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一章 新学期は運命と一緒に
3話 WITH MY HURT
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「ん…………う」
この日、
ほのかに明るくなった部屋で目を覚ますと、
瞼は重く、ひどい倦怠感を感じた――。
朝に弱い私は目覚ましの合図で起きるのが常態化している。
だけど、その音はまだ鳴っていない。
「は……ぁ……」
体を起こすと下腹部に酷い痛みを感じた。
きっと昨日眠った後からかな、月の物が始まったみたい。
早く目が覚めたのもこれが原因だと思う。
いつもはこんなに重くないのに今回はちょっと特別かも。
――ベッドから出るのも辛いなんて、ね。
ゆっくり立ち上がり深呼吸をする。
そして、何とか着替えを済ませると慎重に階段を下りた。
扉を開け、人気の無い室内を見渡す。
6月とはいえ陽の差し込んでいない居間はまだ肌寒い。
まずは、少しでもすっきりしないと……。
私は重い気分のまま洗面所へ向かった。
――20分後、
最低限の身支度を終え再び居間へ。
習慣的に台所までは行ったけど、
調子の悪さで大きなため息をついてしまう。
――全然食べたくないよ……。
毎日の朝ごはんは前日の夜に準備をすませている。
お弁当のおかずも軽く調理すれば完成する状態で、
出来る限りの時短を心掛けていた。
でも、今朝の食欲は皆無。
開けた冷蔵庫を眺めるだけで何も取らずに閉めてしまった。
こういう時だからこそ食べないといけないんだけどさ、
無理に食べたらもどしてしまいそう……。
お弁当もあきらめて今日は学食に行こうかな。
今はまず薬を飲もう。
いつもは使わないけど今回のは緊急事態だよ。
それにまだ時間もあるし、制服に着替えて横になっていよう。
「休んだ方が良いのかな……」
ソファーで仰向けになりながら、
古びた天井を見つめてつぶやく。
その見慣れた光景も今日は妙に寂しく感じた。
今の私は体調の悪さで弱気になってる。
だって……、
気が付けば学生端末の病欠ボタンへ指がのびていたから。
――だめだ、休むと皆勤賞が……。
端末をポケットへしまい自分に喝を入れる。
人によってはどうでもいいコトかもしれない。
それでも、
私は小・中と達成しているのが自慢の一つなんだ。
目をつむっても落ち着かない。
痛みとだるさのせいもあったけど、
一番の気がかりはここに目覚ましが無い事。
もし寝坊したら、なんて思いがよぎってしまう。
でも、今は考えることすら辛い……、
私は無意識に目を閉じると徐々に意識は薄れていった――。
「ん……」
視界に入ったのは明るくなった天井。
いつの間にか眠ってたんだ……。
私は意識がはっきりすると同時に胸がざわつく。
――って今の時間は……?
恐る恐る居間の時計に目を向けた。
――8時2分。
よかったぁ、まだ8時を回ったところだよ。
それに薬の効果かな、痛みが結構和らいでいて、
少し寝たから体も楽になった気がする。
「……よしっ」
いつもより早いけどこういう時は出てしまおう、
また寝ちゃったら一大事になりかねない。
私はのそのそと起き上がると手荷物を確認し玄関へ向かう。
そして、外界への扉を何とかこじ開けた。
「あぁ……――」
気分とは裏腹に今日の天気はとても良い。
鍵を閉めると重い一歩を踏み出した。
間違いなくいつもとは違う足取り。
母が居たら休みなさいと言われてたかもしれない。
でもね、今の私には秘策があるんだ。
――到着したら即保健室。
ある意味女子の常とう手段。
鍵を閉めてるときに思い出してさ。
反則行為かもしれないけど、
実は過去の皆勤賞にも何度か貢献してくれてる。
そんな不埒な計画を思い浮かべると少し足が軽くなった。
うちから学校までは約15分、
調子が悪いからもう少し遅れるかもしれない。
その間に大きな通りを1つ、小さな通りも3つ渡る。
問題は――、
2つ目の交差点。
細い路地だけど、
交通量が多くて捕まると結構長いんだ。
この体調でじっと立ち止まるのは危険すぎる、
何とか見える位置で進む速度を考えないと……。
「あ…………」
変に思考を巡らせた途端、
めまいがして体がふらついてしまう。
――あぶな……っ!
