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魔界の扉が開いた 2
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扉をくぐってすぐ目の前に、焦げ茶色の地味な服を着た騎士らしき人物を見つけた。ちょうど、扉に近づいているところだったようだ。
城に運び込まれてきた負傷者の証言通り、身綺麗で持っている装備は質が良さそうだ。
傭兵でもないのなら、どこかの貴族家に仕える騎士なのかもしれない。
(いったいどこの家門が、魔界の扉を開くために罪のない人たちを傷つけているの?)
神殿にいた頃には様々な貴族家の事情を耳にしてきたが、こんなにも卑劣な手を使う家門に心当たりがない。
もしかすると、水面下で王族に謀反を企てている家門が、カロス王国を混乱させるために魔界の扉を開いたのだろうか。
「うわっ、どんどん魔族が出てくるぞ!」
「怯むな! 攻撃して、あの女を捕まえて逃げるぞ!」
騎士たちの顔がこちらに向いている。あの女というのは、私のことらしい。
(もしかして、彼らの目的は――私の誘拐?!)
そんなまさか、と頭の中で否定している間に、騎士たちはじりじりと近づいてくる。どうしてなのかわからないが、狙われているようだ。
誘拐を企てられるほどの恨みを買った覚えはないのだけど、誰が私なんかを誘拐しようとしているのだろうか。
「俺の娘を狙うとは、命知らずな!」
魔王が低く地を揺るがすような怒声を上げた。身の竦むような、威圧のこもった声が辺りに響く。
まるでその声に呼応するように、黒い炎が火柱を上げて、騎士たちを取り囲んだ。
騎士たちは剣を構えたが、あっという間に悪魔たちに武器と馬を奪われ、そして魔物たちによって捕らえられた。
今は手足をロープで拘束された状態で、地獄の番犬に見張られて震えている。
「お前たちの雇い主は誰だ? 答えなければ、この地獄の番犬に手足を一本ずつ食わせるぞ」
「ひいっ! お、王妃殿下です!」
「なんだと?」
「王妃殿下が父君であるアドキンズ公爵閣下に依頼したのです。追放された元聖女のヘザー殿が魔族と手を組まないよう、捕らえろとのお達しで――」
「ヘザーを追放しただと?! 無礼な! うちのヘザーは追放されるようなことをする子ではないぞ!」
魔王の怒りを表すかのように、黒い炎がまた火柱をたてる。
騎士たちは身を寄せ合って震え始めた。中には、口から泡を吹いて気絶してしまった者もいる。
「あなた、落ち着いて。まずは街にいる人たちを助けつつ、敵を捕縛しましょう。ヘザーにかっこいいところを見せたいのでしょう?」
「フローレア……ううむ、そうだな。こいつらは牢に入れて、後でたっぷりと尋問しよう」
噴火した火山の如く強い怒りを見せていた魔王だが、フローレアさんの一言で落ち着いた。すっかりフローレアさんに手綱を握られているようだ。
魔王は地獄の番犬と数名の悪魔に命令し、捕らえた騎士たちを魔王城に運ばせた。
私たちは残りの悪魔と魔物と一緒に、街へ向かった。
***
街に着くと、あちこちで騎士たちが暴れている。
怪我をして蹲っている人や、騎士たちに抵抗して戦っている人、そして、建物の陰で身を寄せ合って怯えている子どもたちの姿も見える。
「さっそく手当てを始めないと――」
「しかし、敵の狙いはヘザー様のようだから、隠れていた方がいい」
「うっ……」
魔王の言う通り、向こうが私の誘拐を企てているのであれば、私は魔王たちの陰に隠れて守られていた方がいいだろう。
「でも……傷ついている人を放ってはおけないから……」
だから守ってほしいと頼むのは、あまりにも虫がいい話だろう。
ぎゅっと握りしめた手に、ハロルド様の手が触れた。温かく、大きな掌が優しく私の拳を解く。
「それでは、私がヘザー様を守るよ。だからヘザー様は安心して治療に専念するといい」
「ハロルド様……」
「小僧! さりげなくヘザーの好感度を上げようとしているな?!」
