謝漣華は誘惑する。

飴谷きなこ

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壱、謝漣華は連行される。

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 ここは延唐えんとうの国。
謝漣華しゃ れんげはここで技官をしている。
技官と言っても、七つの年に主である瑯炎ろうえんに買い取られ、はるばる西域さいいきから連れてこられて技官としての知識と技術を叩き込まれて今や何でも屋だ。
作ってほしいもの、壊れたものを持って来てくれればなんでも作るし直す。
最初は嫌々だったのに覚えなければ飯は抜かれたから、必死になって覚えた。

 今や飯のタネだ。
主人であり、師匠でもある瑯炎は女好きで酒好き。
そして益体もないものが大好きで、そういうものを見つけると日がな一日工房に籠っていじくり回している変人だ。
それなのに見目はいいものだから、男女問わず言い寄られる。
基本は女好きだが、男の方もイケるのだと最近知った。
師匠の選ぶ女や男を見ているとなんとはなしに自分に似ているような気がして、師匠を避ける日々が続いている。
特に意識しているわけでもないし、師匠に性的な意味で目を向けてほしいわけでもないが、主に自分の心の安寧と尻の健康の為、避けておきたい気持ちはあるのだ。

「漣華」

 そう声を掛けられて、外宮にある近衛の詰所から工房へ戻ろうとした漣華はびくり、と背に電流が走ったように肩を縮こまらせた。
漣華に声を掛けてきたのはここ数日そっと予定やその他もろもろのタイミングをことごとくずらして避けてきた瑯炎、その人である。
一瞬気づかなかったふりして逃げようかと思ったのだが、そう思った時には瑯炎が漣華の肩を掴んでその顔を正面からニヤニヤと口の端に笑みを浮かべながら見ていた。

「お前、これから暇か?」

 漣華はいつも忙しい。
それもこれも目の前に居る師匠である瑯炎のせいである。
技官の長である瑯炎はいつも受けた仕事を部下に割り振って来て、部下で対処できないような細工の細かいものや難しい注文(主に内裏の中の高貴なる方々が注文主)であれば、みずからの手で作ったりするのだが、基本的にいつでも暇だ。
その暇に飽いて酒を飲んだり酷い時には長官室の奥に設えてある仮眠室に女を連れ込んで抱いていたりする。
どっからそんなの連れてくるんだとは思うものの、行きつけの妓楼ぎろう妓女ぎじょであるらしく、そこのやり手婆にたっぷりと金をつかませて連れてくるらしい。
いわゆる店外デートってヤツである。
そんな金があるんなら、こき使って青息吐息で仕事してる部下に酒のひと瓶も差し入れてやれよと思わなくもないが、少なくともそういった差し入れなどはこの主人で上司である瑯炎との付き合いを始めてこの方、漣華には一切記憶にない事であった。

「私はこれから仕事ですが」

 後ろの壁に押し付けるように漣華の肩を掴んできた瑯炎の手をやんわりと外そうとしながら、漣華はその西域出身特有の薄い色彩の目で瑯炎を見る。
仮にも主人の機嫌は損ねたくないので、失礼にならない程度にそっとその手を自分の手で包み込みながら剥がそうとした。
 本来であれば漣華の勤務時間は既に終了している。
だが、目の前にいる上司が振ってきた近衛での注文を取りあえず記録した書き付けをもとに設計図を描かなければならない。
文字から具体的に図に起こして脳内にありありと想像して、それを更に小さな模型で作り注文主の希望通りに機能するかどうか実験を行うのだ。
それを、この二十日ほどの時間で終えなければならず、漣華は知らず息を吐いた。
時間が足りない。
さっさと工房に戻りたいのだ。
 それを見ていた瑯炎は目を見開くようにまじまじと見ると、漣華の手に包み込まれた自らの手に気づき、逆に漣華のその荒れた指先を掴んで目の前に持ってくるとしげしげと眺めた。

