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第3章 狐の涙

8 鬼猫と九尾の狐、その昔

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 稲光とともに轟音が鳴り響き、ビクンと肩を震わせた。どこかに雷が落ちたかもしれない。鬼猫は空を埋め尽くす鈍色の雲を見上げた。

 ポツリと鼻の頭に冷たいものが落ちてきてブルブルッと頭を震わせる。

 雨だ。

 ゴロゴロと空から嫌な音を響かせている雷とともに大粒の雨が降り出してきた。
 早く帰らなきゃ。
 鬼猫は雨の中を全速力で駆けていく。

 村はすぐそこだ。雨脚が強くなる前に着くだろう。
 そう思ったのだが、村が真っ赤に燃えていた。もしかして雷が落ちたのかもしれない。村のみんなは大丈夫だろうか。急がなきゃ。

 走り出そうとしたとき、突然尻尾を引っ張られて草むらの中に連れていかれてしまった。誰だ。
 尻尾の先に目を向けると狐がいた。すると、すぐ近くから誰かの声が届いた。

「化け狐、どこへ行った。帝を殺そうと人に化けるとは許せん」
「だが、見失ってしまったぞ。あの村に逃げ込んだことは間違いない。まだ近くにいるはずだ」

「探すのは面倒だ。化け狐は焼け死んだことにしてしまおう。あの村の民は鬼だったということにしてしまおう。そう報告すれば問題はない」
「それはそうだが、念のため、もう少し探してから帰るとしようじゃないか」

 そんな声を耳にして鬼猫は隣の狐に目を向けつつ身を潜めた。鬼だなんて、村の皆は鬼なんかじゃない。それにこの狐は本当に化け狐なのだろうか。

「そういえば最近、鬼猫が産まれたなんて話を耳にしたが知っているか」
「その話は知っている。だが、単なる噂だろう。ついでにあの村の猫も皆燃やしてやった。鬼猫も退治したことにしてしまおう」
「そうだな」

 嘘だ。皆、殺されてしまったのか。
 なんで、どうして。

 鬼猫は腸が煮えくり返り、すぐ向こう側を歩く武将たちに飛び掛かろうと草むらの中から睨みつけた。だが、身体を狐に押さえつけられてしまった。
 なぜ押さえる。あいつらに噛み付いて引っ掻いてやっつけてやろうと思ったのに。

「あいつら行っちまったようだね。もう大丈夫だろう」
「なんで邪魔するんだよ」

「馬鹿だね。向かっていったって殺されるだけだよ」
「けど、あいつら皆を殺したんだぞ」

「そうだね。人とは酷いことをするものだよね」
「そうだろう。んっ、違う。悪いのはあいつらだけだ。やっつけなくちゃ」

「けど、悪いことをすると自分に返ってくるんだって」

 自分に返ってくるってどういうことだろう。

「母上が話していた。人を怨んではいけないって。優しい人もいるからって。だから騙しちゃいけないって。好きになった人も不幸にしてしまうからって。悪いのは自分だったって。だから。悪さはしてはいけないよって」
「優しい人か。確かにいる。村のみんなは優しかった。悪さはいけないのもわかっている。けど、悪者をやっつけるのは悪いことなのか」

 鬼猫は狐の言葉に頷きつつ首を捻った。

「どうだろうね。母上は死ぬ間際にそう言っていたけど。しっくりこない」
「そんなことより、おまえは誰だ。おまえだって誰かを殺そうとしたんじゃないのか。化け狐なんだろう」

 狐は「わらわはね」と口にするなり九本の尻尾をユラユラと揺らめかせた。

「尻尾が……。やっぱり化け狐だったのか」
「化け狐か。人はそういうけど……。そんなんじゃない。母上は権力争いに巻き込まれただけだ。それで命を奪おうとしたと濡れ衣を着せられてしまった。石になってしまうなんて。しかも、毒の石だと……。違うのに、あの地は毒ガスが流出していただけなのに。玉藻前たまものまえって知っているかい」

 鬼猫はかぶりを振った。

「知らないか。母上は好きな人と別れて帝のところに行くはめになってしまった。それなのに、狐だとわかると『化け狐だ、退治しろ』と命令があり仕舞いには石にされてしまった。帝のことを殺そうだなんて思っていなかったはずだ。それでも母上は『人はそんなに悪い者ばかりじゃないよ』なんて口にする。わらわも人の姿になり同じように帝に近づいてみた。そうしたらこのありさまだ」

「そうなんだ。けどさ、人の姿に化けていたのは騙していることと同じだろう。それはよくないことなんじゃないのか」
「それは……」

「そんなことより、村に行ってみる。誰か生きている人がいるかもしれないし」

 鬼猫は村へと向かった。建物はすべて燃えてしまっていた。火はだいぶ消えて来ているが燻っていた。
 生きている人の姿は見当たらない。
 どうしてこんなことをするのだろう。

「なんでこんな酷いことをするのだろうか」

 突然の背後の声に振り返る。権兵衛だ。生きていたのか。

「鬼猫、おいで」

 鬼猫は権兵衛に素直に抱かれた。

「こっちの狐は友達かい、鬼猫」
「ニャ」
「そうかい、なら一緒に来るといい」

 権兵衛は森に行っていたらしく生き残れたようだ。他にも助かった人たちがいた。

「しばらくはこの洞窟で暮らそうじゃないか」

 狐も一緒にしばらく暮らした。木の実や野兎をとり食べた。野兎は狐が捕まえてきてくれた。狐の名前はコクリだった。鬼猫には名前はない。鬼猫が名前なのかもしれないとも思えるけど。

 権兵衛は優しいだろうと鬼猫が話すとコクリは頷いていた。同じ人だとは思えないとも口にした。鬼猫もそう思う。あの武将たちのほうが鬼だ。

 どれくらい洞窟で暮らしただろうか。狐はときどき女の子の姿になって皆と遊んでいた。羨ましかった。
 だが平穏な暮らしも長くは続かなかった。

 ある日、一緒に暮らしていた村人の何人かが武将たちに捕まり殺されてしまった。逃げ帰った者の中の一人が、全部そこの狐のせいだと言い出す始末。

 コクリは化け狐だ。『追い出せ』だの『殺せ』だの言い始めてしまった。
 鬼猫はクコリを庇うことができずに結局、追い出すことになってしまった。だが、一人の村人だけが狐が可哀想だと一緒に出て行った。それだけが救いだ。

『ごめん、コクリ』

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