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第二章 妃選び

19.白い庭(1)

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 お茶会や晩餐会で主にロスソニエルから突っかかられ、ローズからそうとは気づかれない程度の嫌味をぶつけられるだけではなく、ミモザが妃候補になったと知った先輩使用人からミモザへの当たりも強くなっていた。
 同期の仲間は心配してくれているし、スティナが気づいた時はフォローしてくれているが、彼女も忙しいので常にミモザばかり見ているわけにもいかず、全ての嫌がらせを防ぎきれるわけではない。
 その上、嫌がらせのほとんどが仕事を押し付けたり邪魔したりという内容だったので、ミモザが妃候補になったことを何とも思わないような使用人からは嫌がらせを受けていると気づかれないことも多かった。

「もし何かあったらすぐ俺に言ってよ」

 忙しい合間を縫って訪ねて来たシトロンが心配そうにそう言った。使用人たちからの嫌がらせのことを聞いて様子を見に来てくれたのだ。

 中枢区には美しく趣向を凝らした庭園がいくつかあるが、使用人寮の近くなどには全く手つかず自然のままになっている小さな森もあった。今、ミモザがシトロンと歩いているのもそんな森だ。ここを抜けると王宮で管理している果樹園や畑があるが、この森の外にそこへ向かうための道があるので森の中には誰の気配もなかった。

 ここならばお互いに気兼ねなく会話をすることができる。特にシトロンは、人前でうっかりミモザを「母上」と呼ばないように随分きをつけているらしい。

「そんなに気にしてないから大丈夫だよ」

 そもそも先輩使用人たちは妬みから嫌がらせをしているようだったが、ミモザを攻撃したところで妃候補になれるわけでもないし、肝心の国王はずっと姿を見せないので嫉妬したところで何の意味もないのだ。
 あきれと怒りでイライラする時は野菜のみじん切りを担当させてもらってすっきりする。その程度のことだった。

「でも……」
「シトロンだって忙しいでしょう? パランティアさんたちもいるし」

 妃候補になって欲しいと頼んだのはシトロンなので余計に気になってしまうのだろう。ミモザはシトロンの背中を軽く叩いた。

「それより、髪飾りはどうなったの?」
「そういえばまだ言ってなかったっけ? ちゃんと陛下に届けたよ」
「わたしのことは……?」
「母上のことは、もちろん言ってないし、近くにいることも気づいてないと思う。髪飾りから母上の気配がしたみたいだけど……元々母上のものなんでしょう?」
「うん……それで誤魔化せたならいいんだけど」

 自分の気配なんて気づかなかったが、バレていないならそれでいい。ミモザはほっとしてため息をひとつ落とした。シトロンは少し不満そうな顔だったが、こればかりは譲れない。

「陛下はやっぱり、妃選びを許した理由を教えてくれないんだ」

 不満を言ってもしょうがないと思ったのか、シトロンが話題を変えた。

「絶対に何かあると思うんだけど……」
「彼は財務大臣のこと、どう思っているの?」
「どうだろう……それほど関心はないと思うけど。宰相府の文官たちは大臣も含めてひとくくりにベレナングレン様の部下ってだけ……ドゥーイはここで働きはじめてまだ百年もたってないから。もっと長く働いていると違うのかもしれないけど」
「そっか。財務大臣に何か気になることがあるのかなと思ったんだけど」
「うーん」

 シトロンは首をひねった。アンナベルにそうしたように彼にも「気にするな」と言えたらいいけれど、そういうわけにもいかないこともミモザはわかっていた。シトロンは国を動かす場所にいて、気にせずにいて何か起きてしまっては遅いのだ。

「わたしも妃選びの場で、何か気になることがあったら伝えようか?」
「えっ」
「候補者のほとんどを財務大臣が選んだなら、何かあるのかもしれないし」
「それはそうだけど」
「アンナベルが言っていたんだけど」
「アンナベルって、候補者になってるドゥーイの娘?」
「うん、友だちなの」

