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第一章 聖女の髪飾り

7.夕食会の前に

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 ミモザたち使用人には詳細が伝わってこないのでどのような雰囲気だったのかわからないが、歓迎会そのものは何事もなく終わったようだった。妃候補たちとその関係者、それからこの名も無き王都や近隣に住む魔族の有力者が集まり、晩餐会とちょっとした舞踏会が行われたらしい。



 しかしその場はもちろんのこと、何日たっても肝心の国王は姿を現さないという――。



 アンナベルから教えてもらった情報に、ミモザは内心複雑だった。制服のポケットに手を入れて、髪飾りをぎゅっと握りしめた。やわらかい布で丁寧に包んではいるが、その形ははっきりと手のひらに伝わってくる。
 アンナベルとは時折顔をあわせ、何でもない世間話をする間柄になっていた。彼女は精霊族だが人間の道具から直接生まれた精霊ではなく精霊の両親から生まれた精霊で、元をたどると陶器になるという。大人しいが穏やかな性格で、ミモザは彼女に好感を抱いていた。
 アンナベルなら髪飾りのことを頼んでもいいかもしれない――そう思って、ミモザは最近毎日のように髪飾りを持ち歩いている。今のところは中々打ち明けられずにいるが。

 妃候補たちは王宮の別棟である来賓館に客室を与えられ、滞在している。

 名も無き王都の最も内側にある中枢区は宰相府や軍部、王宮図書館、使用人寮などいくつかの建物が存在するが、その中でも“王宮”はいくつかの区画によって成り立っており、全てが回廊や渡り廊下で繋がっている。来賓館と呼ばれる棟もその区画の一つだ。その間には趣の異なるいくつかの素晴らしい庭園が広がり、特別な庭園を除いてだが中枢区で働く者は使用人まで含めて好きな庭園で休憩時間などを過ごすことが許されていた。

 妃候補は全部で六人おり、人間の国の王女や貴族、ザルガンドの有力者の血縁ばかりだった。もともと王宮で働いていた数名の女性使用人が傍仕えとなり、軍部から護衛も派遣されてはいたが、人間の候補者たちは国からも身の回りの世話をする侍女や護衛を連れてきていた。その面々も来賓館で候補者が滞在する客室の近くに部屋を与えられている。

「一応、お茶会や夕食会で交流をということになっているんですけど毎日ではないですし、あっても肝心の陛下がいらっしゃらないのですぐお開きになってしまって……みなさん困惑しているみたいなんです」

 今はその来賓館の近く――ではなく、王宮の調理場の裏にあるベンチにいた。アンナベルははじめて出会った日ほどではないがやはりあまり似合わない華美なドレスを着ている。ミモザは休憩中で、自分で作ったサンドイッチを膝に広げていた。

「アンナベルは普段どんなことをしてるんですか?」
「わたしは折角の機会なので、王宮図書館によく行きます。家は第三区なので国立図書館はよく行くんですけど、王宮図書館はやっぱり違いますね」
「そうなんですか?」
「国立図書館より古い本が多いです」

 「そうなんですね」とトマトとチキンのサンドイッチを頬張りながらミモザは相槌をうった。王宮図書館は、この王宮に古くからいる者たちが個人的に集めた本が数多くある。ミモザも前世では時折足を運んでいた。

「ミモザはお仕事の方はどうですか? その……」

 アンナベルは少し言いづらそうにつづけた。

「妃候補の方たちは、気位の高い方も多いみたいなので使用人の方たちは大変なこともあるのでは……?」
「わたしは使用人といっても調理場担当で、普段は使用人寮の調理場にいることが多いので、今のところアンナベル以外の妃候補の方には会う機会はないんです」

 ミモザはちょっと眉を下げた。

「同僚はそうでもないんですけど……」

 庭仕事の担当のティンクは妃候補に出くわしたことがあるらしいが、色々あったらしくカリカリとしていた。他にも、使用人寮の食堂では候補者に対する愚痴らしきものがちらほら聞こえてきている。

