいいのか。それだけでいいのか。けど、『たま』を捨てるって……。嫌な予感しかしない。

「ちょっといいか。その『たま』っていうのはなんのことだ」
「ふん、わかっているだろう。タマシイのことだよ」

 やっぱりそういうことか。

「それじゃ俺に死ねと言うのか」
「どうだろう。死ぬと言えば死ぬのかもしれない。けど違うような気もする。おまえはタマシイを捨てて神になるのだ。それってすごいことだと思わないかい」

 神になる。馬鹿か、こいつ。そんなに簡単に神になんかなれるか。大人びてはいるがやっぱり子供だ。そんな子供のことを信用なんてできるか。ここは強気にいかなきゃダメだ。『出ていけ』とはっきり言え。幽霊になんて用はない。
 けど、ああ、ダメだ。怖い。幽霊に勝ち目なんてない。

『ああ、もうなんで俺はこんなにも運が悪いんだ。結局、運命を変えるのは死ぬしかないってことなのか』

「ふふふ、その考え方はちょっと違う。これはおまえにとっていいことだ。ぼくにとってもいいことだ。生きていたら辛いだけだろう。人の顔色ばかりみて気にしてさ。他人がどう思うが勝手にしろって思っていればいい。魂を捨てれば自由だ。死ぬのは喜ぶべきことだ。だからこそ、そのたまを捨てちゃいなって言っているんだ。誰も気にしないで生きてみろ。神となって生きてみろ。苦労なんてすることはない。そうすればぼくと君はずっと友達だ。怖いって思うのは間違いだよ」

 なんだこいつは。頭がおかしいのか。
 んっ、待て。なんかおかしくはないか。優しい言葉を投げかけているようで違う気もする。生きてみろと言いながら魂を捨てちゃいなと言う。矛盾しているじゃないか。結局、死んで楽になれと言いたいのか。
 うわっ、どんどん近づいて来る。もう逃げ場はない。このままだと殺されてしまう。男の子の手が伸びてくる。やめてくれ。死にたくない。
 駿は勇気を振り絞って叫んだ。

「俺はおまえの言う通りなんかならない」
「そうか、それは残念だ。ぼくは絶対に君のこと許さないからね。一生寂しい思いをするがいいさ」

 えっ、な、なに。どういうこと。男の子の目が釣り上がっていく。

「君は酷い人だ。嘘つきだ。昔っからそうだった。ぼくを騙して君はのうのうと生きて……。これは生得しょうとくの報いだ。気づいていないだろう。優しいと思っている先輩がおまえを解雇に追い込んだこと。馬鹿だね。そんなことはどうでもいい。ぼくは、ぼくは、ぼくは、おまえを赦さない」

 いったい何を言っている。先輩が……。そんな馬鹿な。
 あっ、なんだあの子。
 身体を震わせる男の子。あれはいったい……。額から赤いものがタラリと垂れてくる。まさか、血か。気づけば黒い煙みたいなものがあたりを包み込んでいた。なんだか焦げ臭い。
 何が起きているのだろう。
 んっ、涙か。泣いているのか。けど、顔は怒っている。

 な、なんだあれ。男の子の胸に杭のようなものが打ち込まれている。うわっ、腹が、腹が裂けて内臓がぼとりぼとりと。
 うっ、気持ちが悪い。
 心臓がバクバクいっている。
 男の子はそんな姿でもじりじりっと近づいて来る。
 恐怖で言葉が出てこない。

「ぼ、ぼくは寂しいんだ。わかってよ。苦しくて痛くて。でも、我慢したんだ。みんなのために。それなのに、それなのに。君はわかってくれると思ったのに。ぼくをひとりぼっちにしないで。痛い、痛い、痛いよ」

 男の子の感情がわからない。寂しそうな目をしたかと思ったら怒りに変わり、また悲しみに。今は恨みの念が身体に押し寄せてくる。
 恐ろしくて気持ち悪くて心が掻き乱される。ダメだ、このままいたらダメだ。逃げなきゃ。けど逃げ場はない。

