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拾肆、謝漣華は午睡する。
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二つの知らせは外宮内で静かに衝撃を以て迎えられた。
曰く、一つに東宮の薨去。
これは先年より病に伏した東宮の本復が敵わず、薨去と相成ったこと。
二つ、先日まで技官として勤めてい瑯炎の退職。
これは瑯炎が抱えていた仕事の事もあり、主に技官たちの衝撃と職人たちの怒号に寄って迎えられた。
「ふざけるんじゃねぇ!あの外道、仕事を受けるだけ受けておいてほったらかしでケツまくって逃げやがった!」
職人長は荒れた。
突然瑯炎が引き継ぎも言付けも一切なしに、朝出勤したら退職したと言われたのだ。
おまけに瑯炎は漣華から引き継いだばかりの近衛府絡みの注文に関わっていたから、ある程度の図面やら書きつけが残っているとは言え、それをほったらかしにして辞めてしまっていた。
発注を受けた以上はその担当が変わろうと遂行せねばならない。
前担当が辞めてしまったから詳細がわかりません、では話にならないのだ。
仕方がないので瑯炎が引き受ける前の前担当者、つまり漣華が再びその任を引き受けることになった。
元の木阿弥あである。
楽できると思ったのに、と内心悔しい思いをしたが、もう居ないものは居ないのだ。
仕方がない。
漣華はあっさりと諦めて淡々と対応している。
それとは別に気になることがある。
上司兼師匠であった瑯炎とは同じ屋根の下に暮らしていた。
今厄介になっているところは、瑯炎の自宅である。
執事や家政婦長などの家人はそのまま勤めているのだが、みないつも以上に忙しそうな割に自宅へ戻ってこない瑯炎の心配は一切していない。
漣華が瑯炎がどこに行ったのか聞いても答えないし、漣華が瑯炎が技官を辞めてしまった以上、どこか小さな家でも借りて引っ越そうかと物件を探そうとしたら、ものすごい剣幕で叱られた。
曰く、瑯炎からの言付けで漣華にはそのままここに住まわせておくように、とのことだそうな。
それなら突然退職してしまう前にひとこと言ってくれればよかったのに。
漣華は瑯炎宅にある自室の窓から、秋雨に濡れる庭を眺めながらため息をついた。
雨はここ数日、ずっと降り続いている。
残暑の名残を洗い流しながら、東宮が薨去したと発表があってからずっと。
漣華はぼんやりと大きな窓に貼られた絹の向こうに透けて見える霧のような雨に濡れて濃い緑をより鮮やかにさせる椿の枝を見ていた。
天から瓦に降りそそぎ、小さな水の粒がその肌を伝って緩やかに雨どいに貯まる。
それが緩やかな傾斜を通して庭に設けられた排水溝に降り注いで行くのだが、そこにたどり着く前に別の経路を取った雨粒の群れがそこここで小さな音を立てて庭木やところどころに設けられた庭石の類にその身を投げ出していく。
漣華はその雨の情景は嫌いではない。
生まれ育った砂漠の地では雨は滅多に見られない天候のひとつだ。
日がな一日熱く乾いた風が砂の海を行き交い、熱をそこここに運ぶ。
日が暮れれば遮るもののない砂の海は、途端に昼の熱さを忘れたかのように冷え込む。
漣華はそこにあった小さな泉のほとりで生まれて、瑯炎に買い取られるまでそこで育った。
その泉は小さいながらも満々と水を湛え、漣華たち家族や共にその泉のほとりで遊牧を営むいくつかの家族とその家畜たちの咽喉を潤わせるには十分な量であった。
だが、いつからかその泉は何時涸れるかなぞ、到底想像しえない量を常に湧き出させていたのだが、段々と湧出量が減り、その泉を頼りに生活する人も動物も、不安を覚えるようになったのだ。