 ミモザは頬を赤らめた。友人と呼べる存在ができたのは思えばはじめてだ。蘭の館の姐さんたちはかわいがってくれたけれど、友人よりも家族と言った方がしっくりくる。

「アンナベルは、父親が権力狙いで、自分の息のかかった候補者を王妃にしたいんじゃないかって……それで、ザルガンドと繋がりを持ちたい他国に声をかけて候補者を募ったと思うって。何かあるなら、大臣が推薦した候補者にも動きがありそうじゃない?」
「たしかに……元々あいつは他国との国交を開くのに積極的で、まあ、そのたびに却下されて来たんだけど。金も権力もって思っているならこの行動もわかる気がする。ベレナングレン様がいない今がチャンスなのも間違いないし……ただ、陛下が好きにしろって言う理由にはならない気がする」
「そう言われるとそうかも」

 森の終わりが見え、二人は足を止めた。

「俺もいろいろ探ってみるよ」
「わたしでよければ、いつでも話くらいは聞くから」
「うん、ありがとう。母上」

 パッと笑ったシトロンを、ミモザは愛おしげに見つめていた。





***





 そうは言ってもミモザは嫌がらせのことに関しては本当に何でもないと思っていたし、シトロンは忙しいのかしばらくミモザの元を訪れることはなかった。



「ちょっと」

 その日、ミモザは使用人寮の調理場での仕事を終え、午後からは王宮内の掃除の手伝いに駆り出されていた。代わりに夕食時の仕事は片づけだけになったし、さすがに妃候補たちがいる来賓館からは離れた場所――宰相府に繋がる渡り廊下の一つだ――の掃除だったので他の妃候補たちにばったり出くわすこともないだろう。もしロスソニエルにでも出くわしたら仕事を中断する羽目になりそうなので、その点は安心してミモザは仕事をこなしていた。

 こうして突然声をかけられるまでは。

 集めた床のゴミを回収して袋につめたところで投げつけられた声にミモザが振り返ると、使用人の制服姿の女性が三人、睨むようにして立っていた。その手には外用の掃除用具がある。

「そこが終わったら次は“白い庭”の掃除をしてくれる?」
「白い、庭……ですか?」
「“白い庭”も知らないの?」

 ミモザに掃除用具を押し付けながら、先輩使用人は鼻で笑った。

「ついて来なさい」

 意外にも案内してくれるらしい。何か企んでいるのだろうか……? しかし本当に仕事だと問題になるし、逆らうと余計に面倒なことになりそうだったので、ミモザは大人しく先を歩く三人の背中について行った。

 たどり着いた場所は王宮内でも最も深い場所にある棟――星宮せいぐうと呼ばれている――の近くだ。今は国王とシトロンがこの建物で暮らしている。王宮内から星宮に入る渡り廊下は一つだけで、それはシトロンの執務室の近くにあることは知っていたが、ミモザは今世ではもちろんその先に行ったことはない。
 外から星宮に直接入ることはできない。人間の国の王宮なら隠し通路の一つでもあるのだろうがそれもない。国王をはじめほとんどの者が魔法を使えるので出入口や隠し通路がなくてもいざという時は魔法で出入りができるだろうし、いざとなれば国王が人の姿から本来の姿に戻れば星宮の一つや二つ簡単に壊せるから出入口がないことは大した問題ではなかった。

「あの先よ」

 使用人にしては綺麗な指が指示した場所にはうっそうとした生垣があった。自然にできたものだろうか……? 同じく自然にできたように見える濃い緑色の葉に小さな白い花をつけたアーチと、申し訳程度に石が並べられて作られたその先へとつづく小道があった。
 今ミモザがいる場所はごく普通の、庭師をはじめとした使用人たちによってきちんと手入れをされている、王宮内の庭園の一つ――その端の方だ。その庭園から生垣とアーチを隔てているだけなのに、アーチの先はどこか別世界のように思えて近寄ることに戸惑いを覚え、その上とても先に庭があるようには見えなかった。

 それに、星宮に近すぎる……。

「さぼったらしょうちしないわよ」

 ミモザはさすがに抗議しようとしたが、三人の先輩使用人はそう言ってさっさとその場を立ち去ってしまった。周囲には他に誰もいない。あの先輩たちがあの先にあるという“白い庭”の掃除の担当で、ミモザへの嫌がらせに仕事を押し付けてきたのだろうか? それとも本当は掃除なんていらない場所で、ミモザに嫌がらせをするために仕事をでっちあげたのだろうか?
 どっちにしろ嫌がらせには間違いない……ミモザは息を吐いた。とりあえず、掃除しておけば間違いはないだろう。ミモザはためらうことなく自然のアーチをくぐった。





