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第五章
01.約束
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ノクターンの夜勤や泊まり込みの仕事が日に日に増え始め、リーゼたちヘインズ一家はノクターンの体調を心配していた。
ブライアンとハンナが一日だけでも休みをとるよう提案してみたが、一日どころか一時間の休憩をとる暇もないくらい多忙を極めているらしい。
そんな中、ついにノクターンの遠征が決まった。
今回は数週間ほど帰ってこられないそうだ。
その話を聞いて以来、リーゼは溜息をついてばかりいる。
(危険な任務ではないといいんだけど……)
とはいえ軍の人間ではないリーゼは遠征の内容を聞くわけにはいかない。
胸の中が不安でいっぱいのリーゼは、ノクターンに渡すお菓子をこっそりと作った。
遠征には長持ちする食料を持って行くとノクターンから聞いていたから、日持ちする木の実入りクッキーにしたのだ。
その翌朝、リーゼは荷造りをしているノクターンの部屋を訪れた。
「どうした?」
服を畳む手を止めて振り返るノクターンに、木の実入りクッキーを油紙で包んだ物をずいと押しつける。
「ん」
「くれるのか?」
「うん。日持ちするから持って行って。疲れた時に食べてね」
ノクターンの手が服から離れ、包みへと移る。
「ありがとう」
そう言い、両手で丁重に受け取ると鞄の蓋を開けて中にそっと入れた。
リーゼがその様子を黙って見守っていると、ノクターンがリーゼの眼差しに気づいて苦笑した。
「なにも戦争に行くわけではないんだから、そんな顔をするな」
「だって……」
いまの自分がしょんぼりとした顔をしていることくらいわかっている。
このところノクターンと話せる時間がめっきりと減ってしまったせいでノクターンが足りないのだ。
しかし本人にこの気持ちを伝えるのは気恥ずかしいから言えない。
言葉に詰まって俯くリーゼの頬を、ノクターンがあやすように優しく撫でる。
「安心しろ。部下をこき使って早く片付けてくるから」
「そんなことを言われると全く安心できないんだけど? いつか部下のみんなに嫌われちゃうよ?」
「それに慣れた奴らが残るんだ。軍は弱肉強食の世界だからな」
「軍って怖いなぁ」
「それでも軍の財務部に入るのか?」
「うん」
迷いなく即答するリーゼに、ノクターンは眉尻を下げた。
「……そうか」
急に、ノクターンの手がリーゼの両頬に触れ、やんわりと包み込んだ。
そのままゆっくりと上を向かされてしまい、リーゼは狼狽える。
翠玉のような瞳に真っ直ぐ見つめられると口から心臓が飛び出しそうなほどドキドキするのに、目を逸らそうと思っても両頬を固定されているせいで逃げられない。
「ノクターン?」
あまりの緊張で声が上ずる。
どうして、なぜ、と自問自答している間にノクターンの顔が近づいてきた。
深まるシダーウッドの香水の匂いがリーゼを更に困惑させる。
「~~っ!」
リーゼは目の前の景色から逃げるようにぎゅっと目を閉じた。すると、額にこつんと軽い衝撃を受ける。
どうやら額同士を合わせられたらしい。
(えっ?! なに? どうしてこんなことに?)
わけがわからず、慌てふためくばかり。
目を開けるべきかと迷っていると、ノクターンがふっと笑う気配がした。
「遠征から帰ったら話がある。時間をくれないか?」
「は、話……?」
「いまは言えないからこれ以上は教えられない」
「なにそれ」
全く手がかりを得られない回答が返ってきたが、リーゼには一つだけ心当たりがある。
(もしかして、告白の返事……かな?)
そう思った途端、心臓が期待に震えてとくとくと駆け足で脈を打ち始めた。
「教えてくれないと、気になってモヤモヤするじゃない。試験勉強の妨げになったらどうしてくれるの?」
「それならなおさら早く帰らないといけないな」
ノクターンは嬉しそうに秀麗な顔を綻ばせる。
(狡い……! そんな表情を見せられたら言い返せなくなるじゃない!)