「随分と荒れているな」

「そりゃ、技官してますからね。瑯炎様だってそうでは?」

 漣華は瑯炎の綺麗に整えられた爪先を視野に入れながら答える。
技官は木工もっこうから金工きんこう金工きんこうや設計、土木に至るまで注文があれば何でも作る。
それこそ街や宮殿や、内裏の後宮におわすお妃さま方の髪や耳を飾る小さな玉も。
だから、常に指先は使うしそもそも手入れをしてもすぐに荒れるので手入れなど無意味だと思っている。

「ばーか。手入れをして、常に指先の感覚に意識を持って行けって教えたろ?」

 瑯炎はそう言うと、漣華の手を掴んで工房とは正反対の方向に歩き出した。

「瑯炎様!私はこれから仕事が…!」

「どうせ近衛の連中に無理難題押し付けられたんだろうが。いいんだよ、明日から俺も手伝ってやる」

 瑯炎はそう言い捨てるように言うと力強くその歩みを更に早めた。・

「どこへ行かれるのです!」

「行きつけの妓楼だ。そこの妓女たちの手入れ法は逸品いっぴんでな」

 ようやくその歩みに追いついた漣華の目に見えるように掴んだ手ごと自らの指先を瑯炎は漣華に見えるように高く掲げる。

「な?これ、あそこの妓女たちにやってもらったんだよ」

 にやっと悪戯小僧いたずらこぞうのように笑うと、いつの間に手配させていたのか、漣華を馬車に乗せて意気揚々と花街へ、と行先を告げた。

 しばらく面白味もなんともない官街かんがいを馬車は走り、そこから大通りを抜けて更に南へ向かう。
そこにはおかみに認可を受けた花街はなまちが一帯に広がり、花街の入り口である大門の上部には皇帝直々の認可の証である皇帝真筆しんぴつ(直筆。実際にその人が書いた書)の花街の名を記した扁額へんがくが掲げられ、花街に入る客たちに威容いようを放っていた。
その大門を抜けて更に馬車は走り、花街で最大の規模と格を誇る漣華でもその名を知る妓楼の前に停車した。

「瑯炎様、ここは」

「お前も名前だけは聞いたことがあるだろ?着いたから降りるぞ」

 瑯炎は相変わらず掴んだ漣華の手を離そうとしない。
それに気づいてはいたが、何とはなしにそれをとがめるのも気が失せて漣華はそのままにしていた。
瑯炎はそれに気づいているのかどうか、そのまま漣華を連れて馬車から降りると、青緑あおみどり色に塗られた柱を抜けて妓楼に足を踏み入れる。
そうすると、見るもつややかに唇を玉虫色に塗った妙齢の美女が二人の目の前に立った。

「ようこそおいでなさいまし、蜃気楼へ。瑯炎様もおとといもいらして今日もとは嬉しゅうございますなあ」

 そう言って絹を張った団扇うちわで優雅に仰ぐ様は天女のように見える。
漣華はぽかんとしてその様子を見ていると、瑯炎は天女に声を掛けた。

「女将、蘭秀らんしゅうを呼んでくれ。コイツを頼みたい」

「おや。こちらは?」

「俺の弟子でな。頼めるか?」

「よござんす。瑯炎様は?」

「蘭秀の顔も見たいし、一緒に。酒と料理を頼む」

「おやおや。本日は三人でとは。わかりました、用意させます」

 瑯炎が女将、と声を掛けた天女は手を叩くと小女を呼び、耳打ちをした。

「さ、お二方。こちらへどうぞ」

 そうして漣華はいつのまにやら妓楼へ昇ることになったのだ。




 妓楼は上階に昇るにつれて、格も上がる。
そこを瑯炎は小女こおんな(年端のいかない女中)の案内で片手に漣華の手を握ったまま、迷いなく一回の奥へ向かって歩いていく。
奥には全面に玻璃ガラスを張って丸く小さく区切った小部屋があり、小部屋の上には同じく玻璃を円筒状に張った陥穽ふきぬけがある。
その陥穽は一階から最上階まで妓楼を貫き、各階にはその玻璃が開閉して乗り降りできる小さな踊り場を設けてあるようだった。