反射的に近くの物へつかまり態勢を立て直した。
――大丈夫……だよね?
そこまで酷い感じじゃなかったけど、
突然の出来事で体が強張ってしまう。
でも……、
足に力は入るし、視界も変な感じはしない。
めまいも一瞬だったから問題ない……と思う。
本当に体調が悪くなったら動くことも出来ないだろうから。
それに――、
もう少し我慢すれば保健室が待ってるんだ!
私は弱っている心にそう言い聞かせると、
再び学校へ向かって歩き始めた。
――これは……赤か。
信号機がかすかに見える距離で現れた長い車列。
横断歩道まで結構な距離があるのに相変わらずの渋滞具合。
この状況から推測すると――、
変わるのはもう少し先ってところかな。
わずかな時間で迫られる決断。
速度を上げてタイミング良く渡ってしまうか、
それとも遅くして次を狙うのも……。
そんな事を考えていると中途半端な所で車列が動き始める。
遠くに見える信号の色は青に変わっていた。
――え……、ちょっと!?
この場所だと普通に進めばゼロスタートからの赤。
遅く歩くとしても、それはあまりにも低速すぎる。
思わぬ場所で現れた困難に私のとった行動は――、
――渡りきるしかない!!
一つを思えば一つは薄れる。
途端に調子の悪さが薄れてしまうと、出来る限りの速さで歩き始めた。
徐々に速度を上げていき横断歩道を目指す大きな女子高生。
意識は信号の色にしか向いていなかった。
――か、体が重くて足が上がらない……。
速度が乗り始めると一気に体が重くなる。
あまりの動きづらさに心が体調へ傾きかけた、その時。
とうとう信号が点滅を始めてしまう。
「く……ぅ……」
ここで捕まったらゼロスタートに最大疲労が加算される。
……それだけは絶対に避けたい!!
私は最後のギアを上げて白線の引かれた車道に突入した。
――これで……っ!!
車道から歩道に踏み込んだ瞬間、赤へ切り替わる信号。
それは背中に感じる車の音で理解することが出来た。
肩で息をしながら意味の分からない達成感がこみ上げる。
――この難局を切り抜けたんだ!
そんな思いばかりが先行してしまい、
私は緊張の糸が切れている事に気づけなかった。
そして、
息も整えず踏み出だした一歩は……、
――……あ……、れ……。
地面に足裏が触れただけで簡単に膝が折れてしまった。
同時に酷いめまいが全身を襲う。
そこから一気に態勢が崩れると、地面に両手をついてしまった。
――力……が……。
まるで渦の中に居るような感覚……。
視界が変な方向に回り始め、
上半身も現状を維持することができない。
私は成すすべもなく横にあったガードレールにもたれかかった。
――頭……。
……も、……遠……。
間もなく視界は暗闇に……――、
………………、
…………、
……。
「ん……」
ふと目を覚ますとそこは白い世界……、
……じゃないか、きっとこれは白く見える視界。
まるで頭の中に錘が入ってるみたいで、
思考速度がとても重く感じる。
なんとなく認識は出来るんだけど、
朦朧としていてうまく考えられない。
ちゃんと目も開いてるのかな、
視界がぼやけすぎててよく分からない。
霧のかかった意識で何度かまばたきをする。
……だけど視界に変化は訪れない。
めげずに状況を確かめようと意識を集中した瞬間、
頭の中で鋭い痛みが走り声を出してしまった。
「いっ……た……っ」
強弱を繰り返し思考を妨害する頭痛。
それは耳鳴りのように響いて居座った。
でも、不幸中の幸いなのかな、
その痛みで脳の一部が活性化したみたい。
さっきよりは意識がはっきりした気がする。
だけど、目を開けようとしたら痛みが増してすごく不快だった。
――ここは一旦、……落ち着こう。
視覚に頼れない私はゆっくりと鼻から空気を吸い込んだ。
――……消毒液かな?
