上 下
10 / 25

10夜目のためのお話:とっておきの魔法

しおりを挟む
 宵闇に染まった窓ガラス越しに、ふわりふわりと舞う雪が見える。
 エーファは雪のダンスを眺めつつ、鉢植えに今日の水晶細工の飾りを結んだ。

 毎日コツコツと飾り付けている木には、もう十個の飾りがついている。

「ふぅ……」

 背後から小さなため息が聞こえて振り返ると、ヒルデが物憂げな表情で楽譜を眺めている。聖女の選定で歌う課題曲の楽譜らしい。

 今日のヒルデは何度も溜息をついている。おそらく、明日に迫った選考会に緊張しているのだろう。

「ヒルデさん、溜息をついていると幸せが逃げちゃいますよ」

 それとなく声をかけると、ヒルデは目をぱちくりさせる。ややあって、自分の頬をペタペタと触わった。
 
「す、すみません。自分では全く気づいていませんでした」
「慣れているので気にしないでください。ここにくるお客様は、よくため息をついているんです。カフェ銀月亭は、悩みを抱えて眠れない人たちが来る場所ですから」
 
 ふと夜空を見上げて月があると安心するように、この店を見かけた人もまた安心できる店であってほしい。そう願ってつけた名前だ。

 実際にこの店の客は悩みを抱えている者が多い。中には、エーファが魔法をかけてこの店まで誘導した者もいる。
 職場の人間関係に苦労している宮廷メイドや、身分違いとわかっていても令嬢に片想いしてしまった傭兵に、自分の思い描くドレスを自由に作りたい服飾士など、人も悩みも三者三様だ。
 
 エーファは彼らの悩みを聞く代わり、エーファが望む情報をひとつ、かれらからこっそりと聞き出している。
 それはメヒティルデと王太子のアンゼルムと彼の新しい婚約者のユリアにまつわる噂話や目撃情報だ。

 メヒティルデがユリアの誘拐に加担したという冤罪を晴らすべく、些細な情報や証人を集めて回っている。
 
 ここはメヒティルデを救い出すための拠点。それが、エーファがこの店を始めた理由である。
 
 いつものエーファなら彼らの情報を持っていない人物の悩みまでは聞かなかった。ヒルデと何度か言葉を交わしたが、エーファの求める情報を持っていなかったのだ。

 しかしヒルデの事は無視できなかった。
 彼女は自分と同じように、会いたい人がいる。そのために懸命に歌を練習している彼女を、応援したいと思うようになったのだ。
 
「私でよかったら聞かせてください」
「……明日の選考会が不安なんです。もしも選ばれなかったら、私は一生あの子と再会できないのかなと思うと、怖いんです……」

 ヒルデは両手をぎゅっと握りしめた。

「もし聖女に選ばれたとしても、あの子と会えるかどうかわからないのに……聖女に選ばれるかどうかでやきもきするなんて、変な話ですよね?」
「いいえ。会えないかもしれないと思うと、不安ですよね。ヒルデさんにとって聖女になることが、その人と再会できる有力な方法だと思っているんですから、なおさら不安になりますよ」

 エーファも同じような不安を抱える事が度々ある。
 もしも計画が上手くいかなかったら、もしも上手く行ったのにメヒティルデと再会できなかったら――。

 不安が重く心にのしかかり、諦めさせようとしてくるのだ。
 
「――ただ、それはまだ起こっていない事で、違う未来が来る可能性もあるんです。だから不安を忘れるためにも、明日はヒルデさんが会いたい人に贈るように歌うのはどうでしょうか?」
「あの子に贈るように……ですか。――そうですね、あの子と過ごした時間を想いながら歌うと、不安も緊張も忘れられるような気がします……!」
「ええ、ぜひそうしてください」
 
 エーファはカウンターの奥に戻ると、鍋に牛乳とシナモンを入れて火にかける。続いてケーキ作りに使うチョコレートの塊を取り出して砕いた。
 鍋の上に手をかざし、牛乳が温まった頃合いを見計らって小さな塊になったチョコレートを入れる。

 焦げ付かないよう木べらで混ぜ、表面がふわりと浮き上がると火を止めた。

 カフェ銀月亭の店内に、ショコラの甘い香りが広がる。
 
「ヒルデさん、ホットショコラはお好きですか?」

 エーファは問いかけつつも、草木の描かれた美しいティーカップをすでに二つ用意している。一つはヒルデ、もう一つは自分用だ。
 
「ええ、好きですよ」
「よかった。それでは、私のまかないに付き合ってください」

 パチンと片目を瞑ってみせると、泡だて器で鍋の中のホットショコラを軽く泡立てる。このひと手間で、飲み口がまろやかになるのだ。

 二つのティーカップそれぞれにホットショコラを入れると、魔法具の冷蔵庫からケーキ作りの時に余った生クリームが入った器を取り出す。それをスプーンで掬うと、ホットショコラの上に浮かべた。