リーゼは心の中で白旗を揚げた。
好いた人が自分のために早く帰ろうとしてくれていることだけでも嬉しいのに、笑顔でそう言われるとことさら嬉しくて、嫌味な言葉が霧散してしまう。
「じゃあ、約束するから早く帰ってきてね」
「もちろんだ」
ノクターンの手がまたリーゼの頬を撫で、ゆっくりと離れる。
遠ざかっていく熱に寂しさを覚えつつ、リーゼは部屋を出た。
***
その夜、ヘインズ一家は玄関に並び、遠征に行くノクターンを見送った。
猫のワルツもノクターンが発つとわかっているのか、玄関にやって来てノクターンの足元に擦り寄る。
「ワルツ、リーゼの子守を頼んだぞ」
「んにゃあ」
「リーゼが迷子になっていたら助けに行けよ」
「にゃ~」
ワルツは絶妙な調子で鳴き声を上げるものだから、まるでノクターンと会話しているようだ。
二人のやり取りにむっとしたリーゼは頬を膨らませた。
「ノクターンもワルツも、私を子ども扱いしないでよ!」
「この家では一番子どもだろ?」
「もうすぐで成人するのに……」
「そうだな。早いものだ」
ノクターンは夜空を見上げた。そこに浮かぶ三日月を一瞥すると顔を顰める。
「リーゼ、新月の夜は早く家に帰れ。寄り道せず真っ直ぐにな」
「どうして?」
「首なしの騎士に連れて行かれるからな」
「そんな子ども騙しの迷信を言われても信じないよ」
べーっと舌を出すリーゼに、ノクターンの表情が曇る。
「迷信の中には、子どもたちを守るための教えのようなものもある。新月の夜は物騒な事件が起こりやすいから気をつけるに越したことはない」
「おとぎ話や魔法は信じないくせに……」
「とにかく、早く帰るんだぞ」
「……わかった。ノクターンも早く帰ってきてね」
「ああ」
リーゼは伸びあがると、ノクターンの頬にキスをする。
意地悪で不愛想で気まぐれだけど大好きな人の無事を願い、心を込めてキスをした。
「いってらっしゃい」
「すぐに戻ってくるから、待っていてくれ」
そう言い残し、ノクターンは宵闇の中に消えていった。
ブライアンとハンナが一日だけでも休みをとるよう提案してみたが、一日どころか一時間の休憩をとる暇もないくらい多忙を極めているらしい。
そんな中、ついにノクターンの遠征が決まった。
今回は数週間ほど帰ってこられないそうだ。
その話を聞いて以来、リーゼは溜息をついてばかりいる。
(危険な任務ではないといいんだけど……)
とはいえ軍の人間ではないリーゼは遠征の内容を聞くわけにはいかない。
胸の中が不安でいっぱいのリーゼは、ノクターンに渡すお菓子をこっそりと作った。
遠征には長持ちする食料を持って行くとノクターンから聞いていたから、日持ちする木の実入りクッキーにしたのだ。
その翌朝、リーゼは荷造りをしているノクターンの部屋を訪れた。
「どうした?」
服を畳む手を止めて振り返るノクターンに、木の実入りクッキーを油紙で包んだ物をずいと押しつける。
「ん」
「くれるのか?」
「うん。日持ちするから持って行って。疲れた時に食べてね」
ノクターンの手が服から離れ、包みへと移る。
「ありがとう」
そう言い、両手で丁重に受け取ると鞄の蓋を開けて中にそっと入れた。
リーゼがその様子を黙って見守っていると、ノクターンがリーゼの眼差しに気づいて苦笑した。
「なにも戦争に行くわけではないんだから、そんな顔をするな」
「だって……」
いまの自分がしょんぼりとした顔をしていることくらいわかっている。
このところノクターンと話せる時間がめっきりと減ってしまったせいでノクターンが足りないのだ。
しかし本人にこの気持ちを伝えるのは気恥ずかしいから言えない。
言葉に詰まって俯くリーゼの頬を、ノクターンがあやすように優しく撫でる。
「安心しろ。部下をこき使って早く片付けてくるから」
「そんなことを言われると全く安心できないんだけど? いつか部下のみんなに嫌われちゃうよ?」
「それに慣れた奴らが残るんだ。軍は弱肉強食の世界だからな」
「軍って怖いなぁ」
「それでも軍の財務部に入るのか?」
「うん」
迷いなく即答するリーゼに、ノクターンは眉尻を下げた。
「……そうか」
急に、ノクターンの手がリーゼの両頬に触れ、やんわりと包み込んだ。
そのままゆっくりと上を向かされてしまい、リーゼは狼狽える。
翠玉のような瞳に真っ直ぐ見つめられると口から心臓が飛び出しそうなほどドキドキするのに、目を逸らそうと思っても両頬を固定されているせいで逃げられない。
「ノクターン?」
あまりの緊張で声が上ずる。
どうして、なぜ、と自問自答している間にノクターンの顔が近づいてきた。
深まるシダーウッドの香水の匂いがリーゼを更に困惑させる。
「~~っ!」
リーゼは目の前の景色から逃げるようにぎゅっと目を閉じた。すると、額にこつんと軽い衝撃を受ける。
どうやら額同士を合わせられたらしい。
(えっ?! なに? どうしてこんなことに?)