特徴的な香りが鼻の中に広がる。
そして、
探るように鼻を動かしていると、
知っている匂いが混じっている事に気が付く。
「……あれ」
その違和感に声が出ると思わず目が開いた。
私は頭痛に警戒しながら辺りを見回す。
――ここは、
白で統一された内装と……、左側には細い金属の棒。
上には透明な袋に入った液体が吊るされてる。
ラベルみたいのも見えるけど、
目がぼやけてるから何が書いてあるか分かんない……。
そんな少ない情報でも、
今居る場所は大体想像ができた。
――きっと病院。
消毒液に新しいシーツの香り。
保健室もこんな感じだけど、流石に点滴は無い。
それにしても……、
――この甘い香り……。
頭を振りながら辺りの匂いを確かめる。
その結果――、
一番強く感じたのは正面左側、それも下の方だ。
私はらしき場所に顔を向け視線を集中させる。
……すると、
ぼやけた世界に青と白い塊が現れた。
――なんだろう……?
手が届くのは白い塊。
それは触れるたびに甘い香りがあふれてくる。
――あぁ……、良い匂い……。
この香りの効果は抜群だった。
嗅いでるうちに体の緊張がほぐれて、
不快な頭痛もあっという間に収まっていった。
いつの間にかぼやけていた視界と頭の霧も無くなってさ、
リラックス効果なのかな、すごい癒された。
そして、
意識が完全に戻った私は改めて指先を眺めてみたんだ。
「え……」
今まで触れていたのは……、
『髪の毛』――。
僅かな陰影でモノトーンに感じるそのシルエットも、
『普通』とはかけ離れた光景で……、
もう一度白銀の束に指を通すと甘い香りがたちこめた。
そう、この香りは――、
「か、柏倉……さん!?」
私は小さな声で驚く。
「…………すぅ」
彼女は自身の腕を枕にして寝息を立てていた。
――この状況って……、
全く理解できないよ……。
なぜこんな事が起きてるの?
病院に居るのもそうだけど、
柏倉さんがそばで寝てるなんて……。
――ああっ!
私は心の中で大声を出して閃く。
――そうか……、うん。
きっとそうなんだ。
困惑の中で導き出された結論、それは――。
「夢だこれ」
至極単純で納得のいく答え。
だってそうとしか思えないよ。
学校に向かってたはずなのにさ、
気が付けば病院で横には眠る柏倉さんだよ?
すごい怪我をしてるわけでもないし、
どんなシチュエーションだってね。
「ははは……」
乾いた笑いが部屋の中にこだまする。
――いやいやいやいや……っ!
間違いなく混乱が混乱を呼んでる。
こんな自我を保った夢なんて見たことない。
何より夢って認識出来るものなの!?
『今は夢の中かぁ』なんて思ったことないよ。
それに夢なら思うだけで空も飛べるんじゃ?