魔王が赤い目を吊り上げてハロルド様を睨む。だけどすぐにフローレアさんに宥められ、周辺にいる騎士たちの拘束に向かった。
「みんな、負傷者を見つけたらここに運んで。動かせそうにない時は私を呼んでね!」
指示を出すと、魔物や悪魔たちは元気よく返事をしてくれる。心なしか、みんなの目がキラキラと輝いている――ように見える。
「なんだかみんな、やる気に満ちているような……?」
スライムたちは体を薄く伸ばして倒れている人たちの下に潜り込むと、厚みを増して簡易ベッドのように姿を変える。そして、ゆっくりと負傷者を運んでくれた。
悪魔や牛の頭の獣人は騎士たちから武器を叩き落として無力化してから拘束していった。
「ひいっ! 魔物だ!」
「あれ、俺たちを助けてくれるのか……?」
魔物たちは働き者で、次から次へと街の人たちを救助してくれる。
街の人たちは初めこそ、魔物や悪魔の登場に震えていたが、彼らが無害だとわかると一緒になって救助を手伝ってくれた。
おかげで、私の周りにはたくさんの負傷者が運び込まれてきた。今はフローレアさんや悪魔たちと一緒に手当に駆けまわっている。
「当り前です。ヘザー様――次期魔王様からの初めてのご命令なのですから張り切りますよ」
人間の姿になって一緒に手当をしてくれているルシファーが、フフンと鼻を鳴らした。
「私、魔王になるつもりはないんだけど……」
「そう言わずに、一度検討してみてください。ね?」
ルシファーは圧のこもった笑みを浮かべ、強引に返事を求めてくる。
ここで頷いてしまえば、魔王になると同意したとみなされそうな気がした。
私はきゅっと口を引き結び、運ばれてくる負傷者の手当てに専念する。
魔物たちが運んできた負傷者の怪我の具合を見て、魔王城になぜかあった薬や包帯を使って手当てをする。
中には回復魔法が必要なほどの重症者もいる。その場合は、回復魔法をかけて癒した。
「ヘザー様、大丈夫? 疲れてない?」
もくもくと手当てをしていると、ハロルド様が顔を覗き込んできた。
見ると、心配そうに瞳を揺らしている。
「大丈夫。これくらい、討伐で慣れているよ」
「それでも、休憩した方がいいよ。ヘザー様はいつも、大丈夫だと言って無理をしては、青白い顔で働いていたから心配なんだ。――まあ、大切な人には苦しい思いをしてほしくないという、私の我儘なのですが」
「――っ」
聖女として討伐に同行していた頃、ハロルド様はよく、今のように声をかけてくれた。
当時は、彼は優しい騎士だから、誰にでも同じように声をかけてくれているものだと思っていた。だから適当に返事をしていた。
(本当は、私のことを気にかけてくれていたんだ……)
今まで彼がかけてくれた言葉の温かみを、今もう一度感じる。一言一言が、心にゆっくりと染み渡っていくような気がした。
「……ありがとう。たしかに少し疲れているから……区切りがついたら、五分だけ休むよ」
「本当は、もっと休んでほしいところだけど――うん、そうしよう」
ハロルド様がふわりと笑う。
これまで何度も見てきた笑顔なのに、今はその笑顔を見ると妙に心が落ち着かない。
とくとくと、心臓が早鐘を打っている。
「お、応急処置をしたので安静にしてくださいね」
「ありがとう。助かったよ、お嬢さん」
包帯の端をキュッと結んで声をかけると、腕に怪我を負っていた女性は柔らかく微笑んで礼を言ってくれた。
その言葉が、じんわりと胸を温めてくれる。
(お礼を言ってもらえると、こんなにも嬉しい気持ちになれるものなんだね……)
強欲聖女と呼ばれるようになってから、嫌味や悪口を言われることに慣れてしまっていたけれど……本当は、今のようにお礼や優しい言葉をかけてもらいたかった。
その気持ちに蓋をして、私自身も棘のある言葉を選んで口にしてしまっていたのだ。
(これからは……変われるかな?)
ハロルド様の隣にいると、私も優しい言葉を使える人間になれるだろうか。
(私ったら、どうしてハロルド様が一緒にいる事が前提になっているの?!)