「はい、どうぞ。熱いので気を付けてくださいね」
「わあっ! 美味しそう。ありがとうございます!」
「いいえ、まかないの消費にご協力いただくので、むしろ私が礼を言うべきです。ありがとうございます」

 エーファはヒルデの隣の席に座ると、スプーンで生クリームの島を切り崩しながら冷却の魔法の呪文を呟く。するとティーカップの周りに小さな氷の結晶がいくつも現れ、クルクルと円を描くように舞った。

「綺麗ですね。何の魔法なんですか?」
「熱々の飲み物を瞬時に適温にしてくれる魔法です。悩める猫舌族のために私が編み出した魔法なんですよ!」

 これは、猫舌であるエーファが熱い飲み物をすぐに冷ますために、よく使っている魔法だ。
 本来なら攻撃魔法として使われているものだが、威力を弱めてごく限定的な範囲で発動するよう細かく調整されている。
 
 魔法の威力を弱めることと出力の範囲を限定することは、それ自体もまた別の術式が必要になるため同時展開するには高度な技術が必要になる。
 そのためエーファが初めてこの魔法を披露した時、彼女の部下たちは口を揃えて「才能の無駄遣いだ」と言い、ジットリとした目で彼女を睨めつけたのだった。

 彼らがなんと言おうと、エーファは気にしない。自分の魔法の技能をもったいぶってひけらかすより、温かい飲み物をすぐに適温で飲めることの方が何万倍も重要なのだ。

「温かくて、ほんのり甘くておいしいです。少しシナモンの香りもしますね」

 ヒルデはティーカップを両手で包み込む。
 ほうっと溜息をつく表情は、先ほどよりも穏やかになっていた。
 
「なんだかポカポカとした気持ちになります」
「よかった。ホットショコラは不安を和らげてくれる魔法の飲み物なんですよ」
「元賢者のエーファさんが作ったホットショコラなら、より効果が高くなっていそうですね」
「とっておきの魔法をかけたので、きっとヒルデさんを緊張から守ってくれますよ」
「ふふっ、ありがとうございます」
 
 温かなホットショコラを堪能し、モフモフのシリウスを撫でてすっかり癒されたヒルデは、帰る頃には笑顔になっていた。
 
 ヒルデが去った店内で、エーファは鼻歌を歌いながら食器を洗う。
 
「……たまには、こういうのも悪くないかもね」
「ガウッ」

 シリウスが尻尾を大きく振りながら相槌を打つ。
 
 魔法使いと使い魔は心が繋がっている。
 エーファの喜びがシリウスに伝わっているようで、彼も嬉しそうだ。

 カランと鈴の音が鳴り、エーファは扉へと視線を移す。

「こんばんは、エーファさん」
「ロシュフォール団長、いらっしゃいませ!」

 ランベルトは肩にうっすらと雪を積もらせている。エーファに背を向けており、少し開けた扉の隙間から外に向けて、外套についた雪を払っているところだった。
 
 しかしエーファのいつもより弾んだ声が聞こえるや否や、その手を止めてしまった。
 ゆっくりと振り返ったランベルトが見たのは、目元を綻ばせて無邪気に笑うエーファだ。

 基本的にエーファはいつも笑顔だが、それはメヒティルデに仕込まれた、本心を隠す笑みだ。
 今のエーファはややあどけなさを感じるものの、ランベルトに心を開いているように見えた。
 
「なんだか嬉しそうですね。いい事があったんですか?」
「もしかして、そんなにニヤニヤしていますか?」
「ニヤニヤではなく、ニコニコとしています」
「どちらも同じでは?」
「全く違います」
 
 エーファにとっては取るに足らない些細な違いだが、ランベルトにとってはそうでもないらしい。
 
「う~ん、ヒルデさんを励ますことができたから、嬉しいのかもしれません」
「ヒルデさんを……そうですか。明日は選考会があるので、元気になられてよかったです」
 
 かつてお嬢様狂と呼ばれていたエーファがメヒティルデ以外の誰かの話をする時にこんなにも活き活きとするようになるとは、思ってもみなかったのだ。

 彼女心にいい変化が起きているのかもしれない。
 ランベルトは頬を緩め、照れくさそうに話すエーファを、優しい眼差しで見守った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

メイドの方が可愛くて婚約破棄?