さっきから思ってるのに全然飛んでないけどね。
だめだ……、
冷静に考えると余計にはまってく感じ。
これが現実としても、原因が全然分からない……。
私は見えない答えに嫌気がさすと、柏倉さんへ視線を向けた。
彼女の眠る横顔は見ているだけで癒される。
それはとても穏やかで、
心のわだかまりが消えてしまうほど……。
――綺麗……。
疑問も忘れてその姿に見とれてしまう。
――こんな光景なのに夢じゃないんだ……。
私はそう思うと髪に添えた指をゆっくり動かした。
――結構硬い……。
指先に伝わる弾力は想像以上に強く、
思い描いていたイメージが覆ってしまうほど。
――まってまって、違う。
それよりこの状況だよ……。
どんなにうれしい展開が訪れていても、
私の思いはその疑問に振り返ってしまう。
確かに今朝の調子は悪かった。
だけど、間違いなく学校へ向かっていたはず――、
ダメだなぁ……、
ここで目覚める前の記憶がかなり飛んじゃってる。
どうしても途中のことが思い出せない……。
――全ては柏倉さんが知ってる。
寝顔を見ながら私は勝手な結論を導き出す。
覚えていない事をいくら考えても埒が明かないし、
今はこの幸運を存分に満喫しないともったいない。
頭痛を消しちゃうくらいヒーリング効果がある人なんだからね!
私は湧き出る高揚感を体の奥に閉じ込め、
起こさないように優しく髪を撫でた。
――それ以外、ここに居る理由が見つからない。
だから、今は彼女の目覚めを待とう。
私はそう思うと窓の外へ視線を向けた。
――どれだけ寝てたんだろう。
時間を確認しようにも、
制服の中にあるはずの端末は見当たらない。
きっと病院が預かってくれてるんだと思う。
室内にも時計はない感じ。
夕方なのかな、窓からオレンジ色の光が差し込んでいる。
わずかな時間で白い部屋が夕日に染まっていく。
そして、
室内が一色に包まれた時、視線を左手へ戻した。
「あ……」
見えたのは夕日に染まった白雪姫。
眠りから覚めた瞳はじっとこちらを見つめている。
何もしていないはずなのに目覚めの儀式は済んでしまったみたい。
「……えっと」
私は撫でていた手をゆっくり離し謝罪する。
「勝手に触ってごめんなさい……」
私の言葉に驚いた表情を浮かべる柏倉さん。
間を置いてベットからゆっくり体を起こすと、
小さな声でこう言った。
「いえ、問題ありませんよ。……弓木さん」
この日、
ほのかに明るくなった部屋で目を覚ますと、
瞼は重く、ひどい倦怠感を感じた――。
朝に弱い私は目覚ましの合図で起きるのが常態化している。
だけど、その音はまだ鳴っていない。
「は……ぁ……」
体を起こすと下腹部に酷い痛みを感じた。
きっと昨日眠った後からかな、月の物が始まったみたい。
早く目が覚めたのもこれが原因だと思う。
いつもはこんなに重くないのに今回はちょっと特別かも。
――ベッドから出るのも辛いなんて、ね。
ゆっくり立ち上がり深呼吸をする。
そして、何とか着替えを済ませると慎重に階段を下りた。
扉を開け、人気の無い室内を見渡す。
6月とはいえ陽の差し込んでいない居間はまだ肌寒い。
まずは、少しでもすっきりしないと……。
私は重い気分のまま洗面所へ向かった。
――20分後、
最低限の身支度を終え再び居間へ。
習慣的に台所までは行ったけど、
調子の悪さで大きなため息をついてしまう。
――全然食べたくないよ……。
毎日の朝ごはんは前日の夜に準備をすませている。
お弁当のおかずも軽く調理すれば完成する状態で、
出来る限りの時短を心掛けていた。
でも、今朝の食欲は皆無。
開けた冷蔵庫を眺めるだけで何も取らずに閉めてしまった。
こういう時だからこそ食べないといけないんだけどさ、
無理に食べたらもどしてしまいそう……。
お弁当もあきらめて今日は学食に行こうかな。
今はまず薬を飲もう。
いつもは使わないけど今回のは緊急事態だよ。
それにまだ時間もあるし、制服に着替えて横になっていよう。
「休んだ方が良いのかな……」
ソファーで仰向けになりながら、
古びた天井を見つめてつぶやく。
その見慣れた光景も今日は妙に寂しく感じた。
今の私は体調の悪さで弱気になってる。
だって……、
気が付けば学生端末の病欠ボタンへ指がのびていたから。
――だめだ、休むと皆勤賞が……。
端末をポケットへしまい自分に喝を入れる。
人によってはどうでもいいコトかもしれない。
それでも、
私は小・中と達成しているのが自慢の一つなんだ。
目をつむっても落ち着かない。
痛みとだるさのせいもあったけど、
一番の気がかりはここに目覚ましが無い事。
もし寝坊したら、なんて思いがよぎってしまう。
でも、今は考えることすら辛い……、
私は無意識に目を閉じると徐々に意識は薄れていった――。
「ん……」
視界に入ったのは明るくなった天井。
いつの間にか眠ってたんだ……。
私は意識がはっきりすると同時に胸がざわつく。
――って今の時間は……?
