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第二章
10.お礼は雇用契約で
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※『04.スタイナー大佐の最優先事項』を一部修正いたしました。
貴族家についての設定に不備があったため、変更しております。
ご迷惑をお掛けして申し訳ございません…。
「では、少しの間ここの経理として働かせてもらえませんか?」
「……へ?」
リーゼの要求に、エディが間の抜けた声を上げた。驚きに目を見開いたまま、ついでに言うと、口が半開きになっているまま茫然としている。
というのも、これまでに出会った少女たちは、エディが礼をすると言えば、彼とのお茶会や逢引を望んでいたから意外だったのだ。恋人に望まれたことだってある。
それなのに目の前にいる少女は、自分には目もくれず、職を所望してきたものだから当てが外れて衝撃を受けている。
「ここの社員になりたいってこと?」
「はい。――あ、私は学生なので、社員ではなくお手伝いといったところでしょうか?」
「……はぁ。こんな仕打ちは初めて」
エディは片手で顔を覆い、いささか芝居がかった動きでふらつき、長椅子に寄りかかる。
「ねぇ、リーゼちゃん。君の目の前にいるこの美形に、なにかしてほしいと思わないの?」
「なにかしてほしいとは?」
なにかとは、なんなのだ。訝しがるリーゼの視線に耐え切れず、エディは平謝りした。
「ごめん! 悪かったから、そんな軽蔑するような目で見ないで!」
「全く、この阿呆はなにを考えているのやら」
見かねたジーンがエディの頭を小突いた。
経理志望の少女が真面目な話をしているというのに、うちの社長はなんと低俗なことを考えているのだろうかと、内心嘆いた。
「私は大歓迎ですよ。リーゼさんのような勤勉な方なら、安心して仕事を任せられるので」
「わーい! ジーンさんと一緒に働けて嬉しいです!」
「ねぇ、どうしてジーンには微笑みかけるの?! 俺への態度と全く違うよね?」
「うるさい。さっさと社長室へ行って、雇用に関する資料を持ってこい」
「社長の俺に命令するのー?!」
不服そうに唇を尖らせるエディだが、大人しく部屋を出ていった。どうやら二人とも、リーゼの雇用を認めてくれたようだ。
「リーゼさん、これからよろしくお願いしますね」
「私の方こそよろしくお願いします。みなさんのお役に立てるよう頑張りますね!」
願いが叶ったリーゼはやる気に満ち溢れている。そんな彼女の輝く瞳を見たジーンは、満足そうに頷くと紅茶を一口啜った。
「リーゼさん、ご存じですか? エディは女の子を会社に連れて来たことがないんです。押しかけられることは度々ありますが」
「ええっ?! 意外です。……まあ、仕事と関係ない人を会社に招くのは良くないですもんね」
「あの阿呆もその点は弁えているので安心していました。だからリーゼさんを連れて来た時には驚いてしまったのです」
ジーンはティーカップをソーサーに戻す。そして空いた手を組み合わせると、リーゼを真っ直ぐに見つめた。
「きっと、リーゼさんからなにかを見出し、社員として欲したのでしょうね。……まあ、それだけでもないので悩ましいのですが」
最後の言葉は濁し、小さく咳ばらいした。
「ともかく、あいつは優秀な人材を見つけるのに長けていますので、リーゼさんを正式雇用しようと躍起になると思いますよ。言いくるめられないよう気をつけてくださいね」
「買いかぶり過ぎです。まだ働いてもいませんのに……」
お調子者のエディに言われたのなら受け流せるが、生真面目なジーンからそう評価されると恐縮してしまう。
リーゼは両手をぎゅっと握り、照れくささをやり過ごした。
(もしかして、ジーンさんもエディに勧誘されたのかな?)
エディとジーンの出会いが気になった。対照的な性格の二人が友人だったとは考えられない。ならばエディがジーンを勧誘した可能性がある。
こんなにも優秀な秘書を、いったいどこで捕まえたのだろうか。
(それに、ジーンさんは国民議会議長の息子なのに……どうして秘書になったのかしら?)
