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第二章 妃選び

54.やるべきこと

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 カーテンを閉め切った部屋は薄暗く、しかしその中でもミモザの美しい髪は眩さを損なっていなかった。
 父を亡くした後、母がラングドール・バラガンと再婚したこと。その時ミモザ自身もバラガンと養子縁組をしていること。その後、母と共に攫われて目の前の資料にある娼館で働いていたこと。耳のちぎれた女から聞いた、店の魔族がいなくなる話。そしてその店の店主がバラガンで、ミモザと母を攫った黒幕もバラガンだということ。母が死んだ後、店から逃げ出したこと――それらを話し終えた彼女は一瞬ガーディアを気にするようなそぶりを見せたが何も言わず、今はベッドで眠りについている。使用人寮に戻ろうとした彼女を引きとめ、ガーディアがここで休むように言ったのだ。

 やはりラングドール・バラガンを殺しておくべきだった。

 それでベライドと何か問題が起きたとしてもかまわない。むしろミモザやミモザの大切な存在を苦しめた国を今から滅ぼしに行きたいくらいだ。

「俺がもっと早くミモザを見つけていれば……」

 もしも自分と同じドラゴンに生まれ変わっているとわかっていたら、ガーディアはきっとミモザを捜しに行っただろう。ガーディアは星影の竜――ドラゴンたちの王だ。星影の竜はこの世のドラゴンの居場所を知ることができる。
 しかし正直なところ、ガーディアは彼女が今回も人間に生まれ変わっているのだと思っていた。今まで一度だって彼女が人間以外に生まれたことはなかったからだ。ミモザと出会った時、同じドラゴンとして彼女が生まれてきてくれたことを知った時、ガーディアは素直にうれしかった。

 やわらかな前髪をなで、ガーディアはいたわるようにミモザの瞳と同じ色の彼女の角の先に口づけを落とした。ずっとそばについていたいが、結界の様子を見に行かなければベレナングレンが後でうるさいだろう。それに――

 シトロンが書類を片づけていた。ラングドール・バラガンの店でミモザが聞いた話が今回の件と無関係とは思えなかった。





***





 庭園に出ると中枢区で働く者や夜会のために滞在中だった人間たちがあちこちで立ち話をし、落ち着かない雰囲気だった。おそらく先ほどまではもっと多くの者がいたのだろう。彼らと同じ目的でアンナベルはマリエルと一緒に庭園にやって来ていた。
 先ほどのあの爆発音や暗闇の原因を知るためだ。それに運が良ければどこかでシトロンに会えるかもしれない。あの暗闇の原因がガーディアなら、ミモザに何かあったのではないかとアンナベルは心配していた。シトロンならば何か事情を知っているだろう。



 しかしアンナベルたちが遭遇したのは思いもよらない相手だった。



 落ち着かない雰囲気の庭園で、そこだけがしんと静まり返っていた。肌を刺すように空気が張りつめ、近くを通りかかった者は避けるように足早に通り過ぎていく。

 最初に目についたのは夜の色で、そのとなりには定位置だとでも言うようにシトロンがいる。そして彼らと並んでもう一人、ガーディアと同じくらい長身のエルフの姿を見つけてアンナベルは目を丸くした。彼は不在だったはずだ。

「まあ、陛下だわ」

 マリエルがこっそりとつぶやいたのが聞こえた。

「あいさつした方がいいのかしら?」

 マリエルはガーディアが妃選びにも妃候補にも興味を持っていないことをちゃんとわかっていた。普通ならあいさつをしておくべきだろうが、ガーディアはそれをわずらわしく思うだろう。マリエルの問いかけにアンナベルも迷った。ミモザのことを聞くにはこの上ない相手だが、マリエルがいる場でうかつなことを聞くことはできない。聞くにしても、言葉を選ばなければ――。

「アンナベル!」

 その前によく知った声が響いて、アンナベルは振り返った。私服姿のティンクが駆け寄ってくるところだった。息を切らしてアンナベルの前に立ち止まったティンクはそのとなりにマリエルの姿を見つけ、簡単に自己紹介をした。マリエルもそれに返し、ティンクの種族が気になるのかキラキラと好奇心が瞬く視線を不躾にならない程度にティンクに向けていた。

「どうしたんですか? ミモザは?」

 一緒ではないのだろうか?