泉が完全に涸れてしまわぬうちに、と家財道具を纏めて家畜をある程度売り払ってもっと水が豊富にある地域に移住を決めた目端の利く家族も居たが、漣華たちの父親は頑なにその泉に拘った。
漣華たちの父はその泉を護る神官でもあったからだ。
神そのものと言っても過言ではないその泉に毎日祈りを捧げ、その恵みたる水で家族と家畜を潤わせ、またそれによって得た家畜の皮や肉、あるいは腱、または羊そのものを定期的に市で交換して生活用品や糸、布などを得ていく。
母はそのわずかな交易によって得た品々の内、糸で鞣した革に刺繍をして売るのが常だった。
時には布を織り、そこに刺繍を施して交易に加えて家計の足しにする。
決して豊かではないが、漣華たちは贅沢というものを知らない。
砂漠で送る慎ましい暮らしなら十分に成り立ったのだ。
だが、いつからか泉は漣華たち家族にすら十分な水を与えなくなり、それが原因で羊がばたばたと死に始めた。
父親は家族を守る為に泉を捨てて新たな土地へ行くことを検討し始めたのだが、無理が祟ったのか母親が倒れたのだ。
与えられる水は十分な量ではなかったが、漣華は自らの割り当てを削り、母に与えた。
それでも母の熱は下がらず、途方に暮れた日。
そこに瑯炎が現れたのだ。
隊商の一員ではあったのだが、傍目から見れば普通の隊商の商人に見える服装をしていた。
だが実際にはその隊商を取りまとめる長の役割をしていて、もっと西方にある国との交易を終えた帰りで、水を求めるべく泉に立ち寄ったのだ。
そこで、この泉がもはや涸れかけて湧水量の復活も望むべくもないという事を知るや、漣華の父親に取引を持ち掛けた。
子供一人を渡す代わりに、家族を安全で水量豊富な場所へ移住させてやろうと言うのだ。
すでに最後の一頭を潰し、それで瑯炎たちをもてなした漣華たちは隊商が去って行けばあとは飢え枯れて死ぬしか道は残っていなかった。
母にも薬と水を与えられ、多少なりと持ち直したところで、父親は決断した。
瑯炎の提案に乗ることにしたのだ。
母はその病床で話を聞いて、涙した。
どの子供も渡したくはない。
だが、誰かが行かなければ一家全滅は免れない。
漣華は自分から行く、と申し出た。
兄はこの家の跡取りであるし、妹はまだわずかに三つを数えたばかり。
行くのであれば、自分が。
そう瑯炎に名乗り出たのだ。
砂と埃にまみれてはいたが、その力強く澄んだ青の瞳は瑯炎を惹きつけた。
瑯炎はそれを飲んで、一家の安全と移住の手伝いをすると約束したのである。
そして、遥か西の砂漠からここ、延琉へやってきたのだ。
そして。
実は漣華たちの家族は延琉郊外でのんびりと牧畜を営んでいる。
あれだけ悲壮な決意をして延琉に来てみれば、瑯炎は意外と誠実に事に当たってくれた。
良くて瑯炎の家で死ぬまで無給でこき使われ、悪ければ一家離散の上奴隷として売り払われるのも覚悟の上で申し出を受けたのだが。
実際には漣華は買い取られたと言っても、養子に出されて貴族の末席に身を置いて瑯炎を主人で上司で師匠として瑯炎宅で生活することになったし、漣華の家族は郊外に家と土地を与えられてのんびり牧畜と田畑を耕して暮らしている。
病だった母はちゃんと医者に掛かってその病を駆逐し、今では機を織ったり刺繍をしたりして暮らしている。
水が涸れるまでの生活と遜色ないどころか、より一層豊かなのんびりした暮らしをしているのだ。