恐る恐る居間の時計に目を向けた。
――8時2分。
よかったぁ、まだ8時を回ったところだよ。
それに薬の効果かな、痛みが結構和らいでいて、
少し寝たから体も楽になった気がする。
「……よしっ」
いつもより早いけどこういう時は出てしまおう、
また寝ちゃったら一大事になりかねない。
私はのそのそと起き上がると手荷物を確認し玄関へ向かう。
そして、外界への扉を何とかこじ開けた。
「あぁ……――」
気分とは裏腹に今日の天気はとても良い。
鍵を閉めると重い一歩を踏み出した。
間違いなくいつもとは違う足取り。
母が居たら休みなさいと言われてたかもしれない。
でもね、今の私には秘策があるんだ。
――到着したら即保健室。
ある意味女子の常とう手段。
鍵を閉めてるときに思い出してさ。
反則行為かもしれないけど、
実は過去の皆勤賞にも何度か貢献してくれてる。
そんな不埒な計画を思い浮かべると少し足が軽くなった。
うちから学校までは約15分、
調子が悪いからもう少し遅れるかもしれない。
その間に大きな通りを1つ、小さな通りも3つ渡る。
問題は――、
2つ目の交差点。
細い路地だけど、
交通量が多くて捕まると結構長いんだ。
この体調でじっと立ち止まるのは危険すぎる、
何とか見える位置で進む速度を考えないと……。
「あ…………」
変に思考を巡らせた途端、
めまいがして体がふらついてしまう。
――あぶな……っ!
反射的に近くの物へつかまり態勢を立て直した。
――大丈夫……だよね?
そこまで酷い感じじゃなかったけど、
突然の出来事で体が強張ってしまう。
でも……、
足に力は入るし、視界も変な感じはしない。
めまいも一瞬だったから問題ない……と思う。
本当に体調が悪くなったら動くことも出来ないだろうから。
それに――、
もう少し我慢すれば保健室が待ってるんだ!
私は弱っている心にそう言い聞かせると、
再び学校へ向かって歩き始めた。
――これは……赤か。
信号機がかすかに見える距離で現れた長い車列。
横断歩道まで結構な距離があるのに相変わらずの渋滞具合。
この状況から推測すると――、
変わるのはもう少し先ってところかな。
わずかな時間で迫られる決断。
速度を上げてタイミング良く渡ってしまうか、
それとも遅くして次を狙うのも……。
そんな事を考えていると中途半端な所で車列が動き始める。
遠くに見える信号の色は青に変わっていた。
――え……、ちょっと!?
この場所だと普通に進めばゼロスタートからの赤。
遅く歩くとしても、それはあまりにも低速すぎる。
思わぬ場所で現れた困難に私のとった行動は――、
――渡りきるしかない!!
一つを思えば一つは薄れる。
途端に調子の悪さが薄れてしまうと、出来る限りの速さで歩き始めた。
徐々に速度を上げていき横断歩道を目指す大きな女子高生。
意識は信号の色にしか向いていなかった。
――か、体が重くて足が上がらない……。
速度が乗り始めると一気に体が重くなる。
あまりの動きづらさに心が体調へ傾きかけた、その時。
とうとう信号が点滅を始めてしまう。
「く……ぅ……」
ここで捕まったらゼロスタートに最大疲労が加算される。
……それだけは絶対に避けたい!!
