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参、謝漣華は入浴する。
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瑯炎は禿に酌をさせながら、漣華にも酒をすすめ、皿の物を小皿に取り分けさせた。
「さ、食おう。せっかくの飯だ」
大卓の上には基本的にこの国で一般的なものではあるものの、最近広州広州の港を外国船向けに開港したのでそこから西欧の新しい調理法が入ってくるようになった。
その調理法を使っているのか、使われている材料には見覚えがあるものの、基本的に初めて見る料理ばかりだ。
「ほら。何を遠慮している。食え」
いつまでも箸を延ばさない漣華に焦れたのか、瑯炎は世話を焼き始めた。
その少々強引とも言える勧めに従い、漣華は箸を延ばして口に入れる。
口に含んだ瞬間、香気が鼻を抜け、噛むとふつりと切れて口内にねっとりとした旨みが広がる。
何らかの動物の乳を使っているのか、香気の強いものを若干の苦手としている漣華でも臭いが抑えられているからか食べやすい。
「どうだ」
「美味しいですね」
次々に小皿の上のものを口に放り込み、杯に注がれた葡萄酒を含んで味わいを楽しむ。
漣華は小皿の上のものを平らげると、新造がまた次の料理を取り分ける。
空いた杯には酒を注がれるし、それを口にすればまた更に手が伸びる。
漣華はいい感じに酔っぱらっていた。
そこにやってきたのは漣華が眠りにつく前とは装いを替え、崩れた特徴のある蝶に似た髷もきちんと結い直して紅も鮮やかな蘭秀である。
「お先にお食事ですの?瑯炎様」
蘭秀はそうすねたように言いながら、椅子に座る瑯炎の肩に手を置き、そのひじ掛けに腰を掛けた。
その妓女の姿に気を良くした瑯炎はだらしなく鼻の下を伸ばし、蘭秀を膝の上に横抱きにする。
蘭秀はそれをさも当然かのように嫋やかなその腕を瑯炎の首に掛けると、瑯炎の持っている杯をその手ごと引き寄せてひとくち含んだ。
こくり、と瑯炎に見えるように咽喉を鳴らして飲み、その紅で光る口は酒で濡れてますます艶麗さが際立つ。
つ、と口の端から流れ落ちる酒の滴は瑯炎は顔をゆっくりと近づけて舐めとった。
「お前の酒は美味いからな」
瑯炎はにやりと笑う。
そのやり取りを大卓の向こうから見ていた漣華は見る見るうちに顔を染めて真っ赤になった。
それを見て、瑯炎は愉し気に顔を歪めて揶揄う。
「なんだ、お前。この程度で」
「こちらの方は初心でございますなあ」
蘭秀もその豪奢豪奢な透かし編みを貼り付け、刺繍を施した衣の袖で口元を隠すようににっこりと微笑んだ。
その二人の姿に漣華はますます顔を紅くする。
「わちきはこの花街の花魁です。この程度の艶技なぞ児戯に等しいのですわ」
コロコロと鈴を鳴らしたような声を立てて少女と女の端境期にある妓女は笑う。
「そのうちお前もこういうのに慣れないとな」
妓女を膝に抱きながら、片肘を行儀悪く空いたもう片方の肘置きに凭れかかり、頬杖をつく。
そんなだらしない姿も瑯炎は不思議と違和感がないのだ。
だらしのなさ加減は瑯炎が漣華が目覚めた時に身に着けていた柔らかな起毛した綿布製の浴衣姿だと更に拍車を掛けて見える。
蘭秀は瑯炎に浴衣から別の部屋着に着替えるように言い、瑯炎を巧みに隣室へ追いやった。
新造や禿達に手を引かれていく瑯炎を横目に、瑯炎が座っていた席に陣取り、酒や肴を口にする。
それを漣華は目を丸くして見ていた。
こういう花街の妓女は酒は飲んでも、菓子や果物以外のものを口にする姿を客に見せるのを嫌い、よほどでなければ見せないとされているからだ。
仮にも客である瑯炎の注文した酒肴を勝手に飲み食いしては、瑯炎が機嫌を悪くしないだろうか、と漣華は他人事ながら不安に思う。
それが表情に出ていたのか、こっこっこっ、と勢いよく酒を流し込んでいた蘭秀はふふっと悪戯が見つかったかのように笑った。
「いくら花街を背負う花魁で太夫位を張ってるわちきとは言え、この身体は常人と何も変わりません。食べ物も飲み物もちゃんと取らねば死んでしまいますわ」