素朴な疑問だが気になってしまい、ジーンに聞いてみることにした。
「あの、どうしてジーンさんは社長秘書になったんですか? お父様が国民議会の議長をしているのなら、そちらの道を考えたこともあったんじゃないかと思ったのですが……」
「私が父と同じ道を選ばなかったのが不思議ですか?」
「はい。それに、ジーンさんなら社長もできそうだと思いましたので」
財務部の社員たちによると、ジーンは交渉術にも長けているらしい。そんな彼が誰かの下で働くのには勿体ない人材だと思った。
すると、ジーンは口元を綻ばせて笑う。
「ははは、リーゼさんにそう言っていただけると嬉しいです。……私は、エディが創り出す未来を側で見守り続けたいと思ったから、あいつの秘書になったんですよ」
「エディが創り出す未来?」
「『魔法がなくとも人々が快適に生活できる世の中』。エディはそれを目指しているのです。だから今後は紡績業以外にも着手する予定なんですよ」
「そんな大きな夢をもっているんですね」
「あいつ曰く、王政が崩壊したおかげで誰もが夢を叶えられる時代になったから、不可能ではないそうです」
「誰もが夢を叶えられる時代……」
「ええ。だからあいつはその夢を叶えるために、学生の頃から奔走しています。その姿を見ていると、どうしようもなく気になってしまったんですよ」
ジーンの話によると、二人は学生の頃に出会ったらしい。
場所はルーベック学院。かつて王族や貴族の子息令嬢が通っていた名門校だ。
王政崩壊後は爵位が効力を失い、事実上貴族家は存在しない。いまは単なる富裕層となっている。そのため、ルーベック学院は旧貴族家の令嬢令息たちが通うための学校となった。
「では、お二人の実家は王政時代の貴族家だったんですね」
「私は特待制度で入った庶民なので違いますが、ジーンは旧アーチボルト伯爵家の次男坊です。正真正銘の、旧貴族家の人間ですよ」
「ええっ?! ジーンさんが特待生?!」
そのような制度があることは知っていたが、選ばれるのはごく稀だと聞いている。改めてジーンの優秀さを思い知らされた。
「実を言うと、入学当時の私は父と同じ職に就くことを考えていました。その世界しか知りませんでしたし、その他の世界を知ろうともしませんでしたから」
ジーンは懐かしそうに目を細めた。
「当時の私たちは同級生であること以外全く接点がありませんでした。性格も興味があるものも、なにもかもが正反対ですから」
「なんとなく、当時のお二人の様子を想像できます」
二人が共通の話題を持っているようには思えず、リーゼはこくこくと頷いた。
「だけどある日、エディが紡績工場に出入りしているという噂を聞いて、興味を持ったんですよ。実家がその紡績工場を所有しているわけでもないのに、なぜ入り浸っているのか疑問でした」
しかし特待生として勉強に勤しむジーンは、さして探ろうとも思わなかった。
平日は学校が閉まるまで勉強し、休日は討論会に出席して意見交換していた。
「あれは、学校の帰りのことでした。たまたま通りがかった工場が、件のエディが出入りしているところだったのです。あいつは服を泥だけにして、従業員や技術者と一緒に設計図を睨んでいました。その様子が衝撃的で、手に持っていた鞄を落としてしまいましたよ」
後から聞いた話によると、エディは紡績業に興味を持っており、現場を知るために従業員に混ざって働いていたらしい。
実際に働いている従業員たちの不満や不便に思っている点を吸い上げて改善すれば、より生産性が上がり、新しい商品や技術を開発できる余裕が生まれるのではないかと探っていたそうだ。
そのためにエディは階級の垣根を越えて様々な人間に声をかけ、彼らの意見に耳を傾けた。一時は、アヴェルステッドのどこにいてもエディの姿を見かけると噂されたほどだ。
「それ以来、学校の中でも外でもエディの噂をよく聞くようになりました。そんな時に、あいつに声をかけられたんです。会社を立ち上げるから、力を貸してほしいとね」
最初は断っていたジーンだが、エディは諦めず、隙あらば捕まえて連れまわしてきた。
