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一章 新学期は運命と一緒に

3話 WITH MY HURT

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「ん…………う」

この日、
ほのかに明るくなった部屋で目を覚ますと、
まぶたは重く、ひどい倦怠感けんたいかんを感じた――。

朝に弱い私は目覚ましの合図で起きるのが常態化している。
だけど、その音はまだ鳴っていない。

「は……ぁ……」

体を起こすと下腹部に酷い痛みを感じた。
きっと昨日眠った後からかな、月の物が始まったみたい。
早く目が覚めたのもこれが原因だと思う。
いつもはこんなに重くないのに今回はちょっと特別かも。

――ベッドから出るのも辛いなんて、ね。

ゆっくり立ち上がり深呼吸をする。
そして、何とか着替えを済ませると慎重に階段を下りた。

扉を開け、人気の無い室内を見渡す。
6月とはいえ陽の差し込んでいない居間はまだ肌寒い。
まずは、少しでもすっきりしないと……。
私は重い気分のまま洗面所へ向かった。

――20分後、
最低限の身支度を終え再び居間へ。
習慣的に台所までは行ったけど、
調子の悪さで大きなため息をついてしまう。

――全然食べたくないよ……。

毎日の朝ごはんは前日の夜に準備をすませている。
お弁当のおかずも軽く調理すれば完成する状態で、
出来る限りの時短を心掛けていた。
でも、今朝けさの食欲は皆無。
開けた冷蔵庫を眺めるだけで何も取らずに閉めてしまった。
こういう時だからこそ食べないといけないんだけどさ、
無理に食べたらもどしてしまいそう……。
お弁当もあきらめて今日は学食に行こうかな。

今はまず薬を飲もう。
いつもは使わないけど今回のは緊急事態だよ。
それにまだ時間もあるし、制服に着替えて横になっていよう。


「休んだ方が良いのかな……」

ソファーで仰向けになりながら、
古びた天井を見つめてつぶやく。
その見慣れた光景も今日は妙に寂しく感じた。

今の私は体調の悪さで弱気になってる。
だって……、
気が付けば学生端末の病欠ボタンへ指がのびていたから。

――だめだ、休むと皆勤賞が……。

端末をポケットへしまい自分に喝を入れる。
人によってはどうでもいいコトかもしれない。
それでも、
私は小・中と達成しているのが自慢の一つなんだ。

目をつむっても落ち着かない。
痛みとだるさのせいもあったけど、
一番の気がかりはここに目覚ましが無い事。
もし寝坊したら、なんて思いがよぎってしまう。
でも、今は考えることすら辛い……、
私は無意識に目を閉じると徐々に意識は薄れていった――。


「ん……」

視界に入ったのは明るくなった天井。
いつの間にか眠ってたんだ……。
私は意識がはっきりすると同時に胸がざわつく。

――って今の時間は……?

恐る恐る居間の時計に目を向けた。

――8時2分。

よかったぁ、まだ8時を回ったところだよ。
それに薬の効果かな、痛みが結構和らいでいて、
少し寝たから体も楽になった気がする。

「……よしっ」

いつもより早いけどこういう時は出てしまおう、
また寝ちゃったら一大事になりかねない。
私はのそのそと起き上がると手荷物を確認し玄関へ向かう。
そして、外界への扉を何とかこじ開けた。

「あぁ……――」

気分とは裏腹に今日の天気はとても良い。
鍵を閉めると重い一歩を踏み出した。

間違いなくいつもとは違う足取り。
母が居たら休みなさいと言われてたかもしれない。
でもね、今の私には秘策があるんだ。

――到着したら即保健室。

ある意味女子の常とう手段。
鍵を閉めてるときに思い出してさ。
反則行為かもしれないけど、
実は過去の皆勤賞にも何度か貢献してくれてる。
そんな不埒な計画を思い浮かべると少し足が軽くなった。

うちから学校までは約15分、
調子が悪いからもう少し遅れるかもしれない。
その間に大きな通りを1つ、小さな通りも3つ渡る。
問題は――、
2つ目の交差点。

細い路地だけど、
交通量が多くて捕まると結構長いんだ。
この体調でじっと立ち止まるのは危険すぎる、
何とか見える位置で進む速度を考えないと……。

「あ…………」

変に思考を巡らせた途端、
めまいがして体がふらついてしまう。

――あぶな……っ!

反射的に近くの物へつかまり態勢を立て直した。

――大丈夫……だよね?

