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第三章 同胞喰
61.ロスソニエル(2)
しおりを挟むロスソニエルの言動に彼女が抱くコンプレックスが滲んでいることに気づいていたのはもちろんシトロンだけではなかった。
共に暮らす伯母のプリュイと彼女の夫は、ロスソニエルの王妃に対する言動を見てますますこの姪のコンプレックスが少しでもなくなるよう努めた。時折娘の様子を見に来るプリュイの妹が、特に彼女が一人で来た時などにロスソニエルに取る態度を知って母娘が二人きりで顔を合わせることがないように、ロスソニエルと会う時は必ずどちらかが共にいるようにもした。
ロスソニエルに対してもきちんと努力を認め、褒めるところは褒め、母親の言葉は気にしないようにしてきたつもりだった。ロスソニエルのコンプレックスに起因する発言は減ったが、その心の奥に根付いたものまでは無くなっていなかったのだろう。
*** ***
シトロンはロスソニエルの強く握られた拳をじっと見つめていた。そしてそんな二人をプリュイは静かに見守っていた。
シトロンがロスソニエルを嫌っていることを、プリュイは知っていた。二人がまだ幼い頃、王妃が我が子のようにシトロンを――実際、正式な養子縁組をしていなくてもシトロンは国王夫妻の子どもだと大人たちは認識していたのだが――かわいがっていたことに対して、どんな理由であれ王妃を慕うロスソニエルは嫉妬したのか、顔を合わせるたびに突っかかっていたからだ。
シトロンからしてみれば、剣などの訓練で顔を合わせるくらいで大した知り合いでもないロスソニエルから顔を合わせるときつく当たられることははっきり言って不快だった。プリュイや彼女の夫がその様子を目にすることは少なかったが、ガーディアから苦情が入ることがあったのでその事実を知っていたし、ロスソニエルにもよく注意をしていた。
ロスソニエルがシトロンに対してきつい態度を取ることももしかしたら彼女のコンプレックスに一因があるのかもしれない。できそこないと母親に言われつづけている自分より力の弱い存在――王妃の傍にいることがロスソニエルの救いになっていたのなら……王妃に近いシトロンの存在は邪魔だっただろう。
「シトロン様」
沈黙を破るようにプリュイがシトロンに声をかけた。
「この子のしたことで、陛下はお怒りなのでしょうか?」
ロスソニエルが襲った相手――妃候補の若いドラゴンがガーディアにとってどんな存在なのかプリュイは知っている。何か罰を受けることになるかもしれない。ロスソニエルのしたことは間違いだが、伯母として姪を心配する気持ちもあった。
「正直、それどころではないので……」
シトロンは言葉を濁した。
「何もおとがめなし、ということはないでしょうが」
ちらりとロスソニエルを見やりながら言った言葉にはどこか突き放すような響きがあった。
「……あの娘には謝りに行く」
ぼそりと落とされた声にシトロンの眉が跳ね上がったのにプリュイは気がついた。
「謝罪は必要ない」
冷たい声がロスソニエルの言葉を跳ねのけた。
「お前の謝罪に、一体なんの意味があるんだ?」
それは言外に、ロスソニエルが形だけそうするのをシトロンが見抜いているということを示していた。プリュイもまた同じ思いだった。ロスソニエルの心境が変わったわけではないのだ。
現に今この時も、ロスソニエルはミモザが認められなかった。魔族の中でも特に強い魔力を持つとされるドラゴンの若い娘。彼女が妃候補になったことは、他の誰が妃候補であることよりもロスソニエルには脅威だった。もしあのドラゴンの娘が王妃に選ばれたら――国王であるガーディアとその最愛の生まれ変わりの話はもちろんロスソニエルも知っていたが、ガーディアの気持ちが変わることだってある。
自分より弱い、人間の王妃――彼女がガーディアに愛され、国民に認められている様子を見ると、少なくとも彼女より魔力がある自分はマシだと思えた。母の言う、できそこないではないと。でもあの娘がその立場になればそう思えなくなってしまう。
人間の王妃がいた、魔族にとってはそう長くもない期間はロスソニエルの心を十分に救ってくれた。あの日々をずっと心のよりどころにしてきた。だからこそ、他の王妃など認められなかった。
その気持ちは日に日に強くなっていった。あの娘が国王のとなりにいるのを見るとより一層強くなる。それはあの蜘蛛のせいでもあったが、間違いなくロスソニエルの感情だった。
「戻ります」とプリュイに声をかけ、シトロンはロスソニエルにはそれ以上何の声もかけず病室を去って行った。
窓の外でほとんど葉を落とした木々の隙間を縫って、風がうなり声を上げるのが聞こえた。そんな音が聞こえても、ロスソニエルは顔を上げることができなかった。プリュイが大きくため息を落としたのが聞こえ、ロスソニエルは肩を揺らした。
「シトロン様は怒っていたわね」
「それにきっと陛下も」プリュイはつぶやいた。
「どうして謝罪をしようと思ったの?」
「それは……魔法が一因とはいえ、あの娘を攻撃したから……」
「シトロン様が謝罪に意味がないと言った理由はわかっている?」
ロスソニエルはぐっと言葉を飲み込んだ。
「ロスソニエル、あなたはまず自分の弱さを認めなければなりません」
きっぱりとした口調だった。
ロスソニエルは何も言えなかった。認めてしまえば、自分が弱く、母の言うとおりの者になってしまう気がした。鱗粉も魔力も少ない、かわいそうな、できそこないだと……。