迷惑だと思う一方で、エディが語る未来を聞いたり、彼の周囲にいる人間の生き生きとした様子を見ているうちに、考えが変わった。
「いわば、あいつに惹かれたから手を取ったのです」
そう言い、ジーンは人差し指を立てて唇に当てる。
「エディには内緒にしてくださいね?」
「もちろんです。教えると調子に乗りそうですものね」
「ははは。リーゼさんはあの阿呆をよくわかっていらっしゃる」
秘密を共有した二人が微笑み合う。その様子を、ちょうど部屋に戻ってきたエディが目ざとく見つけた。
「俺がいない間に仲良くなってる! 狡い!」
と、騒ぎ立て、しばらく拗ねてしまったのだった。
貴族家についての設定に不備があったため、変更しております。
ご迷惑をお掛けして申し訳ございません…。
「では、少しの間ここの経理として働かせてもらえませんか?」
「……へ?」
リーゼの要求に、エディが間の抜けた声を上げた。驚きに目を見開いたまま、ついでに言うと、口が半開きになっているまま茫然としている。
というのも、これまでに出会った少女たちは、エディが礼をすると言えば、彼とのお茶会や逢引を望んでいたから意外だったのだ。恋人に望まれたことだってある。
それなのに目の前にいる少女は、自分には目もくれず、職を所望してきたものだから当てが外れて衝撃を受けている。
「ここの社員になりたいってこと?」
「はい。――あ、私は学生なので、社員ではなくお手伝いといったところでしょうか?」
「……はぁ。こんな仕打ちは初めて」
エディは片手で顔を覆い、いささか芝居がかった動きでふらつき、長椅子に寄りかかる。
「ねぇ、リーゼちゃん。君の目の前にいるこの美形に、なにかしてほしいと思わないの?」
「なにかしてほしいとは?」
なにかとは、なんなのだ。訝しがるリーゼの視線に耐え切れず、エディは平謝りした。
「ごめん! 悪かったから、そんな軽蔑するような目で見ないで!」
「全く、この阿呆はなにを考えているのやら」
見かねたジーンがエディの頭を小突いた。
経理志望の少女が真面目な話をしているというのに、うちの社長はなんと低俗なことを考えているのだろうかと、内心嘆いた。
「私は大歓迎ですよ。リーゼさんのような勤勉な方なら、安心して仕事を任せられるので」
「わーい! ジーンさんと一緒に働けて嬉しいです!」
「ねぇ、どうしてジーンには微笑みかけるの?! 俺への態度と全く違うよね?」
「うるさい。さっさと社長室へ行って、雇用に関する資料を持ってこい」
「社長の俺に命令するのー?!」
不服そうに唇を尖らせるエディだが、大人しく部屋を出ていった。どうやら二人とも、リーゼの雇用を認めてくれたようだ。
「リーゼさん、これからよろしくお願いしますね」
「私の方こそよろしくお願いします。みなさんのお役に立てるよう頑張りますね!」
願いが叶ったリーゼはやる気に満ち溢れている。そんな彼女の輝く瞳を見たジーンは、満足そうに頷くと紅茶を一口啜った。
「リーゼさん、ご存じですか? エディは女の子を会社に連れて来たことがないんです。押しかけられることは度々ありますが」
「ええっ?! 意外です。……まあ、仕事と関係ない人を会社に招くのは良くないですもんね」
「あの阿呆もその点は弁えているので安心していました。だからリーゼさんを連れて来た時には驚いてしまったのです」
ジーンはティーカップをソーサーに戻す。そして空いた手を組み合わせると、リーゼを真っ直ぐに見つめた。
「きっと、リーゼさんからなにかを見出し、社員として欲したのでしょうね。……まあ、それだけでもないので悩ましいのですが」
最後の言葉は濁し、小さく咳ばらいした。
「ともかく、あいつは優秀な人材を見つけるのに長けていますので、リーゼさんを正式雇用しようと躍起になると思いますよ。言いくるめられないよう気をつけてくださいね」
「買いかぶり過ぎです。まだ働いてもいませんのに……」
お調子者のエディに言われたのなら受け流せるが、生真面目なジーンからそう評価されると恐縮してしまう。
リーゼは両手をぎゅっと握り、照れくささをやり過ごした。
(もしかして、ジーンさんもエディに勧誘されたのかな?)