「何か力になれればいいんですけど……」
「気にしないでください。何かあれば使用人頭のパランティアさんあたりに相談してみますから」

 サンドイッチの最後のひと口を食べ終える。もうそろそろ休憩は終わりだ。使用人寮の調理場で、夕食の準備を少しずつはじめなければいけない。

「そろそろ戻りますね。あの、アンナベル……」

 立ち上がったミモザは、ポケットの上からまた髪飾りに触れた。

「もし陛下が姿を見せるようになったら……教えてもらえませんか?」
「えっ?」
「ちょっと、内密にお願いしたことがあるんです」

 アンナベルは目を瞬かせたが、すぐに微笑んでうなずいてくれた。

「わたしでよければ」

 その言葉に、ミモザはほっと肩の力を抜いた。





***





 ミモザの頼みごとはなんだろう? アンナベルは自室で本を読みながらぼんやりと考えていた。出会ってから十四日ほどたつが、内気なアンナベルはミモザのことがすっかり好きになっていた。

 元々このザルガンドの魔族に職業の貴賤や身分差はないに等しい。アンナベルはまだ若かったが生まれも育ちもザルガンドなのでその意識が強く、ミモザが使用人でも特に気にしない。
 ミモザは親切で話しやすく、妃候補の中には使用人に居丈高に接する者もいるらしいのに、アンナベルが妃候補だとわかっていても特に気にしていないように見えた。それがアンナベルにはありがたかった。
 正直なところ、他の妃候補――あと五人いるが、三人は人間で、残りは魔族だ――は、アンナベルが人見知りしているのもあるだろうが少しとっつきにくい印象があってお茶会などに参加しても会話がはずまない。ミモザと調理場の裏でおしゃべりをする時間の方がよっぽど楽しかった。

 ミモザはアンナベルと違って忙しいはずなのに休憩時間などをアンナベルとのおしゃべりにあててくれる。お礼も兼ねて、ミモザに頼みごとがあるというのなら力になりたいと思った。

 広げていた本に視線を戻す。古い魔法書だ。アンナベルは両親よりも魔力が強く、魔法の勉強をするのが好きだった。父に強引に妃候補にされてしまったけれど本当はそれを活かした仕事に就きたいというささやかな夢を持っている。

 部屋をノックする音がして、アンナベルは顔を上げた。返事をして入ってきたのは上級使用人の女性だ。お茶会の時間らしい。主役不在のその時間はアンナベルにとって心から憂鬱な時間だった。





***





 その日、ミモザはいつもの通り使用人寮の調理場での仕事を終えて少し早めの休憩に入り、午後からは王宮の調理場の手伝いに駆り出されることになった。なんでも妃選びの夕食会に宰相府の高官が同席するらしく、いつもより準備に時間をかけなければいけないそうだ――アンナベルは大変だろうなとミモザは思った。
 主催は財務部の大臣であるドゥーイ卿だとか。前世での記憶にその名前はなく、財務部の大臣は別の魔族だったはずなので、この百年ほどで出世した魔族なのだろう。テキパキと料理を盛り付けしやすいように食器を並べていると慌てた様子の女性使用人が調理場へとやってきた。

「もし手が空いている方がいたら手伝って欲しいのですが」

 ちょうどミモザは綺麗な銀縁の皿を並べ終わったところだった。

 「おい、手が空いたなら行ってやれ」と、調理場のリーダーが言ったのでミモザは「わかりました」と手を洗って女性使用人について行った。なんでも会場のセッティングの手が足りないらしい。

「妃候補の方たちにも困ったものです……こっちにはこっちの仕事があるというのに」

 歩きながらこぼされる愚痴に、何かあったのだなと察したがミモザは黙っていることにした。

 広い部屋は長いテーブルが用意され、しわ一つないテーブルクロスがかけられている。椅子はまだ運んでいる途中だし、テーブルにはクロスだけで何も置かれていなかった。会場で指示をしているのはパランティアだった。
 「手伝いを連れてきました」とミモザを連れてきた女性使用人が言ったので、ミモザは軽く会釈をした。パランティアの黄緑色の三つ目がミモザを見つめた。落ち着かない気分だ――パランティアは「魔法は使えますか?」とミモザにたずねた。

「使えます」
「ではこの花と、ここにある花に状態保存の魔法をかけてから花瓶に均等になるように活けてください。状態保存の魔法は?」
「大丈夫です。テーブルに飾る花ですか?」
「いえ、これは壁際に飾るものになります」
「わかりました。がんばります」

 パランティアは手に持っていた花の束をミモザに手渡した。そのほんの一瞬、ミモザは指先同士が触れたのに気がついた。パランティアが、訝しげな顔をしたのにも――パランティアの瞳が探るようにミモザを見た気がしたが、ミモザはそれには気づかないフリをして作業をはじめた。「お願いします」と言う声は淡々としている。いっそしすぎているほどだ――と思うのは、考えすぎだろうか?