父は泉を管理する神官でもあったため、それなりに神事に通じていることもあって近隣の廟や小さな泉や川などを纏めて管理する神官を任され、それなりに国庫から給料も出ているらしく、毎日充実していると以前実家に帰った時にその日焼けして皺だらけになった顔をくしゃくしゃにしながら笑っていた。
兄は縁があって嫁を近在の農家からもらって既に子供を設けているし、妹は成人前だが婚約が調ったらしい。
今は嫁入りの為の布支度に大忙しだ。
布支度は砂漠より西方の地域に多く見られる花嫁支度のひとつで、小さな頃から布を織り、刺繍をし、縫製したりして仕上げていく。
これから新婚家庭で使う一式のものを仕上げて持って行くのだ。
花嫁衣裳の製作にも余念がなく、延琉で流行りの形にはしたが刺繍は漣華たちが育った地域のものを刺していくのだと言う。
母が作る刺繍を施した革製品は延琉では数少ない交易品にしか見られないため、人気がある。
前はそれこそ二束三文で売るしかなかったものもなかなかの値段で買っていく人が多く、漣華の家族は流涎に来てからは貯蓄もできるようになって、兄夫婦の為に離れを新築した。
そのおかげで嫁と姑となった母の間に適度に心地いい距離が生まれ、みな仲良くやっている。
幸せそうに笑う家族の顔を見て、漣華は延琉に来てよかった、と思った。
そんなことをつらつらと思いながら、窓にもたれてうとうとと漣華は午睡を始める。
先ほど冷えてはいけないからと家政婦長に着せられた薄い綿入りの長衣が程よく体温を含んで暖かい。
*
宮中の会議は紛糾していた。
原因は先だっての故東宮の薨去と、それに伴って瑯炎に東宮位に封じるあの勅命である。
主に騒いでいるのは、あの旺妃の父である夏だ。
この男は娘が男の子を産んだ功績によって妃に任じられたのを機に、とんとん拍子に出世している。
昔はただの下官であったのを、今では財務を預かる戸部の長をしている。
ちなみに最近やたら羽振りがいいらしいとのうわさで、実際に自宅の屋敷をさらに大きく建て替えたそうだ。
曰く、妃になった娘の宿下がりの時にその身分にふさわしいものにする必要があるから、と。
そこに交誼を結ぶと称して、あちこちから官吏や大店の商人を呼んでは宴を開いているらしい。
「皇上に申し上げます、先日悲しくも身罷られました東宮殿下に代わり、そこな瑯炎が何故現在皇上のお傍に侍り参らせているのでしょうか?この男はついこの間まで工部の長、少府監だったではありませぬか!」
夏は元々下官の出身ではあるが、そこまで頭は良くはない。
たまたま娘が皇帝の後宮に入って手がついてたまたま男の子を産んだことで寵愛を得て、それに伴って官位を引き上げられただけの男である。
つまりは。
バカだ。
拠って、古参であったり目端の利くものであれば事前に動きを察知し、新しく東宮に封じられた男こそ前少府監の瑯炎であると言うのはもはや暗黙の了解である。
それを寄りによって皇帝の目の前で糾弾するとは。
居並ぶ諸官たちは内心こめかみに手を当てたいような取りあえず黙れと羽交い絞めにしたいようなそんないたたまれないような気持ちを味わっている。
皇帝は高い場所に設けられた玉座に座ってそれを黙って聞いていたが、やがて傍に立つ秘書監に視線をやると心得たように夏に話しかけた。
「大司農に申し渡す。皇上がお決めあそばされ、発された勅命に異を申し立てる理由を述べよ」
それを聞いて夏はにやりと笑みを浮かべる。
同時に諸官はあちゃー、と言う表情を浮かべた。
もうだめだ、こりゃ。
並んだ諸官の心は一致していた。
もう、関わっちゃいけない。
玉座に座る皇帝をちら、と伺うと見た目は変わらないがなんとなく不機嫌極まりないと言う雰囲気を醸し出している。
ひいぃ、と悲鳴を上げたいがそんな不作法なことを今しようものなら、問答無用で牢にぶち込まれそうだ。