エディとジーンの出会いが気になった。対照的な性格の二人が友人だったとは考えられない。ならばエディがジーンを勧誘した可能性がある。
こんなにも優秀な秘書を、いったいどこで捕まえたのだろうか。
(それに、ジーンさんは国民議会議長の息子なのに……どうして秘書になったのかしら?)
素朴な疑問だが気になってしまい、ジーンに聞いてみることにした。
「あの、どうしてジーンさんは社長秘書になったんですか? お父様が国民議会の議長をしているのなら、そちらの道を考えたこともあったんじゃないかと思ったのですが……」
「私が父と同じ道を選ばなかったのが不思議ですか?」
「はい。それに、ジーンさんなら社長もできそうだと思いましたので」
財務部の社員たちによると、ジーンは交渉術にも長けているらしい。そんな彼が誰かの下で働くのには勿体ない人材だと思った。
すると、ジーンは口元を綻ばせて笑う。
「ははは、リーゼさんにそう言っていただけると嬉しいです。……私は、エディが創り出す未来を側で見守り続けたいと思ったから、あいつの秘書になったんですよ」
「エディが創り出す未来?」
「『魔法がなくとも人々が快適に生活できる世の中』。エディはそれを目指しているのです。だから今後は紡績業以外にも着手する予定なんですよ」
「そんな大きな夢をもっているんですね」
「あいつ曰く、王政が崩壊したおかげで誰もが夢を叶えられる時代になったから、不可能ではないそうです」
「誰もが夢を叶えられる時代……」
「ええ。だからあいつはその夢を叶えるために、学生の頃から奔走しています。その姿を見ていると、どうしようもなく気になってしまったんですよ」
ジーンの話によると、二人は学生の頃に出会ったらしい。
場所はルーベック学院。かつて王族や貴族の子息令嬢が通っていた名門校だ。
王政崩壊後は爵位が効力を失い、事実上貴族家は存在しない。いまは単なる富裕層となっている。そのため、ルーベック学院は旧貴族家の令嬢令息たちが通うための学校となった。
「では、お二人の実家は王政時代の貴族家だったんですね」
「私は特待制度で入った庶民なので違いますが、ジーンは旧アーチボルト伯爵家の次男坊です。正真正銘の、旧貴族家の人間ですよ」
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しかし特待生として勉強に勤しむジーンは、さして探ろうとも思わなかった。
平日は学校が閉まるまで勉強し、休日は討論会に出席して意見交換していた。
「あれは、学校の帰りのことでした。たまたま通りがかった工場が、件のエディが出入りしているところだったのです。あいつは服を泥だけにして、従業員や技術者と一緒に設計図を睨んでいました。その様子が衝撃的で、手に持っていた鞄を落としてしまいましたよ」
後から聞いた話によると、エディは紡績業に興味を持っており、現場を知るために従業員に混ざって働いていたらしい。
実際に働いている従業員たちの不満や不便に思っている点を吸い上げて改善すれば、より生産性が上がり、新しい商品や技術を開発できる余裕が生まれるのではないかと探っていたそうだ。
そのためにエディは階級の垣根を越えて様々な人間に声をかけ、彼らの意見に耳を傾けた。一時は、アヴェルステッドのどこにいてもエディの姿を見かけると噂されたほどだ。
「それ以来、学校の中でも外でもエディの噂をよく聞くようになりました。そんな時に、あいつに声をかけられたんです。会社を立ち上げるから、力を貸してほしいとね」
最初は断っていたジーンだが、エディは諦めず、隙あらば捕まえて連れまわしてきた。
迷惑だと思う一方で、エディが語る未来を聞いたり、彼の周囲にいる人間の生き生きとした様子を見ているうちに、考えが変わった。
「いわば、あいつに惹かれたから手を取ったのです」
そう言い、ジーンは人差し指を立てて唇に当てる。
「エディには内緒にしてくださいね?」
「もちろんです。教えると調子に乗りそうですものね」
「ははは。リーゼさんはあの阿呆をよくわかっていらっしゃる」
秘密を共有した二人が微笑み合う。その様子を、ちょうど部屋に戻ってきたエディが目ざとく見つけた。
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