気恥ずかしさのあまり、頬に熱が宿る。
この顔をハロルド様に見られるわけにはいかない。
ブンブンと頭を振り、考えを頭の隅に追いやる。
その時、ハロルド様が剣の柄を持ち直し、私を庇うように前に立った。
何かあったのだろうかと、ハロルド様の視線の先を辿ってみると――純白のドレスを着た王妃が、十数人ほどの騎士を引き連れてこちらにやって来るではないか。
この混乱を招いた王妃が、自ら足を運んでくるとは思わなかった。
王妃は私の視線に気づくと、ニヤリと赤い唇を吊り上げる。
「まぁっ、悪魔や魔物が集まっているわ。なんとおぞましい光景なのかしら。あなたたちもそう思わない?」
そう言い、王妃は振り返る。引き連れて来た騎士たちに同意を求めた。
騎士たちの内の一人が、子どもを一人、拘束している。子どもはとても怯えており、泣いていている。
嫌な予感がして、冷や汗がドッと出てきた。
「その子どもに何をしているんですか……?!」
「人質だよ。この子どもを助けたかったら、大人しく私のもとに来なさい」
王妃は手に持っている扇子を広げて口元を隠す。見えていないものの、扇子の後ろで笑っているような気がした。
「あなたの目的は何ですか? どうしてこの街の人たちを襲うんですか?」
「この街の人たちには証拠になってもらうんだよ。追放された元聖女のヘザーが実は魔族で――魔王と手を組んで人間界に危害を加えたという証拠にね。そしてお前は王宮で捕えて、死ぬまで苦痛を味わってもらうわ」
「なぜ、そんなにも私を苦しめようとするの? 私があなたに何をしたというの?」
「あんたがフローレアに似ているから。ただそれだけだ」
やはり王妃はフローレアさんに並々ならぬ敵意を抱いているらしい。
「私を恨んでいるのに、私の娘に当たるのはお門違いではなくて?」
フローレアさんの凛とした声がすぐ近くで聞こえる。振り返る前に、ほっそりとした美しい手が私の肩に触れた。
まるで私を王妃殿下から隠すように、フローレアさんが私を抱きしめる。
王妃はフローレアさんを見ると、瞠目して後退った。
「フローレア?! 生きていたのか?!」
「その様子だと、今まで散々ヘザーに嫌がらせをしていたようね。こんなにも性根が腐った人が大聖女だなんて、聞いて呆れるわ。神殿も廃れたものね」
いつも通り穏やかな口調で話すフローレアさんだけど、その声や纏う空気に、そこはかとなく怒りが滲んでいる。
私の為に怒ってくれているのだと、そうわかると、得も言われぬ安心感が体中を駆け巡った。
「まあいい。こうなったら、親子ともども罪人にしてやろう。あの子どもを助けたいのであれば、大人しく捕まりなさい」
「卑怯者……!」
このまま私たちが捕まっても、あの子どもは無事に帰してもらえるのだろうか。
王妃の企みを聞いてしまったからには、なにかしら圧力を賭けられる気がする。
しかし私たちが捕まらないと、王妃はすぐにでも騎士に命じて子どもを斬ってしまいそうだ。
(それに、フローレアさんが王妃に捕まったら、魔王が絶対に許さないはず……)
フローレアさんを溺愛している魔王なら、取り返すためなら王城にだって乗り込むだろう。
魔王軍の本気の戦力を前にしたら、いくら聖女がいれど大きな被害が出るに違いない。
(せめてフローレアさんだけはここに残せるように交渉しないといけないよね)
私はフローレアさんの腕に手を置き、そっと解いた。
「守っていただきありがとうございます。でも、あなたに何かあったら魔王が悲しむので、ここからは私があなたを守ります」
「ダメよ。あなたは私たちの大切な娘なんだから!」
「そうだよ、ヘザー様。あんな脅しなんて聞いてはならない!」
ハロルド様とフローレアさんが目の前に立ちはだかり、私を行かせまいと通せんぼする。
すると、騒ぎを聞きつけた魔王が私たちのもとに姿を現した。
「ま、魔王だ!」
「ひいっ!」
王妃と騎士たちは、魔王の姿を見ると表情を強張らせる。
「みんなで集まって、どうしたんだ?」
「あなた、ヘザーを止めて! あの子どもを助けるために捕まろうとしているの!」
「な、何だって?! ダメだ! こういう時はパパに任せろ!」
魔王は私とフローレアさんを両腕で抱きしめる。おかげで身動きがとれない。
「フ、フン。魔王は随分腑抜けになったものだな。さあ、この子どもを助けたいならさっさとこちらに来い!」
王妃殿下が声を張り上げたその時――。
「いい加減にしなさい! 叔母様の悪事はここまでですわ!」
聞き覚えのある女性の声がした。同時に、王妃殿下の周囲にいた騎士たちにいくつもの光の粒子が襲い掛かる。
光の粒子が騎士に触れると、騎士たちは音を立ててその場に倒れてしまった。中には、いびきをかいている者もいる。
「眠っている……?」
「ええ、回復魔法の応用で眠らせました」
目の前に、純白の長衣を着た女性が現れた。
ストロベリーブロンドの髪に、宝石を彷彿とさせる緑色の目を持つ、声の主――。
「アシュリー様……?」
私の呼びかけに、アシュリー様はにっこりと微笑んで応える。
「遅れてしまい申し訳ありません。ヘザー様、お怪我はありませんか?」
城に運び込まれてきた負傷者の証言通り、身綺麗で持っている装備は質が良さそうだ。
傭兵でもないのなら、どこかの貴族家に仕える騎士なのかもしれない。
(いったいどこの家門が、魔界の扉を開くために罪のない人たちを傷つけているの?)