「あなたは自分の弱さに負けてあの若いドラゴンの候補者を攻撃した。それだけではなく、あなたは本来この国の民を守る軍人なのに守るべき民の一人を傷つけようとした――」
ロスソニエルが剣を習うようすすめたのはプリュイたちだったが、軍人になるのを決めたのは彼女自身だった。軍の施設の子どもたちは軍人になることが多いとはいえ必ずしもそうならなければいけないわけではない。施設に通って一緒に剣などを習っている子どもたちもそれは同じだ。
はじめて剣を習った時、ロスソニエルは楽しそうだった。鱗粉や魔力の量は関係なく、習った分だけ身につき、そしてそれを褒められることを素直に喜んでいた。プリュイや彼女の夫もそれに気がつき、どんな小さな成長でも拾い上げて彼女を褒めるようにしていた。
それがよかったのか、剣に関しては努力した分だけ身につき認めてもらうことができるのだと最初に経験したのがよかったのか深く根付いたコンプレックスを思い出すこともなくひたむきに鍛えてきた。それを、彼女の母は知らなくても周囲は知っている。
ロスソニエルが軍人になると決めた時は驚いたが、努力して身につけた剣の腕を活かしたいと言う姪の姿には喜びを感じた。その後も軍において彼女は飛びぬけて優れたところはなかったが、剣の腕や体を鍛えることに関しては、地道な努力をやめなかった。
それなのに――
「あなたは弱いわ、ロスソニエル――はじめて剣を習った時のことをもう忘れてしまったの?」
プリュイはそれ以上何も言わなかった。姪の肩が震えるのにも気づいていたが、それ以上叱咤することもなぐさめることもなく、黙って病室を後にしたのだった。
*** ***
父と一緒に遊びに来た伯母の家の庭で、風を切る音が響いていた。父は伯母と何か熱心に話し込んでいたので、ロスソニエルは建物の陰から音のする方をこっそりとのぞいてみた。
伯父のケンタオアが、巨大な木剣を振っているところだった。ロスソニエルよりも大きい――伯父の胸元くらいまでありそうな剣だ。それをまるで羽のように軽々と伯父は操っている。この、ごうごうと響く音がなければロスソニエルもあの木剣がとても軽いものだと思い込んだだろう。
じっと視線を向けるロスソニエルに軍人であるケンタオアが気づかないはずもなく、彼は姪の姿を視界に入れるとその手を止めて姪の傍へと歩み寄った。
「どうした、ロッソ? プリュイと一緒じゃなくていいのか?」
「伯母さまは父さまとおはなししているから……」
そう言いながらもロスソニエルの視線は木剣から離れなかった。
「剣に興味があるのか?」
ケンタオアはやさしくたずね、ちょうどいい大きさの庭の木の枝を一本折ると葉などを綺麗に落としてロスソニエルに手渡した。しっかりとした重さの枝をグッと握りしめると、今まで感じたことのないわくわくとした気持ちにになれた。
「背筋を伸ばして、こう構えるんだ」
ケンタオアに背中を押されて見よう見まねで剣を構える。ちらりと伯父に視線を向けると、「いいぞ」と快活な笑顔を向けられた。教えられたのは簡単な素振りだけだったが、ロスソニエルには充分だった。
「ロッソは筋がいいな」
「すじ?」
「がんばれば、きっといい剣士になれる」
「でも……」
母はいつもロスソニエルをできそこないだと言う。表情を暗くしたロスソニエルの頭を、ケンタオアは彼らしく大雑把な手つきで撫でた。
「ロッソはまだ子どもだ。できないことが多いのは当たり前だし、これからできるようになることもたくさんある。そうだ、剣を習いに来ないか? 第一区で、子どもたちが剣を習える場所があるんだ」
「……魔力がなくても、だいじょうぶ?」
「剣の腕に魔力は関係ないさ」
持っていた枝を、ロスソニエルは抱きしめた。鱗粉も関係ないのだろう。伯父は妖精ではなくケンタウロスだ。当然、翅はない。
「ロッソ、こんなところにいたの?」
ハッとして振り返ると、父と伯母がいた。話は終わったのだろうか? 父はロスソニエルが持っている枝に目を丸くしていた。
「何をしていたんだい?」
「剣を、教わってたの……」
目線を合わせてくれた父をロスソニエルは上目遣いで見た。
「ロッソは筋がいい。もし興味があるなら第一区に習いに来るといい」
朗らかにそう言うケンタオアに父は少し驚いたようにした後、ロスソニエルに微笑んだ。
「そうか、ロッソは剣が上手なのか。父様は運動が苦手だからうらやましいよ」
うらやましいなんて言われたのははじめてで、不思議そうにロスソニエルは目を瞬かせた。
「剣を習いたいかい?」
「習ってもいいの?」
「もちろん。何でもやったらいい。何でもできるようになるよ」
「でも……母さまは、できそこないだって……」
「……母様のことは、気にしなくていいんだよ」
枝を握りしめたままのロスソニエルの手を、父の大きな手が包んだ。
「できるかどうかなんて、やってみないとわからないんだ。やってみたいことがあれば、何でも言ってごらん? 父様でもいいし、伯父様や伯母様にでもいいよ」
「……剣を習いたい」
ぽつりと、ロスソニエルは言った。
「じゃあ、今度一緒に第一区に行こう」
「うん……上手になったら、父さまのこと守ってあげる」
自然とほころんだ表情に、大人たちはうれしそうに笑った。
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