私は最後のギアを上げて白線の引かれた車道に突入した。
――これで……っ!!
車道から歩道に踏み込んだ瞬間、赤へ切り替わる信号。
それは背中に感じる車の音で理解することが出来た。
肩で息をしながら意味の分からない達成感がこみ上げる。
――この難局を切り抜けたんだ!
そんな思いばかりが先行してしまい、
私は緊張の糸が切れている事に気づけなかった。
そして、
息も整えず踏み出だした一歩は……、
――……あ……、れ……。
地面に足裏が触れただけで簡単に膝が折れてしまった。
同時に酷いめまいが全身を襲う。
そこから一気に態勢が崩れると、地面に両手をついてしまった。
――力……が……。
まるで渦の中に居るような感覚……。
視界が変な方向に回り始め、
上半身も現状を維持することができない。
私は成すすべもなく横にあったガードレールにもたれかかった。
――頭……。
……も、……遠……。
間もなく視界は暗闇に……――、
………………、
…………、
……。
「ん……」
ふと目を覚ますとそこは白い世界……、
……じゃないか、きっとこれは白く見える視界。
まるで頭の中に錘が入ってるみたいで、
思考速度がとても重く感じる。
なんとなく認識は出来るんだけど、
朦朧としていてうまく考えられない。
ちゃんと目も開いてるのかな、
視界がぼやけすぎててよく分からない。
霧のかかった意識で何度かまばたきをする。
……だけど視界に変化は訪れない。
めげずに状況を確かめようと意識を集中した瞬間、
頭の中で鋭い痛みが走り声を出してしまった。
「いっ……た……っ」
強弱を繰り返し思考を妨害する頭痛。
それは耳鳴りのように響いて居座った。
でも、不幸中の幸いなのかな、
その痛みで脳の一部が活性化したみたい。
さっきよりは意識がはっきりした気がする。
だけど、目を開けようとしたら痛みが増してすごく不快だった。
――ここは一旦、……落ち着こう。
視覚に頼れない私はゆっくりと鼻から空気を吸い込んだ。
――……消毒液かな?
特徴的な香りが鼻の中に広がる。
そして、
探るように鼻を動かしていると、
知っている匂いが混じっている事に気が付く。
「……あれ」
その違和感に声が出ると思わず目が開いた。
私は頭痛に警戒しながら辺りを見回す。
――ここは、
白で統一された内装と……、左側には細い金属の棒。
上には透明な袋に入った液体が吊るされてる。
ラベルみたいのも見えるけど、
目がぼやけてるから何が書いてあるか分かんない……。
そんな少ない情報でも、
今居る場所は大体想像ができた。
――きっと病院。
消毒液に新しいシーツの香り。
保健室もこんな感じだけど、流石に点滴は無い。
それにしても……、
――この甘い香り……。
頭を振りながら辺りの匂いを確かめる。
その結果――、
一番強く感じたのは正面左側、それも下の方だ。
私はらしき場所に顔を向け視線を集中させる。
……すると、
ぼやけた世界に青と白い塊が現れた。
――なんだろう……?
手が届くのは白い塊。
それは触れるたびに甘い香りがあふれてくる。
――あぁ……、良い匂い……。
この香りの効果は抜群だった。
嗅いでるうちに体の緊張がほぐれて、
不快な頭痛もあっという間に収まっていった。
いつの間にかぼやけていた視界と頭の霧も無くなってさ、
リラックス効果なのかな、すごい癒された。
そして、
意識が完全に戻った私は改めて指先を眺めてみたんだ。
「え……」
今まで触れていたのは……、
『髪の毛』――。
僅かな陰影でモノトーンに感じるそのシルエットも、
『普通』とはかけ離れた光景で……、
もう一度白銀の束に指を通すと甘い香りがたちこめた。
そう、この香りは――、
「か、柏倉……さん!?」
私は小さな声で驚く。
「…………すぅ」
彼女は自身の腕を枕にして寝息を立てていた。
――この状況って……、
全く理解できないよ……。
なぜこんな事が起きてるの?
