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第1章 鬼猫来る

4 鬼猫は何処に

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「鬼猫さん、鬼猫さん。愛莉だよ。大変なの、鬼猫さん」

 鬼猫鎮神社の小さな社前で愛莉は声をかける。いつもだったら、鬼猫が答えてくれるのに。返事はない。おかしい。いなくなることなんて今までなかったのに。ここ一ヶ月くらい返事がなかった。やっぱり何かが起きているのかもしれない。もっと早く気づくべきだった。

 ひんやりとする風が首筋を撫でていき、ブルッと震えた。
 なんだかいつもと違う。あたたかな気を感じない。誰もいないただの山の中みたいだ。急にひとりぼっちになってしまった感覚になり帰りたくなってくる。

 おかしい。

「鬼猫さん、いるんだよね」

 愛莉は社の扉をゆっくり開けてみた。

 あっ、そんな……。
 社の中には鬼猫の魂の宿った木彫りの猫の置物が鎮座してあるはずだった。それが消えている。誰かに盗まれてしまったのだろうか。そんなはずはない。それならなぜないのだろう。

 あっ、大黒様が。どうして……。
 鬼猫の隣に鎮座している大黒様がなぜか二つに割れていた。いや、割れているというよりも切断されている。やっぱり大黒様の気配もない。

 どういうことだろう。

 そうだ、力士の石像はどうだろう。社の裏手へと回り込む。

 あっ、石像にヒビが入っている。いや、これはもともとあったかもしれない。やっぱりおかしい。力士の気配も感じられない。みんなどこへ行ってしまったのだろう。

 いつも思うことだけど、この力士の名前は難しくて読めない。鬼猫はなんて言っていただろうか。愛莉は頭の片隅にある記憶を引っ張り出そうと必死になった。そうだ、『たぎまのけはや』だ。石像にある文字を見てもそうは読めない。『当麻蹴速』という文字をじっとみつめる。

 愛莉は首を傾げて、記憶が合っているのか不安になった。この力士は蹴り殺されたって話だった。
 ああ、嫌だ。考えたくない。無理やり戦わせたって話だけど、そんなの相撲でもなんでもない。そんなのが相撲のはじまりだなんて。相手の力士の名前も難しくて思い出せない。

 ああ、もう頭が痛くなってきた。鬼猫の話はときどき難しくて。けど、聞きたくなってしまう。

 鬼猫の話を聞くとその場に自分もいた気がしてくるから不思議だ。まだ子供なのに大人の感覚になっていく気もした。祖父は前世の記憶が残っているのだろうって話すけど、そうなのだろうか。

『おまえは子供らしくない』って言われるのはそのせいだろうか。子供か。昔だったら結婚していてもおかしくはない年齢だと鬼猫は話していた。ふとそんなことを思い出して小さく息を吐く。昔だったら大人なのかと思うと不思議な感覚になった。

 時々、自分なのに自分じゃないみたいな気分になってくるときがある。それってやっぱり前世の記憶が関係しているのだろうか。

 そういえば祖父は変なことを口にしていた。

 確か『愛莉も鬼だったのだろう』って。ご先祖様は鬼だったのだろうか。そんな祖父もまた鬼らしい。それに日本人のほとんどが鬼だって笑っていた。笑える話なのかわからないけど。鬼って何って思ってしまう。どう見ても祖父は人だ。角はない。本当は鬼って角がないのだろうか。まさかボケがはじまってしまったのだろうか。それはないか。

 鬼猫の話を聞いて愛莉は祖父の話は本当かもしれないと思えるようになったのも事実だ。
 人なのに鬼か。

 そういえば、大黒様も力士も鬼だなんて話していた。あっ、力士はなにか違う呼び名だった。確か……そうだ土蜘蛛だ。やっぱりよくわからない。どうみても力士は人の姿だ。大黒様も角はない。鬼猫は角っぽいものがあるけど。

 いったい何の話をしているのだろう。自分でもわからなくなってくる。身分がどうとか話していたのは記憶にある。

 ああ、やめた。このお馬鹿さんな頭ではオーバーヒートして脳が焼け焦げてしまう。なんでこんな話を思い出したのだろう。

 そんなことよりも鬼猫はどこ。探さなくては。鬼猫の気を察知すればいい。自分にならできるはず。霊感はもちろん、第六感も働く。けど、何かが邪魔して気を掴めない。

「鬼猫さん、本当にいないの。どこに行っちゃったの」

 刹那、一陣の風が吹き髪をかき乱していく。

「探すなよ、危険だからな」

 今の声は鬼猫だ。声のほうへ振り返ったけど誰もいなかった。

「どこ、どこにいるの。鬼猫さん」

 あたり一帯探し回ったけど、鬼猫はどこにもいなかった。

「鬼猫さん。愛莉、探しに行くからね。悪い人は捕まったから危なくないから」

 きっと鬼猫が聞いているはずだと大声で叫んだ。
 愛莉は溜め息を漏らして、一旦家に戻るしかないと歩き出したそのとき、なにか違和感を覚えた。なんだろう。あたりに目を向けて御神木の傍にある囲いに目を留めた。いつもなら感じるパワーが弱まっている。

 囲いの中には鎮石しずめいしがある。怨霊を封印してあるなんて逸話もある石だ。愛莉は急いで駆け寄り囲いの中を覗き込んだ。鎮石が真っ二つに割れていた。注連縄も落ちている。

 そんな……。これってかなり危機的状況じゃない。

 突然、木々が騒めき始めて冷たい風が唸り声をあげる。
 寒い、真冬になってしまったみたい。春なのに。おかしい、なんだかおかしい。誰かに睨まれているみたい。けど、誰もいない。木々が悲鳴をあげている。

 やめて、やめて、やめて。
 寒い。凍えてしまいそう。
 風の唸り声が強まっていき、愛莉は耳を塞いだ。

 何か悪い者がここにはいる。鎮石が割れてしまったからだろうか。

「鬼は皆殺しだ」

 えっ、なに。

 愛莉は空を見上げた。睨みつける男の顔が空一杯に映り込んですぐに消え去った。同時にあたたかな日差しが入り込み空気が清浄に変わった。身体の冷えが和らいでいく。よかった、もとに戻った。

 安堵したものの愛莉はさっき耳にした『鬼は皆殺しだ』との言葉が蘇り背筋に悪寒が走った。自分も殺されるのかも。そう思ったら胸の奥がゾワリとした。

 ここはもう守られていないのだろうか。一瞬、そう感じたがまだ神域を保っているように思われた。早いところなんとかしなくてはいけない。自分に何ができるかわからないけど、鬼猫を探して元通りの場所にしなくては。音場家の人間としての責務がある。
 愛莉はあたりに目を向けつつ急いで小山を駆け下りていった。

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