うふふと笑う蘭秀の下へちょうど戻ってきた瑯炎は蘭秀を改めて膝の上に乗せて、その言葉に同意した。
「だな。花街のしきたりらしいが、客の目の前では食い物に手を付けないなぞ、俺にはそんなの馬鹿馬鹿しく思えてな。少なくとも俺の前だけでは好きなものを飲み食いさせているのさ」
「大変ありがたいこと、と存じ申し上げておりますわ、瑯炎様。禿や新造たちも本来であれば食べ盛りですから、妓楼から出る食事だけでは賄えないこともございますし」
そう言って蘭秀が周りで甲斐甲斐しく世話をする新造や禿たちに視線を投げると、一斉に膝を曲げて少女たちは瑯炎に頭を下げた。
それを漣華はあっけに取られて見ていた。
部屋に侍る新造や禿たちは総勢軽く十人を超えるだろう。
花街の花魁ともなれば、後進の育成に花魁自らが身銭を切ることもあると言う。
その衣類や日常使うものまで全てが花魁からの持ち出しなのだとも。
少なくともこの花街は客にとっての夢の世界、ゆえにここに身を置く妓女たちはその夢を壊さぬように客の前では食事を摂るところなど見せることがないよう、厳しく躾けられる。
彼女たちは夢の世界の住人なのだから、食事と摂ることで客が現実を認識して支払いを渋ることを避けるためだとも言われる。
それなのに、目の前に妓女を膝の上に横抱きにして食事を食べさせあう男は新造や禿たちにまで我慢せずに済むよう、自らが脚を運んだ時のみとは言え、食事を与えているのだ。
少なくとも延琉中の男が憧れる夢の世界を自らぶち壊しにする、瑯炎の豪快さに漣華は今まで培ってきたはずの常識の枠がぐらぐらと揺れるのを感じていた。
それをしり目に目の前に座る男女はきゃっきゃとそれは愉しそうに食事をし、酒を飲む。
その姿を目にすると、酒が入ったこともあって漣華はその花街のしきたりとやらがどうでも良くなってきた。
それに周りに目をやると、少しずつ交代しながらではあるのだが、新造や禿たちは別室へと下がりそこで食事をとっているらしい。
通常花街で妓女やその見習いたちに出される食事は一日一回、しかも朝餉のみで、それ以外に摂ろうと思えば妓楼にその分借金を上乗せして用意してもらうか、客にもらった小遣いで外の屋台や食堂で持ち帰りのものを包んでもらって部屋で食べるかのどちらかになる。
それは花街に勤める妓女たちの体型維持の為でもあるが、十分に食事を与えることで余計なことを考える余裕や体力を作り出して万が一にも足抜けなどをさせないようにする、楼主たちの知恵でもあったのだ。
慢性的に空腹を常態化させることで、妓女たちの食費を安く上げることにもそれは貢献してはいたが、中には一日一回の食事内容を貧弱にすることで妓女たちの栄養状態を悪化させ、結果悪病にかかる妓女たちも続出したからあまりいい結果を出していないのは明白なことであるし、その様な妓女をこき使うような妓楼はそのうちに査察が入り、妓楼の鑑札を取り上げられて閉店に追い込まれてしまう。
保護された妓女や見習いたちはその契約内容を改められて、借金額を整理し新たな妓楼で勤めに精を出すのだ。
だが、ここは天下の蜃気楼。
故に楼主がそんな過酷な状況に抱える妓女や見習いたちを置くとは思えなかったが、それが表情に出ていたのかこともなげに蘭秀が答えを口にする。
「わちきらは楼主様と女将のお優しさで、頂ける食事は朝昼二回。これは借金には含まれずに請求されるわけでもございません。『食事を減らして顔色悪い妓女やふらついてる妓女にいい客は付かない』と言うこの妓楼の信条から来ているものですわ。その他にお客様からの差し入れもあるのですけれど、どうしてもお菓子などが多くて」
気を抜くとかえって余計な肉が付くのだと言う。
それでは、瑯炎は一体何を与えているのかと漣華は首を傾げる。
「瑯炎様はここ数日の菜譜を聞いて、そこから献立を組み立てて妓楼の厨房に注文してくださるのです。おかげでお肌の調子もいいので、お化粧のノリも良くて」
助かってます、と蘭秀は朗らかに笑う。
何にせよ食が満ち足りているのはいいことだ。
かつて自分が味わった飢餓の苦しみを思い出して、漣華は自嘲気味に笑う。
