国王陛下はいつも眠たい

通木遼平

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「それで」

 フィーアルテのわめき声の余韻とざわめきが残る広間で、ラグルは淡々とファラグレスに言葉を向けた。

「お前はネックレスの件を知らなかったようだが、娘の不敬に対しては同じように知らぬ存ぜぬを貫くわけにはいかないだろう、エリーディアのファラグレスよ」

 父の目が一瞬はっきりと憎しみを抱いて自分たちを見たことにフィーナディアは気がついた。ラグルも気づいたのだろう。身を固くしたフィーナディアを、虹色の瞳がちらりと見やった。

「不敬などと……我が娘のこととはいえ、同じ主家の当主同士、私が責任を負うほどのことでしょうか?」
「トゥーランは今、国を統べる立場にある。わきまえてもらわねばならない」

 ファラグレスの目はますます忌々しげにラグルを睨んでいた。

「それにもう同じ主家の当主同士ではない」

「は?」

 広間は夜明けの湖のように静まり返った。フィーナディアがその水面を見渡せば、父、ファラグレスだけではなくほとんどの人たちが困惑の表情を浮かべていた。ほとんどの――主家の人間と、エリーディアの旗手たちと、叔父のファルトーン以外の人たちが。

 ファラグレスは眉間にはっきりとしわを刻み、ラグルをマジマジと見上げた。その目に映る感情は憎しみよりも驚きが色濃くなったが、それは一瞬のことだった。

「主家会議で正式に決まるが――先んじて今夜発表することになっていた。エリーディアのファルトーン、エリーディアのことはエリーディアの者が告げるべきだ」

 ラグルの声に進み出たファルトーンが、ファラグレスに向き合うようにして立った。が、その視線は兄を越えて会場中を見渡しているようだった。

「陛下と皆さまにはこの場と時をお借りします。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが――エリーディアのファルトーンと申します」

 左腕を胸元にあて、右腕は伸ばし手のひらを前に向け、ゆったりと頭を下げる――正式な場で使われるエリーディアの古いあいさつだ。背筋が伸びる気持ちになりながら、フィーナディアは叔父を見守った。

「我がエリーディアの四旗手の推薦によって兄、ファラグレスに替わりエリーディアの当主となることになりました。以後――」
「馬鹿な!!」

 怒りと憎しみに満ちた声がファルトーンの声を遮った。

「貴様がエリーディアの当主だと!? 誰がそんなことを許可したのだ!!」
「四つの旗手が連名でそれを望めば、主家の当主は交代しなければならない。古くからある法です。兄上もご存知のはずだ」
「黙れ!! たかが旗手に持ち上げられただけで調子に乗るな!!」

 広間にまたざわめきが舞い戻った。その中でも「口を慎め、ファラグレス」と冷たいラグルの声はよく響いた。

「主家を支え、仕えてくれる旗手によくたかがなどと言えたな」
「若造が口をはさむな!! 簒奪者め!!」
「兄上、陛下になんてことを!」
「簒奪者を簒奪者と言って何が悪い!! 私は王の子だった!! 王座は血で継ぐべきだ!! 周囲の国を見るがいい!!」
「周囲の国がどうであれ、このフォルトマジアでは違う」

 虹色の瞳が鈍く光った。

「主家の人間は特にそれを学ぶはずだ」
「偉そうな口を閉じろ!!」

「口を閉じるのはお父様の方です」

 口を開けば、手が震えた。それをぎゅっと握りしめ、フィーナディアは真っ直ぐに父を見た。

「なっ……!?」
「陛下にそのような口を聞くなんて許されることではありません」

 ファラグレスは完全に虚を突かれていた。まさかフィーナディアが反論するとは思っても見なかったのだろう。

「玉座を血で継ぐべきだというのなら、この国の初代国王陛下の血を継ぐトゥーランのラグル様が玉座についていることを不満に思うのはおかしなことではありませんか?」

 八つの国を一つにまとめた初代国王がトゥーランの者だというのは絵本にも書いてあるくらいよく知られたことだ。まさか知らないとは言わせない。

「それに――」

 今までずっと、父がおかしいことを言ってもそれをたしなめることを諦めてきた。暴言や暴力が返ってくるのを恐れていた。でももうやめよう――となりに立つラグルの虹色の瞳を見上げれば頼ってしまいそうで、フィーナディアはぐっとそれをこらえ、ただ真っ直ぐに父を見据えていた。