神殿にいた頃には様々な貴族家の事情を耳にしてきたが、こんなにも卑劣な手を使う家門に心当たりがない。
もしかすると、水面下で王族に謀反を企てている家門が、カロス王国を混乱させるために魔界の扉を開いたのだろうか。
「うわっ、どんどん魔族が出てくるぞ!」
「怯むな! 攻撃して、あの女を捕まえて逃げるぞ!」
騎士たちの顔がこちらに向いている。あの女というのは、私のことらしい。
(もしかして、彼らの目的は――私の誘拐?!)
そんなまさか、と頭の中で否定している間に、騎士たちはじりじりと近づいてくる。どうしてなのかわからないが、狙われているようだ。
誘拐を企てられるほどの恨みを買った覚えはないのだけど、誰が私なんかを誘拐しようとしているのだろうか。
「俺の娘を狙うとは、命知らずな!」
魔王が低く地を揺るがすような怒声を上げた。身の竦むような、威圧のこもった声が辺りに響く。
まるでその声に呼応するように、黒い炎が火柱を上げて、騎士たちを取り囲んだ。
騎士たちは剣を構えたが、あっという間に悪魔たちに武器と馬を奪われ、そして魔物たちによって捕らえられた。
今は手足をロープで拘束された状態で、地獄の番犬に見張られて震えている。
「お前たちの雇い主は誰だ? 答えなければ、この地獄の番犬に手足を一本ずつ食わせるぞ」
「ひいっ! お、王妃殿下です!」
「なんだと?」
「王妃殿下が父君であるアドキンズ公爵閣下に依頼したのです。追放された元聖女のヘザー殿が魔族と手を組まないよう、捕らえろとのお達しで――」
「ヘザーを追放しただと?! 無礼な! うちのヘザーは追放されるようなことをする子ではないぞ!」
魔王の怒りを表すかのように、黒い炎がまた火柱をたてる。
騎士たちは身を寄せ合って震え始めた。中には、口から泡を吹いて気絶してしまった者もいる。
「あなた、落ち着いて。まずは街にいる人たちを助けつつ、敵を捕縛しましょう。ヘザーにかっこいいところを見せたいのでしょう?」
「フローレア……ううむ、そうだな。こいつらは牢に入れて、後でたっぷりと尋問しよう」
噴火した火山の如く強い怒りを見せていた魔王だが、フローレアさんの一言で落ち着いた。すっかりフローレアさんに手綱を握られているようだ。
魔王は地獄の番犬と数名の悪魔に命令し、捕らえた騎士たちを魔王城に運ばせた。
私たちは残りの悪魔と魔物と一緒に、街へ向かった。
***
街に着くと、あちこちで騎士たちが暴れている。
怪我をして蹲っている人や、騎士たちに抵抗して戦っている人、そして、建物の陰で身を寄せ合って怯えている子どもたちの姿も見える。
「さっそく手当てを始めないと――」
「しかし、敵の狙いはヘザー様のようだから、隠れていた方がいい」
「うっ……」
魔王の言う通り、向こうが私の誘拐を企てているのであれば、私は魔王たちの陰に隠れて守られていた方がいいだろう。
「でも……傷ついている人を放ってはおけないから……」
だから守ってほしいと頼むのは、あまりにも虫がいい話だろう。
ぎゅっと握りしめた手に、ハロルド様の手が触れた。温かく、大きな掌が優しく私の拳を解く。
「それでは、私がヘザー様を守るよ。だからヘザー様は安心して治療に専念するといい」
「ハロルド様……」
「小僧! さりげなくヘザーの好感度を上げようとしているな?!」
魔王が赤い目を吊り上げてハロルド様を睨む。だけどすぐにフローレアさんに宥められ、周辺にいる騎士たちの拘束に向かった。
「みんな、負傷者を見つけたらここに運んで。動かせそうにない時は私を呼んでね!」
指示を出すと、魔物や悪魔たちは元気よく返事をしてくれる。心なしか、みんなの目がキラキラと輝いている――ように見える。