誰もが穏便にここを無事に出られるように天に祈る。
それを、面白そうに見ているのは非難されその身が皇帝に傍にあるのを追及されているはずの瑯炎だ。
皇帝と共に大人しく夏が奏上する内容を聞いている。
「大司農の奏上はわかった。だが、なぜにその方、御名御璽を以て封ぜられた東宮に対し、異見を述べるのか」
そこに居る諸官は、わかってはいたけれどもたった今奏上を終え、そして不敬罪と勅命に不服申し立てを指摘されると言う二重の罪を犯し、たった今断罪の対象として皇帝自ら照準を定められた男を哀れんだ。
勅命への不服従は言うまでもなく死罪だ。
不敬罪ももちろん死罪だ。
救いようがなかった。
流石にそこまで言われて、理解できないものなどそこには誰も居ない。
自らの発言が一体何を招いたのか、ようやく理解した夏は段々と顔色を変えていく。
赤から青。
青から黄色。
黄色から紫。
非常に色彩豊かで器用な才能を持っていたらしい。
そこに、皇帝直々に瑯炎に声がかかる。
「龍祥。そなた、この件を改めよ」
龍祥とは本来、瑯炎に授けられた字である。
今までの瑯炎と言う字は、流石に皇帝の皇子が技官として勤めているのがわかってしまうと諸々支障が出るからである。
故東宮が瑯炎に与え、その字を呼ぶのは外宮や瑯炎の内裏の外の私邸、そして妓楼などで使っていた。
宮中に戻れば元の龍祥だ。
龍祥は長い袖を捌いて父帝に礼を取り、うやうやしく勅命を受ける。
父帝の命じたことはこうだ。
『夏大司農の不正と、故東宮夫妻の死因をつまびらかにせよ』
龍祥に否やはなかった。
曰く、一つに東宮の薨去。
これは先年より病に伏した東宮の本復が敵わず、薨去と相成ったこと。
二つ、先日まで技官として勤めてい瑯炎の退職。
これは瑯炎が抱えていた仕事の事もあり、主に技官たちの衝撃と職人たちの怒号に寄って迎えられた。
「ふざけるんじゃねぇ!あの外道、仕事を受けるだけ受けておいてほったらかしでケツまくって逃げやがった!」
職人長は荒れた。
突然瑯炎が引き継ぎも言付けも一切なしに、朝出勤したら退職したと言われたのだ。
おまけに瑯炎は漣華から引き継いだばかりの近衛府絡みの注文に関わっていたから、ある程度の図面やら書きつけが残っているとは言え、それをほったらかしにして辞めてしまっていた。
発注を受けた以上はその担当が変わろうと遂行せねばならない。
前担当が辞めてしまったから詳細がわかりません、では話にならないのだ。
仕方がないので瑯炎が引き受ける前の前担当者、つまり漣華が再びその任を引き受けることになった。
元の木阿弥あである。
楽できると思ったのに、と内心悔しい思いをしたが、もう居ないものは居ないのだ。
仕方がない。
漣華はあっさりと諦めて淡々と対応している。
それとは別に気になることがある。
上司兼師匠であった瑯炎とは同じ屋根の下に暮らしていた。
今厄介になっているところは、瑯炎の自宅である。
執事や家政婦長などの家人はそのまま勤めているのだが、みないつも以上に忙しそうな割に自宅へ戻ってこない瑯炎の心配は一切していない。
漣華が瑯炎がどこに行ったのか聞いても答えないし、漣華が瑯炎が技官を辞めてしまった以上、どこか小さな家でも借りて引っ越そうかと物件を探そうとしたら、ものすごい剣幕で叱られた。
曰く、瑯炎からの言付けで漣華にはそのままここに住まわせておくように、とのことだそうな。
それなら突然退職してしまう前にひとこと言ってくれればよかったのに。
漣華は瑯炎宅にある自室の窓から、秋雨に濡れる庭を眺めながらため息をついた。
雨はここ数日、ずっと降り続いている。