 様々な背の高さの木々が、自然のままにのびのびと枝を伸ばして思い思いの形の葉をしげらせていた。まるで森の中に迷い込んだようなアーチの下の小道を抜けると、思ったよりもずっと小さな庭があった。
 地面には一面に白い花が咲き誇っている。やわらかそうな丸い葉と、透き通ったひし形の花弁を持つ美しい花だ。遠目から見ると星の形のよう見えるその花は、“星の涙”と呼ばれる、このザルガンドでしか見られない花だった。

 見上げればすぐそこに星宮の壁がある。窓もあるようだったが、星宮のどこの窓かわからなかった。ミモザの持つ記憶の中で、このザルガンドの王宮で暮らしたことは前回の人生だけだがこの場所の存在すら知らなかった。
 窓からは木々がうまくこの場所を隠していそうだった。そしてその奥にある、真っ白な建物も。

 柱も屋根も扉も雪のように白いそれから、ミモザは目が離せなかった。背の低い建物で、入口は半地下にある。懐かしいような、悲しいような気持ちが、ミモザの胸の中をこだまし、木々や花たちが風に揺られてささやく声も、ミモザの耳には届かなかった。





背後に聞こえた足音さえも。





***





 使用人頭補佐であるスティナは、王宮内にある小さな執務室で書類の確認をしていた。妃選びのせいで使用人たちの負担は大きい。人の出入りも多くなり、細かい仕事は増える一方だ。その上、秘書官のシトロンがなぜか使用人のミモザを新たな妃候補として推薦し、ミモザが嫌がらせなどを受けないように気にかけて欲しいと頼まれてしまった。

 ザルガンドのはじめての王女だったアルティナを産んで王妃が亡くなった後、まだ幼かったスティナの弟のエメを育てるために休みをもらっていたスティナの母――当時の使用人頭補佐で、今は引退している――が仕事に復帰し、王女の乳母の一人となった。
 当時はまだ王の身の回りの世話をする仕事を与えられていたものの形ばかりで、実質養子のような存在だったシトロンのことも、スティナの母がまとめて面倒を見ていた。その縁があってスティナや彼女の弟のエメはシトロンと兄弟のように親しくなった。特にエメはシトロンとお互いに一番の親友同士だ。

 そういうわけで、今や立派な王の秘書官となったシトロンに頭を下げて頼まれては断ることは難しい。ミモザの身支度の手伝いをスティナがすることにもなったので、できる限りでよければとその頼みを引き受けたのだ。



 三つ目がぱちりと瞬いて、スティナはハッと書類から顔を上げた。



 それからすぐに部屋を飛び出し、隣にある使用人頭の執務室の扉を叩いた。使用人頭のパランティアも、スティナの同じく書類仕事をしていた。

「どうしました?」

 額にある目だけでスティナの方を見ながらパランティアはたずねた。

「使用人のミモザが、“白い庭”に入ってしまったようです」

 パランティアの顔が上がった。

「この間採用した使用人は、たぶんまだあの庭が立ち入り禁止だと知らないはずです」

 庭の管理の役目についている者なら同じ部署の先輩から聞いているかもしれないが、まだ直接説明をしたことがないから他の部署に割り振られた新入りは知らないだろう。“白い庭”に踏み入っていいのは、国王とシトロンだけだ。

「ミモザが妃候補になったのをよく思わない者たちがあの庭に誘導したようなんです」
「顔はわかりますか?」

 スティナはうなずいた。

 スティナも、彼女の父であるパランティアも、三つの目を持っている。そしてその三つ目の目は遠くの景色まで見通せる千里眼だった。もっともスティナはまだパランティアほど広い範囲を見ることはできない。それでも二人で常に王宮内を見渡し、使用人たちの勤務態度やそれ以外にも細かい問題が起きていないかなどを確認していた。
 公にはしていない能力だが隠しているというわけでもないので、知っている者ももちろんいた。が、ミモザに絡んでいた三人は知らないのだろう。

「では、スティナはその三人を呼び出しておいて下さい。私は陛下のところへ行きます」
「ミモザはどうなるのですか?」
「悪いようにはしませんよ」

 娘を安心させるように、パランティアは微笑んだ。


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