謝漣華は誘惑する。

飴谷きなこ

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礼記、一行の警護をする。

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 東宮の執務室である露瑛宮ろえいきゅうに一度顔を出した後、後宮との境である凛門りんもんへ向かう。
今回のような不測の事態が後宮内で起きた場合、女性兵士で構成された通称紅娘軍こうじょうぐんが動く。
その頂点にいるのは礼記のおさななじみである李恵果りけいかあざな花梨かりんである。
同じ近衛府の将軍で、礼記とはいわば相方になる。
後宮内になにかがあれば、女性である花梨が率先して動けるので、非常に礼記としてもありがたかった。

 凛門りんもんへ到着すると、すでに紅娘軍の兵士が辺りを警戒中だった。
門の奥に見える弁柄色と瑠璃色の連なり。
門の外と内では使われる色彩が違う。
それは門の外、外廷と外宮が陽を表すのに対し、内の内廷と内宮が陰を表すからだ。
陽の気を持つ男が中心の世界と陰の気を持つ女が中心の世界。
門の外も華やかだが、内はいかにも女性らしい色使いに溢れ、繊細な造りをしている。
きっとそこに住む人たちの性質をも表しているのだろうな、と思う。

 性格でなく、性質。
表の政治を司る陽の気に満ち溢れたの世界と、皇帝と皇后、そして皇帝の子供たちを産み育む陰の気に満ちたの世界。

 あまりに見事な対比だな、と礼記は思う。
この大内裏を設計し建てた人物はそういう陰陽にも通じた人であったのだろう。
建築はおろか日常の些細なことにも陰陽は満ち溢れている。
全てが均衡を保ってこの世は成り立っているのだ。

 そんなことを思いながら、両脚を肩幅に広げ、片手を腰に提げた剣に添えて、何かあれば即対応できるような姿勢で門の中をじっと見る。

 東宮は無事に皇太后の宮へお入りになった。
しかし、行きはよいよい帰りは怖い、とのわらべ歌にあるように戻ってくる時にこそ最大限の注意を払わねばならぬ。
東宮が子供であったのならそのまま皇太后が保護して手元に置くと言うことも考えられたが、成人している以上祖母のご機嫌伺いからは門の外へ戻ってこなければならない。
後宮の中は真実、皇帝と皇帝の未成人の子の為の世界なのだから、成人している東宮は遠慮せねばならない。
そうでなければ、皇帝ちちの妻を狙う慮外者と言うことになってしまう。

 じりじりと東宮一行の戻りを待つ。
いい加減、貴人の帰りを焦れて待っていたところで、門の奥に東宮と思わしき輿に乗った貴人とその一行が見えた。
輿は屋根つきで、左右と正面に垂れ絹が掛かっていて中を見ることはできない。
やがて、凛門りんもんの境を越えて、外廷に入った。
それを見て、輿に走りよると、帯剣した下官に止められる。

 むっとしてそちらを見ると、それは礼記が求婚した佳人に同時に求婚した男の顔をしていた。
しかし、衣装は宦官のものである。
一瞬目を見開き、そういうことかと腑に落ちる。

 輿に身代わりの誰かを乗せ、自分が徒歩かちで随行することによって、襲撃される機会を減らしたかったのだろう。
大内裏内を輿で移動するのは、一定の爵位を持った皇族かもしくは皇帝の後宮の上級妃嬪か、その子供かに分かれるから襲撃される可能性があるならば、このように襲撃されにくい大賞に擬態させるのが最も単純でわかりにくい。 

揮亮暁きろうぎょう将軍、皇太后陛下より清涼殿せいりょうでんへ参るゆえ、伴をせよとの仰せにございます」

 宦官のお仕着せを着た龍祥が、細かく裂いた麻の繊維を束ねて作った払子ほっすを一振りして、礼記に皇太后の命を告げる。
礼記はその下知げちを了承したとの意を示すため、拱手し頭を下げた。

「承りまして」

 す、と手をあげると礼記の意を受けた兵がそれぞれに配置に付き、一旦止まっていた行列がゆるゆると動き出す。
礼記はぴったりと輿の横、龍祥の傍に控えた。
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