目の前の人に買われなければ、自分は西域のあの砂漠で倒れ、飢え死にしていただろう。
一緒に居た家族はもういない。
おぼろになった記憶の中の家族。
砂漠の中で、砂に埋もれたあばら家。
そこに家族5人、肩を寄せ合って暮らしていた。
元々は数十頭の羊を飼う遊牧民だった我が家。
それが牧草が枯れて、次々に死んでいく羊と収入が減ってどんどん痩せていく家族。
記憶の中をぼんやりと揺蕩っていた漣華は、そっと頬に当てられた柔らかく温かな感触で意識を現実に引き戻される。
「漣華。戻って来い」
そう言ってしかめ面で漣華を覗き込むのは、師匠で上司である瑯炎だった。
そしておもむろにわしゃわしゃと漣華の頭を乱暴に撫でるものだから、きちんと結い上げて巾で包んでいた髷も緩んでほどけてしまった。
「何するんです!」
師匠の暴挙とも言える愛情表現に若干照れを感じるものの、それを隠すかのように漣華は声を荒げた。
それを瑯炎はふむ、と無精ひげの生え始めたあごに手を当て、軽く首を傾げて眺める。
「戻ってきたようだな、結構結構」
勝手にひとの顔を覗き込んで頬に手を当てたかと思うと、乱暴に撫でられて髪を乱され、漣華はうぐ、と咽喉奥に食べ物でも詰めたかのようなくぐもった声を漏らす。
「ついでだ。お前も湯を浴びて来い」
そう言われて大卓に目をやるといつの間にか片づけられ、漣華の傍には禿たちが来て袖や下衣を握っている。
まだ稚い姿の禿たちを邪険にするわけにも行かず、漣華はさしたる抵抗もできないまま湯殿へ放り込まれる。
「お殿さま、お背なを流し申し上げまする」
そう言って頑是ない童女たちが漣華の衣服をあっと言う間に緩めてしまい、残るは大事なところをおおう下袴だけの姿にされる。
童女とは言え、数人がかりでへちまを手に迫られるのはある意味恐怖を感じなくもない。
漣華は手伝いを丁重に断って一人湯を浴びて埃と汗を洗い流す。
ここ延琉は大陸の東に位置し、更に二日ほど東へ行けば海に到達するのだが、如何せん西に巨大な砂漠がある為そこから吹いてくる風は埃っぽいのが難だ。
湯船から手おけでくみ上げて、頭から湯をかぶる。
ひと通り髪も身体も洗い、湯船にゆっくりと浸かると、ぬるめの湯が肌を包む。
ほうっと息を吐いて、漣華は目を閉じた。
「さ、食おう。せっかくの飯だ」
大卓の上には基本的にこの国で一般的なものではあるものの、最近広州広州の港を外国船向けに開港したのでそこから西欧の新しい調理法が入ってくるようになった。
その調理法を使っているのか、使われている材料には見覚えがあるものの、基本的に初めて見る料理ばかりだ。
「ほら。何を遠慮している。食え」
いつまでも箸を延ばさない漣華に焦れたのか、瑯炎は世話を焼き始めた。
その少々強引とも言える勧めに従い、漣華は箸を延ばして口に入れる。
口に含んだ瞬間、香気が鼻を抜け、噛むとふつりと切れて口内にねっとりとした旨みが広がる。
何らかの動物の乳を使っているのか、香気の強いものを若干の苦手としている漣華でも臭いが抑えられているからか食べやすい。
「どうだ」
「美味しいですね」
次々に小皿の上のものを口に放り込み、杯に注がれた葡萄酒を含んで味わいを楽しむ。
漣華は小皿の上のものを平らげると、新造がまた次の料理を取り分ける。
空いた杯には酒を注がれるし、それを口にすればまた更に手が伸びる。
漣華はいい感じに酔っぱらっていた。
そこにやってきたのは漣華が眠りにつく前とは装いを替え、崩れた特徴のある蝶に似た髷もきちんと結い直して紅も鮮やかな蘭秀である。
「お先にお食事ですの?瑯炎様」
蘭秀はそうすねたように言いながら、椅子に座る瑯炎の肩に手を置き、そのひじ掛けに腰を掛けた。
その妓女の姿に気を良くした瑯炎はだらしなく鼻の下を伸ばし、蘭秀を膝の上に横抱きにする。
蘭秀はそれをさも当然かのように嫋やかなその腕を瑯炎の首に掛けると、瑯炎の持っている杯をその手ごと引き寄せてひとくち含んだ。
こくり、と瑯炎に見えるように咽喉を鳴らして飲み、その紅で光る口は酒で濡れてますます艶麗さが際立つ。
つ、と口の端から流れ落ちる酒の滴は瑯炎は顔をゆっくりと近づけて舐めとった。
「お前の酒は美味いからな」