「お願いだ。ぼくをぼくを……」

 男の子の首に赤い筋が走ったかと思ったらごろんと頭が床に落ちて転がってきた。転がる頭が床を血で染めていく。

「うわわわっ、やめろ。やめろ」
「君も同じ目に遭わなきゃ不公平だろう。君がぼくを……」

 気が狂いそうだ。男の子の生首と目が合い絶叫する。

「おやめなさい。そんなことをしてはいけません。あなたにはわたくしがいるではありませんか。寂しくはないでしょう」

 誰だ。他にも誰かいるのか。もう勘弁してくれ。よくわからないが赦してくれ。頼む。

「くそっ、邪魔するな。ぼくはおまえが嫌いなんだ」
「そんなこと言うものではありませんよ」
「うるさい」

 気づけば男の子はもとの姿に戻っていた。
 駿の目と男の子の目が合った瞬間「ぼくのこと忘れるなんて酷い」と睨みつけて消え去った。
 胸の奥に何かが突き刺さったような痛みに蹲る。

『死ぬのか。まさか……。そんなの嫌だ』

 ガバッと起き上がり、眩しさに細目になった。
 んっ、あれ。えっと、ここは……。もしかして夢を見ていたのか。本当に夢なのか。現実じゃないのか。男の子は……。いない。床も血で染まってはいない。

 夢だとしたらリアル過ぎる。こんなにもはっきりした夢を見るだろうか。カーテンのすき間から朝陽が眩しく照らす自分の部屋。自分はベッドの上にいる。もちろん変わった様子はどこにもない。カーテンを開ければ明るく清々しい朝と言ってもいいくらいの景色が窓の外には広がっている。
 もしも夢じゃなかったとしたら男の子は自分に何をしてほしいのだろうか。わからない。そんなことよりあの姿はなんだったんだ。恨んでいるのか。自分を。なぜ……。生得の報いとか言っていたような。前世で何かとんでもない罪を犯しているのだろうか。それとも他に何か忘れていることがあるのか。

 まさか自分は人を殺しているとか。駿は思わずブルッと身体を振るわせた。
 物凄く怖い顔をしていた。物凄く悲しい顔もしていた。
 血まみれで……なんと酷い。思い出しただけで吐き気がする。

 ダメだ。男の子の言うことを真に受けちゃいけない。受け入れたとたん何かが起きそうだ。それも最悪な何かが。そう思いつつもどこか可哀想だとの感情が湧いてくるのはなぜだろう。
 あの男の子はいったい何者なのだろう。『知っているはず』だなんて話していたけど正直記憶にない。やっぱり何かの記憶を失っているのだろう。
 うーん、なんだろう。あんな姿を見せてあの男の子は何か企んでいるのだろうか。

 ふと冷たい視線を感じて後ろを振り返る。
 クローゼットの戸が少しだけ開いていた。誰かいるのか。いるはずがない。このアパートには一人で住んでいる。誰かいたら怖い。まさかあの中に……男の子が。ごくりと生唾を呑み込み駿はクローゼットの戸をバンと音を立てて勢いよく開き後ろへ飛び退いた。

 誰もいないのか。
 ハンガーにかかった服をサッと手で払い誰かいないか確認する。
 いない、大丈夫だ。
 当然だ。誰かがいるはずがない。
 小さく息を吐き出して胸を撫で下ろす。

 んっ、これはなんだ。床に白い毛が数本落ちていた。動物の毛だろうか。
 駿は首を捻り考え込んだ。猫も犬も飼ってはいない。動物の毛が落ちているはずがない。それじゃこの毛はなんだ。自分の毛か。そんなわけあるか。白髪なんか生えていない。それじゃこの毛は……。駿はクローゼットを眺め身体を強張らせた。
 ここに何者かがいたってことか。猫や犬じゃないのは間違いないだろう。それじゃなんだ。

 んっ、あれは……。
 クローゼットの奥にノートが見えた。四隅が焦げたあのノートは亡くなった父のノートだ。こんなところにしまってあったのか。一瞬、燃え盛る炎が脳裏に蘇る。思い出したくない記憶を振り払って息を吐く。
 父のノートか。これって何が書かれていただろうか。

 あれ、これって。
 左手の人差し指の先に傷をみつけた。いつ切ったのだろう。傷は塞がってはいるが指紋を分断するように縦に筋が残っていた。以前にもこんなことなかっただろうか。

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