「ミモザはシトロンさまに会いに行くって……さっきの見た? ミモザが心配で、シトロンさまを捜してたんだけど……」

 ティンクもアンナベルと同じ考えだったらしい。あの夜の闇の原因はガーディアで、ミモザに何かあったから起きたのだと。

 アンナベルとマリエルの向こう側に目当ての姿だけではなくそのガーディアの姿も見つけてティンクは「あっ」と声を上げた。

「陛下とシトロンさまと一緒にいるのってもしかして……」
「どなたかお二人はご存知なのですか?」

 興味津々でマリエルが口を開いた。「それは……」アンナベルとティンクは顔を見合わせた。二人とも会ったことがない相手だった。しかし、間違いないだろう。

「きっと、宰相閣下です」

 アンナベルは声を落とした。

「宰相閣下? この国の? 留守だとうかがっていましたが……」
「ええ、留守でした。戻って来ていたなんて……」

 宰相にはもちろん直接会ったことも話したことも無いがよく父親が愚痴をこぼしていたためアンナベルは宰相はとても厳しいという印象があった。

「宰相閣下はどんな種族なのでしょう?」

 マリエルは興味の方向がぶれない。「エルフです」とアンナベルは少しだけ肩の力を抜きながら答えた。

「エルフらしからぬエルフだと父はよく言っていましたが……」

 エルフは魔族の中でも特に寿命が長い者が多いためか、基本的には大らかな性格をしていると言われていた。アンナベルの父、ドゥーイは宰相のことをとても嫌ってはいたが、それを抜きにしてもベレナングレンは性格をしているのだと噂されている。
 三人は空を見上げて何かを話しているガーディアたちの元へ近づいた。最初に振り向いたのは鼻がいいシトロンで、ティンクがすぐに彼に声をかけた。

「捜してたんです。シトロンさまのこと」
「何かあったのか?」

 ティンクはちらりとアンナベルと視線をかわし、「ミモザに何かあったんじゃないかと思って……」と声をひそめて言った。

「シトロンさまに会いに行くと言って出かけたから、シトロンさまに会えばわかると思って……」

 今度はシトロンがガーディアとベレナングレンへ視線を向けた。

「その前に、彼女たちは誰です?」

 その視線を気にも留めずベレナングレンは興味がなさそうな口ぶりでシトロンにたずねた。三人ともベレナングレンが国を離れてから中枢区に来た上にただの使用人やベレナングレンが知らないところではじまった妃選びの候補者だ。当然面識などない。

「彼女は少し前に使用人として雇ったティンクです。ミモザと仲が良くて――」

 そういえばミモザはガーディアによって半ば強引に彼の私室に連れていかれて傷の手当てを受けたのだが、ベレナングレンはミモザについて何もたずねなかった。ミモザのことを気づいていると思っていいのだろうか? いや、きっと気づいているのだろう――そうでなければ、ベレナングレンの性格的にミモザが何者なのかをたずねてきそうだ。

「こちらの二人は妃候補のアンナベル嬢とマリエル嬢です。アンナベル嬢はドゥーイ卿の娘で、マリエル嬢はトロストの貴族の令嬢です」
「アンナベルといいます」
「トロスト王国フォレスト公爵家のマリエルと申します」
「ザルガンドの宰相、ベレナングレンだ」

 ベレナングレンは一瞬アンナベルに視線を向けたが特に何も言うこともなく、ただ簡単に名乗っただけで口をつぐんだ。

「それで、ミモザは?」

 気を取り直してティンクがたずねた。

「ミモザなら俺の部屋にいる」

 「えっ」と声をあげたのはマリエルだった。一斉に視線を向けられ、彼女は頬を赤くして口を押えた。

「ミモザに何かあったんですか?」

 マリエルが驚くのも無理はない。トロストでは夫婦や婚約者でもない限り男性の部屋に女性がいることはそうないらしいとアンナベルは知っていた。あとでマリエルにはこの国ではそうではないと説明した方がいいだろうか?