残暑の名残を洗い流しながら、東宮が薨去したと発表があってからずっと。
漣華はぼんやりと大きな窓に貼られた絹の向こうに透けて見える霧のような雨に濡れて濃い緑をより鮮やかにさせる椿の枝を見ていた。
天から瓦に降りそそぎ、小さな水の粒がその肌を伝って緩やかに雨どいに貯まる。
それが緩やかな傾斜を通して庭に設けられた排水溝に降り注いで行くのだが、そこにたどり着く前に別の経路を取った雨粒の群れがそこここで小さな音を立てて庭木やところどころに設けられた庭石の類にその身を投げ出していく。
漣華はその雨の情景は嫌いではない。
生まれ育った砂漠の地では雨は滅多に見られない天候のひとつだ。
日がな一日熱く乾いた風が砂の海を行き交い、熱をそこここに運ぶ。
日が暮れれば遮るもののない砂の海は、途端に昼の熱さを忘れたかのように冷え込む。
漣華はそこにあった小さな泉のほとりで生まれて、瑯炎に買い取られるまでそこで育った。
その泉は小さいながらも満々と水を湛え、漣華たち家族や共にその泉のほとりで遊牧を営むいくつかの家族とその家畜たちの咽喉を潤わせるには十分な量であった。
だが、いつからかその泉は何時涸れるかなぞ、到底想像しえない量を常に湧き出させていたのだが、段々と湧出量が減り、その泉を頼りに生活する人も動物も、不安を覚えるようになったのだ。
泉が完全に涸れてしまわぬうちに、と家財道具を纏めて家畜をある程度売り払ってもっと水が豊富にある地域に移住を決めた目端の利く家族も居たが、漣華たちの父親は頑なにその泉に拘った。
漣華たちの父はその泉を護る神官でもあったからだ。
神そのものと言っても過言ではないその泉に毎日祈りを捧げ、その恵みたる水で家族と家畜を潤わせ、またそれによって得た家畜の皮や肉、あるいは腱、または羊そのものを定期的に市で交換して生活用品や糸、布などを得ていく。
母はそのわずかな交易によって得た品々の内、糸で鞣した革に刺繍をして売るのが常だった。
時には布を織り、そこに刺繍を施して交易に加えて家計の足しにする。
決して豊かではないが、漣華たちは贅沢というものを知らない。
砂漠で送る慎ましい暮らしなら十分に成り立ったのだ。
だが、いつからか泉は漣華たち家族にすら十分な水を与えなくなり、それが原因で羊がばたばたと死に始めた。
父親は家族を守る為に泉を捨てて新たな土地へ行くことを検討し始めたのだが、無理が祟ったのか母親が倒れたのだ。
与えられる水は十分な量ではなかったが、漣華は自らの割り当てを削り、母に与えた。
それでも母の熱は下がらず、途方に暮れた日。
そこに瑯炎が現れたのだ。
隊商の一員ではあったのだが、傍目から見れば普通の隊商の商人に見える服装をしていた。
だが実際にはその隊商を取りまとめる長の役割をしていて、もっと西方にある国との交易を終えた帰りで、水を求めるべく泉に立ち寄ったのだ。
そこで、この泉がもはや涸れかけて湧水量の復活も望むべくもないという事を知るや、漣華の父親に取引を持ち掛けた。
子供一人を渡す代わりに、家族を安全で水量豊富な場所へ移住させてやろうと言うのだ。
すでに最後の一頭を潰し、それで瑯炎たちをもてなした漣華たちは隊商が去って行けばあとは飢え枯れて死ぬしか道は残っていなかった。
母にも薬と水を与えられ、多少なりと持ち直したところで、父親は決断した。
瑯炎の提案に乗ることにしたのだ。
母はその病床で話を聞いて、涙した。
どの子供も渡したくはない。
だが、誰かが行かなければ一家全滅は免れない。
漣華は自分から行く、と申し出た。
兄はこの家の跡取りであるし、妹はまだわずかに三つを数えたばかり。