「……昇降機エレベーターですか」

 漣華は思わずその機械の名称を口にする。

すごいだろう」

 瑯炎は漣華の言葉にふふん、と鼻を鳴らして答えた。

「あれはな、こないだ内裏だいりようやく採用されたヤツを民間でも使えるようにしたもんでな。俺が作った」

 そう言って胸を張るが、この師匠が先日内裏のかしこきところからの注文に応えるべく寸暇を惜しんで働いていたところなぞ、はてあっただろうかと漣華は首を傾げた。

「いつの間に……」

「先だっての花の宴だ。皇后陛下が脚を痛めなすったとかでな。御輿こしにお乗りあそばすのもおツラいとかで。特に階段がな」

「ああ。揺れますもんね」

「そこで、大改造したんだ。内裏内に缶詰かんづめで」

 大変だった、と瑯炎はひとりごちるが漣華は何時いつの間にそんな仕事を受けてそんな仕事を完成させてきたのかと内心驚愕きょうがくしていた。
相変わらず得体のしれない師匠である、と言う認識は変わらない。

「その仕事がようやっと一段落してな。その昇降機を縮小ちいさくしてもっと簡易かんいにしたものの実験をここで行っていた、と言うわけだ」

 それを聞いて漣華は眉をしかめた。
この国でおそらく初めて、もしかすると世界で初めてのものを作ったかもしれないのに、それを内裏内で秘密裏に実験を行うならともかくこの衆目にさらされる妓楼で行っただと!?
一体何を考えているんだ。
 漣華の思いっきり顰められた眉根を見ながら、瑯炎はぽりぽりと頬を指で掻く。

「内裏内での実験は危険を伴う。実験中は構わないが、じっさいに運用となると畏きところや妃嬪ひひん様がたがお乗りあそばす。その時に事故が起こってからじゃ遅いんだ。その点、ここだと毎日不特定多数の利用者が居るだろう。ここで正直事故を起こしても畏きところも妃嬪様がたもどなたも困らないし、どなたもお怪我遊ばすこともないからな」

 それに、と瑯炎は続ける。

「万が一この実験施設を破壊しようとかそういう不埒ふらちな輩が居ても、ここには常時街を回る警備兵やここを利用する貴族や金持ちとか上流階級がうじゃうじゃ居る。自分が使う施設に不具合を起こそうって思うヤツはそうそういないだろうよ」

 そう言うと小女は操作した、手動開閉式の鉄を複雑に組み合わせて動く紋様もんようを作った扉を抜けて、円筒状の小さな玻璃の小部屋へ三人は吸い込まれるようにして入った。
小女が壁に設えられた小さな鉄の板を操作すると、耳障りでない程度の駆動音くどうおんが漣華の耳に届いた。

「……これ、発動機はつどうきですか」

「そうだ。飛行船に使う予定だった発動機を大型の歯車と組み合わせてこの建物の下に仕込んである」

 漣華はこの妓楼に連れてこられてから、驚きっぱなしだ。
こんな高度な技術を実体験できる場所などそうそうない。
きっかけは「指先の手入れをさせる」と言う無茶振りとも言える師匠の話からなのだが、来てよかったと心の底から思った。
今いるのは妓楼ではあるのだが。

 その奇跡とも言える体験を噛みしめていると、鈴を鳴らすような音が聞こえて、昇降機が停まり、小女が鉄製の扉を開けた。
その向こうには小さな踊り場があって絨緞じゅうたんが見渡す限り敷き詰められている。
足を踏み出すと毛足の長い柔らかな感触がそれを受け止め、足音を消す。
その身体が浮くような不思議な感覚に驚いていると、ぐいと手を引っ張られた。

「何を驚いている、こっちだ」

 瑯炎が漣華の手を引っ張る。
見ると、一階の広間の上階は吹き抜けで広く空間が採られ、天井からは豪奢な装飾を施した巨大な玻璃製の照明器具がぶら下がり、辺りを照らしている。
各部屋はその吹き抜けに沿うような形で作られた回廊の外側に並んでいるようだった。
 回廊を歩いていくと、程なくして大きな扉の前に小女が立って瑯炎たちに頭を下げ、扉を開く。
そうすると中から涼やかな女の声が聞こえた。