「なんだかみんな、やる気に満ちているような……?」
スライムたちは体を薄く伸ばして倒れている人たちの下に潜り込むと、厚みを増して簡易ベッドのように姿を変える。そして、ゆっくりと負傷者を運んでくれた。
悪魔や牛の頭の獣人は騎士たちから武器を叩き落として無力化してから拘束していった。
「ひいっ! 魔物だ!」
「あれ、俺たちを助けてくれるのか……?」
魔物たちは働き者で、次から次へと街の人たちを救助してくれる。
街の人たちは初めこそ、魔物や悪魔の登場に震えていたが、彼らが無害だとわかると一緒になって救助を手伝ってくれた。
おかげで、私の周りにはたくさんの負傷者が運び込まれてきた。今はフローレアさんや悪魔たちと一緒に手当に駆けまわっている。
「当り前です。ヘザー様――次期魔王様からの初めてのご命令なのですから張り切りますよ」
人間の姿になって一緒に手当をしてくれているルシファーが、フフンと鼻を鳴らした。
「私、魔王になるつもりはないんだけど……」
「そう言わずに、一度検討してみてください。ね?」
ルシファーは圧のこもった笑みを浮かべ、強引に返事を求めてくる。
ここで頷いてしまえば、魔王になると同意したとみなされそうな気がした。
私はきゅっと口を引き結び、運ばれてくる負傷者の手当てに専念する。
魔物たちが運んできた負傷者の怪我の具合を見て、魔王城になぜかあった薬や包帯を使って手当てをする。
中には回復魔法が必要なほどの重症者もいる。その場合は、回復魔法をかけて癒した。
「ヘザー様、大丈夫? 疲れてない?」
もくもくと手当てをしていると、ハロルド様が顔を覗き込んできた。
見ると、心配そうに瞳を揺らしている。
「大丈夫。これくらい、討伐で慣れているよ」
「それでも、休憩した方がいいよ。ヘザー様はいつも、大丈夫だと言って無理をしては、青白い顔で働いていたから心配なんだ。――まあ、大切な人には苦しい思いをしてほしくないという、私の我儘なのですが」
「――っ」
聖女として討伐に同行していた頃、ハロルド様はよく、今のように声をかけてくれた。
当時は、彼は優しい騎士だから、誰にでも同じように声をかけてくれているものだと思っていた。だから適当に返事をしていた。
(本当は、私のことを気にかけてくれていたんだ……)
今まで彼がかけてくれた言葉の温かみを、今もう一度感じる。一言一言が、心にゆっくりと染み渡っていくような気がした。
「……ありがとう。たしかに少し疲れているから……区切りがついたら、五分だけ休むよ」
「本当は、もっと休んでほしいところだけど――うん、そうしよう」
ハロルド様がふわりと笑う。
これまで何度も見てきた笑顔なのに、今はその笑顔を見ると妙に心が落ち着かない。
とくとくと、心臓が早鐘を打っている。
「お、応急処置をしたので安静にしてくださいね」
「ありがとう。助かったよ、お嬢さん」
包帯の端をキュッと結んで声をかけると、腕に怪我を負っていた女性は柔らかく微笑んで礼を言ってくれた。
その言葉が、じんわりと胸を温めてくれる。
(お礼を言ってもらえると、こんなにも嬉しい気持ちになれるものなんだね……)
強欲聖女と呼ばれるようになってから、嫌味や悪口を言われることに慣れてしまっていたけれど……本当は、今のようにお礼や優しい言葉をかけてもらいたかった。
その気持ちに蓋をして、私自身も棘のある言葉を選んで口にしてしまっていたのだ。
(これからは……変われるかな?)
ハロルド様の隣にいると、私も優しい言葉を使える人間になれるだろうか。
(私ったら、どうしてハロルド様が一緒にいる事が前提になっているの?!)
