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オスカー・ローラントの幸福

6.聖ドラグス暦1842年と1845年、メアホルン

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「まあ、本当に不思議な色をしているのね」

 頭の上の方から声がして、オスカー・ローラントはその特別な瞳をちょっとだけ動かした。ひそひそとした声はいくつも聞こえる。大きな影が動いてその声の主たちが自分をのぞきこみ、やっとオスカーはその人たちの顔を見ることができた。

 日当たりのいい子ども部屋にあるベビーベッドの中にオスカーはころりと寝転がっている。言葉もしゃべることはできないし、動くこともままならないけれど、オスカーは生まれて目を開けたその時から他の赤ん坊と違ってはっきりとした意識を持っていた。





 成長してからも、その頃の記憶が薄れることはない。





 興味深そうな口調で、しかしその視線は確かに不快そうな色を帯びてオスカーに向けられている。「本当にあの二人の息子なのか?」と低い声が冷たい音を立ててオスカーの鼓膜を震わせた。そしてその言葉はオスカーが健やかに成長していく中で何度もオスカーの脳裏によみがえった。

 大人はきっと、子どもは何も気づいていないと思っているのだ――幼いオスカーはそう考え、彼らには決して心を開かなかった。大人がそうするように上辺だけの笑顔で必要最低限つき合っていけばいい。

 家族はそんなことを少しも思っていないのはわかっていたし、それ以上にオスカーの瞳が特別な色でも彼を特別扱いせず――とはいえ、オスカーは念願の跡取り息子ではあったので祖父母は彼に甘いところもあったが――愛情をたっぷり込めて接してくれた。彼にはそれで充分だった。ただ、周囲の心無い大人の言葉は気にしなかったが、本当に小さい頃は自分も家族と同じ色の瞳が欲しかったなと純粋に思っていた。そのさみしさを口には決して出さなかったが、周囲の言う特別な色なんかではなく、母の知的で意志の強そうなな鈍色か、父のような神秘的な紫色が欲しかったと。





***   ***





 そんなオスカー・ローラントが五歳の時に、運命の出会いは起こった。

 その日、彼は両親に連れられて彼の生まれたトゥーランの旗手が治める、メアホルンへと向かっていた。馬車から見えるのどかな風景は隣接しているはずのトゥーランとは全く違っていて、オスカーにはとても新鮮だった。その瞳は、少年らしい好奇心でいっぱいに輝いている。
 この国で魔力を持つ者は――国民のほとんどがそうだったが――魔力の強さが瞳の色に現れる。魔力が強い者ほどその色は濃かったり鮮やかだったりするのだ。ごくまれに特別魔力が強い者が生まれ、その者は特別な色――虹色の瞳を持っていた。

 そう、オスカーのように。

 オスカーはこの国で数十年ぶりに現れた本物の虹色の瞳を持つ子供だった。そして彼はその瞳の通りに非凡な才能を有し、それを幼いながらに発揮してきた。周囲の期待も大きいというのに少しもそれを重圧にせず、どこか達観したような大人びたところがあった。
 しかしこうして馬車の窓にぴったりと額と両手をつけて外を眺める姿は、他の子供たちと何ら変わりがない。両親は息子のそんな姿を微笑ましく眺め、馬車はやがてメアホルン伯爵パーシヴァル家の邸宅へと辿り着いた。





 そこに女の子が生まれたことを、オスカーは知っていた。パーシヴァル夫妻にとってはじめての子どもだった。トゥーランとメアホルンは主家と旗手の関係で深い繋がりがある。そのため、両親はお祝いにきたのだとオスカーはやっと気がついた。

 ローラント邸よりもずっとこぢんまりとしていたが、穏やかで落ち着いた佇まいと美しい庭園を持つパーシヴァル邸をオスカーはすぐに気に入った。邸の中を探検してみたい気持ちもあったが、今は我慢して両親と共に庭園に面した応接室へと案内される。ぼんやりと室内と、その窓から見える庭園を眺めていると、この邸の主であるメアホルン伯爵が夫人と同年代の女性を伴ってやって来た。女性の腕には白いふわふわとした布の塊が、大事そうに抱かれている。彼女が日当たりのいい場所に置かれたベビーベッドにそっとその塊を置いたので、オスカーはやっとそれがこの家に生まれた女の子なのだと気づいた。

 両親がパーシヴァル夫妻と話しはじめたので、オスカーはパッとベッドへと駆け寄った。のぞきこむと、オスカーと同じ黒い髪のかわいらしい赤ん坊がいる――ぱちりと、オスカーは目を瞬かせた。赤ん坊の瞳が、オスカーの虹色の瞳に映る。オスカーと同じ、虹色の瞳が。