行くのであれば、自分が。
そう瑯炎に名乗り出たのだ。
砂と埃にまみれてはいたが、その力強く澄んだ青の瞳は瑯炎を惹きつけた。
瑯炎はそれを飲んで、一家の安全と移住の手伝いをすると約束したのである。
そして、遥か西の砂漠からここ、延琉へやってきたのだ。
そして。
実は漣華たちの家族は延琉郊外でのんびりと牧畜を営んでいる。
あれだけ悲壮な決意をして延琉に来てみれば、瑯炎は意外と誠実に事に当たってくれた。
良くて瑯炎の家で死ぬまで無給でこき使われ、悪ければ一家離散の上奴隷として売り払われるのも覚悟の上で申し出を受けたのだが。
実際には漣華は買い取られたと言っても、養子に出されて貴族の末席に身を置いて瑯炎を主人で上司で師匠として瑯炎宅で生活することになったし、漣華の家族は郊外に家と土地を与えられてのんびり牧畜と田畑を耕して暮らしている。
病だった母はちゃんと医者に掛かってその病を駆逐し、今では機を織ったり刺繍をしたりして暮らしている。
水が涸れるまでの生活と遜色ないどころか、より一層豊かなのんびりした暮らしをしているのだ。
父は泉を管理する神官でもあったため、それなりに神事に通じていることもあって近隣の廟や小さな泉や川などを纏めて管理する神官を任され、それなりに国庫から給料も出ているらしく、毎日充実していると以前実家に帰った時にその日焼けして皺だらけになった顔をくしゃくしゃにしながら笑っていた。
兄は縁があって嫁を近在の農家からもらって既に子供を設けているし、妹は成人前だが婚約が調ったらしい。
今は嫁入りの為の布支度に大忙しだ。
布支度は砂漠より西方の地域に多く見られる花嫁支度のひとつで、小さな頃から布を織り、刺繍をし、縫製したりして仕上げていく。
これから新婚家庭で使う一式のものを仕上げて持って行くのだ。
花嫁衣裳の製作にも余念がなく、延琉で流行りの形にはしたが刺繍は漣華たちが育った地域のものを刺していくのだと言う。
母が作る刺繍を施した革製品は延琉では数少ない交易品にしか見られないため、人気がある。
前はそれこそ二束三文で売るしかなかったものもなかなかの値段で買っていく人が多く、漣華の家族は流涎に来てからは貯蓄もできるようになって、兄夫婦の為に離れを新築した。
そのおかげで嫁と姑となった母の間に適度に心地いい距離が生まれ、みな仲良くやっている。
幸せそうに笑う家族の顔を見て、漣華は延琉に来てよかった、と思った。
そんなことをつらつらと思いながら、窓にもたれてうとうとと漣華は午睡を始める。
先ほど冷えてはいけないからと家政婦長に着せられた薄い綿入りの長衣が程よく体温を含んで暖かい。
*
宮中の会議は紛糾していた。
原因は先だっての故東宮の薨去と、それに伴って瑯炎に東宮位に封じるあの勅命である。
主に騒いでいるのは、あの旺妃の父である夏だ。
この男は娘が男の子を産んだ功績によって妃に任じられたのを機に、とんとん拍子に出世している。
昔はただの下官であったのを、今では財務を預かる戸部の長をしている。
ちなみに最近やたら羽振りがいいらしいとのうわさで、実際に自宅の屋敷をさらに大きく建て替えたそうだ。
曰く、妃になった娘の宿下がりの時にその身分にふさわしいものにする必要があるから、と。
そこに交誼を結ぶと称して、あちこちから官吏や大店の商人を呼んでは宴を開いているらしい。
「皇上に申し上げます、先日悲しくも身罷られました東宮殿下に代わり、そこな瑯炎が何故現在皇上のお傍に侍り参らせているのでしょうか?この男はついこの間まで工部の長、少府監だったではありませぬか!」
夏は元々下官の出身ではあるが、そこまで頭は良くはない。