瑯炎はにやりと笑う。
そのやり取りを大卓の向こうから見ていた漣華は見る見るうちに顔を染めて真っ赤になった。
それを見て、瑯炎は愉し気に顔を歪めて揶揄う。
「なんだ、お前。この程度で」
「こちらの方は初心でございますなあ」
蘭秀もその豪奢豪奢な透かし編みを貼り付け、刺繍を施した衣の袖で口元を隠すようににっこりと微笑んだ。
その二人の姿に漣華はますます顔を紅くする。
「わちきはこの花街の花魁です。この程度の艶技なぞ児戯に等しいのですわ」
コロコロと鈴を鳴らしたような声を立てて少女と女の端境期にある妓女は笑う。
「そのうちお前もこういうのに慣れないとな」
妓女を膝に抱きながら、片肘を行儀悪く空いたもう片方の肘置きに凭れかかり、頬杖をつく。
そんなだらしない姿も瑯炎は不思議と違和感がないのだ。
だらしのなさ加減は瑯炎が漣華が目覚めた時に身に着けていた柔らかな起毛した綿布製の浴衣姿だと更に拍車を掛けて見える。
蘭秀は瑯炎に浴衣から別の部屋着に着替えるように言い、瑯炎を巧みに隣室へ追いやった。
新造や禿達に手を引かれていく瑯炎を横目に、瑯炎が座っていた席に陣取り、酒や肴を口にする。
それを漣華は目を丸くして見ていた。
こういう花街の妓女は酒は飲んでも、菓子や果物以外のものを口にする姿を客に見せるのを嫌い、よほどでなければ見せないとされているからだ。
仮にも客である瑯炎の注文した酒肴を勝手に飲み食いしては、瑯炎が機嫌を悪くしないだろうか、と漣華は他人事ながら不安に思う。
それが表情に出ていたのか、こっこっこっ、と勢いよく酒を流し込んでいた蘭秀はふふっと悪戯が見つかったかのように笑った。
「いくら花街を背負う花魁で太夫位を張ってるわちきとは言え、この身体は常人と何も変わりません。食べ物も飲み物もちゃんと取らねば死んでしまいますわ」
うふふと笑う蘭秀の下へちょうど戻ってきた瑯炎は蘭秀を改めて膝の上に乗せて、その言葉に同意した。
「だな。花街のしきたりらしいが、客の目の前では食い物に手を付けないなぞ、俺にはそんなの馬鹿馬鹿しく思えてな。少なくとも俺の前だけでは好きなものを飲み食いさせているのさ」
「大変ありがたいこと、と存じ申し上げておりますわ、瑯炎様。禿や新造たちも本来であれば食べ盛りですから、妓楼から出る食事だけでは賄えないこともございますし」
そう言って蘭秀が周りで甲斐甲斐しく世話をする新造や禿たちに視線を投げると、一斉に膝を曲げて少女たちは瑯炎に頭を下げた。
それを漣華はあっけに取られて見ていた。
部屋に侍る新造や禿たちは総勢軽く十人を超えるだろう。
花街の花魁ともなれば、後進の育成に花魁自らが身銭を切ることもあると言う。
その衣類や日常使うものまで全てが花魁からの持ち出しなのだとも。
少なくともこの花街は客にとっての夢の世界、ゆえにここに身を置く妓女たちはその夢を壊さぬように客の前では食事を摂るところなど見せることがないよう、厳しく躾けられる。
彼女たちは夢の世界の住人なのだから、食事と摂ることで客が現実を認識して支払いを渋ることを避けるためだとも言われる。
それなのに、目の前に妓女を膝の上に横抱きにして食事を食べさせあう男は新造や禿たちにまで我慢せずに済むよう、自らが脚を運んだ時のみとは言え、食事を与えているのだ。
少なくとも延琉中の男が憧れる夢の世界を自らぶち壊しにする、瑯炎の豪快さに漣華は今まで培ってきたはずの常識の枠がぐらぐらと揺れるのを感じていた。
それをしり目に目の前に座る男女はきゃっきゃとそれは愉しそうに食事をし、酒を飲む。
その姿を目にすると、酒が入ったこともあって漣華はその花街のしきたりとやらがどうでも良くなってきた。
それに周りに目をやると、少しずつ交代しながらではあるのだが、新造や禿たちは別室へと下がりそこで食事をとっているらしい。
通常花街で妓女やその見習いたちに出される食事は一日一回、しかも朝餉のみで、それ以外に摂ろうと思えば妓楼にその分借金を上乗せして用意してもらうか、客にもらった小遣いで外の屋台や食堂で持ち帰りのものを包んでもらって部屋で食べるかのどちらかになる。
