謝漣華は誘惑する。

飴谷きなこ

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養母、漣華と語らう。

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 謝家の祝い事となれば、内々のものであったとしてもそれなりの規模になる。
謝家の家格が高く、高官を代々輩出する名家であり、そして当主の妻は当代皇帝の末妹である。
ただの客であるなら、祝いの当日に顔を出せばいいのだが、そこは貴族としての見栄もある。
昵懇じっこんの仲であると言う証明であるかのように、普段はそこまで行き来はなくともわざわざ数日前から押しかけて泊まり込んでいく客もいる。
それが、親戚ともなればなおさらだ。

 今、ちょうど漣華れんげに話しかけて傍から離さない、でっぷりと身を肥え太らせた女性のように。
たくさんの簪であったり耳飾りや首飾り、芋虫のように太った指にこれでもかと嵌めた大きな石を嵌めた指輪であったり。
纏う衣装の布地は高価なのだろうが、その脂身を隠す為かそれともある程度の余裕を持たせてそれなりに動きやすくするためか、泥でねた小山の上に布をかぶせて宝飾品を飾り、その上に脂身で輪郭をぼやけさせた出来の悪い人形の頭かしらを鎮座させた、趣味の悪い置き物のような。

 謝家の末息子である漣華のほっそりとした腕を握って離さないのは、先々代当主の妹の嫁ぎ先の従兄の姪の息子の嫁の弟の……ともはやそれは親戚ではないだろうと言う位の関係の女性である。
先ほどから漣華の腕を握った手は中々に力が強く、漣華は痛みを感じている。
それをさりげなくほどくのだが、いつの間にかまたがっしりとつかまれて今また更に抱え込まれ、非常に困っていた。
そして客だから、という事でそれなりに相手をしていたのだが、この親戚のいう事がどうにも理解できないのだ。
さっきから口を開くたびにつば・・を飛ばしてきて、もう離れたい。
暇さえあれば目の前にある茶菓子を食い散らかし、更にお茶をぐびぐびと飲んでいるのだが、口に入れたものを飲みこむ前にしゃべるのだけはやめてほしい。
真っ赤に塗られた巨大なナメクジのようなクチビルの隙間からつば・・と共に唾液で溶けかけた茶菓子の成れの果てが飛んで来そうで冷や冷やするのだ。
しかも今日は準礼装で着飾っている。
着替えはあるが、汚されたくはない。
 漣華はまた隙を見て、その掴んできた手を離して席から立ちあがってすっと距離を取る。

 ああ、せっかく粋燕すいえんが綺麗に火熨斗アイロンを掛けてくれたのに皺が寄ってしまった。

 心の中で忠実に仕えてくれる侍従に詫びる。
きっと怒りはしないだろうが、優しい表情の中に残念そうな色をどこか隠しきれないまだ幼い侍従の心を煩わせるだろうことに、胸がちくんと痛んだ。

 何やらきぃきぃと見た目に寄らず甲高い声で話す、自称親戚の女性から離れて、近くを通った侍女に適当に相手をしておくように頼んで漣華はその場を離れた。
先ほど養父には会ったが、どさくさに紛れて挨拶さえしていない。
養母にも義兄や義姉たちにも会っておかなければいけない。

 自らの袖についてしまった皺や、先ほどの女性の体温やわずかに残る掴まれた感触がいとわしく思えて、袖をざざっと逆側の手で払う。
そうすると少しは汚れが落ちた気がして、随分と気が紛れた。

 席を立って歩き始めた途端にまたもや見知らぬ親戚や祝いを述べに来た知人などの招待したのかされたのかもよくわからない人間がわっと押し寄せる。
それを適当にあしらって漣華は歩みを進めた。
目的地は母屋だが、そこもきっと親戚たちが押し寄せているだろう。
果たして養父母はどこにいるのか、とはたと考え込む。
この義実家に来た時には大抵母屋の広間で挨拶を済ませて、専用に与えられた棟の自室でやすむのだ。
そこに声を掛けてきたのが、養母の筆頭侍女である楊泰園ようたいえんである。
長年養母に仕えている体格が良いこのそろそろ不惑に差し掛かろうと言う頃合いの女性は、聞けば養母がまだ幼い頃から仕えているらしい。
 漣華が気が付いて歩みを止めると、その場で一礼して近づいてきた。

「漣華さま、おかえりなさいませ。奥方様がお呼びです」

「それはちょうどいい。養母上に挨拶を差し上げねばと思っていたのです」

 にこにこといつも笑顔を絶やさず、主の生さぬ子である漣華にもいつも優しくしてくれる泰園に、漣華も心を許している。

「泰園も元気そうで何よりです。変わりはないですか?」

 お互いの近況を話しながら、泰園の導きのままに歩を進めていくと、奥まった場所にこぢんまりとした四阿あずまやが建てられた小さな庭に出た。
そこは養母の住む棟の傍に設けられた養母専用の庭で、養母が招かない限り例え家族と言えども立ち入りは許されない。
この邸内に住む謝家の面々にはそれぞれにそう言った専用の棟と庭が与えられて、思い思いに暮らしている。
ただそれだけだと一日のうちに全く顔を合わせないという事もできてしまえるので、せめて食事の時くらいはと食堂に集まるのが最低限の暗黙の了解だ。