 「えっ!」とオスカーが思わず声をあげると、パーシヴァル夫人の穏やかな笑い声がこぼれた。「驚いたでしょう?」と夫人は優しく言った。

 ローラント夫妻はパーシヴァル夫妻から手紙で赤ん坊の瞳の色を聞き、お祝いの品を贈るだけにするつもりだったのをこうしてわざわざ訪問したのだ。両親たちがまた赤ん坊のことをあれこれ話し出すのにオスカーはちっとも興味は持てなかった。ただ、目の前の自分と同じ色の瞳をした女の子のことだけはもう忘れることはできなかった。生まれてはじめて出会う、自分と全く同じ色の瞳を持つ女の子のことが。

 虹色と言ってもオスカーの瞳も目の前の赤ん坊の瞳もそう派手さを感じさせる色合いではなく、美しいクリスタルが日の光を反射した時に落とすような煌めきに似た色合いが二人の瞳に浮かんでいる。お互い、家族には似ても似つかない色を持つ……。
 
 そっと指を伸ばすと、ふっくらとした小さな手がきゅっとそれを握った。その瞳で見つめられるとオスカーはその女の子――レイチェルが、本当の妹のように思えて仕方なかった。





***   ***





 とはいえ、オスカーが勝手にそう思っているだけでレイチェルと接点を持てるわけでもなかった。家同士の繋がりはあっても別に親戚でもなんでもないのだ。オスカーが八歳の時、レイチェルの三歳を祝うパーティーが開かれると両親が話しているのを聞いてオスカーはすぐに行きたいと声をあげた。
 パーシヴァル家が娘の誕生日を祝うパーティーを開くことは今までなかったが、この辺りの地方では子どもの三歳の誕生日を特別に盛大に祝う風習があったため今回だけはささやかだがお客様を招待して祝いの席を開くことにしたのだという。
 大人びた息子がめったに言わないわがままに、お祝いだけ贈ろうと思っていた両親はすぐに出席したい旨をパーシヴァル家の招待状の返事として送ったのだった。





 三歳の娘の誕生日を祝うパーティーは昼食会で、パーシヴァル邸の庭園で立食形式で開かれた。オスカーはすました顔でお祝いの言葉を受け取るレイチェルに両親や姉と共にお祝いを述べて、プレゼントを渡した。トゥーランの腕利きの職人が美しく細やかな装飾を施した小さな望遠鏡だ。三歳の手に少し大きいくらいのそれを、レイチェルは嬉しそうにずっと眺めていた。
 オスカーに妹はいなかったが、妹がいたらこんな感じなのだろうとオスカーは思った。愛らしく、ずっとかまってやりたくなる。レイチェルは人見知りしないらしく、昼食会の間ずっと招待された子どもたちと一緒に楽しそうにはしゃいでいた。貴族よりもメアホルンの領民が多いらしい。女の子が多く、男の子はほとんどいなかったため、オスカーは少し遠巻きにその様子を眺めていたがちっとも退屈はしなかった。



 レイチェルがそんなオスカーに目を止めたのは偶然だと思う。



 飲み物のおかわりをもらって振り返ると、いつの間にかそこにはレイチェルがいた。彼女ものどが渇いて何かもらいにきたらしい。何回か瞬きをして、彼女はじっとオスカーの瞳を見つめていた。自分と同じ虹色の瞳に自分の姿が映っているのが、なんだかくすぐったい。
 「どうしたの?」と照れ隠しのようにオスカーは口早にたずねた。レイチェルはなおも、オスカーの瞳をじっと見ていた。

「君は……ぼくの目、めずらしくないだろう?」

 レイチェルはちょこんと首を傾げる。

「同じ色なんだから」

 うつむいても、自分よりずっと小さなレイチェルはしっかり視界におさまってオスカーを変わらず見つめていた。ぱちぱちと、また何回か瞬きがされ、それから愛らしい桜色の唇がぽかんと開かれた。

「ちがうよ」
「えっ?」
「レイチェルは、おかあさまといっしょだもの」

 パーシヴァル夫人は美しい若草色の瞳をしていた。困惑していると、「見て!」と小さな手がオスカーの袖をぐいぐいと引っ張ってくる。促されるままにレイチェルに視線を合わせてオスカーは彼女が自分にしたように、彼女の虹色の瞳をじっと見つめた。そして、気がついた。

 本当の虹が空色を彩るように、レイチェルの瞳の虹色の煌めきも、美しい若草色を彩るようにして存在していた。よく見なければ気づかないほどだ。今度はオスカーがぽかんと口を開く番だった。

「あなたは、きれいなむらさきね」

 オスカーは自分の頬が熱くなるのを感じた。どうして気づかなかったのだろう。

「それならぼくは、父上と一緒だ……」

 にこにこと笑うレイチェルを、オスカーは抱きしめたい気持ちでいっぱいになった。

「教えてくれて、ありがとう」

 「どういたしまして」と答える女の子は、オスカーが今まで感じたことのない幸福をもたらしたのだった。


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