それは花街に勤める妓女たちの体型維持の為でもあるが、十分に食事を与えることで余計なことを考える余裕や体力を作り出して万が一にも足抜けなどをさせないようにする、楼主たちの知恵でもあったのだ。
慢性的に空腹を常態化させることで、妓女たちの食費を安く上げることにもそれは貢献してはいたが、中には一日一回の食事内容を貧弱にすることで妓女たちの栄養状態を悪化させ、結果悪病にかかる妓女たちも続出したからあまりいい結果を出していないのは明白なことであるし、その様な妓女をこき使うような妓楼はそのうちに査察が入り、妓楼の鑑札を取り上げられて閉店に追い込まれてしまう。
保護された妓女や見習いたちはその契約内容を改められて、借金額を整理し新たな妓楼で勤めに精を出すのだ。
だが、ここは天下の蜃気楼。
故に楼主がそんな過酷な状況に抱える妓女や見習いたちを置くとは思えなかったが、それが表情に出ていたのかこともなげに蘭秀が答えを口にする。
「わちきらは楼主様と女将のお優しさで、頂ける食事は朝昼二回。これは借金には含まれずに請求されるわけでもございません。『食事を減らして顔色悪い妓女やふらついてる妓女にいい客は付かない』と言うこの妓楼の信条から来ているものですわ。その他にお客様からの差し入れもあるのですけれど、どうしてもお菓子などが多くて」
気を抜くとかえって余計な肉が付くのだと言う。
それでは、瑯炎は一体何を与えているのかと漣華は首を傾げる。
「瑯炎様はここ数日の菜譜を聞いて、そこから献立を組み立てて妓楼の厨房に注文してくださるのです。おかげでお肌の調子もいいので、お化粧のノリも良くて」
助かってます、と蘭秀は朗らかに笑う。
何にせよ食が満ち足りているのはいいことだ。
かつて自分が味わった飢餓の苦しみを思い出して、漣華は自嘲気味に笑う。
目の前の人に買われなければ、自分は西域のあの砂漠で倒れ、飢え死にしていただろう。
一緒に居た家族はもういない。
おぼろになった記憶の中の家族。
砂漠の中で、砂に埋もれたあばら家。
そこに家族5人、肩を寄せ合って暮らしていた。
元々は数十頭の羊を飼う遊牧民だった我が家。
それが牧草が枯れて、次々に死んでいく羊と収入が減ってどんどん痩せていく家族。
記憶の中をぼんやりと揺蕩っていた漣華は、そっと頬に当てられた柔らかく温かな感触で意識を現実に引き戻される。
「漣華。戻って来い」
そう言ってしかめ面で漣華を覗き込むのは、師匠で上司である瑯炎だった。
そしておもむろにわしゃわしゃと漣華の頭を乱暴に撫でるものだから、きちんと結い上げて巾で包んでいた髷も緩んでほどけてしまった。
「何するんです!」
師匠の暴挙とも言える愛情表現に若干照れを感じるものの、それを隠すかのように漣華は声を荒げた。
それを瑯炎はふむ、と無精ひげの生え始めたあごに手を当て、軽く首を傾げて眺める。
「戻ってきたようだな、結構結構」
勝手にひとの顔を覗き込んで頬に手を当てたかと思うと、乱暴に撫でられて髪を乱され、漣華はうぐ、と咽喉奥に食べ物でも詰めたかのようなくぐもった声を漏らす。
「ついでだ。お前も湯を浴びて来い」
そう言われて大卓に目をやるといつの間にか片づけられ、漣華の傍には禿たちが来て袖や下衣を握っている。
まだ稚い姿の禿たちを邪険にするわけにも行かず、漣華はさしたる抵抗もできないまま湯殿へ放り込まれる。
「お殿さま、お背なを流し申し上げまする」
そう言って頑是ない童女たちが漣華の衣服をあっと言う間に緩めてしまい、残るは大事なところをおおう下袴だけの姿にされる。
童女とは言え、数人がかりでへちまを手に迫られるのはある意味恐怖を感じなくもない。
漣華は手伝いを丁重に断って一人湯を浴びて埃と汗を洗い流す。
ここ延琉は大陸の東に位置し、更に二日ほど東へ行けば海に到達するのだが、如何せん西に巨大な砂漠がある為そこから吹いてくる風は埃っぽいのが難だ。
湯船から手おけでくみ上げて、頭から湯をかぶる。
ひと通り髪も身体も洗い、湯船にゆっくりと浸かると、ぬるめの湯が肌を包む。
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