たまたま娘が皇帝の後宮に入って手がついてたまたま男の子を産んだことで寵愛を得て、それに伴って官位を引き上げられただけの男である。
つまりは。
バカだ。
拠って、古参であったり目端の利くものであれば事前に動きを察知し、新しく東宮に封じられた男こそ前少府監の瑯炎であると言うのはもはや暗黙の了解である。
それを寄りによって皇帝の目の前で糾弾するとは。
居並ぶ諸官たちは内心こめかみに手を当てたいような取りあえず黙れと羽交い絞めにしたいようなそんないたたまれないような気持ちを味わっている。
皇帝は高い場所に設けられた玉座に座ってそれを黙って聞いていたが、やがて傍に立つ秘書監に視線をやると心得たように夏に話しかけた。
「大司農に申し渡す。皇上がお決めあそばされ、発された勅命に異を申し立てる理由を述べよ」
それを聞いて夏はにやりと笑みを浮かべる。
同時に諸官はあちゃー、と言う表情を浮かべた。
もうだめだ、こりゃ。
並んだ諸官の心は一致していた。
もう、関わっちゃいけない。
玉座に座る皇帝をちら、と伺うと見た目は変わらないがなんとなく不機嫌極まりないと言う雰囲気を醸し出している。
ひいぃ、と悲鳴を上げたいがそんな不作法なことを今しようものなら、問答無用で牢にぶち込まれそうだ。
誰もが穏便にここを無事に出られるように天に祈る。
それを、面白そうに見ているのは非難されその身が皇帝に傍にあるのを追及されているはずの瑯炎だ。
皇帝と共に大人しく夏が奏上する内容を聞いている。
「大司農の奏上はわかった。だが、なぜにその方、御名御璽を以て封ぜられた東宮に対し、異見を述べるのか」
そこに居る諸官は、わかってはいたけれどもたった今奏上を終え、そして不敬罪と勅命に不服申し立てを指摘されると言う二重の罪を犯し、たった今断罪の対象として皇帝自ら照準を定められた男を哀れんだ。
勅命への不服従は言うまでもなく死罪だ。
不敬罪ももちろん死罪だ。
救いようがなかった。
流石にそこまで言われて、理解できないものなどそこには誰も居ない。
自らの発言が一体何を招いたのか、ようやく理解した夏は段々と顔色を変えていく。
赤から青。
青から黄色。
黄色から紫。
非常に色彩豊かで器用な才能を持っていたらしい。
そこに、皇帝直々に瑯炎に声がかかる。
「龍祥。そなた、この件を改めよ」
龍祥とは本来、瑯炎に授けられた字である。
今までの瑯炎と言う字は、流石に皇帝の皇子が技官として勤めているのがわかってしまうと諸々支障が出るからである。
故東宮が瑯炎に与え、その字を呼ぶのは外宮や瑯炎の内裏の外の私邸、そして妓楼などで使っていた。
宮中に戻れば元の龍祥だ。
龍祥は長い袖を捌いて父帝に礼を取り、うやうやしく勅命を受ける。
父帝の命じたことはこうだ。
『夏大司農の不正と、故東宮夫妻の死因をつまびらかにせよ』
龍祥に否やはなかった。
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中国でいう三国時代、倭国(日本)は、巫女の占いによって統治されていた。
しかしそれは、巫女の自己犠牲の上に成り立つ危ういものだった。
そのことに疑問を抱いた邪馬台国の皇子月読(つくよみ)は、占いに頼らない統一国家を目指し、西へと旅立つ。
一方、彼の留守中、女大王(ひめのおおきみ)となって国を守ることを決意した姪の壹与(いよ)は、占いに不可欠な霊力を失い絶望感に伏していた。
そんな彼女の前に、一人の聡明な少年が現れた。
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