わけがわからず、慌てふためくばかり。
目を開けるべきかと迷っていると、ノクターンがふっと笑う気配がした。
「遠征から帰ったら話がある。時間をくれないか?」
「は、話……?」
「いまは言えないからこれ以上は教えられない」
「なにそれ」
全く手がかりを得られない回答が返ってきたが、リーゼには一つだけ心当たりがある。
(もしかして、告白の返事……かな?)
そう思った途端、心臓が期待に震えてとくとくと駆け足で脈を打ち始めた。
「教えてくれないと、気になってモヤモヤするじゃない。試験勉強の妨げになったらどうしてくれるの?」
「それならなおさら早く帰らないといけないな」
ノクターンは嬉しそうに秀麗な顔を綻ばせる。
(狡い……! そんな表情を見せられたら言い返せなくなるじゃない!)
リーゼは心の中で白旗を揚げた。
好いた人が自分のために早く帰ろうとしてくれていることだけでも嬉しいのに、笑顔でそう言われるとことさら嬉しくて、嫌味な言葉が霧散してしまう。
「じゃあ、約束するから早く帰ってきてね」
「もちろんだ」
ノクターンの手がまたリーゼの頬を撫で、ゆっくりと離れる。
遠ざかっていく熱に寂しさを覚えつつ、リーゼは部屋を出た。
***
その夜、ヘインズ一家は玄関に並び、遠征に行くノクターンを見送った。
猫のワルツもノクターンが発つとわかっているのか、玄関にやって来てノクターンの足元に擦り寄る。
「ワルツ、リーゼの子守を頼んだぞ」
「んにゃあ」
「リーゼが迷子になっていたら助けに行けよ」
「にゃ~」
ワルツは絶妙な調子で鳴き声を上げるものだから、まるでノクターンと会話しているようだ。
二人のやり取りにむっとしたリーゼは頬を膨らませた。
「ノクターンもワルツも、私を子ども扱いしないでよ!」
「この家では一番子どもだろ?」
「もうすぐで成人するのに……」
「そうだな。早いものだ」
ノクターンは夜空を見上げた。そこに浮かぶ三日月を一瞥すると顔を顰める。
「リーゼ、新月の夜は早く家に帰れ。寄り道せず真っ直ぐにな」
「どうして?」
「首なしの騎士に連れて行かれるからな」
「そんな子ども騙しの迷信を言われても信じないよ」
べーっと舌を出すリーゼに、ノクターンの表情が曇る。
「迷信の中には、子どもたちを守るための教えのようなものもある。新月の夜は物騒な事件が起こりやすいから気をつけるに越したことはない」
「おとぎ話や魔法は信じないくせに……」
「とにかく、早く帰るんだぞ」
「……わかった。ノクターンも早く帰ってきてね」
「ああ」
リーゼは伸びあがると、ノクターンの頬にキスをする。
意地悪で不愛想で気まぐれだけど大好きな人の無事を願い、心を込めてキスをした。
「いってらっしゃい」
「すぐに戻ってくるから、待っていてくれ」
そう言い残し、ノクターンは宵闇の中に消えていった。
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