「あら。今日もいらしてくださって嬉しゅうございますわ、瑯炎様。」

 部屋の中から現れたのは長く伸ばした髪を蝶のように高く結い、残りを背に流した独特の髪型をして衣装のえりを大きく後ろへ抜いた妓女特有の姿をした女だった。
足元には二本歯の高下駄たかげたを履いていて、目線は漣華とも近い。
漣華は瑯炎に引き取られてからと言うもの、基本的にそう食事に不自由する環境では無かった為、身長もすくすくと伸びた。
今では師匠とそう変わらない。
師匠も長身だ。

「あらまあ……。瑯炎様、この方ですの?先だってお話頂いていたのは」

 漣華の顔をまじまじと見ていた妓女がくるりと振り返って瑯炎に問いかける。
その際、ふわりとその長い髪が空気をはらんで舞い、漣華の鼻にどこか懐かしい香りを届けた。

「そうだ。こいつの手を見てくれ、蘭秀。こんなに荒れて、これで技官だとはなげかわしいと思わないか」

 瑯炎は大仰おおぎょうに肩をすくめた。

「さ、部屋へ入れてくれるか?蘭秀太夫」

 そう言われて、蘭秀と呼ばれた妓女は慌てて二人を中へと導いた。





 西域特有の紋様を施した猫脚型の数人は寝そべることも可能な長椅子に瑯炎がどさりと腰を下ろす。
つられて、未だ手を繋がれたままの漣華もその隣に背もたれにもたれかかるように腰を下ろすと延唐風に結い上げてきれで包んだまげが揺れた。
長く伸ばした前髪が目に掛かり、それを瑯炎が優しく払いのけてやる。
その様子をまじまじと見ていた蘭秀は、ふわりと微笑ほほえんだ。

 妓楼へ上がった時に腰にあった長剣と短銃は実弾を含めて妓楼に預けてある。
それを預けないと妓楼へは上がれないと言うのは皇帝とこの花街を支配する惣支配きみがてて(総支配人)の決め事だ。
さりげなく部屋へ導かれたさなかに外套がいとうは先ほど先導していた小女が預かって一階の預け処あずけどころに運んでくれている。
 汚れやほつれ等があれば、客が妓楼から出るまでに洗い清めて直しておいてくれる。
これも花街の顔を張る蜃気楼ならではのもてなしだった。

「それで、瑯炎様。今日はお手を手入れさせて頂ければよろしゅうございますか?」

「取りあえずはな」

「承知いたしました。こちら様をあちらへ」

 蘭秀が大きくたっぷりと贅沢ぜいたくに布を取ったからしらうおのような指先をちらりと見せて、部屋付きの新造しんぞう(水揚げしたばかりの若い妓女)や禿かむろ(妓女見習い兼妓女の手伝いをする童女)が漣華のお仕着せの袖を引っ張り、隣室へ導いていく。

「お殿さま、こちらへ」

「こちらへおいでなさいませ」

 新造やまだおさない顔に化粧を施した禿達の声が高く低く、漣華の耳をくすぐり、辺りには良い匂いがただよい、女性ならではの色使いや淫靡いんびさをそこはかとなく感じさせるしつらえを目にして、漣華の頭はくらくらと軽い酩酊めいてい状態をていしていた。
 そのうち、先ほど瑯炎と座っていた大きな長椅子のようなものに横たえられ、上半身はその大きな背もたれに凭れさせられ、脚に穿いていた革製の長靴が脱がされる。
そしてお仕着せの襟元を緩められ、更に香をいたのか漣華の意識は朦朧ぼんやりとし始めた。

「お殿さま、今しばらく御心やすく」

「お眠りなさいませ」

「その間にお手入れをさせて頂きますゆえ」

 両手を左右からそっと小さな手で持たれてゆっくりとやわやわとぬるま湯で洗われ、両足も同じようにぬるま湯で洗われる。
そして同じようにゆっくりとやわやわとちょうどいい頃合いの力加減で指圧を施され、すっかりと身体の力が抜けきった漣華は、他愛もなくその意識を優しく包む闇に預けた。 

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