「失礼します」

 ちょっと悩みながら花瓶に花を活けていると、冷たい響きを持った声が入口の方から聞こえてきた。「何でしょう?」と誰かが答える声がする。ミモザはちらりとそちらに視線を向けた。やけに姿勢のいいきっちりとしたドレス姿の女性が立っている。人間のようだ――妃候補にしては見た目の年齢が上なので、侍女か何かだろうか?

「わたくしはリリアナ王女の遣いの者です。責任者の方は?」
「私ですが、何か御用でしょうか?」

 パランティアが進み出たが、あまり歓迎しない様子だった。

「今日の夕食会の席順についておうかがいしたいのですか、陛下は今回は出席なさりますか?」
「……陛下のことは陛下にしかわかりません」
「もし参加されるなら、リリアナ王女の席を陛下のおそばに」
「申し訳ありませんが席順は決まっております」
「リリアナ様はイシルマリの王女殿下ですよ?」
「席順は主催であるドゥーイ卿が決められましたので、私の方で勝手に変更はできません。ドゥーイ卿におっしゃってください」
「……いいでしょう」

 リリアナ王女という人の遣いの者は厳しい視線を会場に向けた。そこで忙しく準備をする使用人たちに――そして、こっそり様子をうかがっていたミモザに視線を止めた。

 驚いたように目を見開く。その様子に、ミモザは内心で首を傾げた。しかし特に何もなく、「失礼します」とそのリリアナ王女の遣いの者は去って行った。
 「夕食会やお茶会のたびにああいう人が来るのよ」と、傍で別の仕事をしていた使用人が言った。その言葉を右から左に聞き流しながら、ミモザはどこかであの人を見たことがあるような気がして首をひねっていた。

 どこで見たのだろう――?

 人間の女性だ。つまりザルガンドに来る前……少し距離があったが、ミモザは視力がいいので顔はちゃんと見えた。厳しそうな表情で、髪型も服装も背筋もピシッとしていた。

「あっ」

 ミモザは小さく声をこぼした。厳しい声が記憶によぎる――「聖女様」と呼ぶ声が。でもそれはミモザのことではない。ミモザの大切な愛娘のことだ。

 あの人だ……。

 記憶にある姿はもっと若かった。あの日も見た姿――聖女アルティナに髪飾りを託されたあの日、傍に控えていた従者の一人が間違いなく彼女だった。

 不安を覚え、ミモザはポケットの上から髪飾りに触れた。彼女は常々アルティナの傍に控えるのに浮浪児だったミモザはふさわしくないと言い、ミモザのことを敵視していた。なんだか嫌な予感がする……何も起こらないといいのだけれど。





***





 どうしてあの娘がここにいるのか……。

 かつて聖女の従者だった女――ヴァルヴァラは足早に廊下を歩きながら爪を噛んだ。彼女は聖女が亡くなった後、アルディモアを離れて隣国のイシルマリに移り住んだ。そこで聖女の元で働いていた経歴を活かし王家に仕え、王女であるリリアナの教師兼侍女になったのだった。
 主が変わっても、亡くなった聖女を崇拝する気持ちは変わっていない。もちろん、今の主であるリリアナのことも考えている。この手で教え導いてきたのだ。聖女様のように美しく、厳しく、誰からも慕われる存在になるように――。

 ヴァルヴァラは自分こそが一番に聖女のために仕えていたという自負があった。だからこそ、あの日、聖女に大切な物をたくされた出自もわからないみすぼらしい孤児が憎らしくて仕方なかった。

 ある日突然現われたあの娘はなぜか聖女に気に入られ、重用された。しかしまさか魔族だったとは……十年ほどたつのにほとんど姿が変わっていないのがその証拠だ。

 聖女様はきっとあの娘に騙されていたのね……魔族なのだから、きっと得体の知れない術を使ったに違いない……。

 ヴァルヴァラは聖女が魔族と人間の混血だったという事実を都合よく忘れていた。

 聖女様の髪飾りをまだ持っているのだろうか……? 貧しい孤児なら売り払ってしまったかも……もし持っているなら取り戻さなければ。

 噛まれた爪はボロボロだった。しかし憎しみにぎらついた彼女の瞳には、少しも映っていなかった。


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