病院に居るのもそうだけど、
柏倉さんがそばで寝てるなんて……。
――ああっ!
私は心の中で大声を出して閃く。
――そうか……、うん。
きっとそうなんだ。
困惑の中で導き出された結論、それは――。
「夢だこれ」
至極単純で納得のいく答え。
だってそうとしか思えないよ。
学校に向かってたはずなのにさ、
気が付けば病院で横には眠る柏倉さんだよ?
すごい怪我をしてるわけでもないし、
どんなシチュエーションだってね。
「ははは……」
乾いた笑いが部屋の中にこだまする。
――いやいやいやいや……っ!
間違いなく混乱が混乱を呼んでる。
こんな自我を保った夢なんて見たことない。
何より夢って認識出来るものなの!?
『今は夢の中かぁ』なんて思ったことないよ。
それに夢なら思うだけで空も飛べるんじゃ?
さっきから思ってるのに全然飛んでないけどね。
だめだ……、
冷静に考えると余計にはまってく感じ。
これが現実としても、原因が全然分からない……。
私は見えない答えに嫌気がさすと、柏倉さんへ視線を向けた。
彼女の眠る横顔は見ているだけで癒される。
それはとても穏やかで、
心のわだかまりが消えてしまうほど……。
――綺麗……。
疑問も忘れてその姿に見とれてしまう。
――こんな光景なのに夢じゃないんだ……。
私はそう思うと髪に添えた指をゆっくり動かした。
――結構硬い……。
指先に伝わる弾力は想像以上に強く、
思い描いていたイメージが覆ってしまうほど。
――まってまって、違う。
それよりこの状況だよ……。
どんなにうれしい展開が訪れていても、
私の思いはその疑問に振り返ってしまう。
確かに今朝の調子は悪かった。
だけど、間違いなく学校へ向かっていたはず――、
ダメだなぁ……、
ここで目覚める前の記憶がかなり飛んじゃってる。
どうしても途中のことが思い出せない……。
――全ては柏倉さんが知ってる。
寝顔を見ながら私は勝手な結論を導き出す。
覚えていない事をいくら考えても埒が明かないし、
今はこの幸運を存分に満喫しないともったいない。
頭痛を消しちゃうくらいヒーリング効果がある人なんだからね!
私は湧き出る高揚感を体の奥に閉じ込め、
起こさないように優しく髪を撫でた。
――それ以外、ここに居る理由が見つからない。
だから、今は彼女の目覚めを待とう。
私はそう思うと窓の外へ視線を向けた。
――どれだけ寝てたんだろう。
時間を確認しようにも、
制服の中にあるはずの端末は見当たらない。
きっと病院が預かってくれてるんだと思う。
室内にも時計はない感じ。
夕方なのかな、窓からオレンジ色の光が差し込んでいる。
わずかな時間で白い部屋が夕日に染まっていく。
そして、
室内が一色に包まれた時、視線を左手へ戻した。
「あ……」
見えたのは夕日に染まった白雪姫。
眠りから覚めた瞳はじっとこちらを見つめている。
何もしていないはずなのに目覚めの儀式は済んでしまったみたい。
「……えっと」
私は撫でていた手をゆっくり離し謝罪する。
「勝手に触ってごめんなさい……」
私の言葉に驚いた表情を浮かべる柏倉さん。
間を置いてベットからゆっくり体を起こすと、
小さな声でこう言った。
「いえ、問題ありませんよ。……弓木さん」
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