岡暁舟
恋愛
メイドの方が好きなんて、許さない!令嬢は怒った。

性悪という理由で婚約破棄された嫌われ者の令嬢~心の綺麗な者しか好かれない精霊と友達になる~

黒塔真実
恋愛
公爵令嬢カリーナは幼い頃から後妻と義妹によって悪者にされ孤独に育ってきた。15歳になり入学した王立学園でも、悪知恵の働く義妹とカリーナの婚約者でありながら義妹に洗脳されている第二王子の働きにより、学園中の嫌われ者になってしまう。しかも再会した初恋の第一王子にまで軽蔑されてしまい、さらに止めの一撃のように第二王子に「性悪」を理由に婚約破棄を宣言されて……!? 恋愛&悪が報いを受ける「ざまぁ」もの!! ※※※主人公は最終的にチート能力に目覚めます※※※アルファポリスオンリー※※※皆様の応援のおかげで第14回恋愛大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございます※※※ すみません、すっきりざまぁ終了したのでいったん完結します→※書籍化予定部分=【本編】を引き下げます。【番外編】追加予定→ルシアン視点追加→最新のディー視点の番外編は書籍化関連のページにて、アンケートに答えると読めます!!

カーテンコールは終わりましたので 〜舞台の上で輝く私はあなたの”元”婚約者。今更胸を高鳴らせても、もう終幕。私は女優として生きていく〜

しがわか
恋愛
大商会の娘シェリーは、王国第四王子と婚約をしていた。 しかし王子は貴族令嬢であるゼラに夢中で、シェリーはまともに話しかけることすらできない。 ある日、シェリーは王子とゼラがすでに爛れた関係であることを知る。 失意の中、向かったのは旅一座の公演だった。 そこで目にした演劇に心を動かされ、自分もそうなりたいと強く願っていく。 演劇団の主役である女神役の女性が失踪した時、シェリーの胸に火が着いた。 「私……やってみたい」 こうしてシェリーは主役として王子の前で女神役を演じることになる。 ※お願い※ コンテスト用に書いた短編なのでこれはこれで完結していますが、需要がありそうなら連載させてください。 面白いと思って貰えたらお気に入りをして、ぜひ感想を教えて欲しいです。 ちなみに連載をするなら旅一座として旅先で公演する中で起こる出来事を書きます。 実はセイは…とか、商会の特殊性とか、ジャミルとの関係とか…書けたらいいなぁ。

実在しないのかもしれない

真朱
恋愛
実家の小さい商会を仕切っているロゼリエに、お見合いの話が舞い込んだ。相手は大きな商会を営む伯爵家のご嫡男。が、お見合いの席に相手はいなかった。「極度の人見知りのため、直接顔を見せることが難しい」なんて無茶な理由でいつまでも逃げ回る伯爵家。お見合い相手とやら、もしかして実在しない・・・? ※異世界か不明ですが、中世ヨーロッパ風の架空の国のお話です。 ※細かく設定しておりませんので、何でもあり・ご都合主義をご容赦ください。 ※内輪でドタバタしてるだけの、高い山も深い谷もない平和なお話です。何かすみません。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

場所を間違えた崖っぷち令嬢は公爵様に離してもらえない

にわ冬莉
恋愛
崖っぷち男爵令嬢、オリザ。 お金持ちが集まる舞踏会でいい男をゲットするのが、今夜のミッションだった。 会場の外から中を覗いていたら、ひとりの美しの君に声を掛けられ、そのまま中へ。 だけど、話しているうち、なんだか事態はおかしな方向に!? 女の子向けドタバタで甘いラブコメはいかが?

美味しそうな貴方

富士山のぼり
恋愛
子爵令嬢アグネスは自己嫌悪に陥っていた。 優秀な学生達が集うお茶会ではしたない事をしてしまったからである。 何かと注目を集める辺境伯令息の指先の小さい傷から出る血を見て指を思わず咥えてしまったのだ。 実はアグネス一族の先祖には吸血一族が混じっていて血を舐めたい衝動が勝った事が原因だった。 落ち込むアグネスに辺境伯令息が口にした意外な一言とは……。 ※一日遅れで番外編を追加しました。

【コミカライズ決定】無敵のシスコン三兄弟は、断罪を力技で回避する。

櫻野くるみ
恋愛
地味な侯爵令嬢のエミリーには、「麗しのシスコン三兄弟」と呼ばれる兄たちと弟がいる。 才能溢れる彼らがエミリーを溺愛していることは有名なのにも関わらず、エミリーのポンコツ婚約者は夜会で婚約破棄と断罪を目論む……。 敵にもならないポンコツな婚約者相手に、力技であっという間に断罪を回避した上、断罪返しまで行い、重すぎる溺愛を見せつける三兄弟のお話。 新たな婚約者候補も…。 ざまぁは少しだけです。 短編 完結しました。 小説家になろう様にも投稿しています。

処理中です...