そこまで酷い感じじゃなかったけど、
突然の出来事で体が強張こわばってしまう。

でも……、
足に力は入るし、視界も変な感じはしない。
めまいも一瞬だったから問題ない……と思う。
本当に体調が悪くなったら動くことも出来ないだろうから。
それに――、
もう少し我慢すれば保健室が待ってるんだ!
私は弱っている心にそう言い聞かせると、
再び学校へ向かって歩き始めた。


――これは……赤か。

信号機がかすかに見える距離で現れた長い車列。
横断歩道まで結構な距離があるのに相変わらずの渋滞具合。
この状況から推測すると――、
変わるのはもう少し先ってところかな。

わずかな時間で迫られる決断。
速度を上げてタイミング良く渡ってしまうか、
それとも遅くして次を狙うのも……。
そんな事を考えていると中途半端な所で車列が動き始める。
遠くに見える信号の色は青に変わっていた。

――え……、ちょっと!?

この場所だと普通に進めばゼロスタートからの赤。
遅く歩くとしても、それはあまりにも低速すぎる。
思わぬ場所で現れた困難に私のとった行動は――、

――渡りきるしかない!!

一つを思えば一つは薄れる。
途端に調子の悪さが薄れてしまうと、出来る限りの速さで歩き始めた。
徐々に速度を上げていき横断歩道を目指す大きな女子高生わたし
意識は信号の色にしか向いていなかった。

――か、体が重くて足が上がらない……。

速度が乗り始めると一気に体が重くなる。
あまりの動きづらさに心が体調へかたむきかけた、その時。
とうとう信号が点滅を始めてしまう。

「く……ぅ……」

ここで捕まったらゼロスタートに最大疲労が加算される。
……それだけは絶対に避けたい!!
私は最後のギアを上げて白線の引かれた車道に突入した。

――これで……っ!!

車道から歩道に踏み込んだ瞬間、赤へ切り替わる信号。
それは背中に感じる車の音で理解することが出来た。
肩で息をしながら意味の分からない達成感がこみ上げる。

――この難局を切り抜けたんだ!

そんな思いばかりが先行してしまい、
私は緊張の糸が切れている事に気づけなかった。
そして、
息も整えず踏み出だした一歩は……、

――……あ……、れ……。

地面に足裏が触れただけで簡単に膝が折れてしまった。
同時に酷いめまいが全身を襲う。
そこから一気に態勢が崩れると、地面に両手をついてしまった。

――力……が……。

まるで渦の中に居るような感覚……。
視界が変な方向に回り始め、
上半身も現状を維持することができない。
私は成すすべもなく横にあったガードレールにもたれかかった。

――頭……。
   ……も、……遠……。

間もなく視界は暗闇に……――、
………………、
…………、
……。



「ん……」

ふと目を覚ますとそこは白い世界……、
……じゃないか、きっとこれは白く見える視界。
まるで頭の中におもりが入ってるみたいで、
思考速度がとても重く感じる。
なんとなく認識は出来るんだけど、
朦朧もうろうとしていてうまく考えられない。
ちゃんと目も開いてるのかな、
視界がぼやけすぎててよく分からない。

霧のかかった意識で何度かまばたきをする。
……だけど視界に変化は訪れない。
めげずに状況を確かめようと意識を集中した瞬間、
頭の中で鋭い痛みが走り声を出してしまった。

「いっ……た……っ」

強弱を繰り返し思考を妨害する頭痛。
それは耳鳴りのように響いて居座った。

でも、不幸中の幸いなのかな、
その痛みで脳の一部が活性化したみたい。
さっきよりは意識がはっきりした気がする。
だけど、目を開けようとしたら痛みが増してすごく不快だった。

――ここは一旦、……落ち着こう。

視覚に頼れない私はゆっくりと鼻から空気を吸い込んだ。

――……消毒液かな?

特徴的な香りが鼻の中に広がる。
そして、
探るように鼻を動かしていると、
知っている匂いが混じっている事に気が付く。

「……あれ」

その違和感に声が出ると思わず目が開いた。
私は頭痛に警戒しながら辺りを見回す。

――ここは、

白で統一された内装と……、左側には細い金属の棒。
上には透明な袋に入った液体が吊るされてる。
ラベルみたいのも見えるけど、
目がぼやけてるから何が書いてあるか分かんない……。
そんな少ない情報でも、
今居る場所は大体想像ができた。

――きっと病院。

消毒液に新しいシーツの香り。
保健室もこんな感じだけど、流石に点滴は無い。
それにしても……、

――この甘い香り……。

頭を振りながら辺りの匂いを確かめる。
その結果――、
一番強く感じたのは正面左側、それも下の方だ。

私は場所に顔を向け視線を集中させる。
……すると、
ぼやけた世界に青と白い塊が現れた。

――なんだろう……?