 アンナベルの問いに、ガーディアは少し言葉を探すような素振りを見せ、それから「ミモザなら大丈夫だ」と言った。

「少し休んでいるだけだ。目が覚めたら寮に戻るだろう――だが念のため、明日も休みにするようにパランティアには俺から言っておく。気をつけてやってくれ」
「わかりました」

 ティンクが力強くうなずくと、ガーディアは満足そうに口元を緩めた。

「陛下たちはここで何をされていたのですか?」

 話題が終わったのを見はからって、興味を抑えきれない様子でマリエルがたずねた。となりにいたアンナベルが先ほどガーディアたちが見上げていた空を見上げると、うっすらとヒビのようなものが見える。気のせいだと言われるとそんな気がする薄さだが、それはたしかに空に存在していた。

「あれが見えますか?」

 たずねたのはベレナングレンだった。

「それなりの魔力を持っているようだ」
「あれは結界、ですか? ヒビが入っているように見えるのですが……」

 ティンクやマリエルには目を凝らしても見えなかった。

「先ほど爆発音のような音が響いたでしょう? あの時に割れたんです」

 ベレナングレンはガーディアを睨みながら言った。

「王都にも結界があるんですか?」
「あの、わたくしがこんなことを言うのはなんですが、他国の人間の前で王都の結界が壊れたという話をしていいものなのでしょうか……?」

 遠慮がちにたずねたマリエルに「かまいませんよ」とベレナングレンがそっけなく答えた。

「ここの結界は中の厄介者を出さないための結界ですから」
「随分な言い方だな」
「自分の過去の行動を省みてから反論したらいい」

 ベレナングレンは指先を三回こすり合わせ、フッと息を吹きかけた。すると魔力でできた三羽のハヤブサが現われ、すぐにどこかに飛んで行ってしまった。

「それで、結局先ほどの暗闇の原因は何だったのでしょう?」

 マリエルがたずねると、シトロンとベレナングレンの視線がガーディアを見た。それが答えのようなものだったが、結局それ以上、何が起きたのかを教えてもらうことは叶わなかった。





***





 しかしアンナベルだけは、その後すぐにガーディアによってシトロンの執務室へと呼び出された。予想はしていたが、そこには部屋の主であるシトロン以外にベレナングレンもいた。

「……それに、父が絡んでいるのですか?」

 そこで聞かされたのはベレナングレンがザルガンドを離れて調べていた行方不明者のことだった。アンナベルの父であるドゥーイはたしかにベライドで商売をしていたし、今もしている。しかし、彼もまた魔族なのだ。アンナベルは父のことが好きではなかったが、にわかには信じられなかった。

「ラングドール・バラガンはドゥーイの商売相手らしいな。今も親密なのか?」
「は、はい」
「ミモザはアルティナのところに行く前、ラングドールの店で働かされていたらしい。この書類の店だ」

 渡された行方不明者の書類は複数あり――しかしあくまで行方不明者の一部で、全体の数はもっと多いらしい――全員最後にいた場所が同じ娼館だった。その娼館に父が関わっていたかはわからない。でも――嫌な予感がして、アンナベルは断りを入れるとラングドール・バラガンの店とは別の被害者の情報が書かれた書類を見せてもらった。

「これは……」

 その中の何人かが、父がベライドでやっている店の従業員だった。

「もし……もし、父がこの件に関わっていたとして、父はどうなるのしょう……?」
「先ほど少しイシルマリから来ている客人と話しましたが、どうやらイシルマリで違法な人身売買があったらしく被害者に魔族がいるとか……その法を犯した商会の取引相手の一つがドゥーイの商会だとか」

 ベレナングレンは言った。

「魔族が他国で行方不明になっているならばザルガンドで罪には問いません。ドゥーイの商会の名前があがっただけならば。他国ではそれだけでもどうなるか知りませんが」
「そ、それじゃあ……」
「この国に関していえばドゥーイが何かしていたとしてもその罰はドゥーイだけが受ける。だが人間の国にそれが通じるかは別だ。口を出す勇気がある国があればだが」
「今はアルディモアとの関係もありますから、昔のように放っておくわけにもいきません」
「……わたしは、何をしたらいいのでしょう?」

 意を決してアンナベルはたずねた。

「ドゥーイがこの件にどこまで関わっているかを知りたいのです」
「危険なことまではしなくていい。お前になにかあれば、ミモザが悲しむからな」

 ベレナングレンの射殺すような視線がガーディアに向けられたが、ガーディアは全く気にも留めなかった。


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