 鬱蒼うっそうと繁る庭木が開けたところに小さな四阿があった。
その向こうには低く刈り込まれた立木であったり季節の花々が咲き乱れ、遣り水が流れて魚が泳いでいる。
遣り水の上には回廊が掛けられて、向こう岸に渡れるようになっていた。
 綺麗に真四角に切られて、磨かれた石畳を敷き詰めた広場の向こうに四阿がある。
その四阿ではゆったりとした様子の婦人がひとり優雅に腰かけ、周りでは数人の立ち働く女の姿が見える。
当然ながらこのゆったりと腰かける婦人こそ、漣華の養母であり謝家当主の妻である朱稜佳しゅりょうかであった。
優雅にしかし礼を失しない程度に歩みを速めて近づいていくと、視線に気が付いたのか向こうを向いていたのが漣華に向けられる。
ついで、その巴旦杏アーモンドの形をした綺麗な目が優し気に緩まり、漣華の名を呼んだ。

「漣華!ひさしぶりだこと」

「養母上、お久しゅうございます」

 漣華はきちんと膝を折って拝礼をする。
それを待って立つように促し、爪飾りを付けたほっそりとした小さな手で漣華の顔を包んだ。

「しばらく会わないから、寂しかったわ」

 それからひとしきり互いの近況を報告し合う。
この養母はかつては皇帝の末妹の公主であったと言うが、その身分は謝家に嫁いだ今も変わらない。
産んだ息子や娘、漣華もであるが皇族でこそないが、ある程度貴族としても諸々優遇される地位に居る。
そのおかげで、漣華は瑯炎に弟子入りはしたが、貴族としてもそれなりに色々と利便を図ってもらえるのだ。

「そう言えばね。聞いたわよ?」

 養母がふふっと悪戯めいた笑みをその美貌の上に浮かべるのを、漣華は嫌な予感がしながらも聞いた。

「何をです?」

「あなた、求婚されたんですって?それはもう熱烈に!」

 自らの頬に両手を当て、娘のようにきゃあきゃあ言いながらいつまでも若く美しい養母は瞳をきらきらとさせて問いたてる。

「そのかんざし、求婚されたのでしょ?揮亮暁きろうぎょうさまってどんな方なの?」

 立ち上がって漣華のまげに挿された簪をじっくりと見て検分を始める。

「すっごく細工も細かいわよね。使っている石もみごとだわ。ここまでのものを市井で作れるなんて、どこの工房かしら……?」

 あまりに髷付近に視線が絡んで、頭皮に負担がきそうな気がして漣華は簪を抜いて養母に渡す。

「ご覧になりたいのなら、どうぞ」

 あら、そう?と悪びれもせずに簪を受け取ってひっくり返しつつ、稜佳はしげしげと眺める。
そのうちに飽きたのか、はい、と漣華に返してきた。

「求婚の品としては申し分ないほどの逸品だわ。これを髪に挿してもらうだなんてこれぞ乙女の夢じゃなくて?!」

 またしても頬に両手を当てて身もだえを始める。
その綺麗に結い上げた艶やかな髪には、夫である梨桐から贈られたと言うくしくも同じ鴛鴦おしどりで同じ柘榴石をあしらった簪で飾られていた。
それを目にしながら思うのは、これで四人の子を持つ母だと言うのだから、なんとも世の中理不尽であるということだ。
漣華はしばし遠い目をせざるを得なかった。
砂漠の向こうから共に来た実母は苦労したのもあって、既にその髪には白髪が混じり始めている。
しかし目の前に座る漣華の養母たる貴婦人はその艶やかな黒髪にひとすじほどの白いものすら混じってはいない。
服装や装身具を変えてしまえば、今でも十代の少女と言っても通じるくらいの若々しさと美貌を誇っているのだ。

 世の中なんとも理不尽でできている。

 漣華は知らず、嘆息した。

 「で、どうするの?あなた」

 様々な石を組み合わせて紋様を作り上げた四阿でよく用いられる小卓の向こうから身を乗り出すようにして、養母は尋ねる。

「どっちにするの?」

 どっちって、何を?

 漣華の頭には疑問が渦巻いた。
きょとんとした顔を思わず浮かべると、養母はじれったそうに声を潜めて漣華に問いかける。

「あなた、揮亮暁さまから求婚されたんでしょ?でも東宮殿下からも求婚のお品が来てるって聞いたわよ!」

 それこそ初耳である。
しかも、東宮だなどと。
漣華は目を見開いた。

「まさか」

「まさかじゃないわ!泰園が母屋から聞いてきたんだから!今日だってお忍びだって言うけれど、おばあさまのお誕生祝いにお運びくださったって話だし!」

 確かに、目の前に座る養母は未だ皇籍を抜けていないから、親戚として何かの祝い事には進物であったり使者のやり取りであったりという事はままある。
だが、皇室から皇族が来臨らいりん遊ばすという事は漣華の知る限り未だかつて、謝家においてはなかったと思う。
養母は皇族なのだからそれはあってもおかしくはないが、漣華に東宮が求婚?
漣華は内裏のうちの外宮で勤務してはいるが、東宮のかんばせを拝する栄誉に浴したことは一度もない。
それに、もしそう言ったことがあったにせよ、それは一定の功績を挙げてその褒美をたまわる場合に限られる。
もしくは何らかの処罰をこうむる時か。
そのどちらも漣華には心当たりがなく、ましてや婚約を求められても漣華は男である。
後宮に入るには女であるのが一般的で、そこでは皇帝もしくは東宮の子を産むことこそが求められるのだ。
漣華には子は産めない。
目の前で、養子である漣華の求婚話に花を咲かせる養母と侍女たちを見ながら、漣華は嘆息する。

 きっと何かの間違いだろう。

 漣華はこの時までは、そう思っていた。
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