気恥ずかしさのあまり、頬に熱が宿る。
この顔をハロルド様に見られるわけにはいかない。
ブンブンと頭を振り、考えを頭の隅に追いやる。
その時、ハロルド様が剣の柄を持ち直し、私を庇うように前に立った。
何かあったのだろうかと、ハロルド様の視線の先を辿ってみると――純白のドレスを着た王妃が、十数人ほどの騎士を引き連れてこちらにやって来るではないか。
この混乱を招いた王妃が、自ら足を運んでくるとは思わなかった。
王妃は私の視線に気づくと、ニヤリと赤い唇を吊り上げる。
「まぁっ、悪魔や魔物が集まっているわ。なんとおぞましい光景なのかしら。あなたたちもそう思わない?」
そう言い、王妃は振り返る。引き連れて来た騎士たちに同意を求めた。
騎士たちの内の一人が、子どもを一人、拘束している。子どもはとても怯えており、泣いていている。
嫌な予感がして、冷や汗がドッと出てきた。
「その子どもに何をしているんですか……?!」
「人質だよ。この子どもを助けたかったら、大人しく私のもとに来なさい」
王妃は手に持っている扇子を広げて口元を隠す。見えていないものの、扇子の後ろで笑っているような気がした。
「あなたの目的は何ですか? どうしてこの街の人たちを襲うんですか?」
「この街の人たちには証拠になってもらうんだよ。追放された元聖女のヘザーが実は魔族で――魔王と手を組んで人間界に危害を加えたという証拠にね。そしてお前は王宮で捕えて、死ぬまで苦痛を味わってもらうわ」
「なぜ、そんなにも私を苦しめようとするの? 私があなたに何をしたというの?」
「あんたがフローレアに似ているから。ただそれだけだ」
やはり王妃はフローレアさんに並々ならぬ敵意を抱いているらしい。
「私を恨んでいるのに、私の娘に当たるのはお門違いではなくて?」
フローレアさんの凛とした声がすぐ近くで聞こえる。振り返る前に、ほっそりとした美しい手が私の肩に触れた。
まるで私を王妃殿下から隠すように、フローレアさんが私を抱きしめる。
王妃はフローレアさんを見ると、瞠目して後退った。
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「その様子だと、今まで散々ヘザーに嫌がらせをしていたようね。こんなにも性根が腐った人が大聖女だなんて、聞いて呆れるわ。神殿も廃れたものね」
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「卑怯者……!」
このまま私たちが捕まっても、あの子どもは無事に帰してもらえるのだろうか。
王妃の企みを聞いてしまったからには、なにかしら圧力を賭けられる気がする。
しかし私たちが捕まらないと、王妃はすぐにでも騎士に命じて子どもを斬ってしまいそうだ。
(それに、フローレアさんが王妃に捕まったら、魔王が絶対に許さないはず……)
フローレアさんを溺愛している魔王なら、取り返すためなら王城にだって乗り込むだろう。
魔王軍の本気の戦力を前にしたら、いくら聖女がいれど大きな被害が出るに違いない。
(せめてフローレアさんだけはここに残せるように交渉しないといけないよね)
私はフローレアさんの腕に手を置き、そっと解いた。
「守っていただきありがとうございます。でも、あなたに何かあったら魔王が悲しむので、ここからは私があなたを守ります」
「ダメよ。あなたは私たちの大切な娘なんだから!」
「そうだよ、ヘザー様。あんな脅しなんて聞いてはならない!」
ハロルド様とフローレアさんが目の前に立ちはだかり、私を行かせまいと通せんぼする。
すると、騒ぎを聞きつけた魔王が私たちのもとに姿を現した。
「ま、魔王だ!」
「ひいっ!」
王妃と騎士たちは、魔王の姿を見ると表情を強張らせる。
「みんなで集まって、どうしたんだ?」
「あなた、ヘザーを止めて! あの子どもを助けるために捕まろうとしているの!」
「な、何だって?! ダメだ! こういう時はパパに任せろ!」
魔王は私とフローレアさんを両腕で抱きしめる。おかげで身動きがとれない。
「フ、フン。魔王は随分腑抜けになったものだな。さあ、この子どもを助けたいならさっさとこちらに来い!」
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「いい加減にしなさい! 叔母様の悪事はここまでですわ!」
聞き覚えのある女性の声がした。同時に、王妃殿下の周囲にいた騎士たちにいくつもの光の粒子が襲い掛かる。
光の粒子が騎士に触れると、騎士たちは音を立ててその場に倒れてしまった。中には、いびきをかいている者もいる。
「眠っている……?」
「ええ、回復魔法の応用で眠らせました」
目の前に、純白の長衣を着た女性が現れた。
ストロベリーブロンドの髪に、宝石を彷彿とさせる緑色の目を持つ、声の主――。
「アシュリー様……?」
私の呼びかけに、アシュリー様はにっこりと微笑んで応える。
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⭐︎⭐︎⭐︎
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