手が届くのは白い塊。
それは触れるたびに甘い香りがあふれてくる。

――あぁ……、良い匂い……。

この香りの効果は抜群だった。
嗅いでるうちに体の緊張がほぐれて、
不快な頭痛もあっという間に収まっていった。
いつの間にかぼやけていた視界と頭の霧も無くなってさ、
リラックス効果なのかな、すごい癒された。
そして、
意識が完全に戻った私は改めて指先を眺めてみたんだ。

「え……」

今まで触れていたのは……、
『髪の毛』――。
僅かな陰影でモノトーンに感じるそのシルエットも、
『普通』とはかけ離れた光景で……、
もう一度白銀の束に指を通すと甘い香りがたちこめた。
そう、この香りは――、

「か、柏倉……さん!?」

私は小さな声で驚く。

「…………すぅ」

彼女は自身の腕を枕にして寝息を立てていた。

――この状況って……、

全く理解できないよ……。
なぜこんな事が起きてるの?
病院に居るのもそうだけど、
柏倉さんがそばで寝てるなんて……。

――ああっ!

私は心の中で大声を出してひらめく。

――そうか……、うん。
   きっとそうなんだ。

困惑の中で導き出された結論、それは――。

「夢だこれ」

至極単純で納得のいく答え。
だってそうとしか思えないよ。
学校に向かってたはずなのにさ、
気が付けば病院で横には眠る柏倉さんだよ?
すごい怪我をしてるわけでもないし、
どんなシチュエーションだってね。

「ははは……」

乾いた笑いが部屋の中にこだまする。

――いやいやいやいや……っ!

間違いなく混乱が混乱を呼んでる。
こんな自我を保った夢なんて見たことない。
何より夢って認識出来るものなの!?
『今は夢の中かぁ』なんて思ったことないよ。
それに夢なら思うだけで空も飛べるんじゃ?
さっきから思ってるのに全然飛んでないけどね。

だめだ……、
冷静に考えると余計にはまってく感じ。
これが現実としても、原因が全然分からない……。
私は見えない答えに嫌気がさすと、柏倉さんへ視線を向けた。

彼女の眠る横顔は見ているだけで癒される。
それはとても穏やかで、
心のわだかまりが消えてしまうほど……。

――綺麗……。

疑問も忘れてその姿に見とれてしまう。

――こんな光景なのに夢じゃないんだ……。

私はそう思うと髪に添えた指をゆっくり動かした。

――結構硬い……。

指先に伝わる弾力は想像以上に強く、
思い描いていたイメージが覆ってしまうほど。

――まってまって、違う。
   それよりこの状況だよ……。

どんなにうれしい展開が訪れていても、
私の思いはその疑問に振り返ってしまう。

確かに今朝の調子は悪かった。
だけど、間違いなく学校へ向かっていたはず――、
ダメだなぁ……、
ここで目覚める前の記憶がかなり飛んじゃってる。
どうしても途中のことが思い出せない……。

――全ては柏倉さんが知ってる。

寝顔を見ながら私は勝手な結論を導き出す。
覚えていない事をいくら考えてもらちが明かないし、
今はこの幸運を存分に満喫しないともったいない。
頭痛を消しちゃうくらいヒーリング効果がある人なんだからね!

私は湧き出る高揚感を体の奥に閉じ込め、
起こさないように優しく髪を撫でた。

――それ以外、ここに居る理由が見つからない。

だから、今は彼女の目覚めを待とう。
私はそう思うと窓の外へ視線を向けた。

――どれだけ寝てたんだろう。

時間を確認しようにも、
制服の中にあるはずの端末は見当たらない。
きっと病院が預かってくれてるんだと思う。
室内にも時計はない感じ。

夕方なのかな、窓からオレンジ色の光が差し込んでいる。
わずかな時間で白い部屋が夕日に染まっていく。
そして、
室内が一色に包まれた時、視線を左手へ戻した。

「あ……」

見えたのは夕日に染まった白雪姫。
眠りから覚めた瞳はじっとこちらを見つめている。
何もしていないはずなのに目覚めの儀式は済んでしまったみたい。

「……えっと」

私は撫でていた手をゆっくり離し謝罪する。

「勝手に触ってごめんなさい……」

私の言葉に驚いた表情を浮かべる柏倉さん。
間を置いてベットからゆっくり体を起こすと、
小さな声でこう言った。

「いえ、問題ありませんよ。……弓木さん」
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