「それに、たとえ今すぐにエリーディアに玉座が巡ってきたとしても、お父様はそこにふさわしくはありません」
「貴様! 誰に向かってそんな口を……!!」
「わたくしのお父様です! ですが、ただそれだけです。お父様は今までエリーディアの当主として、エリーディアの民たちに一体何をしてきましたか? このエリーディアから遠く離れたトゥーランの地で暮らす叔父様の方がよっぽどエリーディアの民たちにつくしてくださいました。
 お父様は――お姉様も、ご自分のことばかりで民たちのことはこれっぽっちも考えてくださいませんでした。主家である恩恵ばかり受け、ラグル様のように恵まれたものを民たちのために使うこともなく……お父様もお姉様も、自分こそ玉座にふさわしいと常々口にしておりましたが、その行いは決してふさわしいものではありません! 玉座どころか、主家の当主としてもです!」

 胸の奥から熱の塊がせり上がり、全身を満たしていくようだった。フィーナディアは怒りのあまり赤黒くなった父、ファラグレスの顔から決して視線をそらさなかった。となりにいるラグルのことも、会場の目も熱の壁によって隠されている。

「黙れ!! 父親に向かって偉そうな口を……!! この愚か者め!!」

 いつもならばその言葉と共に手が飛んでくる。今日は距離があるのと場所が場所だけに視線だけが飛んできたが、それでもフィーナディアは一瞬身を強ばらせた。それでも、父を見据える視線だけは決してそらすことはなかった。

「愚かなのは一体どちらだ? エリーディアのファラグレス」

 そのフィーナディアの肩を、ラグルがそっと抱き寄せた。

 父親を見据えていた視線がやっとラグルを見上げた。虹色の瞳がいたわるようにフィーナディアへ向けられている。ほっとフィーナディアが肩の力を抜くと、ラグルは静かに――しかし冷たく、ファラグレスに視線を向けた。

「エリーディアの旗手たちだけでなく、お前の娘であるフィーナディアも、お前が主家の当主としてふさわしくないと言う。それでも一応は主家の当主だった者、増してやフィーナディアの肉親だ。だからこそこの夜会に呼んだのだが――」

 ラグルがちらりとフィーナディアを見た。フィーナディアはそっと首を横に振った。まだ胸の奥が熱く、あれ以上はうまく言葉を紡げそうになかった。

「このように醜くわめき立てるとは。あのフィーアルテの父親だということはある――退場願おうか?」

 ファラグレスはラグルに今にも殴りかかりそうだった。ローディムが静かに控えている騎士たちに合図を送っているのが見えた。

「必要ならば、騎士をつき添わせるが?」
「このような愚か者の集まり、こちらから願い下げだ!!」

 近づいてきた騎士たちを睨みつけ、ファラグレスは怒りのままに会場を去って行った。ラグルと叔父のファルトーンが視線をかわしたのが見えたが、フィーナディアは何も聞かなかった。

「私たちの祝いの場に集まってもらったのに、このように見苦しいものを見せてしまい申し訳なかった」

 落ち着かない雰囲気の会場に、ラグルが声を落とした。

「エリーディアの者として、私からも陛下と皆さまにおわび申し上げます。新たな当主として精進してまいります」

 ファルトーンも謝罪をし、おわびの品としてエリーディアでもめったに口にできない果実酒を夜会の参加者たちにふるまった。ファラグレスやフィーアルテが何かしら騒ぐだろうと見越して用意してあったのだ。もっとも、ファラグレスは主家の当主としての体裁を整えるだけの頭はあったので、ここまでになるとは想像もしていなかったが。

「大丈夫か?」

 酒の力もあって落ち着きを取り戻しはじめた会場を横目に、ラグルはそっとフィーナディアにたずねた。

「はい……父が、申し訳ありませんでした」
「気にするな」

 虹色の瞳が細められ、愛しげにフィーナディアを見つめていた。フィーナディアは熱い何かがすっと消えていくのを感じた。もっと早くこうしておけばよかったのかもしれないという気持ちもあったが、後悔しても時間が戻るわけではない。
 叔父に視線を向ければ他の主家の当主と談笑をしていた。ラグルとフィーナディアの元にも、言葉をかわしに来る人たちがいる。夜会はまだつづくが、フィーナディアは少し肩が軽くなったような気がしていた。


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